第三項 空を飛ぶ獣と少女(第57話)
第一部 新世界の産声編 第三章 異なる世界、異なる人々 第三節 海上の少女
昨日は大変だった。
昼に立ち寄った料亭で本格的に趣味語りを始めようとする桃川さんをどうにか宥めて出発したのは良いが、生活魔法の残り二つを教わっていないことに気付いた桃川さんが次の休憩までずっとそわそわしていて、いつ事故を起こしやしないかと冷や冷やしていた。
あれならいっそのこと、どこかで止めて教えてしまった方が良かったのかもしれない。
とはいえ休憩時間に残り二つの生活魔法を教えた後は、夜になってからどうにか辿り着いた港町の旅館で魔力切れを起こして昏倒するまで生活魔法を使っていたので、一概にそっちが良かったとも言えないか。
旅館では相部屋だったから良かったものの、ホテルの個室だったら知らぬ間に桃川さんが気絶していたかもしれないからな。
今朝になって起きた所をしっかりと注意しておいたから次は昏倒するまで魔法を使うようなことはしないはずだ。しないよな?
そして、今はまた車にて次の街――海上都市へと向かっている最中だ。
「思ったより早かったですね」
「そうですね。とはいえ、一人きりで数日かかる距離を車で、と言うのはなかなかですよ?」
「あぁ、そう言われるとなかなか辛そうですね」
「ええ、行きは大変でしたよ。帰りは百鬼さんが居たので楽しい旅程となりました。ありがとうございます」
「お礼を言うのはまだ早いですよ。あと半日くらいでしたか? 海上都市に着くまでが出張ですよ」
「お、懐かしいフレーズですね。小学校以来です。そう言えば、百鬼さんが小学生の頃、遠足に持って行けるおかしの料金はいくらくらいでした?」
「それはまた懐かしい。俺の通っていた学校では五百円まででした」
「おや、多かったんですね。私の所は三百円でしたよ」
「まあ、五百円は多かったですね。食べきらずに半分近く余していましたよ」
「それはそうでしょう。私も三百円で少し残したくらいですからね。ちなみにどのようなお菓子を?」
「買ったお菓子ですか? 駄菓子が大半ですね。安いのと友人と交換するのに都合が良いですし」
「ですよねぇ! 私もそうでしたよ! となると、アレは外せませんよね?」
「アレ? ああ、三色ガムとかですか? 一つだけ辛いのがある」
「それです! やっぱり買いますよね! まあ、私はなぜかハズレをよく引いていたのですが」
「ああ、それは俺もです。毎回ハズレを引くのでハズレ王と言うあだ名がついていました」
「そこまでですか!? 運が良いのか悪いのか……」
「……まあ、運は良い方ではないですね」
でなければ秘密結社に家族揃って誘拐されるようなことはなかったし、怪人化することもなかっただろう。
「あ、それでしたらどうです? どこかのコンビニで見かけたら運試しに買ってみませんか? 今なら大丈夫かもしれませんよ?」
「運試しで勝負ですか。言っておきますが、負ける自身しかないですよ?」
「後ろ向きにもほどがありますよ!?」
「運の悪さでは負ける気がしないですね。ほら、あそこにコンビニが見えますよ」
「そこまで言われると俄然負けたくなってきましたよ。ではハズレを引いた方が勝ちという事で」
「それは趣旨が変わってませんか? まあ、俺はどちらでも構わないですけど」
通りがかったコンビニには都合よく目当ての品が置いてあり、必要なものを購入した後は速やかに退散した。
車に戻るなり、桃川さんが勝負を仕掛けて来た。
「さあ! 勝負です! 良いですか? ハズレを引いたら勝ちですよ!?」
それはもう運試しと言うよりは不幸勝負ではないのだろうか?
「それは勝ちと言えるんですかね? それにしても、昔見たのとパッケージが違いますね。商品は同じようですが……ん? ワサビパウダー入り?」
「あれっ? 私が子供の頃は酸っぱいパウダーだったような?」
「ですよね。俺が子供の頃もそうでしたよ。時代は変わったなぁ」
完全に罰ゲーム用だろうこれ。子供に与えて良い物じゃない。
「いいですねぇ! 大人となった今、酸っぱい程度では動じない自信はありましたが、ワサビパウダーは未知数! これはいい勝負になりそうですよ!」
「あんたは何と戦ってるんだ……ともかく、どちらから行きます? 三つありますが」
「そうですね。じゃんけんをして勝った方から食べて行きましょうか」
「勝った方ですか? 負けた方ではなく」
「ええ! ハズレを引いた方が勝ちなので、勝った方が二つ食べる権利があるというルールで行きましょう!」
「ああ、そういう……では、始めますか」
「私が音頭を取りましょう。最初はグー!」
「「じゃん! けん! ぽん!」」
「フフフ……私の勝ちですね!」
「そうですね。俺の負けです」
桃川さんには悪いが、見てから手を出すのは余裕だった。実質後出しだが、コンマ一秒の差は見抜けなかったようだ。
悪いが怪人化してからワサビは苦手なんだ。負けて――いや、勝ってもらうぞ……!
「では一番手をいただきましょう。色は赤、黄、青ですか。ワサビと言われると青色をイメージしそうですが、赤色も危険なイメージがありますね。となると安全圏は黄色でしょうか。しかしこれは負けるが勝ちの勝負! つまり、ハズレは……これだぁっ!」
そう言って桃川さんが取ったのは青いガムだった。どうやらワサビのイメージから選択したらしい。
「では、味を確認します」
間髪入れず口の中にガムを放り込んだ桃川さんは、しばしの間もぐもぐと口を動かしていたが、特に様子に変化は見られない。
「……くっ! 普通に美味しいガムでした!」
ガクリと項垂れているが、こちらは一気に追い詰められてしまった。
「じゃあ、次は俺ですね」
さて、どちらにするか。生憎と怪人化した嗅覚でも判別がつかない。困ったな。
いかにワサビパウダーとは言え、ガムに包まれてしまえば匂いが嗅ぎとれないのか。本当に困った。
……どうしよう。どちらを引いてもはずれを引く未来しか見えない。
「ならばっ、こっちだ!」
お雪さん! みぞれ! 雪女の村落の皆! 俺に運を分けてくれ!
「ほう、赤ですか。冒険に出ましたね?」
「こういう時は敢えて危険な道を行くのがセオリーですからね」
何より、赤色はお雪さんの瞳と同じ色だ。つまり、俺に幸運を授けてくれた色だ。
勝負には負けてもいい。ワサビではないという幸運を授けてくれ!
俺は手に取ったガムを口に放り込むと、咀嚼を始めた。一回、二回、っ! これは――
「……どうやら、俺の負けらしいですね」
――辛く、ない! ありがとうみんな! 愛してるぞ!
「えっ、辛くないんですか? ということは、残りのこれが? 本当に?」
「さあ、桃川さん。次はあなたの番です」
さっさと食うんだ。そしてこの無益な争いを終わらせよう。
「えーっと、私の勝ちが確定したことですし、これ以上は、ね?」
「どうぞ、勝利の味を噛み締めてください」
「ははは、きっと涙が出るほどの味なんでしょうね」
そう言って残りのガムを口に入れた後、車内に桃川さんの悶絶する声が響いたのは言うまでもない。
昔を懐かしむつもりが、思わぬ争いを生み出してしまった。
ワサビのダメージから回復した桃川さんが、お茶を飲んで深刻そうに呟いた。
「あれは子供に与えて良い物じゃないですね……うちの子が買わないように気を付けないと」
「そんなにですか」
「はい、子供なら泣きます。駄菓子コーナーにあって良い物ではありません」
確かに、大人が悶絶する様な菓子を子供が手に取れる駄菓子コーナーに置いているというのは不用心にもほどがある。
「これも時代の流れなんですかね」
「そうかもしれないですね。海外で激辛のお菓子を食べた子供がショック死したという話を聞きましたし、他人事ではないのは確かですよ」
車を発進させながら、桃川さんがやるせなさそうに言った。
「そんなことが……」
「まあ、さんざん注意書きがあるのに挑戦した子供側にも落ち度があった事件なんですがね。近年は子供でも簡単に動画や写真をインターネット上に掲載することができるので、そう言った挑戦を動画として上げて人気を得ようとする子が増えているそうですよ。本来、そう言うのは大人が付いていて然るべきなんですが」
「それは、あくまでインターネット上の人気ですよね? そんなことをして何の意味が?」
「それは人に寄るでしょうね、承認欲求であったり、金銭であったり様々だと思いますよ」
「金銭? すみません、あまりネットは使わないのでよくわからないんですが、そんなことで金銭が発生するんですか?」
「ええ、動画に限らず色々とありますが、収益化審査が通っていれば動画の再生などで少量の金額が入る仕組みになっていますね。もちろん、動画が再生されるほど料金も増えていきますので、この仕組みを利用して専業活動している方も少なくはないですよ」
「そう、なんですか……」
時代が変われば仕事も変わるものだな。要は一般人が芸能人の真似事をして金を稼ぐことができるようになっているという状況なのか。
もちろん、そう上手く行くわけがないというのは解っているが、正直な所、人気商売なのはネットも芸能界も同じようだし、大きな差異はないのではなかろうか。なんなら活動人口は始めやすさを考えるとネット界隈の方が多かったりするんじゃないか?
世界の影で結社の奴らと戦い続けて来た俺には理解できない世界だな。
「あ、もしかしてご興味が? 近年はアバターと言う技術を用いて配信する方も増えてきているので、芸能界より秘匿性が高いという利点が出てきているんですよ。これにボイスチェンジャーを使えばあら不思議! 男性でも女性として活動ができるんですねぇ!」
そんな勧めるように言われても、特に興味は湧かないな。
「別に興味はないですが、そんな時代になっていることに驚きですよ」
「そうですか。まあ、まだ身内で楽しんでいる感がありますからね。それでも人気がある方だと一度の配信で億単位の金額が動くこともあるんですよ?」
「それは凄いな」
「ちなみに我が社では専属の配信者を一人囲って商品の宣伝などをしてもらっています」
「そう言うのは人気のある人に宣伝してもらった方が良いのでは?」
「ええ、とはいえ既に人気のある方は個人でもやっていけますし、なかなか仕事を受けて貰えないんですよ。その分費用も掛かりますし。だからといって微妙な方だと宣伝になりませんので、素質のありそうな方をスカウトして育てるのが企業側としては精一杯ですね」
「それはなかなか大変そうですね」
「ええ、とは言え我が社の子は少しずつ人気が出てきているようで、少し前に登録者が十万人を超えたんですよ!」
登録者が十万人と言われても、それがどれほどの事なのかよくわからないな。
「十万と言うのは多いんですか?」
「ええ、わかります。どれほどの事なのかはわかりませんよね。しかしこれは決して少ない数ではないのです! それは勿論、人気配信者となると百万人以上が当たり前ですし、トップ層は一千万以上の登録者が付いていますね」
なるほど、そう言われるとしっくりくるな。
「そうなると、十万人だとスタート地点と言ったところですか?」
「そうですね。人気配信者を目指すのであれば其処がスタート地点と言えるでしょうか」
「そういう世界ですか。登録者を人気と捉えるのなら、可視化される分、わかりやすいのと同時に残酷な世界でもありますね」
心が弱いと病みそうだな。
「ええ、なので黎明期などは複数のアカウントを使った水増し行為が横行しまして」
「今では対策されていると?」
「はい、徹底的に対策されていますね。詳細は伏せられていますが、アカウントの動きから悪さをしている者を割り出して排除するプログラムが使用されているという噂ですよ。有志が試した結果、そう言った動きをするとすぐさま警告が入るようになっているようですね。それでも続けるとアカウントの収益化の剥奪や一部機能の使用が不可能になるなどのペナルティが課せられるようです。そこで反省の色が見られないとIPを辿られて永久追放されてしまうそうです」
「よくわかりませんが、徹底しているという事だけは伝わってきました」
本当によくわからなかった。そこらの知識はさっぱりだ。
「ええ、なので以前に比べると活動はしやすい環境なのですが、それでも悪い事をする者はなかなか減らないんですよ」
「そればかりはどうしようもないでしょうね。誰かの善行が誰かにとっての悪行になるのは世の常ですから。人はただ生きているだけで知らずうちに誰かに不利益をもたらすものだと師が言っていました」
「ほう、なかなか含蓄のあるお言葉ですが、百鬼さんにも誰かに師事していた頃があるんですね」
「それほど長い付き合いではないんですが、俺が唯一尊敬していた人物ですよ。随分と高齢だったようなので、未だ存命かどうかもわかりません」
「そうでしたか。私も一度会ってみたいものですよ」
「正直おすすめは出来かねます。なかなか破天荒な爺さんなので」
「なんとも愉快なご老人のようで。はて、そう言えば以前にそんなご老人の配信者が居たような?」
あの爺さんが配信者? 絶対にないと言い切れないのが恐ろしいな。
「うーむ、思い出せません。私は切り抜き勢ですからねぇ」
「切り抜きとは?」
また知らない言葉が出てきた。
「ああ、配信を切り抜いて編集した動画ですよ。短時間で配信のピークタイムを閲覧できるので、なかなかにありがたい存在なんですよ。大抵の生配信は短くても一時間程度はかかりますからね」
「それは長いですね」
「ええ、一時間は貴重な時間なのです。仕事から帰って食事に風呂、家族サービスと言った具合に過ごしているとあっという間に寝る時間ですからね。とても配信を見る時間は取れません」
「それで切り抜きですか」
「はい、言ってしまえばダイジェストですよ」
「ああ、ダイジェスト。それなら短時間で済みますね」
「ええ、寝る前のひと時の楽しみですね。配信者によっては家族で見ることもありますよ」
「家族向けの配信者もいるんですか。テレビ顔負けじゃないですか」
「大体はトップ層の方ですね。テレビに出演することもありますよ?」
「それはなんとも……時代を感じるな」
言ってしまえば一般人をテレビに出演させているようなものだぞ。
もしかして、テレビは視聴率が低迷していたりするんだろうか?
いや、するだろうな。視聴する媒体に配信と言う新たな選択肢が増えたのだから、視聴者の母数が増えない限り視聴率が減るのは自明の理か。
「いつかテレビが終わる時代が来るんだろうか……」
俺が若かった頃はテレビくらいしか見るものはなかったのになぁ。
「いやぁ、流石にもう少しは続くんじゃないですかねぇ……?」
そういう桃川さんも、自身が配信を見ている側だからなのか、少し自信がなさそうに見えた。
ノスタルジックな話題から少ししんみりとしてしまったが、路程自体は順調に進む中、俺の知覚が異変を捉えた。
「なんだ? 桃川さん! 上空! 何か来ます!」
「えっ、えっ? 上ですか?」
「そのまま走行しつつゆっくり路肩へ寄せて停止を! なにかが通り抜けるぞ!」
これは、魔力か? 凄まじい魔力濃度を持つ大きな何かが上空を飛んでいる。
速度は飛行機ほどではないようだが、車よりは速い。
それに、強大な魔力を持つ何かに重なるように気配が二つ。これは人か? 一人は似たような気配を感じたことがあるが普通寄りの人間で、もう一人が人間とは思えない魔力を宿している。
こちらへ意識が向いている様子はないが、尋常ではない魔力が怪人の危機意識を否応なく刺激してくる。
「と、止めました! どうしたらいいですか!?」
車を停止させた桃川さんが問うてきたので指示を出す。変に行動されたら困るぞ。
「そのまま身を潜めていてください。もうすぐ通過します」
車内の窓から上空を確認しながら告げると、大きな影が車を覆い、そのまま抜けていった。
「い、いったい何が……っ! お、大きな鳥がっ!? いや、アレはグリフォンですかね!? 初めて見ました!」
「あれは、女性か? もう一人は随分と若いが……少女か?」
海の方へ向かって行く空を飛ぶ獣、その背には女性が二人乗っているように見えた。
「あ、動画! 動画を取らないと!」
「桃川さん……」
携帯のカメラを構えて動画を撮り始めた桃川さんの行動力には呆れたものか感心したものか。
しかし、少女の方は……もしかして飛んでいなかったか? いや、流石に気のせいか。
「百鬼さん! ようやくつきましたよ! ようこそ! 我が故郷へ!」
「はい、無事に着きましたね。道中のアレには肝が冷えましたが……」
思わぬ遭遇があったが、俺達は無事に海上都市へたどり着いたのだった。
駄菓子のくだり
少年時代に戻る男二人
偶にするこういうお馬鹿な行動が楽しいんですよね
グリフォンを目撃
春香達とニアミスしました




