第23話 酒匂の水と足柄の土、それに箱根の風
「もう少し上かな? ・・・・・・違うわ、もっと上よ」
河野綾香の声が飛んできた。
「この位・・・・・・ですか?」
春久はソファーの上で若干背伸びをする。
「あぁっ! ダメダメっ!イキ過ぎだよぉ。今度は上過ぎぃ!」
少しため息混じりに教えてくれたのは河野葵だ。
「この辺りですか?」
指示に従い、慎重に両手を添えつつ位置を修正する。
「・・・・・・」
3人での沈黙。
状態を見極めているのは分かるが、早めに許可を貰いたい。
背伸びをしたこの状態はそれなりに辛いし、何より美女3人にジッと見られているのが緊張を呼ぶ。
「OKよ。傷が付かないように優しく、だけどシッカリと挿してね」
反町睦美のよく分からない指示に従い春久は“100均ヒットシリーズ・傷が付きづらい止め具”でリースを壁に固定した。
「コレで準備終了ね」
「いいじゃん!」
「うん、なかなかのモノね」
反町睦美、河野葵、河野綾香の三人は納得したように頷いていた。
カラオケボックスの一番奥、14号室は詰めれば15.6人は座れるような大部屋だ。話によると八千代部高校声楽部が何かイベントをするときの定番の部屋らしい。
たった今、飾りつけを終えたリースは、綾香の発案で今回から使い捨てにせず、継続して使える様に例年より良いものを購入したとの事で、かなり煌びやかな作りをしている。
更に目を引くのが前方ステージ上のミラーボールの側に飾られているお手製のウエルカムボード。
「達筆ですよね」
春久はその “ようこそ!チベ校声学部へ”と明朝体で書かれたボードの文字を見つめ葵に話しかけた。
「それほどでもないよ。ホントは時間をかけてイラストとか入れたかったんだよ。男の子の裸体とかさぁ、良いと思わない?」
葵のその言葉は照れ隠しなのか真面目なのかは春久にはイマイチ分からない。
「うーん、裸体はちょっと……」
「えっー、なんで! 良いじゃん!! 男の子同士の裸体だよ。別所君はどうしてあの良さが分からないかなぁ」
口先を尖らして抗議する葵。
「でも、マジメな話、こういう時に達筆な葵がいてくれると助かるわ」
そう言いつつ、部屋の前方中央を見つめる反町。この手の話には慣れているのか会話を流しているのが見て取れる。
「うん。ホントにそう思う。私なんか字ィ下手だしさ、葵のノートとか借りるとマジ凹むモン」
綾香も同じように会話は流しつつ、葵の書いた文字を見つめて大きく頷いていた。
「いやいや、そんな煽てても、わたしからは薄い本くらいしか出てこないよぉ」
葵は葵でまた話を混ぜっ返そうとしていた。
「薄い本って……」
つっこむつもりは無かったが、思わず言葉が洩れ出る春久。
「へぇー 別所は葵の言っている事が分かるんだ……」
反町が横目で春久を見つめる。
「結構見所あるね、別所くんっ!!」
うすく館内のBGMが響く中、真剣な顔で何度も頷いてみせる葵。しかし、何の見所なのだろう?
「別所君の見所については、とりあえず置いといて、あと30分もしたらみんな集まると思うから、そろそろ軽くお腹にモノを入れておかない? 歓迎会でここに並んでいるもの食べれるとは言え、ジャンクフードばかりだからさ」
確かに並んでいるものは大量のポテトにから揚げ、それにミートボール、あとはお菓子とお昼抜きの胃にはダメージがありそうなものばかりだ。
「俺、なにか買ってきます」
春久は静かにそう告げると腰を上げた。
「ありがと。でも大丈夫だよ。用意してあるから」
春久の言葉を制しつつ、葵は鞄の中から水筒と紙コップを取り出していた、そしてその隣では反町と綾香も小さな包みをテーブルの隅に並べはじめていた。
「別所の分もあるから安心して」
「ひとり一個づつだけど、あとで色々食べれるから良いよね」
手際よく包みを開けていく睦美と綾香。
「はいっ!! どうぞ別所君、準備お疲れ様ね。おにぎりは綾香でサンドイッチは睦美の手作りだよ。この2人の手料理を食べたなんてウチの男子生徒が知ったらどうなる事やら……だから、覚悟して食べないとダメだよぉ」
結構、シャレにならない事を笑顔で話しつつ、コップを差し出す葵。
「……え……その……いただきます」
春久は深く頭を下げて、紙コップに注がれたジュースに口をつけた。
口の中に酸味と甘みの混じった不思議な味が広がる。
「梅!? 何のジュースですかコレ? はじめて飲む味だ!」
コップから口を離しつつ葵に視線を向けた。
葵はにこやかに笑っているだけだ。
「その飲み物は葵のお手製の梅ジュースよ。飲みたがる男子なんて腐るほどいるだろうから、やっぱり別所君は恨みを買う事確定ね」
そう語る綾香自身もその梅ジュースに口をつけ美味しそうに飲んでいる。
「………」
外見、振る舞い、性格から考えて、三人は男子生徒から人気があるのは間違いがないだろう。短い付き合いだがソレは春久にも断言が出来た。
嫌な発想だが、一連の嫌がらせの事を考えると嫉妬や逆恨みから来るモノである可能性も否定できない。春久はそんな事を考えながら、おにぎりにも口をつける。
口に広がる縮緬じゃこの触感と紫蘇独特の風味。
「あっ、うまいっすねコレ! じゃこと紫蘇なんて組み合わせ初めてですけど……それになんて言うのか、そのお米が……何だろ?」
春久は素直に言葉を洩らしつつ、おにぎりを一気に食べていく。
「これって綾香の家で採れたお米でしょ?」
葵も同じようにおにぎりを頬張りだした。
「うん麦芽米。うちの田んぼで去年獲れたヤツ」
自身もおにぎりを口にしつつそう語る綾香。
小田原、足柄地域にはは丹沢山系から相模湾へと流れる大きな水流が2つある。ひとつは山王川、そしてもうひとつが酒匂川だ。
それらの流域には田畑も多く、当然、それらで生計を立てている農家も多数存在してる。だが、その家業を支えているのは、75歳でトラクターを運転しているお爺さんや、80歳を超えながらもモンペ姿に鋤を担いでいるおばあさんであったりと先行きに関しては明るいものとは言えない。
「酒匂の水と足柄の土、それに箱根の風で育った相模のお米って訳ね。確かに美味しいわ」
反町も真剣な顔をして頷いていた。
「なんか、そのフレーズ校歌っぽいっすね」
春久はおにぎりの最後の一口を頬張ると反町に笑いかける。
「うんうんっ!! 確かに市内のガッコだとそのフレーズのどれか必ず使われてそう」
葵も笑いながら頷く。
「確かに」
クスクスと綾香までも笑い出した。
「いいでしょ、そんな事……別所が変な事言うから……ほら、さっさと食べちゃわないと時間がなくなるわよっ」
顔を赤らめながら自身が作ってきたと言うサンドイッチを口にする反町。春久もそのサンドイッチを口にする。
「いつも作ってきてくれるけど、やっぱ、睦美のサンドイッチは格別だねぇ」
まず、そう声をあげたのは葵だった。
同感という他に言葉がなかった。
見た目はごくありふれたサンドイッチなのだが、食べた感じがコンビニ等で口にするサンドイッチとまるで違う。
「反町先輩、コレ……手作りって、マジですか?」
春久のもれ出た言葉。
「それで褒めてるつもり?」
相変わらず少し威圧的な言葉ではあったが、反町は少し照れたように笑っていた。
「いやホントに美味しんで……その、サンドイッチって、普通こんなにパリッとしていないですよね?」
「少しの工夫よ。キャベツは軽く炒めるとか、パンにはバターとからしを和えたものを満遍なく薄く塗るとかね。でも一番大切なのは作り終わったら、サンドイッチそのものをキッチンペーパーでおにぎりみたいに包んでしまう事なのよ。それだけで水気に晒されないからパリっとするのよ。工夫と言えるものでもないわ」
十分手間隙かけている気がするが、謙遜気味にそう語る反町にそれ以上何か言うと、多分怒られるだろう。
春久はただ黙々とサンドイッチを口にしていた。
少しだけの静寂。
隣の部屋で誰かが今、流行りの曲を歌っているらしく、少し音程の外れ気味の声が聞こえてくる。
「この人、キーを2つ下げた方が良いわね」
ピアノ上級者らしい感想を反町が洩らす。
「うん、Bメロにも無理がある」
「裏声も出せばいいってモンでもないのにね」
声学部らしい意見を葵と綾香が述べた時、春久のスマホが着信を告げた。
スマホのディスプレイには“和泉一祈”の文字。
「和泉からです。多分、シティ●モールに付いたんだと思います」
集まる視線に気恥ずかしさを感じながら春久は自身のスマホをタップする。
「俺だけど」
電話に出ると言うのはどうしても緊張してしまう。200m走のスタート前のほうがまだリラックスしているくらいだ。
『あっ、別所君? 今、着いたんだけど、どうすれば良いのかな?』
春久の事を苗字で呼んだという事は、側に誰かがいると言う事だ。おそらくは能美、そして瀬谷もいるのだろう。
「着いたから、どうすればいい……」
復唱するように声を出し、目の前の2年生トリオに伺いを立てる。
「私たちはこのまま控えているから、別所君も他の1年生に合流してもらえる? 入るタイミングはメールで知らせるわ」
綾香がにこやかにそう告げる。
「わかりました」
軽く頷き、春久は再びスマホを口元に近づける。
『聞えていたよ! 今、1年生みんなで1Fのドト〇ルの前にいるから』
「わかった。すぐ行く」
静かにスマホをタップし通話を終え、3人を見つめる。
「準備の手伝いお疲れ様」
「ゴメンね、本来は歓迎される側なのに手伝わせちゃって」
「ホラ、早く行きなさい。みんな待っているわよ」
何か言葉を発しようと言い淀んでいた春久を横目に三者に続けざまに言葉をかけられしまった。やはり1つの差とはいえ年の功。先輩たちには敵わない。
「反町先輩、河野先輩、河野先輩、美味しかったです、ご馳走様でした」
春久はそう告げながら、不器用にお辞儀をし、返答を聞かないで済む様に逃げ出すようにカラオケボックスを飛び出した。




