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イチカ  作者: 燈真
8/8

番外編2

イチカの弟の話。

本編とは違ったコメディ要素あり。

〝一禍〟


 それが母が姉に付けようとした本当の名前だ。


 姉を宿したとき、天啓のように頭に浮かんだのがその文字だったのだと母は言った。

 不吉を感じた父は名前を変えようと何度も言ったそうだが、母は頑として受け入れなかった。

「それがこの子の名前。それ以外の名前は意味をなさないのよ」

 他の名前ではどうしても納得できず、役所には苦心の末に漢字を当てず〝イチカ〟とだけ記した届け出を提出したのだという。


 数年後、母はその意味を知ることになる。

『ただ一人の禍を取り除く娘』

 それが俺の姉が産まれた意味なのだと母は言った。


 ※ ※ ※


 姉の世界の中心はいつも〝律〟のことで占められていた。

 律はどこかぼうっとしていて、姉が止めにいかないとすぐにあちら側に引き込まれるような不安定な人間だった。

 元々持っている心(というか魂)が境界線上で揺れているため、この世ならざるものに惹かれやすい――なによりの問題は彼を引き止めるほど強いものが現世にないことなのだと母は言った。

 そんな彼を引き止めるのが姉の役割だった。

律の危険を察知すると、何をしていても姉はぴくりと反応して走り出していた。

 そんな姉を初めのうちは寂しく見送っていたが、時が経つにつれて俺は誇らしく送り出すようになっていった。

「ねえちゃん最強」

 いつの間にか口癖になっていた言葉だ。

 それは姉のぶれのない行動に対してもだが、規格外の力についてもそう思っていた。


 姉は祝詞を必要としなかった。


 うちは代々裏家業として悪霊を払うことを生業としていた。

 祝詞は術を具現化するための言霊だ。

 基本に忠実に、間違いのない正しい祝詞を述べることで悪しき霊を払う。それがうちのやり方だった。


 もう一度言う。姉は祝詞を必要としていなかった。


 それがどれだけ規格外のことか分かるだろうか。

 ただ言葉を強くするだけで彼らを払うことができるのだ。

 それを二歳の頃から発揮していたとか、マジでありえん。化け物か。俺は毎日修行に明け暮れているというのに……。

 姉は悪霊を見る視界はあまりよくないようだったが、規格外の力がそれを余りあるほどに補っていた。

 ただし、律に関する場合のみ。


 一度母が試しに悪霊付きの日本人形に対峙させたことがあった。

「そこから出て行け」

 ダメだった。全然。

 日本人形は不適に笑って姉をバカにした。ついでに髪を伸ばしてにやりと口を広げた。なんで日本人形の歯がそんなにとがっているんだ。ってか歯があっていいものなのか!?

「祝詞は?」

「覚えてない。必要ないから」

 言い切った姉に母は深いため息を吐いた。

 ちょうどそこにやってきたのが律だ。本当にタイミングがいいのか悪いのか……。

「イチカぁ。いる?」

 呼び声に喜んだ者、二名。姉と日本人形だった。

――あれをよこせ。

「黙れっ」

 瞬殺だった。

 えっ、それだけ!? 俺があれを払うには唱え終わるまで十数分を要するくらいの祝詞を必要とするし。それが普通だし。俺が弱いわけじゃないし。

 今なら分かる。あれは相当に規格外だった。

 当時の俺はまだまだ幼くてバカだったから、「すげぇ、ねえちゃん最強」と目をキラキラと輝かせていたものだ。


 姉はただ一人のためだけの払い師だった。

 力は強くともそれ以外では使い物にならない姉には母は早々に見切りをつけ、弟の俺にすべてを叩き込むことにしたのだそうだ。


 ついでにキレた姉が日本人形を床に叩きつけようとしていたのを羽交い絞めにしたのは、傍で付いていた父だった。

「それを壊したら弁償だから! イチカ、やめなさい。うちの経済状況は大変逼迫しております!」

 幼い頃から払い師としての修行に明け暮れ、家事全般を不得意としていた母に変わり、父は我が家の家事の一切を引き受けていた。父は払い師としての力はないが、経済観念だけは家の誰よりもしっかりとしているのだった。


 ※ ※ ※


「あいつらにりつはあげない。指先一つも、髪の毛の一本も、何一つ渡さない」

 常々姉が言っていた言葉だ。

 知らない人が聞けばぎょっとするような独占欲の塊のような台詞。

 だが、それくらいの意思がなければ律のことは守れないということを姉は分かっていたのだろう。


 俺が七歳のときに姉は唐突に死んだ。


 その日、俺は布団の中でまどろんでいた。

 外を走る車の音も聞こえないような、静寂がすべてを包み込んでいるような深い夜のことだった。

 俺はふと頭を撫でる気配に目を覚ました。

「ねえちゃん?」

「浩輝、ねえちゃんちょっと出かけてくるから。あとのことはよろしく」

 まるで留守番を言付けるように俺に笑いかけて頭を撫でる姉。

「うん、わかった」

 律の危機にふらりと出て行くことはよくあることだったので、このときもそうなのだろうと思っていた。

 寝てな、という声に素直に従い再び眠りにつく。それが姉との永遠の別れとなることも知らないで、俺は温かい寝床に戻ったのだった――。


 今でも思うことがある。

 もうちょい言葉があってもよかったんじゃなかろうか。寂しげに言うとかさ。

 なにあれ、あれが別れの言葉になるなんて思わないでしょ。言われるままに寝ちゃったじゃん、俺。自分がすげぇ情けなく思えてくるんだけど……。


 ※ ※ ※


 姉が亡くなってから、母が俺につける修行はきつさを増した。来たるべき日のためにとかなんとか言っていたけど、意味はよく分かっていなかった。

 母は俺を伴いちょくちょく祝詞をあげにいった。それが何の変哲もない電信柱の前だったりするのを奇妙に思いつつも、俺は言われた通り母に従い祝詞をあげた。

 それがあの歩道橋を中心に円を描いていると知ったのは、数年をかけ何十箇所も巡った頃だった。

 あいつを追い込むのだと思った。

 一度祝詞を上げた場所に戻ることもあった。

 そこに貼ってあった札が焼け焦げたように崩れているのをじっくりと見分し、母はいつもと同じように祝詞をあげ、最後に札を貼り替えた。


 ※ ※ ※


 祝詞をあげては札を貼りを繰り返す日々が日常化していく中で、その日はついに訪れた。

「浩輝、着替えて準備しておきなさい。あれが来る」

 部屋でくつろいでいたときに突然母が入ってきて言った。

 緊張で心臓がばくばくと鳴る。――ねえちゃんでも払えなかったものを俺たちが払えるのか?

「いつもどおりにしておけば大丈夫」

 母はそんな俺の肩をばしんと叩いて激励に代えた。




「――来い、イチカっ!」

 倒れこむ律。

 俺たちはその横を通り過ぎて鳥居の下に立った。

 鬼は小さな女の子の姿で吼えていた。少女の姿をとってはいるが、それはとても可愛らしいとは呼べないような異質な姿を曝していた。

 こめかみには青い筋が浮き上がり、額の中心からごつごつとした角が生えていた。

 指先から伸びる鋭い爪が何度もこちらに向かって振り下ろされては鳥居の神力に弾き飛ばされる。

――りつ! こっちに来なさい! 来るのよ!

 高く低く、いくつもの声が重なり合って律のことを呼んでいた。呪詛のように繰り返す口から辺りに異臭が漂っていく。

 胸にはぽっかり穴が開いていて、そこからシュウシュウと黒い煙が立ち昇っていた。


 なんて奴だ。それはねえちゃんの姿だろ。マジで最悪。何の冗談だよ。笑えねぇんだよ。


 怒りで目の前が真っ赤になりそうになる。

「冷静になりなさい」

 ぱんと拍手を打って母が祝詞を開始した。

「この息は神の息。ひと、ふた、み、よ、――」

 開始と同時に奴がひるむ。それは母のあげる祝詞が効果的だということを示していた。

 効くなら絶対に払う!

 俺はそれに続いて祝詞をあげた。

「神の息はすべての不浄を払う。いつ、む、ななや――」

 姉の姿が夏場の陽炎のように揺れて本来の姿が現れる。それは異形の鬼だった。大きく醜い人を喰らう鬼――。

 数十分に渡る祝詞。鼓膜を震わせるような絶叫を最後に、鬼は血と生ゴミが混ざったような腐臭を発しながらドロドロに溶けながら消えていった。

 母がそれに神酒をかけて浄化する。神酒のかかった場所が白い煙をあげていくのが見えた。


 煙の中に浮かぶ姿があった。

 それは小学生くらいの男の子だったり、スーツを着た男だったり、赤いワンピースを着た女だったりした。腰の曲がった老人やイヌやネコの姿もあった。

 みんなうっすらとした光に包まれて穏やかな表情で消えていく。

 その中に姉の姿は見えなかった。

「……ねえちゃんは?」

「あそこ」

 母が後ろを指して言う。

 姉の姿は律の傍にあった。

 あの日の姿のままだった。姉は他のものたちよりも強い光に包まれていて、姿もはっきりと視認できた。

 倒れる律の頬に手を寄せて目を細める。

「最後の最後まで律のことかよ」

 ははっと笑って俺は地面に座り込んだ。

「気が抜けるよなぁ。どこまでいったってねえちゃんは律のことばっかなんだから」

 慈しむような微笑を浮かべて姉が姿を消していく。

――あとのことはよろしく。

 耳に入ってくる声に、俺は目頭を覆って上を向いた。


「みんな急にどうしたの。なんか大きな音がしてたけど。えっ、あれ、律くん!?」

 境内から父が駆けてくる。

「父さん……」

 昼食の準備をしていたのだろう。手にはオタマを握り締めていた。

 暢気な姿に脱力する。

 力がまったくないので母からろくな説明もされていなかったらしい。戦力外もいいところだ。ちょっとかわいそうになってくる。

「ねえちゃん、あとは任されたから。……でも、今はちょっと寝かせて」

 俺は仰向けになり、空に向かって白い息をはあっと吐いた。

「きゅ、救急車ぁ!!」

 慌てて電話を掛けにいく父の声が、高く空に昇っていった。


 ※ ※ ※


 今日も俺は修行に励む。

 普通レベルの俺はしっかり修行しないといけないのだ。

 姉みたいな規格外の力はないが、俺は全般的に人を救える力を持っている。最強の力を持っていた姉をうらやむこともあるが、それが俺の誇りだ。

「へえ、それが浩輝師匠の最強のお姉様のお話ですかぁ」

 正座する俺の横で大量のマンガを広げてくつろぐ眼鏡っ娘が感想を述べる。

「そ・う・だ。だから俺は日々精進しないといけないの。お前の相手をしている暇はないの」

 その頭をぺしんと叩いて「だからどっか行ってろ」と追い出しにかかる。

 この眼鏡っ娘は化けイヌに憑かれていたところを俺が払ってやった娘だ。縁を感じたらしく、ちょくちょくやってきては俺の邪魔をしにくる。


「どっか行ってろ、ってことはまた戻ってきていいってことですよね、浩輝師匠」

「思考がポジティブすぎる……。うっとうしいから二度と戻ってくるな」

「またまたぁ。そんなこと言ってぇ。私がいなくなったら探しに来てくれるくせにぃ」

 でへでへ笑いながらマンガを片付けていく元化けイヌ憑き娘。 

 俺は真面目に払っているだけなのに……何でこんな変なのが付いてくるんだろう。

「俺がお前を探しにいくのはな、放っておくと祠の封を切ったり、魑魅魍魎あたりに小石を投げてくれたりしやがるからだよ! ……もういいよ。終わるまで外で待ってろ」

「はいはーい」

 やっかいな小娘を外へやり、再び正座して頭を修行スイッチに切り替える。

 ねえちゃんの領域までいくには道のりは相当に遠い。バカに関わっている暇は本当にないのだ。


 ほどなくして何かが派手に砕け散る音が響く。

「やばっ。浩輝ししょーっ! お内裏様のほほをつんつんしたらお雛様がキレたぁ」

「このバカ娘がっ! 祈祷待ちの人形部屋には入るなと言ってあっただろうがっ」

 あいつに関わるようになってから飛躍的に俺の修行が進んでいることは、母には厳重に口止めをお願いしている次第だったりする。





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