イリヤがレガールに来た理由。
「ここにいたのか」
己の思考に囚われていた男は、耳元でかけられた声にハッとなって読んでいた書物から顔を上げた。
立っていたのは男の兄だった。
これほど近くに来られていたのに、気づかなかった自分に呆れる。
ああ、こんなにも自分は集中していたのかと。周りの音すら聞こえないほどに。
男がいるのは王城の中にある王族だけが入ることが出来る資料室だった。
本当なら、王族どころか貴族でもないただの一般庶民である彼が足を踏み入れることなどできない場所だ。それどころか、自分たちは王城にすら入れない身分だ。
そんな彼が、今、王城の中の資料室にいて、貴重な資料を見ている。
「随分積み上げているな。これを全部読むつもりか」
山のように積み上げた塊がいくつもある机を見て、彼の兄は目を丸くする。
一応学校に通っていたので字は読めるが、好き好んで本を読もうとは思わない。
それより体を動かす方が好きな兄に対し、弟は一人静かに本を読むのを好んでいた。
「この国の歴史は知っておくべきだから」
「ここにあるのは王族どもの歴史だろう。既に過去だ。知って何になるんだ」
「俺たちが、長く続いていた王族の歴史を閉ざしたんだ。俺たちは知っておくべきだと思う」
ハッ!と兄は鼻で笑った。
「奴らは俺たちを見下しておきながら、俺たちのおかげで贅沢をし、楽しんできたんだ。そんな奴らのことを知ってどうする。時間の無駄だ、やめとけやめとけ」
手をヒラヒラと振る兄を見て、弟は苦笑を浮かべた。
「ねえ、兄貴は知ってた?この国の王族は皆短命なんだ。俺たちのまわりには70年や80年生きてる者はたくさんいるけど、王族は40年を越えて生きてる者は殆どいない。俺はてっきり、国王は40歳になる頃には王位を譲る決まりがあるんだとばかり思ってた」
まだ若いのに、何故か息子に王位を譲っていなくなる国王。
ずっとそうだったから、そういうものだと俺たち国民は気にもしていなかったが。
国王が王位を譲る時が寿命だったのだとしたら。
「それだけ贅沢してたってことだろう。美味いものを食べ、働きもせず王の椅子に踏ん反り返っていたら身体を悪くして若死にするってものだ」
「ガルネーダ帝国に次ぐ歴史で、全ての王がそうだと?」
「何が言いたいんだ」
「わからない。わからないから、俺は調べることにしたんだ」
勝手にしろ!と男は弟に背を向けた。
「言っとくが、調べて何かわかったとしても、もう王族はここにはいないんだぜ」
「わかってる」
わかってるさ。俺たちがこの手でこの国の王族を滅ぼしたのだから。
────あなた方はいずれ、自分たちがしたことが間違いであった事に気づくでしょうね。
その兆しは来年、いえ、数ヶ月後にあらわれてくるかもしれない。
それは、遠くで起こる、ほんの小さな兆しでしょう。
でも、そのうちわかる。それが楽園と言われたこの国の滅びの兆候だということに。
私は、それを見届けるためにここに残る事にしたんです。
□ □ □
イリヤが右手を差し出してきたので、俺はその手を握った。
自分の手も小さいが、イリヤの手もまた小さいと感じたのは、いつも大人に手を繋いでもらっていたからだろう。
俺と手を繋いだイリヤは静かに廊下を進み、そして俺の部屋の扉を開けた。
その間、イリヤは一言も俺に話しかけることはなかった。
並んで歩いてみて、イリヤが姉のレベッカとさほど身長が変わらないことがわかった。
確か、俺より4歳年上の筈だったよな。
それで、1歳上の姉と変わらないって、どんだけ小さいんだ。
平均的に女の方が成長が早いというが、それにしても成長が遅すぎるような気がする。
手を繋いだまま部屋に入ると、イリヤがヒョイと俺を抱き上げてベッドに座らせた。
身体は小さいが思ったより力はあるみたいだ。
イリヤはそのまま俺の足元に膝を折ったが、俺はパンパンと手で自分の隣を叩いた。
お前もここに座れという意思表示だったが、イリヤが迷っていたのでもう一度叩くとイリヤは膝を伸ばして俺と並んでベッドに腰掛けた。
俺の足は宙に浮いているが、イリヤの足はギリギリ床についている。
「俺は転生者なんだ」
「転生者?」
イリヤは銀に近い灰色の瞳を大きく見開いた。
驚くよなぁ。あ、もしかして、転生者の意味わかんなかったかな。
「転生者はわかる。ガルネーダ帝国には建国の頃より前世の記憶を持って生まれてくる者が多いと聞いた。レガールでは聞いたことはないが、いてもおかしくはないと思ってる」
へえ〜‥‥‥
今度は俺が驚いた。ここでは転生者って、別に珍しいもんじゃないんだ。
「帝国ねえ‥‥‥俺、レガールとシャリエフの二国しか知らないんだ。地図見てびっくりした。こんなにたくさん国があるんだって。いやあ、ゲームスタッフ、ここまで考えてたのかと感心しちゃった」
「げーむ‥‥すたっふ?」
さすがに、これにはイリヤも首を傾げた。だよなあ。
「俺さあ、前世は地球って星の中の日本って国で生きてたんだ」
「ちきゅう‥‥にほん?聞いたことがない」
「うん。だと思う。だって、この世界じゃないから」
「この世界ではない‥‥異世界か?」
「そうなるかな。けど、びっくりなんだ。この世界ってさ、俺が前世いた世界ではゲームだったんだ」
「? げーむの意味がわからない」
「ま、そうだよな。この世界にはないもんだし。簡単にいえば、人が創作した世界かな。近いとこで、小説の中の世界って言えばわかる?」
イリヤは少しだけ眉をひそめた。
こいつ、ほんとに最低限にしか表情を動かさないな。
もっと、驚いて欲しいよ。
「この世界が、異世界の人間が作った世界だと言いたいのか?」
お?と俺は目を瞬かせた。理解が早い。こいつ、ほんとに7歳か?
「信じられないだろうけど、ほんとのことなんだ。俺、前世で従姉とやってたゲーム、まあ所謂物語ってやつだな、その舞台に転生したんだ」
「‥‥‥‥‥」
じっと俺を見つめていたイリヤは、つっ‥と目を細めた。
「あり得ないことではない」
マジか!と俺の方がイリヤに驚かされた。
どう考えたって、異常だろうが!俺の頭がおかしいと思われても仕方ない話なのに。
いや、でも、さっきイリヤは、転生者は珍しくないって言ってたし。
まあ、俺みたいなのはいないだろうけど。
「本当のことを言ってるんだろ?」
そうだけど、と俺は口ごもり、そして首を傾げた。
本当のことだが、こんなに簡単に信じてくれるとは思ってなかった。
あ、でも今の俺の口調はとても三歳児じゃないからなあ。信じられなくても信じるしかないか。
──それにしても、あり得るのかぁ。日本でこんな話されたら、頭の心配されるってのに。
自分がゲームの世界に転生するなんて、今でもこれは夢なんじゃないかと思うことがある。
現実には俺は意識不明で病院にいて、ずっと夢を見ているだけとか考えないでもない。
どっちがいいかはわからないけど。
私は、と今度はイリヤが口を開いた。
イリヤは自分のことを〝私〟という。出会った時から気づいてた。
イリヤの仕草が庶民とは違って、キチンと教育がなされていることに。
だから、父親がイリヤのことを殿下と呼んだ時、驚きはしたが納得もできたのだ。
ああ、やっぱりそうだったのか、と。
「気づいてるだろうが、私はレガール国の人間じゃない。私の生まれ育った国は、アルカスという。レガール国から東、海の向こうにある島国だ」
「大陸から東にある島国───なんか日本みたいだな」
「そうなのか」
俺はコクンと頷く。
「俺がいた日本は、昔から太陽が昇る国と言われてたんだ。たくさんの島が集まって出来てる国で、資源は少ないけど、色々工夫しながら皆頑張って生きてる国だった」
「そうか。いいな」
「で、イリヤはなんで国を出てレガールに来たんだ?親は?」
子供らしくはないが、それでもまだイリヤは7歳。親の庇護下にいるのが当たり前の年だ。
なのに、イリヤは一人だ。
俺みたいな転生者ならわかるが、イリヤは自分も転生者だとは言わなかった。
転生者は珍しいものではないというイリヤが、今更隠す理由はない。
父親が説明したイリヤの生い立ちが嘘っぱちなのは最初からわかっていたが、幼い王子を護衛もなく一人で他国にやる親はいないだろう。
アルカスという国の名は初めて聞く。
ゲームの説明では、大陸の地図はあったが、海の向こうまでは記されていなかった。
俺がゲームで知るテラーリアには、レガール国とシャリエフ国しか記入されていなかった。
転生して初めて地図を見て、ガルネーダ帝国や他の国々の存在を知ったのだ。
まあ、当然といえばだろう。ゲームの世界とはいえ、世界に二つの国しか存在しないなんてない。
そして、海の向こうにも当然人が住み生活している国がある。
うっかりしてた。ゲームの世界というのが頭にあって、大陸の地図しか見てなかった。
家庭教師にもまだ、テラーリア全体の地図はみせてもらったことはない。
ていうか、うちの図書室にあったかな?まさか、大陸だけの地図しかないとか?
いやいや、そんな───と俺は内心で首を振った。
少なくとも、父親は海の向こうの国を知ってる筈だ。海の向こうの住人であるイリヤのことを知っているのだから。
「部屋で教師と勉強してる時、どこからか怒号がし、そして‥‥血の匂いがした。母が青い顔で部屋に入ってきて、私に逃げろと言った」
え!と俺はイリヤの言葉である光景が思い浮かび、息を詰めた。
それって────
「他国の侵略、とか」
「アルカスは侵略されない。王族を害せるのは国民だけだ」
「え?え?」
俺は目を瞬かせた。
つまり、イリヤは、襲ってきたのは他国の人間ではなく国民だと言っているのだ。
「それはちょっと‥‥‥」
「私の存在を知るのは、王族の一部のみで、貴族ですら知らないから逃げられると母は言った。母は、その時いた教師と一緒に私をこの国に飛ばした」
は?
「飛ばしたって?それ、どういうこと?」
「アルカスの王族は皆特殊な力を持つ。母は自分以外なら、二人までは遠くへ移動させることができる」
「それって、瞬間移動か!」
超能力!あ、いや、魔法かな。でも、この世界には魔法はないんじゃ?
「一瞬で移動させるという意味ならそうだ。物ならこの部屋にある物全てをまとめて移動させられる」
マジか。
「アルカスって、魔法があるのか?」
「魔法?童話などで見る精霊が使う力のことか?いや、そういうものではないと思う」
よく知らないがとイリヤは言った。
う〜ん?と俺は眉をしかめて首を傾げた。前世の記憶にはアルカスの情報が全くないから、どうしようもない。魔法じゃないというなら、やっぱり超能力とか?
にしても──民が王家に反逆したってことかなあ。
父親の侯爵は知ってるかもしれないが、さすがに3歳の俺が聞くのはマズイだろう。
イリヤの正体を何故知ってるのか聞かれても困るし。
あなたの息子は異世界から転生してきた人間です、なんて絶対に言えない。
「この世界が、創作された世界だって言ったな。それが真実なら私のことも書かれていたか?」
ちょっと混乱し首を捻っている俺に、イリヤが聞いてきた。
その前に、アルカスの情報を知りたかったが、イリヤはずっと王宮の離れにある狭いスペースから出たことがないので殆ど何も知らないようだった。
両親は、月に一度イリヤの様子を見にくるくらいで、彼の6人いるという兄弟にも会ったことがないということだった。
なんだ、そりゃ?
何か問題があって隔離され、放置されていたのかと思ったが、少ないが専属の使用人がいてきちんと世話はされていたし、教育もされていたようだから放置ではないようだ。
では何故?と問うと、王家に生まれた子は、だいたい8歳を過ぎるまでは家族と離れた場所で育つものらしい。
それは、王族は生まれながらに特殊な能力を持つからだというが、やはり詳しいことはわからないとイリヤは答える。
イリヤは今7歳だから、来年には家族と一緒に生活することができたのかと思うと何も言えなかった。
いつか、イリヤの国に何が起こったのか調べてみようと俺は思った。
実はさ、と俺は顎を少し上げ、イリヤの顔をまっすぐに見た。
「ゲームはレガールとシャリエフの話しかなかったから、アルカスは名前すら出てないんだけど、イリヤに似た登場人物はいた。どういう人物でどんな容姿かはっきり描写されてなかったけど」
黒髪で、俺たち姉弟より年上だけど20歳そこそこの若い男。
名前も出ていない全くのモブ扱いだったけど、従姉は絶対に美形だとか、神秘的だとかわけのわからないことを言っていたが。
「多分、イリヤは姉のレベッカの執事なんじゃないかと思う」
俺がそう言うと、イリヤは珍しくキョトンとした顔になった。
そう言ったものの、でもなあ‥‥と俺は考える。
イリヤが一般庶民なら別だが、他国の王子であり、それを父親である侯爵が知っているなら、自分の娘の執事なんかには絶対しないんじゃないか、と。
だから、イリヤはゲームの中の執事ではなく────
「それは面白い」
は?
俯いて考え込んでいた俺は、意外な声を聞き再び顔をあげて見ると、イリヤはちょっと楽しげに口角を上げていた。
それからひと月ほど過ぎた頃、父をどう説得したのかわからないが、イリヤは姉レベッカの傍らにぴったりついていた。いずれは侯爵令嬢レベッカの執事となるべき見習いとして。




