肉体言語
「なぜ、分かっていただけないのでしょう。私の中で燃えるこの気持ちを……ここまでしても理解していただけませんか?」
酷く、耳に障る声だった。
こちらに背を向けてアイリと相対する青年は、芝居がかった仕草で言葉を紡ぐ。演技の度に揺れるウェーブのかかった金髪、それを掻き分けて伸びる、長い耳、樹海種。
それを見ただけで、この騒動がアイリにとって面倒なこと極まりないものだと分かってしまう。
彼女が困ってる。その思いが、足を騒ぎの中心に向けさせる。
一歩。
「やはりアナタが悪い。この私を弄んだ罪、贖っていただく……」
二歩。
「な、何を――」
三――
アイリは言葉を最後まで言うことが出来なかった。それは俺も同じ、彼女の元に辿り着くことなく歩みは止まり、その場で立ち尽くす。
ここからでは、行為がなされているのか、はっきりと見えない。だが、視界の随所に散りばめられた要素が、思考の中で繋がり、理解出来てしまう。
息を呑む衆目。彼女の背に手を伸ばすメイヤ。覆いかぶさるように屈むエルフ。その肩越しから見えた、限界まで見開かれるアイリの瞳。
「――う、あ……」
メイヤがアイリを青年から引き剥がす。思わずといった風に、口元へ添えられた手に遮られても、か細い声が、俺のところまで届いた。
彼女の両目が信じられないものを見たとばかりに歪んだ。絡み合う視線を辿ったメイヤが驚く姿を視界の端に捉える。
言葉が出てこない。言葉にするにしても、この情動が理解出来ていない。それが苦しい。とてつもなく、苦しい。
「アイリッ!? あぁーもう!」
状況の変化が望まぬ方向に転がり始める。アイリは何を言うでもなく走り去ったのだ。涙の跡を残して…………
「――これで彼女は、俺のものだ」
騒然としていた場の空気が、青年の一言で凍り付く。
熱い、身体の奥が。足元から這い上がってくる熱も霧散するような、昂ぶりが喉元までせり上がってくる。
首筋から額にかけて肌が粟立つ。四方八方から視線が集まる。背後の集団が、一歩退いたのが分かった。
【…………歯ァ食いしばれァァァアアア!】
「む、俺の気分を害するのは何処のどいつ――ぁあ!?」
右腕に奔る痛みが、無常な現実を突き付けてくる。
青年が振り向く前に距離を詰めて解き放った拳は、魔術障壁に阻まれ、怨敵には届かなかった。
右手を基点に広がる光の壁を、溢れ出た血が伝う。拳が砕けている。だからどうした、と言うのだ。
「げ、下郎っいったい何の――ひぃ!?」
鈍い衝撃とともに血の花が咲く。尻餅をついた青年の眼前に、何度も重ねるように。
燃えよ、肉叢。昂れ、魂。詠唱の度に拳を打ち付ける。早く、砕けろ、と打ち付ける。
痛みが無くなり始めた、その時、脅威はないと悟った青年が、せせら笑うように唇を揺らし、立ち上がった。
「ふ、フハッいつまで無駄なことを続けるつもりだ。普人種? 何のつもりか知らないが、俺を害そうとしたその行為、万死に値する。散れ、下郎……【我が求めに応え 出でよ 風の精 世界を旅する流浪の者らよ 千の鏃となりて 嵐をここに――」
障壁の向こうで魔力が高まる。
可視化されるほど濃密な魔力は、今まで一度も見たことがない。
だが、そんな事実は、身体を突き動かす情動に、なんの影響も及ぼさない。
「なんの騒ぎだ、これは…………【聴け 風――私の元へ】」
「燃えよ――ッ!?」
何度目かも分からなくなった突きを放とうとしていた身体が、浮く。突然のことに目を回していると、黄色い悲鳴が上がる元へ宙を滑るように引き寄せられた。己の意思とは関係なく――
「やめろっ邪魔をするなっ俺はアイツをッ!」
「おおよそ理解した――」
「彼の者に 死の洗礼を】!!!」
地に足が着いた瞬間、傍らの男に咬みつく。
男はこちらを見ようともせずに、小さく嘆息すると言葉を吐き出す。
それを食いちぎるように、青年の詠唱が響き、ここまで届いた。
青年の勝ち誇った笑みとともに、研ぎ澄まされた風の魔術がこちらに迫る。
男は表情を変えずに魔力を発露させ、腕を振るう。その結果、青年の魔術は綻び、魔力を孕んだ風に変換された。
無詠唱っしかもコイツ――樹海種!?
「貴様ッメルクーリ! なぜだ、なぜ俺の邪魔をする!?」
薙いだ水面を思わせる瞳が細まり、男は長い耳の縁を撫ぜた。
「ここでは導士をつけろと、いつも言っているだろう。アロゲイン」
「答えろっ返答しだいでは父上が黙っていないぞ!」
「……平にご容赦を。あのままでは他の士徒に怪我をさせかねない、と判断いたしました。ご子息が問題を起こすのは、セプトリア殿も望んでおられないかと」
エルフの男性、メルクーリが腰を折る。その所作で周囲の女子士徒達から、怒気にも似た空気が立ち昇った。
導士メルクーリ、記憶が正しければ魔術理論学を担当する学園の古株――
苛立たし気にあげられた舌打ちが、独り歩きし始めた思考を堰き止める。
「どけ、メルクーリ。次は間違えない、確実にソイツだけを殺す」
「アロゲイン……お前は何をき――」
「退いてください、導士メルクーリ……殿。私は、彼に話がある」
目の前の背中を押しやり、前に出る。
それを見た両者は、違った反応を示した。
卑しく弓引くその顔は、何度見ても嫌悪感を沸き立てる。
だが、ここで戦端を開こうにも、後ろのもう一人が黙っていないだろう。業腹でも、ここは別の手段を取るしかない。
お互いの距離は五歩と無くなった。
性懲りもなく魔力を練り始めたアロゲインを睨み、右手を払う。指先を滴る血は放物線を描き、その先を汚した。
このままでは終わらせない。それは俺も同じだ。
「俺はヴァシル。ウルべニア一門、アイリス・ウルべニアが一番弟子。この場、この時をもって、お前に決闘を申し込む……」
「……俺の服を汚したな、下郎……いいだろう、学園の末席にすら至れない卑しい普人種よ、死をもって贖え。我が名はアロゲイン・ウル・セプトリア……神童と呼ばれた俺の力、その身に刻みつけてやろう」
なおも、魔力を練り上げ続けるアロゲインに釣られて、こちらの魔力も高まる。
何か一つきっかけがあれば、爆ぜかねない空気の中に、線の細い背中が割って入る。
「メルクーリ……」
「…………」
「ここ”では”許さないと言っているのが分からないのか、貴様らは……場所はこちらで用意する。……明後日の終業後、屋内訓練場でいいだろう。異論はあるか?」
「フン……」「構いません」
不満げなアロゲインから視線を切って、振り返った導士メルクーリの目を見る。
彼は一度視線を外すと、眉をしかめてから言い放つ。大きくはないが、よく通る声で。
「間もなく講義が始まる。貴様らもこんなことをしている暇はないだろう、早々に立ち去れ。遅参の理由を、私が証言するとは努々考えるな」
慌てて散り散りになる士徒に紛れて、アロゲインがこの場を立ち去る。
その背中を睨み、己の中にもう一度、誓いを立てる。二日後、ぶん殴る。顔の形が変わるまで。
「少年。まずは医務室でその手を何とかすることだ――」
導士メルクーリから、すれ違いざまに声をかけられる。
最後の言葉が上手く聞き取れず振り返るも、その背中は、声の届かない場所まで離れていた。




