好奇心は日常を壊す
静まり返った校内はやけに、足音が響く。決して無音ではない、雑音が混じった静寂。
時折聞こえてくる授業の内容で、ここに来た目的を何度も忘れかけた。
「俺の勘違いだといいんだけど……」
ようはそこなのだ。嫌な予感に駆り立てられてここまで来てしまったが、冷静になって考えれば、先程の衝動は見当外れもいいところ、的を外すどころかそこまで達していない可能性が、多分にある。
元々、仕事と私生活は接することがないよう切り離していたのだ。トゥーヤの言葉も最後まで聞いていない。気になるなら直接聞きに行くべきだった。
これじゃまた、溜息をつかれてしまう。メイヤに、過保護だ、と。
じっとして居られなかったのだ、仕方がない。その時はその時で適当に誤魔化そう。忘れ物を届けに来たのは事実だし――
「はぁ……これ以上は止そう」
見慣れた扉の前で足を止める。唇が堰を切ったように、ため込んでいた物を放棄した。
一人で考え込んだって答えは見つからないんだ。今分かっているのは、ただ一つ。アイリに会えば全てが解決する。ただそれだけ。
扉を三度鳴らす。中からの返答を待たずに、ノブに手をかけ押し開く。
「アイリ、入るよ――?」
扉が、開かない。辛うじて出来た隙間から中を覗くと、乱れに乱れた室内が目に入った。右目が引きつるのが、分かる。
窺える範囲でも、床に足の踏み場はなく、至る所に道具や書物が散乱している。棚はすべて引き出され、何もない空白が見て取れた。これでは、まるで――
「ちょっとっ誰かいないの? いったい何が!?」
返事はない。それが更に気にかかる。これでは埒が明かない、扉から飛び退り、身体に満ちている魔力を意識する。
それを両足に流し込み、爆ぜる光景を明確に想像し、喉を乱暴に開く。
「肉体強化!」
短い距離では全力まで持っていけないところを、歩数で無理矢理押し上げる。
連続する足音。爆発的に近づく扉。
空中で右肩を押し出し、未だ開く可能性が残っている左の扉へ狙いをつける。
右肩に確かな痛みをもたらした扉は、しかし、何の抵抗もなく動いた。
「ぅえ?」
思わず出た間抜けな声を後ろに残し、部屋の中ほどまで舞う。
何もかもがゆっくりに見えた。
室内に二人の姿はなく、開かなかった扉の前には本が山を形成しており、引き抜かれた引き出しからは、様々な小物が溢れかえっていた。
あぁ、なんだ……。
理解と安堵の波が押し寄せ、力が抜けた身体は、自然の摂理に導かれるように、荷物の抱擁を受け入れた。
この短期間で、ここまで散らかすとは……俺は、二人の力量を見誤っていた…………
☆★☆★☆
「ふぅ。今日はここまでにしておくか」
半刻前とは見違えるほど整った室内を見回して、満足の吐息を漏らす。
ごみは急増のごみ箱へ、書籍は筆者の頭文字順に並べて仕舞い、書類は一まとめに重ねておいた。
書類の要不要は二人が来てから区別するとしよう。
そろそろ鐘が鳴る時間だ。今一度、逸る気持ちを落ち着けるために、大きく息を吸い込む。
何も心配なことはない。二度目の鐘が鳴るまでには、二人揃ってここに戻ってくるはずだ。
そうこうしているうちに、常より大きな鐘の音が身体を揺さぶる。それを皮切りに、学び舎は士徒達の喧騒で包まれた。
抑圧されていたものが解き放たれる勢いは、言葉に言い表せないものがある。それは騒々しい空気に混じり込む奇声からも、窺える。
余程、授業が退屈だったのだろう。並々ならぬ感情が、そこには込められていた。ここで面白いのが、それらが一つではないこと。すべて違う場所で発生する、別の、そして同種の発露だ。
だが分からない。それほど勉学というものは嫌なものなのだろうか。ものを教えられたことはないにしても、アイリに導かれる俺でさえ、知りたいことは尽きないのだ。
彼等、彼女等は、果たしてそれが如何に得難い物か、理解しているのだろうか。
これも、答えがない問いだ。それも、どうでもいい類の。
思考の手綱を手放すと、また、新たな問いが生まれ、口をつく。
「遅いな……離れた場所での講義だったのかな?」
そろそろ次の鐘が鳴る頃じゃないのだろうか。いくら広い学び舎でも、辿り着くには時間がかかり過ぎている気がしないわけでもない。それこそどこかで寄り道をしていない限り…………
「――――!」
「?」
なんだか、ここには似つかわしくない声が聞えた気がした。
得てして、大きな声とは感情を孕むものだが、先程とは違って、今のは荒事の匂いがする。
またしても耳に届く声に釣られて、足が進む。
引っかからずに開く扉から顔を出すと、声は廊下の右奥から響いてきた。
そう離れたところではなさそうだ。これなら時間もかからずに戻ってこれるだろう。一応、真っ直ぐ研究室には来たのだ。俺に咎められるような点は何もない。
頬を膨らます年上の女性が思い浮かぶ。申し訳ないが、まったく怖くない。
そのまま偶像を置き去りにして歩みを進めると、向かう先の曲がり角から歩いてくる、男子士徒の二人組とすれ違う。
「――どうしようもないヤツだよ、アイツは……」
「止せって、あいつ等耳だけは良いんだ。どこかで聞きつけた導士様が飛んでくるぞ」
「それが余計に頭に来るっ女共は何が良くて点数稼ぎなんぞするんだ! だから勘違いが酷くなるんだぞ!」
「どうどう。僻みにしか聞こえね――」
耳にした情報から推測するに、どうやらこの騒ぎは、問題のある士徒が起こしているものらしい。
さて、どのような人となりの人物なのか。
研究室よりもはっきりと聞こえる独演会に眉を顰める。これは……
声を例えるとすれば音色。これは魔術を志す者の共通認識だろう。
それを念頭に置いて聞くと、なんというのか……声は、良いのだ。良く通り、透き通った色は、聴く者の心を震わせる。
だが、旋律が……どう表現すべきか……そう、楽器を掻き鳴らすあの感覚。
角を曲がると、廊下の中程に人だかりが出来ていた。
これほど聴衆が集まるものか。かくいう俺も興味本位の野次馬だから、他人のことを言えないけど。
「――かげんにしなさい! しつこいわよ、アンタ!」
「黙れっ土人風情がっ俺に指図するな!」
聴くに堪えない演奏だが、ここまで来たからには見ておかないと、損。だろう…………?
「メイヤ?」
なんでそこにメイヤが? いくら待っても来ないと思ったら、こんなところで道草を食っていたなんて。
知らぬうちに、歩みが速足に、速足が駆け足へと移り変わり、ぐんぐんと人だかりに近づく。
勢いをそのままに、身体を士徒の間にねじ込むと、非難の声と視線が集まる。
だが、そんなことは些細なことだ。
「すいません。通してください!」
あぁ、嫌な、嫌な予感が芽を出している。
知らぬうちに埋め込まれた種が芽吹き、現実を注がれて、見る見るうちに大きく育っていた。
駄目だ、止せッ。
少年少女の肩を掻き分けて急ぐ。
呼吸は早く、鼓動が連打されている。群衆の最前列。視界が開けたそこで、不安が花を咲かせ、舞い散っていた。
「ア、イリ…………」




