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1. 出会い

挿絵(By みてみん)

シャンデリアの光が、磨かれた床に幾重にも映っていた。


楽団の音色と笑い声、甘い香水の匂い。エステリア王宮の大広間は、今夜も着飾った貴族たちで満ちている。

その華やかな輪の中心にいるのは、この国の誇りと呼ばれる三人の王女だった。

すらりとした腰つきに、流行の先をゆく豪奢なドレス。三人はそれぞれ違う色の薔薇のように、並んで咲いていた。


次女のミエ・ソヴェールは、扇の向こうから紳士たちと言葉を交わしている。ときおり、くすりと笑う。それだけで、相手の頬がゆるむのが分かった。

そのそばで、三女のマリサと四女のリカも、姉の真似をして扇を手にしていた。けれど、二人で顔を寄せては笑いをこぼし、珍しい衣装の客を見つけるたびに揃って目で追ってしまう。まだデビュタントを迎えていない二人には、少女らしさがそのまま残っていた。


その光の届かない場所に、もう一人の王女がいた。

広間の隅、大理石の太い柱の陰。


第一王女、アヤ・ソヴェール。


ゆったりとした仕立てのドレスでも、ふくよかな身体の線は隠せない。社交界の人々は、まずその姿に目を留め、それだけで彼女を年頃の娘として見ようとはしなかった。

そばを通り過ぎた誰かが、小さく笑う。


「あひるの姫」

「王家の肉塊」


囁きは音楽の隙間にこぼれ、すぐに消えた。

アヤは振り向かなかった。聞こえなかったのではない。聞こえることに、慣れていた。


笑った者たちは、気づいていない。

柱の陰の彼女が、夜をそのまま映したような黒髪と、雪のように白い肌を持っていることに。やわらかな目元も、愛らしい口元も、ふくよかな身体と同じように、最初から彼女を形作るものの一つであることに。


けれどアヤは、それを誰かに分かってもらおうとはしなかった。

自分の容姿をどう見られるかに期待するよりも、目の前で起きていることに目を向けるほうが、ずっと気楽だった。


貴族同士が領地の境をめぐって声を荒らげはじめれば、アヤはいつの間にかその間に立っている。冗談めかした一言で笑いを誘い、どちらの面目も潰さない落としどころを、さりげなく差し出す。


無礼を働いた若者が年長の貴族を怒らせたときには、「わたくしがよそ見をしてぶつかってしまったのです」と自ら頭を下げ、騒ぎの芽を摘んだこともあった。


その目は、身分の低い者にも同じように向けられていた。


いつかの食事の席でのことだ。

平民の出で宮廷の作法を知らない侍女が、緊張のあまり、指を洗うためのフィンガーボウルの水を飲み干してしまった。

居合わせた貴族たちの口元が、嘲りの形に歪みかける。

その前に、アヤは自分のフィンガーボウルを両手で持ち上げ、同じように水を飲み干した。

「喉が渇いているわたくしのために、先に毒見をしてくれたのですね。よく気のつくこと」

微笑んでそう言い、ボウルを置いた。


あとになって自分の無知に気づき、真っ青になって震えていた侍女を、アヤは一度も責めなかった。代わりに、それからの食事のたびに彼女をそばに控えさせ、自分の手元を見せるようにして、少しずつ作法を覚えさせた。


その侍女は今、誰よりも深くアヤを慕い、ただ一人の忠実な従者として、今夜も少し後ろに控えている。盆を持つ手はまだどこかぎこちない。それでも、アヤを見るときの目だけは、この広間の誰よりもまっすぐだった。


――その夜のことだった。


入口のあたりが、ふとざわめいた。

国の財政を支える大商人が、一人の青年を伴って広間へ入ってくる。二人はまっすぐに、玉座の国王夫妻の前へと進み出た。


「陛下。私の後輩で、サルヴィアより参りましたジェフリー・ハルセリンにございます」


名を呼ばれた青年が、静かに片膝をつく。


「お目通りの栄誉を賜り、光栄に存じます」


黒を基調とした騎士の礼装。高い襟と胸元には金糸の刺繍が走り、肩から流れる白いマントには、サルヴィアの金の紋章が浮かんでいる。


青年が顔を上げたとき、広間のあちこちで、小さく息をのむ気配がした。

淡い金の髪。澄んだ青い瞳。整いすぎた顔立ちには、どこか冷たい影がある。

そして、笑みがひとつもなかった。


淑女たちの視線が、一斉に彼へ吸い寄せられていく。

国王は満足そうに頷き、娘たちのほうへ目を向けた。


「こちらは、私の娘たちだ」


四人の王女が、順に青年と挨拶を交わす。

ミエは扇の陰から微笑み、マリサとリカは、目の前の騎士を興味深そうに見上げていた。

アヤも、王族として礼にかなったカーテシーをした。


目が合ったのは、顔を上げたほんの一瞬だけ。

それから彼女は、何事もなかったように柱の陰へ戻っていった。


(わたくしには、関わりのない方だわ)


ほどなく、青年の周りには令嬢たちの輪ができあがった。

アヤがもう一度、彼を見ることはなかった。


男性の視線ひとつに意味を探し、そのたびに心を浮き沈みさせるようなことは、とうにやめていた。誰かが自分をどう見るかを考えるより、酒に酔って絡む者や、人いきれで気分を悪くした令嬢がいないかを見守る。気づけば給仕に目で合図を送り、水を運ばせ、椅子を引かせる。

壁の花として、広間の隅から人々を見守ること。それが、アヤのいつもの役目だった。


一方、群がる令嬢たちに形ばかりの会釈を返していたジェフリーの視線が、ふと広間の隅で止まった。

先ほど挨拶を交わした、第一王女。

華やかな妹たちとは対照的な、豊かな体つきの姫が、柱の陰に立っている。

彼女はこちらを見ていなかった。見ているのは、広間の全体だった。人の輪から輪へ、静かに視線を巡らせている。

なぜそこに目が行ったのか、ジェフリー自身にも分からなかった。

ただ、ほんの少しだけ、目を留めた。


――パリン。


グラスの割れる甲高い音が、音楽を裂いた。

続いて、淑女たちの悲鳴が上がる。


「まあ!」

「なんてこと!」


アヤの足もとに、濃い赤が広がっていた。高価なドレスの裾が、みるみるうちに染まっていく。アヤのためにワインを運んできた、あの不器用な侍女が、足を滑らせてトレイごと取り落としたのだ。


「申し訳ございません、姫様、申し訳ございません……!」


青ざめた侍女は我を忘れて膝をつき、床に散らばったガラスを素手でかき集めようとした。


「あっ――」


小さな声とともに、手のひらから中指の付け根まで、ざっくりと裂けた。

赤いものがあふれ、一滴、また一滴と、王宮が誇る絨毯に落ちていく。


「まあ……血が」


扇で口元を覆い、顔を歪めたのは、すぐそばにいた貴婦人だった。


「誰か、早く下がらせなさい。絨毯まで汚れてしまうわ」


非難と嫌悪の囁きが、波のように広がっていく。侍女の肩が震え、息が浅く、速くなった。今にも、その場に崩れ落ちそうだった。

その波を、重い衣擦れの音が断ち切った。


アヤが動いていた。


豊かな身体からは想像もつかないほど、無駄のない動きだった。侍女の前に膝をつき、血に濡れた手首を迷わずつかむ。そして、その腕を侍女の顔よりも高く、心臓よりも高く、まっすぐに掲げた。

空いた手でドレスのポケットから清潔な麻のハンカチを取り出し、掲げた手の傷に手早く巻きつけ、上からきつく押さえる。

傷口を心臓より高く上げ、押さえて血を止める。

広間の貴族たちには、それが奇妙な姿勢にしか見えなかったのだろう。

その意味が分かったのは、ごくわずかな者だけだった。

戦場を知るジェフリーには、彼女が何のために侍女の腕を掲げているのかが、一目で分かった。

水を打ったように静まり返った広間に、アヤの声が響いた。


「この者は、責められるようなことなどしておりません」


大きな声ではなかった。それでも、広間の隅々まで届いた。


「わたくしが怪我をしないよう、とっさに大きな破片を拾ってくれたのです。もしこの子がそのままにしていたら、わたくしがガラスを踏み抜き、血を流していたことでしょう。この子は、わたくしの身代わりになってくれたのです」


貴婦人は扇の陰で唇を閉じた。

それきり、口を開く者はいなかった。

手当てを終えたアヤは、侍女の肩をそっと抱き寄せた。黒髪が揺れ、白い横顔に、やわらかなものがにじむ。


「立てますね。さあ、手当てに行きましょう」


広間を出ようと歩き出したアヤは、ふと足を止めた。

騒ぎのそばにいた商人と、黒い礼装の青年のほうへ向き直り、静かに膝を折る。


「来賓の皆さま。お見苦しい騒ぎをお見せいたしましたこと、深くお詫び申し上げます」


礼儀正しく、けれど卑屈さのかけらもない、完璧なカーテシーだった。

続いて玉座の国王と王妃へも深く頭を下げ、アヤは侍女をかばうようにして、まっすぐに広間を出ていった。


扉が閉まる。

音楽が戻り、話し声が戻ってくる。

三人の王女は、閉じた扉のほうへ一度だけ目を向けた。

けれど、それぞれの前にはまだ客たちがいる。

ミエはほどなく青年のほうへ向き直り、扇の向こうから微笑みかけた。

その声は、ジェフリーの耳にはもう届いていなかった。

彼は、閉じた扉の向こうを見つめていた。


絨毯の上には、小さな赤い染みがまだ残っている。給仕が慌てて布を当てるのを横目に、ジェフリーは手にしていたグラスを盆へ置いた。

美しく飾られた鳥たちの中で、一羽だけ、違うところを見ていた鳥がいた。

自分へ向けられる視線には目もくれず、人の輪の外から、ずっと広間の誰かを見ていた。

そして、怪我をした侍女の前に、迷うことなく膝をついた。

ジェフリーの唇に、今夜はじめて、ほんのかすかな笑みが浮かんだ。


(……変わった姫だ)


何がそれほど気になったのか、自分でもまだ、うまく言葉にできなかった。

黒衣の騎士は、王女たちの声を背に、夜会をあとにした。



********



宿へ向かう馬車に乗り込むと、ジェフリーは深く息を吐いた。


令嬢たちの甘い香水の匂いも、王女たちの華やいだ声も、今はひどく遠いものに思える。

向かいの席で、同行していた商人が興味深そうに目を細めた。


「いかがでしたかな、ジェフリー殿。この国の薔薇と謳われる王女様方は。お眼鏡にかなう方はおられましたか」


「……ええ。大変、華やかでしたよ」


曖昧に答えて、ジェフリーは窓の外へ目をやった。

街灯の明かりが、ガラスに映る自分の顔を淡く照らしている。その向こうで、王宮が少しずつ遠ざかっていく。いくつかの窓に、まだ明かりがともっていた。


あのどこかに、彼女はいるのだろう。

先ほどの侍女は、無事に手当てを受けただろうか。


ジェフリーは、今年で二十三になる。

家柄と、この顔のせいで、幼いころから女性に追いかけられることには慣れていた。けれど、自分から一人の女性について、こうして考え続けることは珍しかった。


柱の陰に立っていた、あの姫。

自分のほうを見ようともせず、広間のすべてを見ていた。

あれほど手際よく止血をしたのは、なぜなのだろう。

そんな些細な疑問が、妙に残った。

興味を惹かれただけなのかもしれない。

まだ、それ以上のことは分からなかった。

ただ、王宮の明かりが見えなくなっても、第一王女の姿だけは、なぜかまだ鮮明に残っていた。

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