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11.意味を知るということは

 週末を迎えたフレイヤは、オルフェンと一緒に王都の中心部にある図書館へと向かった。

 数多の本を収蔵しているため大きく、三階建てとなっており、外観は周囲の建物との調和を守るために周囲の建物と同じような煉瓦造りの壁に橙色の屋根から成っている。

 

 王都には二つの図書館があり、その内の一つは王宮内にある王立図書館で、そこは王侯貴族と王宮に務める平民しか利用できない。

 もう一つはこの王都の中心部にある図書館で、ここは平民も貴族も利用しているため、出入口の近くにある車寄せには馬車が数台停まっている。


 フレイヤは鼻歌交じりに歩いていた。昨日、三種類の香りの試作品を全て作り終え、どれもフレイヤの想像以上に良い仕上がりとなったため、上機嫌なのだ。


 試しに臭いを嗅いでくれたアレッシアはどの香りも絶賛してくれ、魔導士の仕事を終えて工房にやって来たシルヴェリオは手袋の臭いと上手く馴染んだ香りを嗅ぐと、目を見開いて何度も香りを嗅いでいた。

 シルヴェリオは「貴婦人たちが好む香りかどうかを自分が判断することはできないが……」と前置きしたうえで、フレイヤが作り出した香りの調和を褒めてくれた。

 

 週明けにはヴェーラにこれらの香りを提案することになっている。

 ヴェーラが香りをどのように評価するのかわからないため不安はあるものの、二人が褒めてくれたことでフレイヤの心は浮き立っていた。

 

 出入り口の近くまで辿り着くと、鼻歌を止めてオルフェンの方を向く。

 

「私は礼儀作法の教本を読みに行くから、なにかあったら作法の本が並んでいる書架まで来てね」

『ん~、わかった~』


 間延びした声で返事をしたオルフェンに手を振って別れると、ふすんと鼻から息を吐いて、礼儀作法の本が並んでいる書架へと向かう。

 

(来週の商談で粗相することの無いように、しっかりと読み直そう!)

 

 今日ここに来たのは、貴族の礼儀作法を学び直すためだ。

 建国祭の日にシルヴェリオから髪にキスをされたことの意味を知ることはもちろん、ほかにも自分が見落としていた礼儀作法があれば、これを機に覚えておきたい。 

 

「前に読んだ教本は……あった!」


 フレイヤは書架から深い緑色の表紙の本を取り出すと、近くにある椅子に腰かけて本を読み始める。

 まずは目下の気になる疑問を解決すべく、貴族同士の挨拶について書かれているページを開き、パラパラとページを捲って流し読む。

 ページを捲る手に、微かだが汗が滲んでいる。

 

「う~ん……見当たらないなぁ」


 髪にキスをすることについて書かれている行を見つけられなかったため、小さく溜息を吐くと、もう一度同じ章を読み始める。

 もしかすると、また読み飛ばしてしまったのではないかと思ったので、今度はじっくりと読む事にした。

 

 一字一句を逃さないよう本に齧りついていると、深い森の中を彷彿とさせる香水の香りが鼻先を掠める。

 かつてネストレのために調香した香水の香りだったため、驚いたフレイヤが「うん?」と思わず声を漏らして本から顔を離したところで、目の前からこちらに歩み寄って来るネストレと視線が合った。

 

「やあ、ルアルディ殿。今日はどのような本を探してここへ?」


 ネストレに贈った香水の香りがしたが、まさか王子が平民も利用するような図書館には来ないだろうと思っていたフレイヤは、口をぱかりと開き、絵本から出てきたと言っても過言ではないほど麗しい王子を見つめる。

 今日も騎士としての任務があるのか、ネストレは深い青色を基調とした騎士服に身を包んでいる。

 彼の麗しさに惹かれてか、それとも第二王子だとわかっているからなのか、周囲の視線が全てネストレに集まっていた。


「だっ、第二王子殿下……!」


 予想外の事態に茫然としてしまったフレイヤだが、すぐに我に返り、両手でバンッと本を閉じて立ち上がると、王族への礼をとった。


「私たちの仲ではないか。そのようにかしこまらなくていい」

「あの、そんな、滅相もないです……」

「謙遜しなくていい。ルアルディ殿は私の恩人なのだから、気楽に接してくれ」


 そのようなことを言われても、平民が王族に対して気楽に接したら、不敬罪で罰せられてしまいそうで怖い。

 たとえネストレたちが便宜を図ってくれたとしても周囲は納得しないだろうし、小心者のフレイヤ自身が生きた心地がしないから、かしこまらせてほしいのだ。

 

 しかし、そのような反論さえ王族であるネストレに言うことを臆したフレイヤは、曖昧な笑みを浮かべてやり過ごした。

 

「礼儀作法の本を読んでいたのだね。ルアルディ殿は貴族にも引けをとらないほど礼儀作法が完璧のように見えるのだが、誰かに何か言われたのかい? もしもそうなら、名前を教えてもらえるだろうか? 二度とそのようなことを口にできないよう、こちらで対処しておこう」


 フレイヤが手に持っている本の表紙を見たネストレの笑顔に圧力がこもり始めたため、フレイヤはブルリと震えた。

 今のネストレの様子は、彼の母親である王妃によく似ている。


「い、いえ、指摘をされたのではなく、私の知らない作法があるような気がして、読み直していたのです。もしも見落としていたのであれば、学んで身につけないと、粗相をしてしまいますから」

「なるほど。もし良ければ、私が力になろう」

「そうしていただけるととても嬉しいのですが、お仕事があるでしょうに、よろしいのですか?」

「ああ、休憩がてらここに来たから、問題ない」

 

 そう言われて、フレイヤは胸をなでおろした。

 王族として幼い頃から礼儀作法を学んできた彼が教えてくれるのであれば、早く解決できそうだ。

 

「あ、あの……髪にキスをするのは、どのような意味があるのでしょうか? 手の甲にキスをするのは挨拶だと学んでいたのですが、髪の場合の意味は知らなかったのです……」

「髪にキス……? いったい、誰にされたんだい? シルはその事を知っている?」


 なぜかシルヴェリオの名前がすぐに出てきたため、フレイヤはビクリと肩を揺らした。


「ええと、その……シルヴェリオ様はご存じです。そうなさったので……」

「ああ、そうだったのか。そうか、シルが……」


 ネストレはぶつぶつと繰り返すと、悪戯を思いついた子どものようににんまりと口元で弧を描いた。

 なぜそのような表情をするのかわからず、フレイヤは眉尻を下げてネストレの言葉を待つ。

 心が落ち着かず、妙にソワソワとしてしまうため、両手の指を捏ねて気を紛らわした。


「う~ん、礼儀作法とまでは言わないが……ある種の作法だと言えるだろう」

「と、いいますと?」

「髪にキスをするのは、親愛する者に愛おしさを示す時にすることだよ。手の甲にするよりも稀で、決して誰にでもすることではない。だから、それほどシルにとってルアルディ殿は大切で特別な存在なんだ」

「~~っ!」


 声にならない声を上げた後、フレイヤは口をはくはくと開閉しては、唇をきゅっと引き結ぶ。

 ネストレの言葉が頭の中で反芻すると同時に、建国祭でシルヴェリオが見せた表情や彼から言われた言葉を思い出すと、途端に顔に火がついたような熱さを感じた。

 それに、胸の奥がキュッと引き攣るような感覚がしたかと思うと、鼓動が駆け足になってゆく。


(愛おしさを示すって、そんな告白みたいな意味合いだったの? それに、大切で特別な存在って……まるでシルヴェリオ様が私を好いているような言い方なのだけど……)


 自分にとってシルヴェリオは善き上司で、彼の人柄に好感を抱いているが、貴族である彼に恋愛感情を抱くべきではない。

 身分差のある恋は、たいていが悲劇を招くものだ。カルディナーレ香水工房で働いていた際に客たちから聞こえてきた醜聞の数々を知っているからこそ、越えてはならない一線があることを知っている。

 

 そのはずなのに、シルヴェリオにとって大切で特別な存在なのだと聞かされると、なぜ砂糖を煮詰めたような甘さが胸の中に広がるのだろう。

 

「う~む、勝手に伝えて良かったのだろうか? まあ、片思いの相手だとは言っていないから、大丈夫なはず……」


 ネストレが小さな声で呟いているが、頭の中が混乱しているフレイヤは、上手く聞き取れなかった。

 

「それでは、私は魔獣のことで調べることがあるから、失礼する。なにか困ったことがあれば、いつでも頼ってくれ」

「は、はい! お声がけくださってありがとうございました」

 

 咄嗟に礼をとったフレイヤは、ネストレの足音が聞こえなくなるまで頭を下げると、へたりと椅子に座り込む。


(第二王子殿下が嘘を仰るはずはない……けれど、本当に、そういう意味なの?) 


 フレイヤは自分の髪に指で触れると、小さくうめき声を上げた。

 

 意味を知ることは、必ずしも解決への道になるとは限らない。

 時には、迷宮への入り口にもなってしまう。

 

(ど、どうしよう。私、仕事でシルヴェリオ様と顔を合わせた時に、動揺してしまいそう……)

 

 そうならないためにも気持ちを切り替えようと再び本を開いたが、内容は少しも頭の中に入ってこない。 

 フレイヤは頭を垂れ下げて、本に額をつけると、また小さく呻いた。

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