その6 最初の刺客1
そんなこんなで、俺とキャナの奇妙な同棲は始まった。
魂が半分なくなったとはいえ、日常生活にこれといって支障は感じなかった。
普通に朝起きて学校へ行き、普通に帰宅して、普通に寝る。……言い忘れていたが、帰宅途中に近所の学校の不良どもをぶちのめしてから商店街で買い物をするというスケジュールも普段通り。
大きく変わったことといえば――誰もいないハズだった俺の部屋にいつも、キャナがいる。
転がり込んできてから数日というもの、彼女はほとんど死んだように眠りこけていた。
魔界にいた頃、生きるか死ぬかというぎりぎりの毎日を(ざっくりで)百年間も送り続けていたキャナ。想像しただけでこっちがしわくちゃになっちまいそうだ。爆睡できるということは、平和な人間世界にやってきて心の底から安心したのだろう。だから俺は、三度のメシだけは用意してやりつつ、寝ているときはそのまま寝かせておいた。
朝、俺が学校に行く時はほとんど寝ているキャナ。
夕方、学校から戻ってくると
「……あぇ? こぉちゃん、いるのォ……?」
もそもそと起き出してくる。腹が減って目が覚めるらしい。
寝乱れた姿のまま手の甲でぐしぐしと目をこすっている仕草が無邪気で子供っぽくて、思わず抱き締めたくなるほどカワイイ。……って俺はロリ萌えか。
「おォ、帰ったぞ。今晩は肉じゃがとほうれん草のおひたしにすっからな。カオ、洗ってこーい」
「はーい」
台所に向かって包丁を振るっていると、すっきりしたキャナが後ろから俺に抱きついてきて
「こーちゃん、手際がいいのねぇ。むふふ、ホレなおしちゃう!」
「あァ? 俺にホレても、何もでんぞ?」
「ううん! ごはんが出てくる!」
新婚さん的な、実に他愛もない会話。
まー、すっかり元気になったみたいだから良しとしよう。
こうしている時のキャナはどこまでも「ほわーん」ってしていて、とても冷酷な魔女には見えない。
で、メシが出来上がると一緒に食う。
最初はこっちの世界の食い物なんか食えるのかと思ったが、
「魔界で食べてるモノもあんまり変わらないわね。ってか、こっちの世界の方がおいしー!」
特に好き嫌いの発動もなく、喜んで食っている。作っている俺にすれば悪い気はしないな。
食い終わってからはテレビを観ながら二人でああでもないこうでもないって話をして、寝る。意味があるようなないような一日だが、彼女にとってはせっかく手に入れることができた安穏とイノチ。しばらくはしたいようにさせてやったっていいと俺は思っている。
そういう時に魔界からの追っ手に襲われたりしないかって?
もち、気にならなかったワケじゃない。
その点については彼女がやってきてすぐの頃に訊いてみたのだが
「うん? 追っ手? だーいじょうぶよぉ! 心配ないない!」
ご飯を頬張りながら、のんびりとした調子でキャナは答えた。
「だって、ほら、魔界からこっちに来ようと思ったら、転移魔術じゃなきゃダメでしょ? でも、転移魔術を使ったらぁ、あたしみたいに魂がすぽーん! って、もってかれちゃうからねぇ。運良く転移に成功してもぉ、着いた途端に速攻で死んじゃうワケ。イミないのよー! きゃはは」
ノーテンキに笑ってる場合かよ。お前はそれで死にかけたんだろうが。
でも……よく考えてみれば、それもそうか。
ん? 待てよ。
じゃあ、その転移魔術とやらは、何のためにあるんだ?
「それはねぇ、古代魔術っていうのは、いわゆる『自己犠牲』なのよ。自らの魔力とか魂ぜーんぶ引き替えにして発動するでしょ? 要は、自分が犠牲になって誰かを助けるための魔術なのよね。だから、本当は自分に対して作用させるものじゃないのよ。あたしはたまたま。魔界衆に捕まるくらいなら静かなところで死にたいと思って、使っただけなの」
なるほど。
じゃあ、誰かが犠牲にならなきゃ、追っ手の連中がこっちの世界にやってくることはないワケだ。
という意味のことを言うと、キャナは途端に真面目な表情をつくって
「そこよ。どうせ魔界衆の連中だもの、転移魔術を発動させるためには生け贄を仕立て上げるに決まっている。……わかるでしょ? 捕らえた魔人とか魔女、それに魔族にでっち上げられた魔界人とかを、ね。魔族は犠牲者一人でも十分な発動魔力を得られるけど、魔界人じゃちょーっと厳しいわね。そうねぇ……一度に五十人くらい殺せば、何とかなるかしら?」
魔族一人で魔界人五十人分の魔力を秘めているって計算になる。
それがどういうことなのかはよくわからなかったが、ともかくも魔族――魔人や魔女――の魔力がそれだけすごいっていう意味なのだろう。
「だけどさ、キャナ」俺は漬物をぼりぼりと噛みながら「メイアだかってのは犠魂陣を操ることができるんだろ? んじゃ、ヤツは魔界人を何人犠牲にしてでもお前を殺しに刺客を放ってくるんじゃないのか?」
単純に思った疑問を口に出しただけだったが、キャナは真剣な眼差しを俺から外すことなくきっぱりと言い切ったのだった。
「メイアのことだから、蹂躙した魔界衆の連中を犠魂陣に放り込んでろくでもないコトをやるのは目に見えている。――でも、安心して。例えあの女が何を仕出かそうとも、あたしはこーちゃんを守るために戦うから。そのためにこっちの世界をぶっ壊しちゃったら、それは勘弁。……例えそうなったとしても、こーちゃんには指一本、触れさせやしないわ。命を半分あたしに捧げてくれたんだもの、今度はあたしがこーちゃんのために何かしてあげたいのよ」
そっか。
魂を分けてからこっち、俺からはキャナに何も求めちゃいなかったが、彼女は彼女なりに俺に報いるために何ができるか、考えていてくれたようだ。
いつになく真面目に固まっているキャナ。
そんな彼女の顔をじっと見つめていたら、思わず腹の底から笑いが吹き上げてきた。
「なぁに? 笑うコトないでしょお! あたし、マジメなのに!」
「悪ィ、そんなつもりじゃねェよ。――ま、あんまり肩に力入れないでいけばいいんじゃね? 魔法なんか使えねェケド、拳の戦いなら俺にもできる。伊達に『神速鉄拳』ってあだ名されてるワケじゃねェしさ。一緒に戦えば二人力弱、くらいにゃなるだろ」
そよ風に吹かれているみたいな、俺の太平楽々な言い草が可笑しかったらしい。
ぷっとふくれていたキャナも笑い出し
「そぉねぇ。魔界人っていっても、身体のつくりは人間とあんまり変わらないし。――もしも肉弾戦になったら、その時はこーちゃんにお任せした方がいいかもね?」
「おォ、そォだ。ヒョロい魔法使いの十人や二十人、どーってことねェよ」
「じゃあ、あたし……高見の見物してるから!」
ひとしきり笑った俺達。
別に楽観視するつもりはなかったけど、びくびくと怯えながら暮らすのも癪だと思った。
相手が不良だろうと魔界の連中だろうと知ったコトではない。
死ぬ気になって喰らいついて離れなければ、勝てはしなくても決して負けないものだ。喧嘩の極意っていうのは、突き詰めるとそれしかない。動物でもそうだけど、最後まで粘った方が勝ち、根くたびれしたら負け。
が――その会話の夜からわずか二日後のこと。
思いがけない早さで「まさか」の事態はやってきた。