その4 魔女に出会った日2
もしかして俺は……殺されるのか?
道端で倒れていたどこの誰とも知らない美女を、善良心から助けようとしたばかりに。
身動きできない状態のまま、ふとそんなことを考えた俺。
どうやら、このおねーさま――名前をキャナという、自称魔女――がさっきから言っていることは、どうやら嘘ではないらしい。ハロウィン限定ウィッチ風コスプレイヤーどころの騒ぎではなく、本当に怪しげな魔力を秘めている、正真正銘の「魔女」だというのか。
さもなくば、俺が突然金縛りに遭っている説明がつかない。
ちょっと視線を合わせただけで、あっという間に自由を奪われてしまったのだから。
キャナは布団の上に転がしていた腕をそっと持ち上げると、固まっている俺の頬に触れ
「わかってくれたかしら? 心優しい人間のおにいさん。誰でも彼でも、助けてやればいいってモンじゃないのよ。時にはそれが自らの命取りになるって、覚えておいた方がいいかも知れないわね……?」
低く湿った声で言った。
響きは艶やかだが、今の俺にはゾッとする悪魔の囁き以外の何でもない。
彼女はまるでゆっくりといたぶるかのように、冷たい手で俺の頬をそっと何度も撫でている。
生まれて初めて体感する「殺される寸前の恐怖」。
俺はいつぞやテレビ放映の映画で観た、処刑寸前の捕虜の姿を思い出していた。身動きする自由を奪われつつ殺されるということは、人間にとってこんなにも恐ろしいことだなんて、想像もできなかった。
だが。
不意にキャナは「ふうっ」と大きく一つ息を吐き出しつつ、つと俺から視線を外した。
「……あ? あれ!?」
すると、固定されていた見えない糸が断ち切られたように、突然身体の自由が戻ってきた。
何が何だかわからず呆然としていると
「ま、今のはあなたがこれから生きていく上での警告みたいなものね。あんまりにもあなた、真面目そうだったから、ちょっとからかってみたくなっちゃった。……どう? 怖かったでしょ?」
くすっと可笑しそうに笑ったキャナ。
つい今しがたまでのおぞましい気配と殺気はもう、どこにもない。
「何で……? 俺を殺すんじゃなかったのか?」
変化の理由がわからなかったから、思わずそんな訊き方をしてしまった。
彼女はちょっと悲しそうに
「そうできるなら、したかも知れない。でも、もう今のあたしには、それだけの力が残されていないのよ。――言ったでしょ? 魔法を使うために魂の全てをつぎ込んでしまった、って。あとは残りの魂を使い果たして、それで死んでいくのを待つだけ」
ゆっくりと首を動かして薄汚れた天井を見たキャナ。
「……あたしのことを、魔界から刺客が追ってきている。もし捕まれば残忍な連中のことだもの、幾らあたしが瀕死だからっていっても容赦なく拷問して、それで最後には処刑するでしょうね。確かにあたしは大勢の魔界衆を殺した重罪人。でも、あたしにはあたしなりの理由があったんだもの、ただ無差別に殺した訳じゃない。――だから、さ」
再び彼女の目線が俺に向けられたのだが――その頬を涙が一筋、伝っていくのを俺は見た。
「……命を全部放り込んで禁忌魔法使って人間の世界まで逃げてきたのよ。どうせそう長く生き延びられる訳でもないし、でも捕まってズタズタにされて死んでいくのは嫌だった。せめて、静かに死にたかっただけ。あたしが死んだってわかれば、魔界も元のように平静に戻るでしょうしね。――人間の世界で死んでいくのは不本意だけど、あなたみたいな若い男の傍で死ねるなら、それも悪くないわ。あなたが魔界衆に通じなければ、のハナシだけど」
「……」
正直、今のハナシだけじゃ彼女に関わる全てを知ることはできなかった。
辛うじて理解できたのは、キャナが魔界とやらでそこの人達を多数殺した犯罪者として追われているということ。しかし、逃げおおせるつもりなどさらさらない彼女は自らケリをつけるべく、禁じられた魔法を使うことによって我が命と引替えに俺達の住む世界へとやってきた。
――静かな死を迎えるために。
言うべきことだけは言ったと思ったのか、キャナは目を閉じたまま動かない。
「……」
彼女の美しい相貌をじっと見つめている俺。
このまま何もしなければ、やがてキャナは数日のうちに――死ぬだろう。
それが、彼女が望んでいる結末。
……違うな。
本当は、生きていたいんじゃないのか?
そうでなきゃ、涙をこぼすハズがない。やりきった涙なんかじゃない、悲しい涙。自分の運命を無理矢理諦めようとする時に流れる、いわば悔し涙。
もしも、生きて生き抜くための方法があるなら――彼女はここで死ぬことを選ばない筈だ。
とはいえ「自分は死ぬんだ」って思いこんでいるヤツのテンションを「生きよう」ってところまで引き上げてやるのはそう簡単なコトじゃない。
大切なのは、理屈でわからせることでもなければ気合で持ち上げることでもない。
お前はまだ生きられるんだって、気付かせてやることなんじゃないだろうか。
「……もし、嫌でないなら教えてくれ。あんたさっき、大勢のなんたら人を殺したことに『自分なりの理由がある』って言ったよな? それって、今でも『正しかった』って、自分で信じられるのか?」
「……?」
唐突な俺の質問に驚いたらしく、キャナはそのキレイな瞳を大きく見開いている。
が、すぐに「ふっ」と笑みを漏らし
「面白い訊き方ね。理由そのものを尋ねるんじゃなくて、それを今でも信じてるのか、だなんて。――答えるまでもないわ。だって、そのためにあたしは行動したんだもの。さもなきゃ、あれだけ多くの魔界衆の命を犠牲になんてできやしない」
悔いてはいない、か。
それが聞ければ十分だ。次の質問をするためには、その回答が欲しかった。
「もう一つだけ、教えて欲しい。――今からあんたを、助ける方法は何一つ残されちゃいないのか?」
「馬鹿ね。まだそんなコトを考えているの?」
「質問に答えてくれよ。あるのか? ないのか?」
畳み込んでやった。
放っておけば、死のうとしているキャナがとりあってくれそうもなかったから。
俺が強気に出たためか、彼女は仕方がなさそうな顔をして
「……あるわ。だけど、あなたに話したところでどうにもならない」
「どうしてさ?」
「あなたが人間だから。――あら、わかってないってカオね。いいわ、わかりやすく言ってあげる。――人間が死を恐れる生き物だからよ。……これでいい?」
「ダメだ。肝心なところが聞けてない」
俺が容赦しないものだから、キャナは明らかにムッとした様子だ。
が、相手にするだけ無駄だとでも思ったのか、そのまま静かに目を閉じてしまった。
……まあ、いいや。
話すつもりがないって言うんなら、話してくれるまで待つだけのこと。
全裸で横たわっている彼女に布団をかけてやると、俺は俺のことをやり始めた。
濡れた制服をハンガーに吊るして乾し、台所に立って晩メシの支度。しょうがをすりおろして醤油と混ぜ、そこに買ってきたこま切れを漬け込む。その間、米をといで炊飯器にセット、十円の特売もやしと冷蔵庫に残っていた油揚げで味噌汁をつくる。……あと、生野菜が足らんな。そういや、キュウリが三分の一ばかりあったハズだ。
――ほどなく、生姜焼き定食ばりの晩メシ、完成。
すっかり腹を減らしていた俺は早速食おうとして、ふとキャナを見やった。
こいつ、メシ食うんだろうか……?
ちょっと気になったが、どうも眠っているらしいんで放っておくことにした。
食い終わって食器やフライパンを洗い、することがないのでテレビでも観ようと思ったものの、テレビをつけるのが何となく憚られた。同じ空間に、ケガして寝てるヤツがいる。
仕方がないので横になってエロスケベから借りたコミックを読んでいるうちに、俺の記憶はとんだ。
妙に苦しそうな声が聞こえてきて、俺はハッと飛び起きた。
コミックを読みながら眠ってしまったらしい。
時計を見ると、深夜の二時を回っている。
一瞬夢でもみたのかと思ったが――夢ではなかった。
横たわっているキャナの様子がおかしい。
あごを上げて、口で荒く呼吸をしている。しきりと表情を歪ませているから、よほど苦しいようだ。時々「あ、うぅ、あぁ、あ、あう……」と呻くような声を発した。
「お、おいっ! しっかりしろよ!」
慌てて呼びかけると、キャナはうっすらと目を開けて
「……そろそろ、お別れ、みたいね。あたしもう、長く、もたない……。思ったより、早かった、みたい、ね」
「死ぬんじゃねェって! ちっとは気張れよ!」
彼女は額にじっとりと汗をにじませている。
俺は洗面器に水を張ってタオルを冷やし、顔や首を拭いてやった。
それがいくらか心地よかったのか、キャナは呼吸を鎮めつつ
「あなた……やっぱり、優しいのね……。こんなあたしなのに、さ……」
弱々しく微笑んで見せた。
表情に力がない。
よほど危険な状態であることくらい、医者でない俺にもわかる。
「あ、あのさ、やっぱ俺、救急車呼ぶからな! このままにしといたらあんた、死んじまうし!」
「だから……死ぬつもりだって、言った……でしょ? お願いだから……誰も、呼ばない、で……」
この期に及んでも、彼女は頑なだった。
俺は腹が立つやら悲しいやら、胸の内がぐちゃぐちゃしながらもぎゅーっと絞られるように苦しくて仕方がない。それというのは、キャナが黙って死んでいくということよりも――死にたくないのに死ななければならなかった俺の母さんや、おじさんおばさんの娘さんの事を思い出していたから。
キャナは違う。
助かる方法があるのだと、彼女は言った。
しかし、それを口にすることを拒んでいる。
死なないで済むのに、わざわざ死のうとしている。
――そんなバカなコトってあるかよ!
あとになって思うのは、このときの俺の中の感情、きっと「怒り」だったと思う。
「お前! 意地張るのもいい加減にしろよ! 死にたくなくたって、死ななきゃいけないヤツがごまんといるんだぞ! それなのに、それなのに、お前……」
怒鳴っているうちに感情が高ぶってしまい、最後は涙で声が詰まった。
男として情けないことだが、どうすることもできない。
あとは何を言っていいのかわからなくて、ただただ込み上げてくる涙を拳でごしごしぬぐっているしかなかった。
「……!」
俺が突然怒鳴り出したものだから、びっくりした表情で固まっているキャナ。
が、そのあとひたすら男泣きしている俺の姿を見て琴線に触れるものがあったらしく
「やれやれ、これだから、人間って……。怒るか、泣くか、どっちかに……しなさい、よね……」
じんわりと染み入るような笑顔を見せた。
そうして彼女はようやく、俺の質問に答えてくれたのである。
「いいわ。それほどまでに、聞きたいって、言うんなら……教えてあげる……。でも――あなた、には、できない……コト、だから……」
「は、話してみろよ。できるかできないか、それは聞いてみなくちゃ、わからないだろ」
そう言ってやると、俺を見るキャナの眼差しが深くなった。
「あたしが、助かる方法は、たった、一つ……。あなたの、魂を、半分、分けて、もらうこと、なの」
なるほど。
これはフツーの人間なら、到底承知できないだろうな。
どれだけ目の前の人を救いたいって思っても、自分の命を半分くれと言われて「ほいきた」って返事できるヤツなんか、この地球上に一人だっていたものだろうか。誰だって、結局はてめーのコトが大事だもの。
そりゃあ、無理だ。できっこない。
ただし。
――俺以外の人間には、な。
正直なところ、晩メシを食いながら俺は、恐らくそういうコトなんじゃないだろうかって考えていた。
魂を使ってしまって死にそうになっている。
逆をいえば、その魂とやらを補充してやれば生き続けることができるって理屈になる。
別に死ぬのが怖くないってワケじゃない。そりゃ、死ぬのは怖い。
けれど、それ以上に俺は――目の前でこのキャナに死んで欲しくなかったのだ。
自分が正しいと信じてとった行動のせいで魔界から狙われることになった彼女。単純に悪いコトを仕出かして逃亡した挙げ句死にかけてるってんなら、まだ俺の気持ちも違ったかも知れないが……。すっかり話を聞いた訳じゃないけれども、このまま彼女を独り死なせることが不憫に思えて仕方がなかった。
正しいと信じたもののためにこうなったのだとすれば――俺は、キャナを信じてあげたい。
人間じゃない上に、魔界の連中を大量に殺した極悪魔女だっていっても、な。
いいよ、くれてやろうじゃないか。
俺の魂の半分。
こったら安物でよければ、もらっていくがいいさ。
が、俺はそういうくどくどした諸々を、彼女に伝える気がしなかった。
――恩着せがましい。男の覚悟をいちいち語るのは野暮というものだ。
だから、
「……魂の半分をやればいいというのはわかった。で、その方法は?」
そう尋ねただけだ。
が、キャナは俺の予想外の返事に、思いっきり面食らったらしい。
「……しょ、正気、なの!? 魂の半分を、分けるということは、あなたの寿命が、半分に、なってしまうって、コトなのに……」
見た目に動揺しているのがわかった。
まさか、俺があっさり快諾するなんて夢にも思わなかっただろう。
いつの間にかすっかり気持ちを鎮めて腹を括っていた俺。
表情を動かさずに淡々と
「だから、いいって言っているんだ。それよか早く方法を教えろよ。じゃないとあんた、死んでしまうだろ」
「……」
「俺の勝手な思い込みだったら悪ィけど、あんた、本当は――死にたくないんじゃないか? できれば生きていたくって、でもにっちもさっちもいかなくなって、死んだ方がマシだと考えた」
「……」
「でも、それはあんたが今まで独りでいたからだ。今は違う。ここに、俺がいる。あんたが言うように、人間は非力でダッサくて、頼りないかも知れない。……だけど、そんなクズだって、寄り集まって力を合わせればできることがたくさんある。俺もそうさ。おじさんとかおばさんとか、ガッコーにいる友達とかの世話んなって、俺がいるんだ。――だからあんた、もう一人で悩むなよ。死にたいとか、そういう寂しいコト言うなよ。俺、友達になるから。人間とか魔女とか、そういうのどうでもいいし……」
そこまで言って言葉を切らなくちゃならなかった。
目を大きく見開いて俺の言うことを聞いていたキャナはやがて――みるみる涙を溢れさせたかと思うと、くるりと背を向けて嗚咽を始めたからだ。
彼女は魔界ってところで一人で戦い続けるしかなくって、心がカサカサに乾ききっていたに違いない。
人間と魔女は違うっていうけど、同じように心だけは持ち合わせている。
心ってモンは、独りぼっちのままでいるといつしか壊れてしまう。
でも、逆にたくさん集まって寄り添うならば――それはそれはとてつもなく、強いものになる。
「……っく。ひっく、うっ、ひっく。うっ、うっ……」
ややしばらく、キャナは泣いていた。
そしてようやく気持ちが落ち着いたのか、手の甲で涙を拭い、再び俺の方を向いた。
その表情は俺の気のせいかも知れないが――穏やかで、優しげなものになっていた。
「……ありがと。あたし、こんなに、優しくして、もらったコト、なかった、から、泣けてきちゃった。でも、とっても……嬉しかった。あなたが、自分の魂まで、分けて、くれるなんて、言ってくれて」
出会って以来初めて見せてくれた、とっても素敵な笑顔。
「じゃあ、本当に、いいのね? あなたの、魂、半分、もらっても」
「ああ、いいって。ウソは言わねェよ」
俺は静かに頷いてやった。
すると、キャナは身体を覆っている布団をゆっくりとめくり上げた。
彼女の傷ついた、しかし美しい裸体が露わになる。
「魂を、授受する、方法っていうのは、男女の場合なら、たった一つだけ。――あなたとあたし、一つになる、ことなの」




