その37 話を聞け
「へ……? メイちゃん、どこで加奈子ちゃんの名前を……?」
加奈子ちゃんのことはシュウをはじめ魔界の誰にも話していなかったハズ。
訝しんでいるとメイちゃんは
「どうしてって? 風間クンが自分で口にしたんじゃない。……眠りながら、だけどね」
くすっと笑った。
そういうコトか。
俺、寝言(うわごと?)で加奈子ちゃんの名前を呼んでしまったようだ。
彼女の夢なんか見てないのに。
「で? そのコ、誰?」
メイちゃんがかぶせて訊いてきた。その相好から笑みが消えている。
もしかして俺、浮気的な何かを疑われているのか?
普段は穏和なメイちゃんだが、今は取り調べの刑事みたいな追及オーラ全開。
返答の次第によっちゃ殺されてしまうかも知れない。
「あ、あのさ、それなんだけど……」
俺はキャナとメイちゃんが魔界へ戻ってから俺の身の上にあった一部始終を話して聞かせた。
暗闇に響く俺の静かな声を、メイちゃんは身じろぎもせずに耳を傾けている。
「――そういうワケさ。俺、まさかキャナに再会できるなんて夢にも思わなかったし。それに、また会えるチャンスがあるってわかっていれば、黙ってその時を待っていたよ」
話の結びにそう付け加えておいた。
ウソじゃない。
加奈子ちゃんと仲良くなったのは、もうキャナとは会えないものだと信じていたから。
人間は弱いもので、会えない存在を一生引き摺って生きていけるほど強くはない。
俺の言葉にメイちゃんはうなずいて見せて
「わかった。それはいいわ。私だって、こうやってまた風間クンに会えるなんて思ってなかったから」
とりあえず、ここまでは理解してくれたらしい。
――が。
「でも、こうやってキャナに会うことができて、彼女は風間クンのことを変わらずに愛している。じゃあ、その加奈子ちゃんとかいう人間のコとのお付き合いはやめるのよね? 人間世界に戻ったらすぐ、さよならするのよね?」
鋭利な日本刀でためらいなく斬りつけられているような気分。
メイちゃんの追及は容赦なかった。
たたみかけるような連撃コンボに、思わず沈黙してしまった俺。
すると
「決心がつかない? なんなら、私がそのコを殺せば済むのかしら?」
「……ちょっ、待てよ!」
焦った。
いきなりなんちゅー発言をするんだ、このほんわかボイン娘は。
「なんでそう飛躍する!? 加奈子ちゃんは無実だろ! それに俺は、キャナと別れて人間世界に戻るなんて言ってないからな! 勝手に先走るなよ」
「……私はね、風間クン」
メイちゃんの声がひどく優しくなっている。
「キャナのコトを殺そうとした上に魔界から追い出したっていうのに、彼女は魔神に支配されかけたところを助けてくれた。それだけじゃなくって、魔界に戻ってきてからもそうよ。聞いていると思うけど、死ぬ覚悟で魔界府に乗り込んで魔封陣につかまりそうになったんだけど、キャナは身代わりになってくれたのよ。瀕死のケガした私を外に放りだして。彼女、そのせいでひどい辱めを受けて処刑されるところだった。私、助けてもらってばっかりなんだもの……」
感情が高ぶったのか涙声。
ずずっと鼻をすする音がした。
「私、キャナには幸せになって欲しい。具体的にいえば、風間クンと結ばれて、一生二人で仲良く生きていって欲しいの。――だから、彼女のためにできることはするつもり。そうするしかこの借りを返す方法がないもの。もし、風間クンが他の女性を好きになるなら、私はその女性を殺す。キャナの幸せのために」
「だから、待てっての。俺はまだ結論を言ってないだろ」
メイちゃん、意外とせっかちなところもあるんだな。初めて知った。
だけどまあ、彼女の気持ちの出所が、キャナへの友情からだってわかって、ちょっと安心した。
どちらかといえばメイちゃん、そういう心のアツさをあんまり見せないコだったから。
ただ、そのために加奈子ちゃんが殺されてはかなわない。
ここはいい加減にお茶を濁せる場面じゃない。
「……あの日、俺はキャナにひどいことを言って追い出してしまって、そのあとすごく後悔した。だから、せめて罪滅ぼしと思って助けにきたつもりだったけど、彼女を一目見た瞬間気付いちまった。やっぱり俺、キャナのことが大好きだった。お互いに魂半分しかないからあと何年生きられるか知らんけど、死ぬまで彼女と一緒にいたい。これはウソじゃない」
「うん。……で?」
「だから、俺が考えていたのは、どうやって加奈子ちゃんとさよならするかってこった。ぶっちゃけ、彼女は心が直ぐでいいコだから、キズつけたくなくって、でも――」
正直なところを口にした俺。
頭を悩ませていたのはその一点だ。俺の都合でキズつけてしまったら、余りにも申し訳なさすぎる。
しかし、そんな俺の優柔不断ぶりをばっさりぶった切るかのように、メイちゃんはすかさず言ったのだった。
「それは風間クンのエゴでしょ。そんなに都合良く終わらせようなんて、虫が良すぎる。ホントにキャナのことを愛しているんだったら、ひっぱたかれようと刺されようと、それくらいさっさとケリつけなさいよね。男でしょ! 風間クンがもたもたしているようならそのコ、殺すからね?」
叩き付けるような調子で言いたいだけのことを言うと、横になってしまったメイちゃん。
どうやら、俺に背中を向けているらしい。
……なんなんだ、いきなり。
どうしてメイちゃんにキレられねばならんのだ?
俺、何か悪いコトをしたのか?
まだ何もしとらんじゃないか。
言い逃れをするつもりはないけど、これは彼女の一方的なお節介に過ぎない。キャナへの友情が篤いのはいいとしても、だからって「加奈子ちゃんを殺す」ってのはおかしかねェ?
メイちゃんにそっぽむかれた俺、仕方なくまた眠るつもりで仰向けになった。
軽く不愉快。
女はいつもこうだ。
ワケのわからん女同士の友情とやらで、男になんだかんだと文句をつけたがる。責任を友情の外に押し出すことで成立するのが女の友情なのかどうか、それはわからないけれども。
そういや、似たような感じでデラックスもクラスの女子ともめていたんだっけ。
あれ、解決できたんだろうか。
とりとめもないコトを考えているうちに、俺は眠りに落ちた。
結局、少しづつ意識も身体もすっきりしてきたのは夜になってからだった。
メイちゃんとああだこうだ議論した翌朝から活動しようとしたが、やっぱり身体が言うことを聞かなかったのだ。朝メシをちょっと口にしたきり、俺は一日中昏々と眠り続けていた。
「……あれ? 夜か?」
「あ、こーちゃん! 目、覚めた?」
ようやく眠りから覚めると、部屋の中は暗い。
寝台の傍にキャナがいた。
彼女の心配そうな顔が、ろうそくの光に照らされて闇の中で頼りなく浮かび上がっている。
「キャナか……。俺、ずっと眠っていたのか?」
「うん。あんまり起きないから、一度起こそうと思ったの。そしたらメイアが、無理に起こしちゃダメって。こーちゃんはそんなにヤワじゃないから、元気になるまで眠らせてあげなさいって……」
そうか。
メイちゃんがそんなコトを。
隣の寝台にはもう彼女の姿はない。
面と向かって俺に色々厳しい言葉をぶつけて寄越したものの、心の奥では信じていたくれたらしい。
そう思ったら、なんかホッとした。
態度とか言葉に表さなくても信じてくれている人がいるってわかった瞬間、心の中がすごく満たされたような気になるものだ。言葉で伝えることは大切だけど、それが全てじゃない。だから思いは大切。
胸の中がやわらいだ途端、急に空腹を感じた。
今日もほとんど飲まず食わずだった。
すると、俺の思考を読んだかのようにキャナが
「お腹、空いてない? ミナが食事を作っておいてくれたんだけど……」
食べてくれるかなぁ、そんな不安混じりの質問。
俺はよっこらしょと寝台の上に上体を起こし
「食べる。ここ数日ほとんど食ってないから、さすがにヤバい。カツ丼とか重たい系は勘弁だけど……」
あるワケねェ。
ここは魔界だ。
冗談にもならない冗談に、キャナはちょっと笑って
「あら、それは困ったカモ。今晩の食事、こーちゃんの世界でいうカツ丼なの」
「何!? マジでか!?」
正直に驚くと、
「きゃはは、引っかかった! そんなワケないでしょ。ミナがね、病み上がりなこーちゃんのためにちゃんと用意してくれてるのよ。セウとファム……って、人間世界でいうパンとスープね」
「焦ったぁ。次元を超えてカツ丼が存在するなら、この世は果てしなくナメてるぜ」
「ま、実はあるんだけどさ。――食事、今持ってくるね!」
「……」
毒気に当てられたように固まっている俺。
あるんかい、カツ丼!
――ともかくも、寝台の上で遅い食事。
あらためて気付いたが、ミナちゃんの手料理は素晴らしく美味かった。
俺の栄養を考えてくれたようで、セウなるスープは具だくさん。ファムも焼き加減がちょうどいい。バリバリに固くないから食べやすかった。
夢中で食う俺をじっと見つめているキャナ。
ほとんど食い終わったところで、つと口を開いた。
「……あたしね、聞いちゃったの。昨日の夜中」
「何を?」
「こーちゃんとメイアが話しているの」
この家は4LDKとかそういう大きなものではないし、夜になれば物音一つしないほどに静か。
俺とメイちゃんのやりとりは、闇と静寂の間をぬってキャナの耳に届いたらしい。
よく考えてみたら、まだ加奈子ちゃんのことを話してないんだった。
彼女は視線を落とし、犯人が供述するみたいなテンションの低さで先を続けた。
「その、なんていうか……ごめんね。こーちゃんに会えて嬉しくて舞い上がっちゃってたケド、よく考えたらこーちゃんにはこーちゃんの生活があったんだよね。フツーにあの時に戻れるみたいに思っちゃってたのよね、あたし。だから、その……浅はかだったなぁ、って……」
えらく気にしてやがる。
ってか、身を引こうとしているようにも受け取れる。
そりゃまあ、あのやりとりだけ耳にすればそう思われても仕方がないだるうけど。
しかし、ちょっと待って欲しい。
俺は一言も「人間世界に戻ったら加奈子ちゃんと付き合う」的な発言は一切していない。
なのにメイちゃんは俺の話を最後まで聞かずに勝手に怒ってそっぽ向いてしまった。最終的には信じてくれているようだが、かといって俺の主張の肝心な部分は聞いてくれてはいない。
キャナもまた、どうやら――思い込みベースで喋っているらしい。
「あ、あのさ――」
伝わっている情報の訂正を申し入れようとしたが、キャナは自分の思いを一気に喋ってしまおうとしているようで、聞いていない。
ぐいっと上げたその顔は、ほとんど思い詰めているような、名状し難い寂しさをたたえていた。
「メイアがこーちゃんに色々と厳しいコト言ったみたいだけど、気にしちゃダメだよ? こーちゃんの人生は、こーちゃんが選ぶコト。もしも、もしも、こーちゃんが――」
「あのさ、だから待てって!」
まだ何か言おうとしているのを遮ると、俺は
「キャナもメイちゃんも、俺の話を聞かないんだもんよ。俺が悩んでいるのは、俺がハラを括らにゃならんからだ。男は誰だって、どんなにカッコつけてみてもストレートにハラ括れるワケじゃねェ。悩んで困って悶えて、そうやってハラって括っていくもんだ。そしてそれはキャナと一緒に生きていくためにすること。……だから、二人で勝手に妄想拡げてああだこうだ言うな。黙って見てろい。そんなに俺のコトが信用できんのか」
一気に喋ってしまった。
一瞬、きょとんとしたキャナ。
が、すぐに俺の言う意味がわかったらしく
「……そっか。そうだよね。あたしやメイアが横からヘンなコト言ったらこーちゃん、気分良くないよね。メイアにも言っとくよ。こーちゃんは自分でちゃんとするから、って」
俺の口調がキレ気味だったせいか、ちょっとしゅんとした。
が、すぐに嬉しそうに表情を緩めた。
「あたしは黙ってこーちゃんを信じていればいいのよね? 変な心配とかしないで、さ」
「俺は最初からそう言いたかったんだぜ? なのにメイちゃんにはキレられるし、キャナはキャナで突然謝りだすし。今までずっと、俺は自分で自分のコトにゃケリつけてきたんだ。今回もちゃんとそうするから、余計な妄想とか不安とか、そのあたりに穴でも掘って埋めておけ。土地は魔界に腐るほどあるんだろ?」
俺の表現が可笑しかったのか、声を立てて笑っているキャナ。
そうやって笑えるのは心にゆとりができた証拠。
「うん、そうする! もしかしたら、違うモノを掘り当てちゃうかも知れないケド」
「ヤなモノだったら、また埋めりゃいい。いいモノだったら、洗ってそのへんに飾っときゃいい。それだけのコトさ。……あ、金目のモノなら持って帰ろう。食費に充てようぜ」
「そうね。二人で美味しいモノ食べちゃおう。みんなにはナイショで」
とりあえず、わかってくれたらしい。
これでよし。
あとは、人間世界に戻ってケリつけるだけ。シュウが帰ってきたら急いで人間世界へ転移させてもらおう。
キャナは食い終わった食器を片付けると、また部屋に戻ってきて
「あたし、今日はここで寝る。いいでしょ?」
甘えるように訊いてきた。
俺の傷も大分癒えたようだし、別に問題はない。
「うん――」
俺の返事を待たずキャナは裸エプロンみたいな衣服を脱ぎ捨てて裸になり、隣に潜り込んできた。
添い寝的にぴったりと横にくっつくと
「まだこーちゃんの魂もカラダも完全じゃないから、今晩は大人しくしてあげるね? だから、早く良くなって! ね?」
「はいはい。頑張って早く良くなるでございますよ」
そう素直に返事してやったのだが、キャナはいたずらっぽく笑いながら
「あ! こーちゃんったら、そんなにあたしに触りたいんだ。むふふ、今からだっていいのに。ほらほら」
「こんなにべったりくっついてるのに、あらためて触るもくそもあるか」
そんなやりとりをして間もない。
急に黙ったかと思ったら、キャナは速攻で眠っていた。
親に抱かれて眠る子供のように、安らかな寝顔。
触れている身体のぬくもりが温かくて、柔らかい。
五ヶ月間の苦労でやせこけていたのが、いくらか元に戻ったみたいだ。
空っぽな隣の寝台に目をやってみて、ふと気が付いた。
メイちゃん、こんなところまで妙なお節介したりして。俺達を二人きりにするのに、今日は違う部屋で眠るつもりらしい。
ま、いっか。世話になってやれ。
「こーちゃん……ふにゃ……」
キャナのヤツ、なんか寝言いってるし。
愛くるしい寝顔。
もう二度と、離すものか。
決めたんだもんな。
だったらメイちゃんに言われた通り、男らしくハラ括るしかない。
俺は――潔く加奈子ちゃんに謝ろう。
そっとキャナの頭を抱くようにして、俺も眠りについた。
そうして、次の朝。
シュウが戻ってきた。