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その34 VS魔神4

 キャナまではほんの数歩。

 何も考えちゃいない俺。

 とにかく、彼女の傍へ駆け寄ろうとしていた。

 駆け寄って、その柔肌を容赦なく傷つけていく悪魔の刃から、彼女を解き放ってやりたかった。


「キャナーッ!」


 俺の叫びに、のたうっていたキャナがぐいっと頭をもたげ


「……こーちゃん! こっち来たら、来たらダメーッ! あたしに近づいたら、こーちゃんも――」


 警告を発した途端だった。

 俺は不意に、ぐっと身体を持ち上げられるような感覚に襲われた。


「……!?」


 視線の先にいるキャナの両眼が大きく見開かれたのを、俺は見た。

 見た、と思った刹那、


「っがあああっ!」


 全身を貫く激痛。

 思わず叫んでしまった。

 が、次に叫ぶ暇も与えてくれないほどに、痛みは連続して俺の身体を前後左右から突き抜けていく。


「こーちゃん! こーちゃん!」


 キャナの悲痛な声が轟いた。

 気が狂いそうな激痛で、それに答えてやることもできない。 


「ぅああああああっ!」


 二回目を叫んだとき、視界を横切る赤いものが。

 ――血。

 これって……俺の……血?

 思考はそこで止まっていた。

 両腕、両脚、そして胴体を縦横に突き刺すような苦痛がやってきたからだ。

 瞬時に意識がとびかけた。

 同時に、身体中を痛めつけている激痛がすうっと遠のいていき――ふわっと無重力状態になったような感覚がある。

 浮いているというのでもない。

 どちらかといえば、重力を感じることなく、ただただ静かに深い深い闇の奥へと落ちていくみたいな――。

 俺、このまま死ぬのか?

 魔界にやってきたばっかりに……。


「こーちゃん! こーちゃん! ダメェーっ!」


 遠くで、キャナの声を聞いたような気がした。




 どれくらい経ったのだろう。

 俺は真っ暗な空間を流れ、漂っている。

 ふと、正面に四角く白いスペースが浮かび上がった。

 その中に、色んな思いが古い映写機で映したように一瞬の粗い映像になって現れては、真っ黒い闇の中へとフェードアウトしていく。

 その映像は、ことごとく俺の知っている人たちばかりが映っていた。

 最初に出てきたのは、おじさんとおばさん。

 両親のいない俺を、自分達の子供のように育ててくれた。

 こんな魔界なんかで死んだりしたら、おじさんにもおばさんにもわからないんだろうな。心配かけたまんまじゃねェか。世話になりっぱなしで、何一つ恩返しできないなんて、な。

 バイト先にも迷惑かかるな。

 店長の直弼、怒るだろうなぁ。

 いやいや、それよりも加奈子ちゃん。

 突然失踪した俺を心配して、探そうとするんじゃないだろうか。彼女は頑張り屋さん。冬を迎えて寒くなった街のあちこちを歩き回るに決まっている。

 ごめんね、加奈子ちゃん。どうか、これから彼女が、ステキな彼氏と出会えますように。

 ご両親と中学生の弟さんにも、申し訳ないな。

 あと、カネ婆に肉屋のおばちゃん。

 奈々子ちゃんに男子便所、ナウマン象と英世、それからバングラデシュ。なんだかんだあったケド、みんな、いい人たち。エクスカリバーにエロスケベにデラックスにミスターもな。……まあ、クラスの連中、みんないいヤツだったじゃねェか。

 あの日、俺がブチ切れて帰ったのに、次に登校したらみんなが謝りにきてくれたっけ。悪ィ、みんな! 仮装ソフトボール、参加してやればよかったよ。実は俺、女装したら似合うんじゃないかと内心では思っている。カン違いしてヘンな気を起こすヤツがいたら大変だったし、まあ勘弁してくれ。

 ああっと。タチションの山田もいたよ。

 済まねェな。俺がいなくなったあとのイーペー、よろしく頼むわ。

 ――ってなカンジに、知っている一人ひとりの顔がフラッシュバックしていく。

 これが走馬灯ってヤツ?

 死ぬときにいろいろと思い出すって、ホントなんだな。

 ってか、俺の知り合いってすくなっ! まだ十七年しか生きてないからしゃーないのか?

 十七年か。

 ああ、そういや今日って、俺の誕生日だったんだっけ。

 せっかく加奈子ちゃんがマフラーをくれたのに。魔界で死んだら棺桶にも入れてもらえないって。ちくしょー。

 ……あれ?

 なんか、足りなくね?

 一番大事な、何かが抜けているような気がするけど。

 こんな時に何だってんだ。

 思い出せ、俺!

 死ぬ前に思い出さないと後悔するぞ!

 ……後悔?

 後悔って、そういえば俺、何かえらく後悔したんだよな。

 あれは確か、夏の初め頃だったような。

 どうして後悔したんだっけ?

 他校生ぶん殴って停学になったから……か?

 違うな。

 そのことはまったく後悔してねェよ。

 奈々子ちゃんにマジ泣きされた時はビビったけどな。あんなによく泣く先生だったんだ。

 いやいや。

 奈々子ちゃんはもういい。

 後悔っていうと、なんか雨の記憶がなくもない。

 雨降ってずぶ濡れになって帰って、それで――どうしたっけ?

 その部分だけがすっぽりと抜け落ちてしまっているような、でもとても大事なことであるような気がしてならない。

 耳の入り口に一本だけ生えた太い毛を抜こうとしても抜けないでいる、そんなもどかしさ。

 歯の奥に挟まったもやしを取りたくて舌で懸命にいじっていて、もうちょっとで取れそうな感じ。

 イヤだな。

 思い出せないまま死ぬなんて。

 そのほんのちょっとの後悔が、すごく納得できない。

 待て待て。

 焦るなよ、俺。

 もう少し前に巻き戻してみよう。

 ――ん?

 夜も遅い、俺の部屋。

 テーブルの上に、晩メシが並べられている。

 手前には、俺のご飯と味噌汁。その向こう側には……もう一人分の、ご飯と味噌汁。

 二人分?

 ってことは俺、誰かと一緒に晩メシ食ってるんだな。すごい遅い時間なのに。

 誰だ誰だ誰だ誰だ!? そこにいる人! 俺の前に座って、一緒にメシ食ってる人!

 顔のところだけが墨塗りしたように真っ黒で、顔がわからない。

 デビルマ……ええい、違うわ! 邪魔すんな!

 思い出したい。

 すごく、思い出したい。

 その人は俺にとって、とっても大事な人のハズ。

 なんでだよ!

 なんでその人のことだけ、思い出せないんだよ!?

 頼むって、俺!

 誓ったじゃねェか、もう二度と、絶対に後悔だけはしないって。

 大事な人を失ったあの日に、死ぬほどイヤな思いをして、それで、それで、それで――。



「――ねぇ、こうちゃん。知ってる?」

「ん? なにー? 佐奈ねーちゃん」


 ザーッ

 ザザーッ……


 黄昏時の海岸に響く、心地よい潮騒の音。

 真っ黒な空間がいつの間にか海の風景に変化している。

 寄せては返していく波打ち際をてくてくとはだしで歩いている。足の裏に水がひんやりと気持ちよい。

 呼びかける声に振り向けば、そこには真っ白いワンピースを身につけた佐奈姉ちゃんの姿が。

 彼女は砂浜の上にしゃがんで、何かを耳に当てている。


「なに、してんの?」


 近寄って行くと、佐奈姉ちゃんはおっとりとした相好にふんわりと柔らかな笑みを浮かべて


「巻貝よ。これを耳に当てるとね、海の音が聞こえるの」

「へぇ。ホント?」

「ホントよ」


 彼女は巻貝の殻を耳に当ててくれた。

 が、殻は殻。


「……何も、聞こえないよ?」


 抗議すると、


「それはね、まだこうちゃんのところに海の音が届いてないからよ」

「届いてないの?」

「そう。届くようになれば、自然と聞こえるわよ?」


 ふふっ、と笑った佐奈姉ちゃん。


「じゃあじゃあ、どうすれば、届くの?」


 重ねて質問したその時。

 さあっと海岸を風が吹き抜けていった。

 被っていた麦わら帽子を片手で押さえながら、佐奈姉ちゃんは立ち上がった。

 そうして、ゆっくりとこちらを見下ろし


「……大切な人と、一緒に聴くの。そうすれば、きっと聞こえてくるから――」


 答えを教えてくれた。

 何がなんだかわからぬまま見上げれば、そこには佐奈姉ちゃんの小さくて美しい笑顔があった。


「大切な人と……?」

「そう、大切な人と。こうちゃんの、大切な人……」


 彼女は今一度ゆったりと微笑み、そして前を向いた。

 佐奈姉ちゃんの横顔。

 斜陽を浴びて、うっすらとオレンジ色に染まっている。

 幼い心にも、それはこの世で一番美しいものに思えた。

 美しいだけに儚くて、すうっと消え入ってしまいそう。


「……佐奈姉ちゃん!」


 思わず、大声で呼びかけていた。

 消えて欲しくなかったから。

 ずっと、傍にいて欲しかったから。

 が。

 その声が届いているのか届いていないのか、佐奈姉ちゃんは反応しない。まるで、彼女のいるところだけ時間が止まってしまったかのように――。


「ダメだよ! いなくなったら、ダメ! そんなの、イヤだ! 絶対にイヤなんだ!」


 無性に悲しくなってきた。

 気がつけば、ボロボロと涙をこぼしていた。

 カッコ悪いと思ったけど、そんなことはどうでもいい。

 強く強く叫ぼうと思った。

 大切な人が、自分の目の前から消えていってしまわないように――。


「……ダメだ! 行っちゃダメだよ! どうしても行くっていうんなら――一緒に行くよ!」


 ありったけの思いを込めて叫んだ。

 どうしてだろう。急に、何かに「ぼーんっ!」って、強く心を押された。

 押された瞬間、わかったような気がした。

 そうだよな。

 大切な人が消えてゆくのを指をくわえて見ているのがいけないんだ。

 行ってしまうなら、一緒に行けばいい。

 一緒に行けば、離れてしまうことなんかないじゃないか。簡単なコトだ。

 その時だった。

 佐奈姉ちゃんが、ゆっくりとこちらを見た。

 が、その顔は――佐奈姉ちゃんではなかった。

 だけどすごくよく似ている。

 物優しげで穏やかで気品があって、ふんわりとした雰囲気を漂わせていて……。

 その女性は、にっこりと、力強い笑顔になって言った。


「絶対に、一緒に海を見に行こうね、こーちゃん! 約束だよ?」


 ……!

 そうか!

 わかった!

 俺、確かに約束したんだ!

 夕焼けに染まる大きな川の傍で、大切な人――キャナと。

 いつか、絶対に、一緒に海を見に行くんだって。

 誓ったじゃねェかよ。

 何、忘れてんの? 俺。

 バカか。

 まあ、バカでもいいや。

 元から頭なんかよくねーし。

 ただ。

 バカでも秀才でもどっちでもいいけど、決して忘れちゃならない、破っちゃいけないコトがたった一つだけ、ある。

 ――大切な人は、てめェの手で守りきれ!

 それができないなら、誰かを好きになったりする権利はねェ。

 そうだった。

 だから俺、このままくたばったらヤバいだろう。

 何がヤバいって……後悔しちまうじゃねェかよ!!

 後悔するなら死んだ方がいいとか思ったこともあるけど今は違う。

 死ねば後悔する。

 だったら――死ぬワケにいかない!




「――こーちゃん! こーちゃん! しっかりしてよォ! こーちゃんってば!」

「……!?」


 何度も何度も俺を呼ぶ悲痛な声が、落ちかけていた脳みそと胸の奥底にわんわんとこだましていく。

 目を開ければ、そこは青い世界。

 ……違うな。

 魔神の放った魔法の光。

 俺とキャナを殺そうとする、邪悪に染まった青い光。

 魔法の呪縛にがっちり押さえ込まれているせいか、身体の自由が利かなかった。

 目だけを動かしてみると、すぐ近くでキャナが泣きながら俺を呼んでいた。

 すっかり血に染まった彼女の白い肌。

 切り裂かれて死にそうなくらい痛い筈なのに。

 それでも俺を呼んでくれている。

 魔神の魔法は俺にも作用していて、絶えず苦痛が俺を苛んでくる。切られた傷口を重ねて切られるから、痛みはなおさらしんどい。

 だけど……オチてる場合じゃねェな。

 こんなところでくたばったら、キャナに合わせるカオがねェ。

 あんなに俺のことを思ってくれてるっていうのに、さ。

 男だったら、やるコトやらなきゃ一生の恥だぜ。

 俺は大きく一つ息を吸い込むと、渾身の力を振り絞って呪縛への抵抗を始めた。

 得体の知れない魔法の力はやたらと強く、力で張り合っても勝てそうにない。

 が、勝てる勝てないは自分が決めることじゃない。


「……キャナーッ!!」


 腹の底から叫んだ俺。

 すると、力尽きかけていたキャナがぐいっと顔を起こし


「こーちゃん! 大丈夫なの!? こーちゃん!」


 応えてくれた。

 さすがにその表情に力がなかったが、弱々しくも精一杯声を出し、俺に応え続けようとしている。

 

「キャナーッ! くたばってる場合じゃねェ! 行くぞっ!」


 息が続かん。

 俺はもう一度、腹いっぱいに息を吸い込むと


「――人間世界の海を見に!!」


 その途端、半分閉じかけていたキャナの瞳が大きく見開かれた。

 何か大切なことを思いだしたかのように、その表情にみるみる生気がみなぎっていく。

 彼女はぶんと大きく頷いて


「……行く! あたし、絶対行くよ! こーちゃんと、海を見に行くの!」


 叫んだ。

 キャナの全身全霊の叫び。

 それは間違いなく、確かに、俺の中にある何かに触れて大きく揺り動かした。


 ゴォン……


 突然、大地が唸り、大気が震えた。

 魔界中すべてそうなってしまったかと思われるほどに、すさまじい衝撃。

 激しく咆える大気の波動は魔神の呪縛を一発で吹き消した。

 ぼてっと地面に落っこちるようにして、俺とキャナは解放された。


「キャナーッ!」

「こーちゃん! こーちゃん!」


 お互いに駆け寄り、がっちりと抱きとめ合った俺達。

 裸のキャナは全身切り刻まれたように朱に染まっていて、直視できなかった。

 が、それは俺も同じだったらしく


「こーちゃん、大丈夫? 痛いよね? すぐに手当てしてあげるからね?」


 自分の傷を忘れたようにして、ぐすぐすと泣いているキャナ。

 そんな彼女の姿に、俺は思わず


「キズだらけはお互い様だっつーの。――それよりも、これ……」


 激震は続いている。

 石畳は割れ、建物は崩れ落ち、魔都は原型をなさないまでに崩壊していこうとしている。ほとんど大地震か大噴火の様相。

 ただ不思議なことに、俺とキャナがいる空間だけは何ともない。

 彼女は辺りをしげしげと見回してから


「……共振増幅。あたしとこーちゃんの魂、重なり合って共鳴している。魔術書にもほんのちょっとしか記述がないから、よくわからなかったけど――まさか、本当にありえるなんて……」


 不思議そうなキャナの横顔を見ていたら、思わず笑いが込み上げてきた。


「さっきもあったじゃねェかよ。軽い『共振増幅』が」

「へ……?」


 思い当たらないらしい。


「ほら、魔界衆に囲まれてやられそうになったトキだよ。あれもどうやら、共振増幅みたいだぜ? シュウが言ってたよ」


 仕方なく教えてやると、キャナもくすくす笑い出し


「なーんだ! じゃあ、最初からいちゃいちゃやってれば良かったんじゃない! そうしたら、こんなにケガしないで済んだかも」


 どうだかね。

 魔神が俺達に嫉妬して、もっと酷いことになっていたかも知れないけど。

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