その20 さよならの雨
その日は昼すぎから雨が降り出した。
かなり強い雨。
朝は晴れていたから、傘なんか持ち歩いていない。
俺はパンツまでずぶ濡れになって帰宅した。
濡れた理由は他にもある。
このどしゃ降りだっていうのに、よりによって生高と雲高の連中が立て続けに待ち伏せしてやがったのだ。
タイミングが悪い。
よりによって俺の虫の居所は相当、というより激悪だった。
学校でホームルームがあり、期末テスト後に実施されるクラス対抗球技大会の話し合いがあった。
今年は大会の目玉の一つとして「仮装ソフトボール」なる奇特な種目がある。
各クラス三名づつ選手を選抜して、一年から三年までの一組なら一組だけの合計九名のチームを構成する。そしてトーナメント方式で優勝を目指すという企画らしい。
完全ブルーモードの俺は話し合いに溶け込む意欲もなく、沈黙を守っていたワケなのだが……。
「じゃあ、我がクラスの仮装テーマを決めたいと思います。……誰か、アイデアないすか!?」
討議の司会進行役・高血圧――本名阿部雄太、常時ハイテンションであるところから命名――が意見を求めると、
「はいはいっ! オカマの格好がいい! ぜってェ、ウケるって!」
速攻挙手するなり血迷った発言をしたバカがいる。
デラックスの野郎。
今どきオカマなんて珍しくもなんともないだろうに。
思ったが、その方が学校中の意表を衝けるとでも考えたのか、意外にもあちこちから賛同の声が上がり始めた。
「さんせー。わかりやすい」
「俺はいいと思いまっす。……でも、女性の皆さまは?」
「それってぇ、男子が責任もってやってくれるってコトでしょ? だったら女のコはみんな賛成でーす」
高田正美という発言力のある女子が一言言った途端、女子達が一斉に頷いた。
が、何事も慎重第一主義のメガネっ子・三波恵子が立ち上がり
「待って。ノリだけでヘンな決定しちゃったら、先生に迷惑がかかるわ。奈々子先生はどうなんですか?」
「みんなが決めたコトなら、別に先生は反対しないわ。でも、それ……誰がやるのかしら?」
くすくす笑いながら訊いた奈々子ちゃん。
ぶっちゃけ、賛成の意向。
なものだからみんな、その話題で盛り上がり始めた。
「エロスケベ、お前いけ! 今までに手を出した全校女子生徒への罪滅ぼしだ!」
「えぇっ、俺!? 冗談は吉田兼好。ほかの誰かにやって星一徹!」
「つまんねー! オヤジギャグかました罰として、お前に決定!」
と、誰かが叫んだ。
「おー! それ案外、風間がよくねェ? その無愛想なツラでオカマやったら、意外と美人に化けるかも」
突然のフリ。
頬杖をついて窓の外の雨を眺めていた俺は、面食らった。
「は? 俺が何だって?」
「あれぇ? お前、聞いてなかったのか? クラス代表でオカマの仮装、風間がノミネート。……おっと、みんな賛成だからな。黙って引き受けてくれるよな?」
「断る。んな多数決のやり方があるか」
「今の風間の発言は承諾ってコトでいいかな、みんな?」
どっと笑いが起こった。
手を叩いて可笑しがっているヤツもいる。
よりによって、奈々子ちゃんまで笑っているし……。
キャナの件があって俺の機嫌、たださえ激悪だってのに。
担任までが悪乗りしているこの不条理さに、俺の忍耐はコンマ数秒で一気にレッドゾーンを振り切った。
ガンッ
その一撃で、途端にクラスは静まり返った。
ブチ切れた俺が、思いっきり机を蹴り飛ばしたのだ。
「……やりたきゃ、やりたいヤツがやりやがれ。他人を笑い者することが、そんなに楽しいか? あァ?」
その後のことは知らない。
そのまま俺はカバンを担いで教室を後にしたから。
「ちょ、ちょっと待って! 孝四郎クン! ごめんね! 私、悪かった! 謝るから!」
奈々子ちゃんが追いかけてきたものの、振り向きもしなかった。
今さら、戻れるかよ。
あなたも所詮はその程度の教師でしたか。
そういうはらわたが煮えくり返るようなやりきれなさを抱いていた矢先だったから、行く手に生高やタバコーの連中が見えた途端、俺は思わず腹いせの矛先を向けてしまった。
「風間ァ! 今日という今日は、ケリつけさせ――!?」
俺らしくもない。
相手がかかってくるのを待たず、こっちから踏み込んでいた。
気がつけば生高の連中全員、濡れたアスファルトの上に転がっている。
今日の鉄拳にはいつになく怨念がこもっていたから、一人や二人は無事じゃ済まないだろう。レントゲンのお世話になるかも知れない。
キレている俺は連中を放置したままその場を立ち去った。
ところが。
「――待てや、風間」
頭の上にカバンを乗せてダッシュしていく俺の前を塞いだ人数が。
雲高ご一行四名様。
ちっ。クソ野郎どもが……!
舌打せずにいられなかった。
すでに制服はたっぷり雨を吸っていて湿っぽく、不快なことこの上ない。
さっさと帰って風呂入って着替えたいってのに。
ホームルームでの出来事やらさっきの生高連中の一件で俺のムカつきメーターは再びぐーんと高まった。
「この前、お前、うちのヤツらを潰してくれたよな? 忘れたとは言わせねェ」
「あァ、そうだったな。前にてめェら潰したあの日も――」
俺のカバンが宙を舞った。
「……雨だったわ」
――五分後。
雲高の四人は地べたに転がっていた。
右の頬骨を押さえて呻いているのが一人いる。当たり所が悪かったようだ。
が、俺は構わずに帰った。
ケンカを売ってきたのは雲高のほう。
いちいち戦闘後のケアなんかやってられない。痛けりゃ自分で病院まで行くがいいってこった。
そうして俺はボロアパートに戻ったのだが――
「おかえり……って、こーちゃん! ずぶ濡れじゃない! カゼ、引いちゃうよ!」
玄関ドアを開けるなり、心配そうに駆け寄ってきたキャナ。
が、俺は彼女をスルーして部屋に上がりこみ、テーブルの上にコンビニ弁当をどさりと放りだした。
食欲がなかったから、今日はメシを作る気なんかさらさらなかった。
それで、キャナにはコンビニ弁当。
こういうのは意外に高くつくものだ。
そうして、黙って濡れた服を着替えていると、
「……ねぇこーちゃん。もしかしてあたしのこと、なにか怒ってる?」
俺の背中に向かって、キャナが話しかけてきた。
シカトされたこと、気にしているらしい。
ちょっと可哀相だったろうか。
だけど俺、ここ数日間のムカつきが収まらない。
クラスのヤツに生高や雲高の連中も連中なら、キャナもキャナだ。
こそこそと隠し事をしているクセに、何がしおらしく「怒ってる?」だよ。
ふざけるのもたいがいにしろ。
と、口先までぶちまけかかっているのをぐっと飲み下し
「……いや、別に」
「だったら、いいんだけど……」
畳の上にぺたりと座ってうな垂れてしまった。
また黙ってしょんぼりかよ。
勝手にしろ。
いつも通りそのまま黙ってしまうのかと思ったが、案に相違した。
キャナはおずおずとした感じながらも
「……あのね、こーちゃん。実はね、あたし、聞いて欲しいことがあるの」
切り出した。
俺は着替えの手を止めない。
背中から「聞いてるから勝手に喋れ」的なオーラを発していると、キャナはぽつりと
「魔界が大変なコトになっているらしいの……」
きた。
やっぱり、か。
「魔界から魔族のコが飛ばされてきて、メイアに助けを求めたって。あの魔神が次々と魔界人の魂をくらって、思ったよりもすごい勢いで進化し続けているから、って……」
「……」
「こーちゃんとは、ずっと一緒に暮らしていきたいし、あたし、そのつもりでいた。でも、元はといえば、魔神を呼び覚ますきっかけを作ったのはあたしとメイア。魔界が滅んでも関係ないかなって思っていたケド、魔界にはあたし達と同族の魔族がいる。その人達が苦しめられて、滅ぼされていくのを黙ってみていられない。それで、実はメイアと相談したんだけど」
言いづらそうにしているキャナ。
が、意を決したようにぐいっと顔を上げると
「……ケリ、つけようって。あたし達の不始末は、あたし達の手で」
――なんか、瞬時に俺の周囲の何もかも真っ白く見えた。
聞きたくなんかなかったのに。
この日がこないようにって、祈るような気持ちでいたのに。
やっぱり、こうなってしまったか。
何て答えたらいいのか、迷った。
頭の中と胸の中でぐるぐるやっている間、部屋の中には雨の音だけが聞こえている。
やがて。
俺のささいな苛立ちの感情が一挙に膨張して、本音の気持ちを凌駕した。
「……行きゃいいじゃねェか」
「え……? 行けばって、こーちゃん……」
何を言っている、俺!
でも、腹立ち紛れに口をついて出た怒りのスプラッシュは、どうにも止めようがなかった。
「どうせ、魔界が大事なんだろ? 行けよ。俺がどう思ってるかなんて知らないクセに! メイアと二人で結論決めちまってから言われたって、納得できるワケねェだろ! それにお前、ウソついたじゃねェか。隠れてメイアと会ってたのに、会ってないって。何でも二人で相談しようって言ったのに、それをあっさり破ったのはお前だろ、キャナ!」
急にキレた口調で言ったものだから、キャナはすがるように
「黙っていたのはゴメン! 本当に、ごめんね! でも、絶対にこーちゃんを巻き添えにすることはできなかったの。魔界の問題だもの。……それは、何度も打ち明けようとは思ったわ。だけど、言ってしまったらこーちゃんが悲しむし、だからどうしていいかわからなくて――」
「いいよ、今さら。どのみち俺達は一緒には生きていけない。そーいうコトだろ? もう諦めたから、いい。あとはお前の好きにしろよ。そんなに魔界が大事なら、さっさと戻れば?」
突き放した俺の言い方に、キャナは一瞬呆然としかけた。
しかし、すぐに満面に必死な誠意をみなぎらせて
「そうじゃないってば! ……ねぇ、聞いて! あたし、絶対に戻ってくるよ! 魔神を封じ込めて、またこーちゃんの元に、絶対帰ってくるから! 約束する! だから――」
言葉がそこで途切れ、ぐすっ、ぐすっと鼻をすする音がした。
「そんなコト、言わないで! お願いだからあたしのコト、嫌いにならないでよ……お願いだから……」
キャナの声は泣いていた。
あの出会った日以来。
魂をくれてやるっていう俺の気持ちが本気であることを知った彼女、泣いていたっけ。
なのに、今はもう、こんなことで彼女を泣かせてしまった。
こんなに気持ちのぐらつきが大きな女性だっただろうか。
一度言い出したらテコでも動かない、というカンジだったキャナが、俺に背中を向けられたくらいでぐすぐす泣きじゃくるなんて。
「……行け」
「え……?」
「さっさと、行け。――それでこれからは、魔界で暮らせよ。こっちの世界には、帰ってこなくていい。お前の顔、もう、見たくないんだ」
言っちまった。
口が裂けても言うべきでなかった台詞を。
そのまま、頑固親父のように背を向けて座り込んだ俺。
悲しい。悲しすぎる。
何がって……俺、何を言っているんだよ?
何ですねてんの?
何をそんなにふてくされてんの?
何で……キャナに当たり散らしてんの?
自分で自分がわからねェ。
「こーちゃん……」
絶句しているキャナ。
とりつくシマもない俺のこと、どう思っているんだろう。
それからしばらく、部屋の中には彼女の嗚咽する声だけが響いていた。
ぐしゅぐしゅと鼻をすすっている。
俺は背をむけたまま、身じろぎもしない。
やがて背後で、彼女がのろのろと着替える気配がした。
このタイミングでキャナが着替える服はあれしかない。
魔界から転移してきた時に着ていた、黒い衣装。
魂を分けてやったあの日のあと、キレイに洗濯をしてとっておいた。
キャナの魔女としての晴れ着だから、と思っていたけれども……まさか、またこれを着る日がくるなんて思っていなかった。
着替え終わってから、彼女は立ったまま俺の背中をじっと見ているようだった。
が、やがて――ギィッ、と、玄関ドアのきしむ音がして
「……ウソついて、ごめんね。あたし、悪かった。こーちゃんが怒るのも当たり前だよね。これ以上こーちゃんに迷惑かけないようにあたし、行くから。もう魔界から魔界衆とか、来るコトはないと思う」
ああ、行くのか。
そう思ったら、胸の中がぐわっと揺れ動いた。
振り返りたい。
振り返ってやりたい。
最後に仲直りしたいし、抱き締めたいけど……ここで仲直りしたところで、彼女は行ってしまう。
どのみち別れなくちゃならないのに、仲直りしたら余計に辛くなるだけじゃねェか。
そして。
キャナはまた涙声になって
「それから……魂、ありがとう。あたし、一生大事にするね?」
それが、彼女の最後の言葉だった。
パタン……
玄関のドアが静かに閉められた。
出会ったあの日のように降りしきる雨の中を、キャナは――行ってしまった。
もう、会うことはない。
二度と。
そう思ったら、苦しくて苦しくて、どうにもならない。
何か、無性に泣きたくなってきた。
大声で、思いっきり。
――だけど。
あれ?
俺、最後にちゃんとキャナの顔を見たのはいつだっけ?
その時、どんな顔してたっけ?
……思い出せない。
記憶の片っ端からキャナの面影が消えてしまっていたような気がして、だけどそれを冷静に考えている俺。そういうあやふやな心情のまま、泣けるワケがない。
もしかしたら、ここふた月ばかりこの部屋で一緒に暮らしていたキャナという女性、幻だったのだろうか。幻だったなら、俺にとってどれほど救いだったかわからない。
「……」
恐る恐る、振り返ってみた。
誰もいなくなった部屋の中。
テーブルの上に放り出されたままのコンビニ弁当が目に入った。
あれは……キャナのために買ってきたもの。
――そっか。
そうなんだよな。
キャナはいたんだ。ついさっきまで、確かに、ここに。
あのコンビニ弁当、俺には――食えない。
食ったら、彼女との絆や思い出を失ってしまいそう。ほんのわずかな間だったってのに、こんなにも重たいものになっていたなんて、気がつかなかった。いや、目を背けてきた俺。
いなくなって、ようやくわかったよ。
キャナがどれだけ大切な人だったかっていうことに。
でも、後を追うことはできない。彼女には、これからやらなければならないことがある。
快く送り出してやらなくちゃいけなかったのに。
何もかも……ぶち壊しちまった。
やっと目の前がぼやけてきた。
こんな別れ方しかできなかった俺、クズ。
男の風上にもおけないクズ野郎。
ごめん。本当に、ごめん。一人ぼっちで辛い思いをさせた挙げ句、追い出してしまうなんて。
最後に言えなかった一言、そっと胸中で呟くしかない。
――さよなら、キャナ。
絶対に、死ぬなよ。
どんな手段を使ったって、魔界人皆殺しにしたっていいから……生き延びてくれよ。
その晩、俺は思い出したように涙を流しては、何もできなかった自分に後悔ばかりしていた。
――夜半になっても、雨足は衰えなかった。
次話掲載は10/25です。
まだ最終話ではございません。




