その19 悲しい時間
夜中、ふと目が覚めた。
ゆっくりと目だけを動かして隣を見やれば――キャナがすやすやと眠っている。
今晩は今のところ、何もないようだ。
ささやかに安心した俺は、もう一度眠りの世界に落ちようと思った。
ところが、ふっと考えてしまった瞬間、もうダメだった。
……寝付けない。
今朝、メイちゃんが残していった言葉が、頭の中でずっとエンドレスリピートしている。
電車が通過する轟音がやかましかったが、俺の耳には確かにメイちゃんの言葉が届いていた。
『キャナが風間クンに何も伝えていないとしても、それはキャナが風間クンのことを思っているからよ。事実がもたらされていないことを理由に、愛する人を疑うのは間違っている』
そうして、メイちゃんはコンマ数秒間、あのエンジェルスマイルを見せて
『私が風間クンに会うのは、きっとこれが最後になると思う。――いろいろ、ありがとう。楽しかったよ』
言い残し、彼女はすっと転移して姿を消した。
「待てよ! メイちゃん、一つだけ教えてくれ! キャナは……いなくなってしまうのか!?」
叫んだが、遅かった。
もう、彼女の影も形もない。
――まったく、イミがわからねェ。
どうして最後にならなきゃいけないんだよ?
それ以上に引っかかるのは、キャナの気持ちについて俺につきつけられたメイちゃんの言葉。
事実がもたらされないことを理由に愛する人を疑うのは間違っている。
確かに、そうかも知らん。
ケド、それって建前じゃねェか。
事実が隠されてしまうから、人は人を疑ってしまう。
事実を隠そうとするのが愛あるゆえだったとしても、俺は――納得できない。
本当に好き合っているなら、ちゃんとあるがままを伝えるのがスジってモンじゃないだろうか。
例えその先に、悲しい結末しかなかったとしても。
そういうイミにおいて、昨日のキャナの態度は俺にとって――ウソをついた、としか受け取れない。
彼女は俺のことを気遣っているつもりかも知れないけど、それって汚い見方をすれば「非力な人間だから頼ることはできない」っていうコトになるんじゃないのか?
ま、そんな風に考えてしまうのは止そうと思う。
キャナはそんな女性じゃない。
俺のコトを好きでいてくれていることに間違いはないと信じるから。
ただ、今日のことがあって俺の中で一つだけはっきりした。
いずれキャナは……俺の前から去って行く。
メイちゃんがああいう含みを残していなくなった以上、それはキャナにも関係していると思っていい。そうでなけりゃ、彼女があんな言い方をするハズがないんだよな。仮にメイちゃん一人が姿を消すのであれば、もっと違う表現をしていただろう。
どう考えてみても、暗い結論にしかたどり着けない。
敵対していたメイちゃんが俺達と仲良くなって、バタバタながらも楽しい日常がやってきたハズだった。
それが永遠に続く保証なんてどこにもなかったけど、魔界中を震撼させてやまない魔女が二人も揃っているんだから、どんな強敵がやってきたってどうにかなると信じていた。
だけど、あくまでも俺の願望に過ぎなかったってワケで。
この数日の間に、何かが起こった。
俺とキャナの絆にヒビを入れてしまうような、とんでもない何事かが。
人間の俺には推測もつかないが、一つだけ思い当たるフシがある。
――魔界のこと。
こっちの世界で具現化した魔神は勝手に魔界へ帰って行ってくれたが、キャナやメイちゃんは心の中では気にしていた。で、最近、魔神が魔界で活動し始めたという話をどういうルートか知らないが耳にし、人間の世界から去ろうと考えた。
間違いない。
二人とも、本来は向こうの世界の者。
どれだけ迫害されて苦しい思いをしたっていっても、やっぱり心の奥底では忘れるコトができないのかもしれない。魔族と人間って違いはあっても、どっちも同じく心を持った存在。自分の生まれ育った世界が気にならないワケがないよな。ましてや、存亡がかかった危機に瀕しているとすれば。
そうして今日、メイちゃんは俺に別れを告げにやってきた。
とすれば、そう遠くない未来、キャナもまた――。
一緒に行きたい気持ちはあるけど、ついて行ったところで俺に何ができるだろう?
神速鉄拳があったって、あの強大な破壊力をもった魔法の前じゃクズ以下。
逆にキャナは俺を守ろうとして大変な思いをするに違いない。
そのためにキャナ、あるいはメイちゃんにもしものことがあったらどうすることもできないよな。
となると、俺の選択肢は一つしかないワケで。
聡明な彼女のことだから、きっとそういうシミュレーションはとっくの昔にされているだろう。
だから、キャナは俺と別れて魔界へ帰る決心を固めつつある。
これから始まる(すでに始まっている?)魔界のごたごたに、俺を巻き込まないようにするために――。
気持ちは嬉しいけど、感情として納得なんかできやしない。
メイちゃんの言葉を素直に受け取れないのは、そういうことだ。
考えたくない。
イヤだ。
せっかく、二人で楽しく暮らせるようになったっていうのに!
だけど一方で、俺の胸のどこか片隅には……キャナのことが好きだからこそ、彼女の気持ちを無視するようなコトはできないって、思っている自分がいなくもない。
俺がそうされたら苦しいし。
もともと、人間とそれ以外の存在がいつまでも一緒に生きていける筈がなかったんだよな。
そう思いこむしかない。
思いこむしかないんだけど。
その前に願うことは――どうか、キャナが魔界へ戻るとか言い出す日がずっときませんように。
もしくは、そういう俺の想像が全て杞憂でありますように。
寝返りを打つフリをして彼女に背を向けつつ、必死で祈っている俺。
思わず、涙が出そうになった。
祈り続けているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。
それから三日経った。
あれ以来、キャナは出かける素振りも見せずずっと部屋にいる。
ただし気がつけば、俺達の間から会話というものが消滅していた。
朝、俺が学校に行く時彼女は寝ているから、一日の最初に交わす言葉は
「……ただいま」
「おかえりなさい」
で、俺がメシをつくる。
「……できたぞ」
「ありがとう」
黙々と食う。
そして俺は茶碗を洗ったあと、宿題を片付けたりテレビを観たりする。
夜も遅い、という頃になると
「おやすみ」
「おやすみなさい」
……なんだこれは。
離婚寸前の夫婦みたいなモンじゃないか。
どうしてこんな状態にならなきゃいけないんだ。
キャナがずっと暗い顔して考え込んでいるから?
違う。
そうじゃなくて、俺がヘンなことを考えてヘンなわだかまりをこしらえて、彼女に話しかけることができなくなってしまっていたからだ。
思えば、俺達の絆を裂きにやってくるホントの意味での刺客って、何も魔界からやってくるヤツなんかじゃない。
相手に対して素直になれない、自分の心。心の弱さ。
そいつにすっかり毒されてしまった以上、あとは消滅していく二人の時間を黙って見守るだけ。
――情けねェ。
情けなくてだらしがねェけど、雨に打たれている小鳥のように、どうすることもできない俺。
いつしか俺は、キャナとの間にどでかくて分厚い壁を築いてしまっていた。
キャナは時々何か言いたげに顔を上げるものの、何も話せないまま、また悲しそうに俯いてしまう。
もしかしたら、俺に全てを打ち明けようとしてくれていたのかも知れない。きっと、そうだ。
でも、今の俺に耳を傾ける勇気はない。
聞いてしまったら、その時が本当に二人が終わる時。
違うかも知れない。
でも、そうとしか思えない。
だから、聞くつもりにはなれなかった。
ごめん。
ほんっとーに、ごめん。
俺なんかのところに来たばっかりに。
辛い思いをさせちまっている。
思い返してみれば俺、今まで強がっていただけだった。
自分が傷つくことが怖くて、自分が傷つかないように拳でガードしていただけ。
突っ張ってさえいれば、どうにかなると思っていた。
でも、それは大間違い。
周囲から自分目掛けて飛んでくる色んな何かを無理矢理シャットアウトしているに過ぎないんだよな。
そういうことをしていても、いつまでたっても自分は強くなれない。
結局、心というこの厄介な代物の本性はドM。
キズつくことでしか強くならないらしい。
しかし、人は誰も心がキズつくことを極端に恐れる。
俺がその典型だ。
そんなんだから、六月の空模様と一緒で、ボロアパートの一室も常にどよーん状態。
俺はキャナから逃げていたい一心で、学校からの帰りをわざと遅くするようになっていた。
部活も委員会活動もやっていない俺は、毎日下校途中にあるファーストフード店に寄り、窓際のカウンター席に座って読書で時間を潰しはじめた。
そんなある日のこと。
「――こんなトコで何読んでんの、孝四郎? まさか、テスト勉強かい?」
背後から声をかけられた。
ガリ勉エクスカリバー。
珍しいヤツがきた。
「お? 聖剣君か。お前こそ、何やってんだよ? さっさと帰ってお勉強じゃないのか?」
ちょっとからかい気味に訊いてみると、彼は俺の隣の席に腰掛けながら
「僕だって、たまには息を抜きたい時もあるよ」
顔に疲れた感が漂っている。
肉体的な疲労感、じゃなくて「何となく疲れちゃいました感」というヤツだ。
エクスカリバーはコーラを一口飲み、先を続けた。
「僕はずっと塾に通ってるんだ。で、この前模試があって昨日結果を返されたんだけど、今のままじゃ第一志望の大学は難しいって塾の教師に言われちゃってさ。……一生懸命にやっているのに、それを全否定されるようなことを言われちゃ、モチベーションダダ下がりってモンだよね。ホントは今日も授業があるんだけど、休んでやった。小学校じゃないから、一日二日休んだところで親にはバレないしね」
「そいつは大変だな。ケド俺、エクスカリバーには明確に目指しているものが見えていて、いっつもうらやましいと思っているけどな。俺みたいな五里霧中? 暗中模索? どっちでもいいが、これってすっげー不安なコトだし。第一、高校卒業したところでどうしたらいいか、まったくわかってないんだぜ?」
それぞれ不安を抱えているせいか、エクスカリバーも俺も珍しく長口舌に及んでいる。
そういや、こいつとゆっくり語らったコトなんて、今まで一度もなかったな。
彼はさらに、親とも上手くいっていない家庭事情なんかも話してくれたあと、こんなことを言った。
「将来のコトなんて、決めて進めばいいだけのことさ。だけど、自分自身がこうあろうって思ってみても、なかなかそうなれるモンじゃないって。自分が自分でいることは、大学に入るコトよりもずっと難しいと思うね。だから正直、孝四郎がうらやましいと思っていたよ。周りがどうだろうと、自分を貫くタイプ。僕もそうなりたいって、最近すごく思う」
うんうんと聞いてやっている俺。
気持ちをストレートに喋っているエクスカリバーは、さっきよりも表情が活き活きしてきたようだ。
心の中のもやもやは、押し潰されそうなくらいでかいと思ってビビっていても、表に出してみればいかにちっちゃいものか、すぐにわかる。
不安や悩みをどんどんでかくしてしまうのは誰でもない、自分のせいだ。
今の俺とエクスカリバーがそう。
お互いに自分の不安を隠さずぶちまけた。
だからって都合よく解決なんかしないけど、重たいまま抱え続けていくのと軽くしておくのとじゃ全然イミが違ってくる。
「ンなコトぁねェよ。そいつはエクスカリバー君の買いかぶりだ」
とは返したものの。
ちょっとだけ、嬉しかった。
エクスカリバーのヤツ、秘かに俺のコトをそんな風に見ていてくれたのか。
だけど、今の俺は君が思っているほど強くはないよ。
好きな人の気持ちも大切にできない、愚かな野郎。
今エクスカリバーとしているように、キャナに対しても思っていることを素直に話し合えたら、すごく楽になるのに。
でも、その先にあるものが怖くて――素直になることができない。
だから、心の中に溜まったもやもやが腐り始めている。
自分でわかる。
今日、こうしてエクスカリバーと話ができたことは、辛うじて飲んだ痛み止めみたいなものかも知れない。
「俺にゃ親もいなけりゃ、相談できる大人もろくにいないしな。そういうヤツは、自分を信奉するしか手がねェのさ。だけど、それはすごくおっかないことだ。曲がった自分を信奉したら、全部曲がっちまうんだからな。――で、今まで読みもしなかった本とか読んでみることにした。本ってのは、誰かの意見だ。誰かの意見を読んで賛成したり腹立てたりしてりゃ、ちょっとはいい刺激になるんじゃねェかと思ってね」
「へぇ! そういう動機は大事だね。親とかが読めってうるさく言うのは間違っているよ。本人がその気になって読んだ時に、初めて本の重要性がわかると思うんだ。――で、何読んでるの?」
俺はアイスコーヒーのストローをくわえつつ、手にしていた文庫本の表紙をエクスカリバーに示してやった。
神々しい巨大ロボットと、一組の少年少女のイラストが描かれている。
「神宮寺飛鳥って人が書いた『霹靂のレーヴァテイン』っていうんだ。絶望的な状況の中でも、主人公とヒロインががむしゃらに戦い続けるってハナシ。ちょっと哀しいカンジがするけど、俺もそうなりたいなぁって、思うワケ。つまり、君が俺に対して抱いている憧れは、俺にとっても憧れであるワケなのだよ、エクスカリバー君」
わかったような、わからんような説明。
が、珍しく哲学チックな台詞を吐いた俺を、目を丸くして見つめながら
「へぇ! 孝四郎でもそんなんなんだ! ……驚いたよ。ねちねちと自分の是非を論じるような晦渋さなんか持ち合わせていない人だと思っていたのに」
「だから、そいつはお前の買い被りだっての。バカはバカなりの悩みってモンがあって、ねちねちと自分の是非とやらを必死に考えてみたりするワケだ。で、バカなりの憧れを抱く。――この小説はいいよ。俺みたいなヤツにもすごくわかりやすいし」
「それ、僕も読んでみるかなぁ。受験勉強のいい息抜きになりそうだし。……霹靂のレー、レー、なんだっけ?」
「霹靂のレーヴァテイン。神宮寺飛鳥。小なろ文庫だよ」
自分の是非を論じる晦渋さ、か。
俺も、自分の中にンな厄介なものなんかありゃしねェって、ずっと信じていた。
自分が自分であり続けるだけのことだと思っていた。
だけど、そんな信念なんかクソくらえだ。
この世の中に、自分くらい頼りにならん存在もない。
今はそう痛感しているよ。
人間が生きていくためには、絶対に誰かの支えがいる。
心の強さはもちろんだけど、その強さを維持していくために、傍にいてくれる人の存在が。
キャナ――。
頼むから……行かないでくれ。
今、いなくなられたら俺、どうしていいのかわからないんだ。
俺の帰宅拒否は、それからも続いた。
キャナと一緒にいることが怖かったから。
いや、キャナと一緒にいれば、いつか別れを告げられそうで恐ろしかったからだ。
しかし――いつまでもそうしていられるハズがなかった。
どれだけ俺が現実から目を背けて逃げまくったところで、その現実は冷厳に進行していくワケで。
放置しておいた虫歯と同じように、逃げたら逃げた分だけ、その代償はとてつもなく大きなものとなる。
そうしてとうとう、俺がそのツケを背負わねばならない日はやってきた。
註)文中に登場している作品は実際に存在するもので、作者様のご了解をいただいた上で登場させていただきました。




