幕間(3)送り出し、見送る者
────そこは、王都の南側城門側の城壁の上だった。
太陽が高く昇り、見張り塔が城壁に大きな影を作っている。その死角には、息を潜めるようにして一組の男女が立っていた。
青年は正体を隠すように全身に襤褸を纏っていたが、少女は地味なメイド服姿という装いで、なんとも不思議な組み合わせだ。
二人はつい最近まで王都を騒がせていた盗賊団【イリオス】の首領とその部下だった。
『音』もなくその場で佇み、城門の先から南の街【ミナルディ】へと伸びていく街道を────街道を往く小さな荷馬車を見つめている。
「うん、やっぱりあのオオカミローブはジン先輩に似合ってるね。結構な出費だったけど、用意した甲斐があったよ。気に入ってくれるといいな」
青年────アフィンは目を細めながら小さくなってゆく人影を見て、どこか満足げに呟いた。
「ジンさん、行ってしまいますよ。……本当に、ついて行かなくて良いのですか?」
少女────クナイがそう問うと、アフィンは小さく肩を竦める。
「行きたくないと言えば嘘になるね。だけど、僕は【イリオス】の首領だからね。みんなを放り出してまで冒険者に転身するなんて無責任なことはできないさ」
そう言って金髪をかき上げて見せるが、クナイはその様子にジトっとした呆れた眼差しを向けていた。
「素直ではありませんね。あなたの家族は、あなたが居ないと生きていけないようなひよっ子集団ではないのですよ?」
そう言って、クナイはそっとアフィンの背中を押す。
盗賊団の【イリオス】ではなく、家族としての【イリオス】として、彼女はこの機会を無駄にするなと言う。
しかし、そんな言葉を受け止めてなお、アフィンが首を縦に振ることはなかった。
「ありがとう、クナイ。その気持ちだけでも嬉しいよ。だけど、僕は【イリオス】だ。そのことに誇りを持っているし、この誇りがジン先輩の足を引っ張ることも理解している。だから、僕は行かないんだ」
その確固とした答えに対し、クナイから諦観を滲ませるような溜め息が漏れるが、その決意を否定はしなかった。
アフィンはそんな彼女に、困ったように頰を掻く。
所詮自分たちは盗賊団なのだ。どんなに取り繕ったところで、犯罪者集団であるという事実は変わらない。
盗賊たちから奪った金品は全て王都の孤児院にパトロンを通じて寄付しているし、自分たちはオンボロ宿屋と金持ち向けの酒場経営で生計を立てている。
故に【イリオス】は体面上は義賊と称しているが、そんな詭弁に驕ったりはしない。
自分たちを正しく後ろ暗い犯罪者として認識し、清算できない過去に囚われている愚か者だと理解しているのだ。
そんな彼らが窮地に陥った時に現れて、救いの手を差し伸べてくれたのが冒険者のジンだった。
その気になれば逃げることや【イリオス】を壊滅させることも可能な力を持ちながらも、冒険者としての矜持を持った少年はその力を惜しみなく貸してくれた。
そんな心優しい未来ある若者の路を、場合によっては閉ざしかねない存在であると自覚しているからこそ、アフィンは見送るのだ。彼の幸を願って。
「そう、僕は行かない。だけど────」
しかし、アフィンも人の子であり、感情を持った一人の人間であり、そして、何よりも家族の幸せを願う者だった。
「────だけどクナイ。キミは行くんだ」
「……え?」
全く予想していなかった言葉だったのか、青天の霹靂といった風に目を丸くするクナイだったが、アフィンは碧の瞳に強い意思を込めて彼女の肩を掴む。
「僕たちは盗賊の被害者であり、盗賊を憎む者たちだ。それはクナイだって例外じゃない。最愛の存在を、親しき存在を、一斉一隅の機会を……理不尽に奪った連中を憎まないヤツなんて、この世にはいない。そうだろう?」
呪詛を吐くように盗賊への恨みを吐露され、クナイは肩を振るわせて目を伏せる。
「だけどクナイ、キミはその憎悪に、復讐の心に身を委ねちゃいけない」
しかし次の言葉で自らの憎悪を否定してしまったアフィンに、クナイは驚いたように両目を見開いた。
そして、その瞳は次第に怒りの色を帯びていく。
「どうして……どうして、そのようなことを今頃になって言うのですか?」
クナイは絞り出すように震える声で問う。
幼かった頃の彼女は、王都への家族旅行中に街道で盗賊団に襲われ、目の前で両親を失った。
そして売り物として攫われそうになっていたところを【イリオス】の介入によって救出されたのだが、深い悲しみと憎しみに心を蝕まれたクナイは、孤児院へ連れて行かれることを拒否して【イリオス】へ加入した。
そして10歳を迎えた日になんの因果か、彼女が授かったスキルは【アサシンクライム】。陽の当たらない世界で猛威を振るうスキルを、復讐の為の力を授かったのだ。
だが、当時【イリオス】で首領になりたてのアフィンは思うところがあったのか、彼女を街道に連れていくことはせず、スキルの特性を見込んで酒場の用心棒として仕事を与えた。
やがて成長して背も伸びたところで給仕も担うようになるが、クナイ自身はそのことにずっと不満を抱いていた。
でも、アフィンは彼女を言葉巧みに誤魔化して、今日までついぞ盗賊行為に加担させてこなかったのだ。
憎しみに心が支配されていようとも、自身を助け、両親の供養までしてくれたアフィンたちに対する恩義を重んじていたクナイは、我慢した。
いつか彼らに認められて、自身の手で『略奪者』を屠る日が訪れることを夢見て。
だが、それが叶わなかったどころか、家を出ていけと言われたのだ。
彼女の心の奥底に淀んでいた澱が、溜まりに溜まった鬱憤と共に吹き上がろうとしていた。
「……確かに私は盗賊を憎んでいます。それを理解していながら、どうして私から復讐の機会を奪おうとするのですか?」
クナイは怒りの炎を灯した眼差しで睨め付けるが、しかし、アフィンは慈愛に満ちた眼差しで真っ向から受け止める。
「クナイはまだ、その手を血に染めていないからね。だからこそキミは、手遅れになる前にこの負の連鎖から解放されるべきなんだ。憎悪に身を委ねて過ちを犯せば、もう二度と戻れなくなるから」
「またそうやって、詭弁を重ねてはぐらかすのですか? 私は私の意思で【イリオス】の一員となりました。その理由は全て、大切な両親を私から略奪した盗賊という存在を根絶やしにするためなのに……そのための力も授かったというのに」
普段は感情に起伏のないクナイが語気を強めてアフィンへと詰め寄る。
アフィンは小さく首を振ると、クナイの手を取り、大切な宝物を扱うようにそっと優しく握りしめる。
「いいや、クナイ。キミの力は復讐のためじゃなく、大切な存在を守るために使えることを、他の誰でもないキミ自身が証明しているよ。
酒場の用心棒として僕らの生活を守り、そして、戦友としてジン先輩の窮地を救ったじゃないか。
この手は、復讐なんて愚かな行為のためにナイフを握るべきじゃないんだ」
「そ、それは、貴方が私から復讐の機会をずっと奪ってきたからではありませんか。ジンさんの時だって、ただの成り行きです」
確かにクナイは人を殺めたこともなければ、未だに復讐を果たせたこともない。クラッドの時だって返り討ちにあっただけだ。
結果だけに目を向ければ、アフィンの言う通り彼女の手は人を守るためだけにナイフを握ってきたが、それは全て彼の掌の上で踊ってきたからに過ぎない。
クナイの心の底には、常に血に飢え憎悪の牙を研ぐ獣が棲み着いている。その事実から目を背けることは出来ない。
だがそれは、アフィンにも理解出来ていることだった。
「うん、そうだね。僕はキミに復讐の機会を与えなかった。
僕の大切な家族だから。大切な家族に僕らと同じ轍を踏んで欲しくなかったから。【イリオス】の末っ子には、陽の当たる世界へまた戻って欲しかったから。
だから、今こそキミは行くべきなんだ」
「そんなこと、今更言われて納得できるわけがありません。それに、私にあなたたちを、大事な家族を捨てろと言うのですか?」
クナイはそういってアフィンの手を振り払うと、一歩下がって両目に涙を湛えて切実に問う。
彼の自身を思う気持ちがわかるからこそ、彼女は素直に彼の気持ちを受け止めることができなかった。
アフィンはそんなクナイにゆっくり近付くと、もう一度手を取り、そして抱きしめる。幼子をあやすように、戸惑う心を安心させるように。
「ううん、違うよクナイ。僕らはいつだってキミの家族だよ。そして、家族だからこそキミの幸せを願ってるんだ。それは、僕の背中を押そうとしていたクナイが一番分かっているはずだよ」
そう言われて、クナイもアフィンの背に手を回すと、強く抱きしめて静かに涙をこぼす。
その通りだった。クナイもまたアフィンに眩い世界へ戻って欲しかった。
あの小さな冒険者の隣で楽しそうに笑顔を咲かせている“本来の彼”を見て、恨みと憎しみで満ちた世界から解き放たれて欲しいと願った。
大事な家族だから。自分の心が暗闇に呑まれないように、ずっと支え続けてくれた人だから。今度は自分が彼を支える番だと、そう思っていたのに。
だけど彼には、一緒に業を背負う事も肩代わりすることも拒まれた。それは自身の未来を思ってのことだと、心が痛いほどに理解してしまった。
クナイが落ち着いたところでアフィンは抱擁を解くと、琥珀色の瞳を改めて真っ直ぐに見つめる。
「もう僕の手は罪に染まりすぎた。戻れないんだ。でも、クナイはまだ大丈夫。それに、これはクナイにしか頼めないお願いでもあるんだよ」
「私にしか頼めないお願い、ですか?」
戸惑うように瞳を揺らすクナイに、アフィンは微笑みを浮かべながら頷いた。
「ああ。ジン先輩を守って欲しいんだ。僕ら【イリオス】の恩人で、僕らの『戦友』。そして、僕の心の支え、永遠の憧れだ。彼を守って欲しいんだ。ほら、先輩は接近戦はクソザコだからね」
それは、クナイがアフィンに出来る恩返しの方法だった。そして、彼が光を諦めないように、彼の心を支えられる唯一の希望でもあった。
クナイはまだ自身にも出来る事があると、恩に報いることが出来るとわかり、決意に満ちた瞳を湛える。
素直に過去との決別ができるほど単純ではない。でも、これは家族が与えてくれた祝福だ。
「……わかりました。確かにジンさんは身体能力は普通で、接近戦においては心許ない場面もありました。でも、私の気持ちを理解した上で過去と決別しろと言うのでしたら、私もケジメはつけさせてもらいます」
クナイの雰囲気が少し変わり、ケジメという言葉にジンとのやり取りを思い出してか、アフィンは頰を引き攣らせる。
「あ〜……うん。わかったよ。でも、手加減してね? 流石にクナイに本気でビンタされたら怪我じゃ済まな────ってグーパンっ!?」
ジンと同じように思いっきり拳を振りかぶるクナイに対して、アフィンは目を瞑って身構えた。
しかし、彼女は彼の胸をノックするように叩くと、何かを吹っ切るように微笑を浮かべる。
「……あなたの憧れは、私の憧れでもあります。だから、少し旅行に行ってこようと思います」
「……ああ。沢山楽しい思い出を作っておいで」
そして別れの言葉を交わすと、クナイは城門から身を翻し、その気配を瞬く間に霧散させた。
一陣の風が吹いて、街道に広がる木々を揺らす。
アフィンは未来の希望に思いを馳せるように、しばらくその光景を眺めていた。




