第30話 Aランク冒険者、クラッド=ティヴァー3
クラッドが猛然と駆け出した瞬間、ジンはその悍ましい殺気に圧倒され、死を覚悟した。
それは、一見すればただの突進でしかない。
ジンがかつて所属していたパーティー【レックレス】のリーダー・ブラカスと同じくシンプルな突貫。
そう言う意味では見慣れた光景でもあった。
だが、その身に纏う強者のオーラは桁違いだった。
Aランク冒険者へと上り詰めた者から溢れ出る本気の殺意。それは抗おうとする気概すら圧し潰す程の圧倒的なプレッシャー。
足が竦み、呼吸もままならないのに、迫り来る『死』に対して視線を逸らすことすら許されない。
しかし、恐怖に支配されたジンの傍で、その呪縛に囚われない存在もいた。
『ジン先輩、クナイを頼む』
本物の盗賊団【イリオス】の頭領にして、冒険者パーティー【最強⭐︎美男ズ】の切り込み隊長、アフィン=サクサマッド。
彼もまた社会の暗部で生きてきた人間。軽薄な表情の裏側には、数多の死線を潜り抜けてきた者に宿る仄暗い強さがある。
彼はジンの足元にクナイをそっと寝かせると、ナイフを構え、迫り来る死の脅威に向かって真正面から迎え撃った。
『音』もなく地を蹴り、姿勢を極限まで低くして疾駆し、敵の懐へ飛び込むように跳躍する。
しかし────
「邪魔だ」
『────っ!?』
クラッドは歯牙にもかけず、ただ駆け抜けるだけでアフィンを踏み潰した。
「アフィンっ!!」
アフィンの意識が一瞬で飛んだのか、ジンの声は【密やかに】ならず、叫び声となって響き渡る。
クラッドは勢いを緩めることなく、そのままジンヘ向かって両手剣を振りかぶった。
クナイを奪還した時の攻防がただの遊びだったと思えるほどの剣気。両手剣が振り下ろされた瞬間に、ジンはクナイもろとも塵芥になることは必至だった。
だが、ジンの生存本能が、反射的に防御姿勢を取る。
「うわああああっ!!」
ジンが悲鳴を上げながら頭を抱えてへたり込むと、天井に魔法陣が浮かび上がり、【シーリングトラップ・鉄檻】が出現して彼の頭上から落ちてくる。
【鉄檻】の柵が床に突き刺さり、ジンとクナイは囚われの身となったが、それは間一髪のところで鉄壁の防御となる。
クラッドが振り下ろした両手剣が、突如目の前に現れた【鉄檻】に激突する。
瞬間────金属と金属が激しく火花を散らし、爆発でも起こったかのような轟音が鳴り響く。
鋼鉄の天板が耳障りな金属音を立てながら軋み、紙箱を圧し潰すようにひしゃげていくが、かろうじて両手剣を押しとどめた。
くの字に曲がった天板を見て、ジンは早鐘を打つ心臓に手を当てながら荒い呼吸を繰り返す。
助かった────そう思ったのも束の間だった。
「おもしれぇ……そんなことも出来んのかよぉ。だがぁ、何発ぅ、耐ぁえらぁれるぅかなぁっ!!」
クラッドは強者の優越に浸りながら嗤うと、檻を破壊するために、何度も、何度も、繰り返し両手剣を振り下ろす。
両手剣が天板に当たる度に盛大な火花が散り、ひしゃげるだけではなく徐々に亀裂も走り出す。天板を支える鉄柵も、ギリギリと根を上げながら曲がってゆく。
「ハァッハッハァーっ!! すんげえぇ!! 頑丈ぉじゃねぇかぁ!! こいつぁストレス解消ぉになるぜぇ!!」
少しずつ、少しずつ、しかし確実に削られてゆく生存領域。そして、刻々と迫り来る死の瞬間。
ジンは瞳に大粒の涙を湛えながらも、アフィンに託されたクナイを震える両手で引き寄せる。
ダンジョンに潜る前から窮地に陥る可能性は十二分にあった。
それはダンジョンの構造上、出入り口が一つしかないことからも明白だ。
だからこそアフィンたちはジンを頼ったし、ジンはこの状況から脱出できる唯一の方法を持っていた。
その方法こそが【フロアトラップ・強制転移】という帰還方法だった。
罪の証拠となる裏帳簿も手に入れた。
真正面から戦って勝てなくても、あとは然るべき者たちが鉄槌を下してくれるはず。
だけど、それでも、この状況では【強制転移】は出来ない。
なぜなら、クラッドまでもが一緒に【強制転移】されてしてしまうから。
【フロアトラップ・強制転移】は、例に漏れずダンジョン由来である性質上、ある程度の範囲内にいる者を全員巻き込んで転移させる。
ジンが【イリオス】のメンバーから逃れた時は、彼ら警戒して距離を取っていたから転移を免れたに過ぎない。
しかし今の状況では、もれなくクラッド含めた四人全員が【強制転移】の対象となり、そして、そうなると話が変わってくる。
白昼堂々と正門前に、ボロボロのジンたちとAクラス冒険者であるクラッドが転移され、衆人環視に晒されるのだ。
しかも衛兵もいる前でだ。ただ事ではない状況を見て、彼らが動かない道理はない。
たとえ『真実』がジンたちの手元にあったとしても、叩けば叩くほどホコリの出るアフィンやクナイと違い、表では信頼と実績を積み重ねてきたAランク冒険者であるクラッド────衛兵がどちらの話を信じるかなど、想像に易い。
さらに言えば衛兵は騎士団所属であり、そして騎士団は王国の所属であり、つまりはハルロゥたち貴族の息が掛かっている存在でもある。
そしてハルロゥたちは既にジンたちの侵入を把握している。裏から手を回すなど造作もないだろう。
それゆえに、衛兵に捕まることは敗北であると同時に、ジンの冒険の終わりをも意味していた。
一体どうすれば────
葛藤するジンの目の前で、ついにその時は訪れる。
「どうしたぁ? 反撃はしないのかぁ? その不思議なスキルを視せてぇ、俺様を愉しませろよぉ!! ほぅらイクぞぉ────【音速の刃】ぉっ!!」
クラッドは一際大きく両手剣を上段に構えると、【ソードスレイヤー】の力を上乗せして斬撃を放った。
光り輝く斬撃は容易く【鉄檻】を斬り裂き、その余波はダンジョンの床に蜘蛛の巣状のヒビを作った。
そして完全に損壊した【鉄檻】はトラップの解除と見做されたのか、光の粒子となって跡形もなく霧散する。
その場に残ったのは、怯えるジンと目を閉じたままのクナイだけだ。
彼らがまだ生きているのは、単にクラッドが狙いをずらしていたからに過ぎない。
今度こそ万事休すか────そう思ったジンの視界の隅に、風のように疾駆する金色の獣が映った。
「まだだっ……まだ終わってねぇ!! ジンっ!! アシストしてくれぇっ!!」
額から血を流しながらも、碧色の瞳に闘志を漲らせるアフィンを見て、ジンの中に小さな灯火が宿る。
そうだ、冒険はまだ終わってない。
こんなところで、終わるわけにはいかないんだ!!
ジンは勇気を振り絞って腕を上げると、アフィンの期待に応えるべくトラップを仕掛ける。
「────【フロアトラップ・泥沼】」
クラッドの足元に魔法陣が浮かび上がる。
動きを止めるのは対人戦での必勝法の一つ。いかにクラッドであっても、下半身を埋めてしまえば身動きは取れないだろう。
だが────
「おっとぉ、今回はちゃぁんと視えてるぜぇ?」
「え?」
クラッドは一歩下がると【フロアトラップ・泥沼】の発動を回避した。
フロアトラップである以上、トラップが発動する領域に足を踏み入れない限り、トラップは発動しないから当然だ。
だが、今まで発動前に回避された経験のなかったジンは、驚愕の表情を浮かべていた。
しかし、一瞬とはいえ隙を作ることは出来ていた。
「────【消音器】」
クラッドの背後へと移動していたアフィンが『音』の無いナイフを投擲する。
風切音すら立てないナイフは、どんなに鋭敏な聴力を持っていたとしても察することは出来ないだろう。
しかし、クラッドは背後から飛翔してきたナイフを首を傾げるだけで回避してみせる。ナイフは虚空を斬り、ハルロゥの宝の山へと埋もれていった。
「無音の攻撃かぁ? でも残念だなぁ、それも視えてるんだぜぇ?」
「チッ────死角からの攻撃も避けられるとか、無敵かよこのオッサン」
背後で口内に溜まった血を吐き捨てながら悪態を吐くアフィンに対し、クラッドは向き直ることもなくジンを見下ろした。
「さぁて、どうするよぉ? 次は何を視せてくれるんだぁ?」
あらゆる死角からの攻撃が通じない相手に、一体どうすればいいのか。
そもそも、ジンの知る限り【ソードスレイヤー】というスキルは、あらゆる剣技に特化しているスキルではあるが、死角からの、それも無音の攻撃を避けられるようなスキルではない。
それどころか、発動前のトラップすら避けてみせた。そんなスキルは【索敵】くらいしか心当たりがない────まさか?
クラッドの回避能力に対して一つの可能性に思い至ったジンが顔を上げる。
「まさか────ダブルスキル?」
クラッドは、傲慢な笑みを浮かべてみせた。




