9 白フェリテの里
〈貴様は勘違いをしている〉
道すがら、ダダハは言った。
〈我らは、たとえ転生者といえど場合によっては話を聞くくらいの度量は持っている。貴様自身が何よりの証拠だ、アキラ〉
「それは、わかるよ」
〈だがそれでも、こいつらは許せなかった。命を賭して戦ってでも退けなければならない存在なのだ。貴様の脳天気な頭の中にどれほどの危機感が詰まっているか知らんが、よく肝に銘じておけ。今の貴様は、いつ我らの敵となってもおかしくないのだとな〉
ダダハの瞳は宝石のように澄んでいて、それでいて身震いするほどの眼光を放っていた。晃は何も応えられず、せめてダダハの視線から逃れることはしまいと決めた。それが、転生者の少女を助けるよう懇願した自分の責任だと思った。
ダダハの口から「生かしてやってもよい」という許しの言葉はついに聞かれず、重苦しい雰囲気のなかで一行は進む。居たたまれなくなり、晃は途中で白フェリテの背から少女を受け取り、自ら背負った。転生者の少女の体は軽く、微かに息遣いも感じられたが、どこか苦しげだった。
こんな普通の女の子が、どうして命を狙われなければならないのか。
世界樹を枯らす存在だから。あるいは魔物の命を奪う敵だから――そうイメージしてもしっくりこない。あるのはただ、漠然とした不安と希望だけ。その曖昧さを自分の中で区切るために彼女を助ける。それは自分のためで、姫理のためだ。
もしかしたらダダハは、そんな利己的な考えを見透かしたから敢えて同行を拒否しなかったのではないか。晃は、そう考えるようになっていた。
起伏のある大地をしばらく歩くと、陥没した部分に巨大な洞窟が口を開けているのを見つけた。ダダハたちはそこへ向かっていく。どうやらここが彼らの巣であり『里』であるようだった。
洞窟の中からも数匹の白フェリテが出てくる。その様子が確認できるほど近づいたとき、晃はふと首をかしげた。直径二十メートルはあろうかという洞窟入口から少し脇にそれた場所に、一頭の馬がたたずんでいたからだ。足が短く太いポニーのような姿で、歩みは遅そうだがとても大人しそうな印象を受ける。馬の側には二匹の白フェリテが座っていたが、馬は怖がるそぶりを見せていなかった。
「あれは君たちの食糧?」
空気の重さに耐えかね、つい余計なことを聞く。するとダダハに鼻で笑われた。
〈我らに馬を食べる習慣などないわ。魔力があればそれで事足りる。あれはおそらく『客』のものだろう。ここ数年なかったことだ。奴らの蛮行にさぞ心を痛めたのだろう〉
ひとりうなずくダダハの口調に、同情の色がにじむ。
晃たちの気配を察し、馬が顔を上げた。艶のある尻尾を大きく二度、三度と振る。まるでこちらに挨拶しているような仕草だった。人に馴れているのか。
「ダダハ。その『客』っていうのは、もしかして現地の人かい」
〈そうだ。ここから少し走った先にパレクという村がある。その村で世界樹を守っている巫女が来ているのだろう。だが単身でやってきたところを見るとかなり切羽詰まっているようだ〉
「ちょっと待った。世界樹だって? この近くに世界樹があるのか」
〈ある。だが、まだそう言えるかどうかは定かではない〉
「どういう。まさか」
息を呑む晃にダダハは答えた。
〈パレクの世界樹の力はすでに大きく減退している。客の来訪が『最悪の事態』を告げるためだったとしてもおかしくはない〉
ここで鳴るダダハの歯ぎしり。
〈それもこれも、貴様が背負っているそいつが原因であることは間違いない。どこまでも忌々しい〉
「やはり、この子を助けてはくれないのか」
〈生かすか殺すか。それともこいつが自分で壊れるか。この転生者次第だ〉
洞窟にさしかかった。
地表からさほど深くないところにできた自然洞窟のためか、天井のところどころに裂け目があって、そこから陽光が降り注いでいる。洞窟内は思った以上に明るかった。
魔物といえど獣の姿をした白フェリテである。そんな彼らが何百何十と棲む里となるとそれなりの匂いを覚悟していたのだが、晃が思ったような異臭は皆無だった。感じるのはもっぱら水の匂いである。しばらく歩くと道の真ん中にせせらぎが現れた。岸壁から漏れ出した地下水が小川となって里を流れているのだ。
白フェリテたちの爪音が幾重にも重なって洞窟内に響く。
晃は妙な胸騒ぎを感じていた。悪い予感、とは違う。どちらかというとスタートのホイッスルが鳴る直前の高揚感に近いものだった。無意識のうちに胸をさすっていた。
奥に続く道が細く枝分かれしたときである。
〈――つまり、我々は世界樹を守り世界全体の魔力均衡を保つために存在するのであり、パレクの人間たちと敵対するために生きているのではない〉
そんな声が脳裏に聞こえてきて、晃は辺りを見回した。三手に枝分かれした通路の右端の先からのようだ。
話の内容が気になって、晃の足は自然とそちらに向かった。
〈お前たちも誇り高き白フェリテに生まれたのであるから、当然、自らが戦士であることを自覚していることだろう。しかし戦うことのみに固執したならば、それは愚かな転生者とまったく変わらない〉
二メートルほどの高さの通路を入っていくと、すぐに空洞に出た。天井は大きく空に向かって開けており、陽光だけでなく雲の動きもよく見えた。人間ならば百人は入れるような円形の空間には、まだ毛並みも柔らかい小柄な白フェリテたちが十数匹、背筋を伸ばして座っていた。喋っているのは彼らの中心で横座りする体の大きな一匹である。
〈我らは戦わねばならん。守るために戦わねばならんのだ。守るべきもの、それは世界樹と、世界と、我らの誇りだ。ゆえに己の牙を突き立てるだけが戦いではない。同胞を見捨てず、互いに助け合い、我らが我らであることの誇りをさらに純化させていくこと、すなわち生きることそのものがひとつの戦いだと思え〉
年長者らしき白フェリテの言葉に真剣に耳を傾ける若者たち。それは晃の世界での『学校』を彷彿とさせた。
〈おい。いい加減にしろ貴様〉
ダダハが服の裾を噛む。だが彼をしても講義の邪魔はできないのか、叱責は小声だった。晃は尋ねた。
「君たちは普段からこんな講義を、ええと、若者を教えているのか」
〈当たり前だ。我らは馬鹿な転生者どもとは違う。我らが我らであるための心得を、経験を積んだ者が年若い者へと伝え、継承していく。そうして我らの志はひとつにまとまっていくのだ。さあ、わかったなら行くぞ。彼らの邪魔だ〉
ダダハに引っ張られ、晃は通路を戻る。講義の声が聞こえなくなったころ、ダダハはあからさまに悪態をついた。
〈まったく気に入らん。貴様だけならともかく、馬鹿な転生者をあの場に近づけるとは何事だ。長や先達たちに申し訳ないぞ、俺は〉
「ごめん。ただ、あんまり意外だったから。俺の中ではさ、魔物って言ったら荒々しさとか、戦闘的とか、そんなイメージ……思い込みがあったんだ」
〈とんでもない誤解だ。そんなことを吹聴する輩を連れて来い。俺が直々に引き裂いてやる〉
魔物のイメージは、まさに今のダダハみたいな感じだったよ――その言葉を晃は胸にしまった。
ダダハに付いてさらに洞窟を奥へと進む。すると一際大きな空洞に出た。
ドーム状に開けた空洞の壁には無数の穴が空き、そこから白フェリテが顔をのぞかせている。手前から奥に向かって天井が裂けていて、そこから絹布のような光が降り注いでいた。
幅五十メートル、奥行き二百メートルはある巨大な空間だ。
一歩足を踏み入れると、四方から白フェリテたちの敵意ある視線を感じた。晃が転生者の少女を連れてきたという情報はすでに広まっているようだった。
これも自分が招いた状況だ。そう腹を決めて、口元を引き締めながらダダハの後を歩いた。
空洞の最奥部に一際強く光を集める場所があった。そこにはダダハよりもさらに一回りも大きい白フェリテと、黄土色の貫頭衣に身を包んだだけのシンプルな格好の少女がいた。
「このようなことになって」
少女の震える声が聞こえてくる。
「本当に、申し訳ありません」
「あまり自分を責めるな。アスファよ」
静かにそう応えたのは大柄な白フェリテ。彼は他の個体と違い、人語を流暢に操っていた。彼の口調は落ち着いていて、同時に隙のない緊張感に満ちていた。晃は直感する。彼こそがこの里の長だ――と。
アスファと呼ばれた少女は目頭を押さえてうつむいている。年齢は十四、五歳くらいだろうか。体付きにまだ幼さが残っていていたが、その表情は遠目にも硬く、慚愧に耐えないという気持ちが強く伝わってくる。
白フェリテの長は言った。
「アスファだけでなく、パレク村の者たちは世界樹を尊び、慈しみ、守ってきた。その姿は我ら白フェリテの一族全員が知っている。だからこそ、我らはお前たちの生活を尊重し、不用意に冒すことなく、外からの行動を心がけてきた。しかし……お前たちのその善良さが、愚かな転生者どもに制する力とならなかったのが悔やまれてならない」
長は大きく息を吐いた。
「もっと、我らは互いに言葉を交わし、繋がりを深めるべきだったのかもしれぬ。長く時と距離をおきすぎた」
「申し訳……っ、ありま、せん」
「泣くなアスファ。まだパレクの世界樹が完全に息絶えたわけではないのだ。これからのことを考えようではないか」
晃は体を硬くした。長の視線が自分に向けられたからだ。
「ちょうど、我らが取るべき道の手がかりを持つ者が現れたのだ。ひとり、余計な人物も混じっているようだが、な」
アスファが晃の方を向く。涙の跡を残したまま、彼女は口元に手を当てて叫んだ。
「アイミさんっ」
アイミ――それがこの転生者の名前かと、晃は背にした少女を見た。




