第三話 最初の挑戦者たち
森の奥から近づいてくる人影は、思っていたよりもずっと頼りなかった。
昨夜遅くまでルナリアと共に仕上げた第一階層の完成度を、俺は改めて頭の中で確認していた。浮遊足場、可変式の壁、そして最奥の吊り橋。どれも初心者向けとはいえ、決して手を抜いたわけではない。むしろ、初めての挑戦者にこそ強い印象を残せるよう、細部まで丁寧に作り込んだつもりだった。
「あとは、あいつらがどんな反応を見せてくれるか、だな」
俺は簡易鏡越しに、三人組の若者たちの姿を確認する。先頭を歩くのは、まだ二十歳にもならないだろう、革鎧をまとった小柄な少年。その後ろには、杖を抱えた少女と、大きな盾を背負った大柄な青年が続いている。
「駆け出しの冒険者、ってところか」
「あら、案外みすぼらしいのね。もっと猛者が来るのかと思っていたのに」
ルナリアが少し残念そうに呟いた。
「最初からS級冒険者が来るわけないだろう。……むしろ、ちょうどいい。誰も知らない噂のダンジョンに、恐る恐る足を踏み入れる新人パーティー。これ以上の『最初の客』はいない」
俺はそう言いながら、簡易鏡に映る三人の様子を、じっくりと観察した。
装備は決して上等とは言えない。革鎧のあちこちには継ぎ接ぎの跡があり、杖の先端も欠けている。だが、彼らの足取りには、装備の粗末さを補って余りある、確かな意志の強さが滲んでいた。誰かに指示されたわけでもなく、自分たちの足で、誰も踏み込まない場所へと向かってきている。
「なあルナリア。この三人がなぜここに来たのか、分かるか」
「さあ、暇つぶしじゃないの?」
「いや……多分、他に選択肢がなかったんだろう。実績のない新人は、まともなダンジョンには入れてもらえない。だから、こういう誰も見向きもしない場所を、仕方なく回るしかない」
俺は自分自身の三年間と、彼らの境遇を、無意識のうちに重ねていた。認められない者、選ばれない者。だが、それは決して価値がないことの証明にはならない。
「気の利いた真似をするじゃない」
「客商売の基本だ。……よし、始めるぞ」
「な、なあ、本当にここに入るのか?」
盾を背負った大柄な青年――名をダンという駆け出し冒険者は、案内板の前で明らかに怖じ気づいていた。
「入り口だけでもかなり整備されてる……こんな寂れたダンジョン、誰が手入れしたんだ?」
「気味が悪いよね。誰もいないはずなのに」
杖を持った少女――エマが、不安げに周囲を見回す。先頭に立つ少年――リクだけが、好奇心を隠しきれない様子で目を輝かせていた。
「面白そうじゃん。俺たち、ずっと『格上のダンジョンは危険だから』って理由で、こういう寂れた場所ばかり回されてきただろ。……ここなら、俺たちでも何かできるかもしれない」
「そうは言うけどさ……」
三人が押し問答をしている様子を、俺とルナリアは入り口の陰から静かに見守っていた。
「あの子たち、ずっと格下のダンジョンばかり回されてきたって言っていたわね」
「……他人事じゃないな」
俺は小さく笑った。無能扱いされ、都合よく飼い殺しにされてきたのは、俺だけではなかったらしい。
「行くぞ、二人とも!」
リクが意を決したように、一歩を踏み出した。ダンとエマも、渋々といった様子でその後に続く。
入り口をくぐった三人の目に、まず飛び込んできたのは、想像を裏切る光景だった。崩れかけていたはずの通路は綺麗に整備され、壁には淡い光を放つ魔法文字で「ようこそ、深遠のアミューズメント・グラウンドへ」と案内が刻まれていた。
「な、なんだよこれ……こんな寂れたダンジョンのはずじゃ」
「誰かが手を入れてる……最近、じゃない」
エマが壁に触れながら、困惑気味に呟く。三人が顔を見合わせ、それでも好奇心には勝てないといった様子で、恐る恐る歩みを進めていく。
彼らが足を踏み入れた瞬間、通路の奥からルナリアの声が響き渡った。事前に仕込んでおいた簡易アナウンス機能だ。
『挑戦者様、ようこそ深遠のアミューズメント・グラウンドへ。当施設では、いかなる罠に遭遇しても、命を落とすことはございません。心ゆくまで、絶望と歓喜をお楽しみください』
「な、なんだ今の声!?」
「ダンジョンが喋った……!?」
三人は明らかに動揺していたが、それでも先へと進んでいく。その様子を陰から見守っていた俺の隣で、ルナリアがくすりと笑った。
「ふふ、いい反応。あの子たち、声だけでかなり動揺しているじゃない」
「アナウンスの効果は上々みたいだな。……この調子で、期待と不安を交互に煽っていこう」
「悪趣味ね」
「褒め言葉として受け取っておく」
ほどなくして、三人は俺が丹精込めて作り上げた第一階層――重力を弱めた浮遊足場ゾーンに差し掛かった。
「うわっ、身体が軽い……!?」
リクが最初に異変に気付いた。踏み出した足が、想像以上に高く浮き上がる。
「これ、下手に動くと制御効かないぞ! 気をつけろ!」
だが忠告も虚しく、ダンが勢い余って足場を踏み外し、大きく体勢を崩した。
「うわあああああ!?」
絶叫と共に彼の巨体が宙を舞い、そのまま下方の柔らかな結界クッションへと落下していく。ぽふん、という間の抜けた音と共に、ダンは無事に着地した。
「い、痛くない……? でも、めちゃくちゃ恥ずかしい……!」
その様子を見ていたエマが、思わず吹き出した。
「ふふっ、ダンってば、こんな綺麗に転がるなんて」
「笑いごとじゃないぞ! って、うわ、俺もか!?」
今度はリク自身が、可変式の壁に押し出されて体勢を崩す。慌てて手すりを掴もうとするが、その手すりすらも淡い光を纏って位置をずらし、彼の手をすり抜けていった。
「なんだこの壁、意地悪すぎるだろ!?」
「文句を言っている暇があったら、前を見て!」
エマの忠告も虚しく、リクは結局、浮遊足場からずるずると滑り落ち、ダンの隣に転がり込んだ。二人まとめてクッションの上で伸びている様子を見て、エマは杖を抱えたまま、必死に笑いを堪えている。
「エマ、お前もそのうち――」
「私は大丈夫、慎重に進めば――きゃあっ!?」
言い終わる前に、彼女の足元の足場がふわりと持ち上がり、そのまま緩やかな放物線を描いて宙を舞った。結局、三人まとめてクッションの上に転がり込む羽目になり、しばらくの間、荒い息と共に呆然と天井を見上げていた。
三人はその後も、通路の途中で幾度となく足を滑らせ、壁に押し出され、時には天井から吊り下げられた仕掛けにぶら下がる羽目になりながらも、確かな笑い声を響かせ続けていた。何度も心が折れかけながら、それでも誰一人として「もう帰る」とは言い出さなかった。
その一部始終を眺めていた俺は、思わず口元を緩めた。
「……いいな、この反応」
「あら、随分と満足そうね」
「当然だ。……死の恐怖に怯えるんじゃなく、こうやって笑いながら悔しがる。これこそが、俺の目指していたダンジョンの形だ」
俺は簡易鏡越しに彼らの表情を見つめながら、内心で小さくガッツポーズを取っていた。恐怖に引きつった顔、悔しさに歪んだ顔、そして――何度失敗しても、次こそはという闘志を燃やす顔。そのどれもが、俺が理想としていた反応そのものだった。
「なあ、見ろよルナリア。あいつら、もう三回目だぞ。同じ場所で三回も転んでるのに、まだ笑ってる」
「本当に懲りない子たちね。……でも」
「でも?」
「悪くない顔をしているじゃない。数千年、私が見てきた冒険者の中で、一番活き活きとしているかもしれないわ」
ルナリアの声には、隠しきれない好感が滲んでいた。長い孤独の時間の中で、彼女もまた、心のどこかで賑やかな来訪者を待ち望んでいたのかもしれない。
最後の関門は、俺が特に自信を持って設計した、三本の吊り橋が同時に緩やかな波を打つように揺れ続ける仕掛けだった。渡り切るには、橋の揺れる周期を見極め、絶妙なタイミングで駆け抜ける必要がある。
「な、なんだこの橋、生きてるみたいに動いてる……!」
「落ち着いて、リズムを見て! ……一、二、三、今!」
エマの掛け声に合わせて、リクが橋の上を駆け抜ける。だが、あと一歩というところで足を滑らせ、橋の縁からつるりと落下した。
「うおおおっ!?」
案の定、彼の身体は光に包まれ、瞬く間に橋のたもとへと転送される。地面に尻もちをついたリクは、悔しそうに拳で地面を叩いた。
「くそっ、あと少しだったのに!」
「私が先に行くから見ておいて!」
エマが慎重に橋のリズムを見極めながら進むが、彼女もまた中盤で足を取られ、盛大に転送されてしまった。最後に挑んだダンだけが、力任せに橋を駆け抜け、際どいところで対岸へと転がり込んだ。
「よっしゃあ、渡り切ったぞ!」
「ダンだけずるい! 力任せすぎでしょ!」
三人の賑やかな声が、静まり返っていたダンジョンの中に響き渡る。その声を聞きながら、俺は思わず笑みをこぼした。
やがて第一階層の最奥、俺が設置した小さな休憩所に辿り着いた三人は、疲労困憊の様子で地面に座り込んだ。
「はあ……はあ……なんだよ、これ……」
ダンが荒い息を吐きながら呟く。全身が泥だらけで、鎧のあちこちが歪んでいるが、致命的な怪我は一つも負っていない。
「でも……なんだろう、これ」
エマが不思議そうな顔で、自分の掌を見つめた。
「怖かったし、恥ずかしかったし、何度も心が折れそうになったのに……なんでかな、また挑戦したいって、思っちゃう」
「分かる。俺も同じこと考えてた」
リクが力なく笑いながら、それでも確かな充実感を滲ませた表情で頷いた。
「これまで色んなダンジョンを回ってきたけど、こんな気持ちになったのは初めてだ。普通のダンジョンって、魔物に襲われるか、罠で怪我するか、それだけだろ。……でもここは、なんていうか、悔しいのに、楽しい」
「贅沢な感想だな。それでこそ作った甲斐がある」
三人は顔を見合わせ、しばらく無言で息を整えていた。やがてダンが、ぽつりと呟いた。
「なあ、俺たち、また来てもいいか?」
その声は、通路の陰で聞き耳を立てていた俺の耳にも、はっきりと届いていた。ダンとエマも、力なく頷きながら、それでも確かな笑みを浮かべていた。
「聞いたか、ルナリア」
「ええ、しっかりと」
ルナリアの紅い瞳が、誇らしげに輝いていた。
「最初の一組が、確かに手応えを感じてくれたわね」
「これが始まりだ。……この三人が、口コミの最初の火種になる」
俺は静かに拳を握りしめた。世界中の冒険者が涙を流して喜ぶダンジョン――その第一歩が、たった今、確かに刻まれたのだった。ギルドで塩漬けにされていた頃には想像もできなかった達成感が、静かに胸の内側に広がっていく。
三人が帰り道につく頃、俺はさりげなく彼らの前に姿を現した。
「気に入ってもらえたようで何よりだ。……また来てくれるなら、次はもう少し歯応えのある仕掛けを用意しておくぞ」
「うわ、人がいたのか!? って、まさかあんたが、このダンジョンの……」
「管理人だ。ゼノン・クロムウェルという」
リクたちは驚いた様子だったが、やがてどこか嬉しそうに顔を見合わせた。
「あんたが、これ全部作ったのか? こんな短期間で……」
「まあ、色々とわけありでな。詳しい話はまたの機会にしよう」
俺がそう答えると、リクは何かを察したのか、それ以上は深く聞いてこなかった。代わりに、彼はぐっと拳を握りしめて言った。
「俺たち、ずっと『役立たず』みたいな扱いを受けてきたんだ。だから、あんたがどんな事情でここにいるのか知らないけど……もし似たような境遇なら、俺は応援するぞ」
その言葉に、俺は一瞬、虚を突かれた。まさか、彼らの方から、そんな言葉をかけられるとは思っていなかった。誰かに励まされる、という経験自体が、ずいぶん久しぶりのことだった。
「……そうか。ありがたく受け取っておく」
「絶対また来る。今度は仲間を増やして、リベンジしに来るからな!」
「それに、他のパーティーにも教えてあげる。こんな面白いダンジョン、独り占めするのはもったいないもの」
エマが弾んだ声でそう言うと、ダンも大きく頷いた。
「俺の行きつけの酒場でも自慢してやる。『命は取られないのに、プライドはズタボロにされるダンジョンがある』ってな」
その意気込んだ声を背に受けながら、俺は静かに微笑んだ。噂は、確実に広がり始めている。役立たずと切り捨てられた男の逆襲劇は、今まさに、静かな産声を上げたばかりだった。三人の背中を見送りながら、俺は改めて、この場所を選んで本当によかったと、心の底から思わずにはいられなかった。
三人の後ろ姿が森の向こうに消えていくのを見送りながら、ルナリアが俺の隣に並んだ。
「思っていたより、いい滑り出しじゃない」
「ああ。……だが、これはまだ始まりに過ぎない。もっと仕掛けを増やして、もっと多くの挑戦者を呼び込む。そして、いずれは――」
「いずれは?」
「あのボルドーとヴァルガスの目にも、いやでも留まるくらいの評判にしてやる。俺を『役立たず』と切り捨てたことを、心の底から後悔させてやるさ」
夕暮れに染まりつつある空を見上げながら、俺は静かに、しかし確かな決意を新たにしていた。あの応接間で浴びせられた侮蔑の言葉は、今ではもう、遠い過去の残響に過ぎないように感じられた。
あの三人が広める噂が、どこまで届くのか。まだ誰も知らない。だが少なくとも、たった一日で最弱ダンジョンは「誰も来ない場所」から「また来たいと思わせる場所」へと、確かな第一歩を踏み出したのだった。三人の弾んだ足取りが森の奥へと遠ざかっていくのを見送りながら、俺は静かに息を吐いた。
「さて、次はどんな仕掛けを増やそうか」
俺はそう呟きながら、権限ウィンドウに新しい構想を書き込み始めた。第二階層の準備は、既に頭の中で形を成し始めている。役立たずと切り捨てられた男の逆襲劇は、まだ始まったばかりだった。
隣に立つルナリアも、静かに、しかし確かな期待を瞳に宿しながら、俺の手元を覗き込んでいた。噂を耳にした冒険者たちが、次々とこの場所を目指してやってくる日は、そう遠くないはずだった。
誰も知らない小さなダンジョンで芽吹いたこの噂が、いずれ王都全土を揺るがす評判へと育っていくとは、この時のゼノンも、そしてルナリアも、まだ想像すらしていなかった。




