表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/22

第1話「Lv.1、無職」

 目の前のゴブリンは、腐った果物みたいな臭いがした。


 そんなこと誰も教えてくれなかった。


 宮前蓮、中学三年生、Lv.1。武器はホームセンターで買った単管パイプ、三千円也。スキルはない。天職もない。登録センターの職員に「珍しいですね」と言われたやつだ。珍しい、の意味は察した。


 子供くらいの背丈。灰緑色の皮膚。黄色く濁った目。右手には石を削ったような歪なナイフ。


 そして、にやりと笑った。


 笑うな。笑うな笑うな。


 ゴブリンが動いた。速かった。石ナイフが左腕をかすめ、ジャージの袖が裂けた。


 痛い。本当に痛い。当たり前だ、刃物だ。でも頭がついてこない。本当に切られた。本当に死ぬかもしれない。


 なんで来たんだろう、と思った。一瞬だけ。


 いや、わかっていた。ここに来るしかなかった。教室にも家にも、まともな居場所はなかった。弱いままでいるのに、もう飽きていた。


 ゴブリンが口の端を吊り上げた。


 その顔を見た瞬間、胃の奥がひっくり返った。給食の時間に箸を取り上げたあいつと、同じ顔だった。逃げるなら逃げてみろ、という顔。お前には何もできない、という顔。


 握り直した。


 ゴブリンが踏み込んだ。僕も前に出た。下がったら、そのままずっと下がる気がしたから。


 振った。かわされた。腹を蹴られた。


 壁に叩きつけられ、肺の空気が全部抜けた。ゴブリンがゆっくり歩いてくる。急ぐ必要がないとわかっている歩き方だった。そりゃそうか。


 ナイフが振り上げられた。目を閉じなかった。


 刃が右肩を浅く抉った。その瞬間、足だけが動いた。


 頭は何も考えていなかった。体のどこにも勇気なんてなかった。ただ、ここで止まったら終わると思った。


 走った。考えていなかった。ただ死にたくなかった。


 後ろで足音がした。角を曲がった。滑って転んだ。這って曲がった。足音が消えた。


 壁に背中をつけて、息を殺した。


 しばらくして、ゴブリンは来なかった。


 倒せなかった。逃げた。それだけだった。


 でも、足は動いた。


 出口が見えたとき、少しだけ膝が笑った。外に出るまで止まる気はしなかった。止まったら、まだ追いつかれる気がした。


 自動ドアを抜けて、ようやく足が止まった。


 その瞬間、泣いた。


 声は出なかった。ただ、急に目から水が出た。止めようとしても止まらなかった。しゃがみこんで、膝に顔を埋めた。肩の傷が痛かった。腕も腹も痛かった。情けなくて、怖くて、息がうまくできなかった。


 逃げた、と思った。


 何もできなかった、と思った。


 惨めだった。怖かった。情けなかった。


 でも、単管パイプを捨てられなかった。これを捨てたら、本当に終わる気がした。教室の隅で、何もできなかった自分に戻る気がした。


 今日は逃げた。次も逃げるかもしれない。また怖い。


 それでも、登録証を捨てる気にはなれなかった。


 翌日、百円均一でノートを買った。何を書くかはまだわからなかった。でも、書かないと忘れる気がした。今日のことを。逃げたことも、それでも止まらなかった足のことも。


 弱いのはわかってる。ハズレなのもわかってる。


 それでも、昨日の僕は逃げただけじゃなかった。


 ここから始めるしかない。それだけだ。

ブックマーク、感想、評価など大歓迎です!!

ぜひ、よろしくお願いします!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ