曲者兄弟と二軍
俺を暗い部屋に連れ込んだのはさっき試合に出ていた叶斗選手だった。
「なにするんですか!」
俺は強い口調で抗議した。
「お前はスパイダースの岬だろ。 少し話がある」
今年の本塁打王が俺なんかになんのようなんだ? そもそもなぜ俺の名前を知っているのか。
「そういうあなたはブレイズの叶斗さんですよね。超一流の選手が僕なんかにどんな話があるんですか」
「お前、俺の大事な妹とはどんな関係なんだ」
叶斗さんはすごくドスのきいた声で俺を脅してきた。まさかこの人は…
「叶斗さんの苗字は三条ですか?」
恐る恐る聞いてみる。
「そうだよ。そんな当り前のことを俺に聞くなんて舐めたやつだな」
すごく不機嫌そうに彼は言った。
いやいや登録名が下の名前だったら苗字知らなくてもおかしくないでしょと心の中でツッコミを入れる。
やっぱり、琴葉ちゃんのお兄さんだったんだ。
「琴葉ちゃんのお兄さん…、ということは西園寺監督の息子さん」
「今、琴葉のことを下の名前で呼んだな。お前達はそんな親密な関係なのか!」
俺がボソッと呟いた言葉に叶斗さんは反応して、詰め寄ってきた。
この人はもしかしてシスコンなのか?
ならば誤解されないようにしなければ。
「誤解がないように言っておきますけど、僕と琴葉ちゃんはただの友達ですよ。まぁ、毎日ご飯を作ってもらってますけど」
最後の一言が余分だったと気がついた時には、もう遅かった。
叶斗さんの手が俺の胸ぐらを掴み上げる。
「てめぇ、ただのダチが毎日ご飯を作るわけないだろうが! 恋人でも余程の関係だろ」
彼は物凄い剣幕で迫ってくる。
「その手を離してください、、、 事情を説明しますから」
俺は苦しい中でも声を振り絞って頼んだ。
「クソがっ!」
彼は渋々手を放した。
「琴葉さんとはランニングの時に偶然出会ったのが最初です。そこから友達になりました。それで、西園寺監督から食トレのために家に来るように言われた時に監督の家に行ったら琴葉さんがいて、食トレのためにご飯を作ってもらいました。今も食トレのために監督の家に行くとご飯を作ってくれます」
誤解がないように丁寧に説明したつもりだ。
「琴葉の料理を食べられるとはお前は幸せだな。これでいつ死んでもいいだろ。いや、俺が食べられないのに、お前が毎日食べられるのは許せん。失せやがれ」
確かに琴葉ちゃんの料理は絶品だが、せめてもう少しだけ生きさせてほしい。
叶斗さんは、「琴葉からのメッセージでクソ親父がお前に目をかけてるというのは知っていたけど、琴葉にそんなことまでさせていたとはな。ますますお前に興味が湧いてきたな」と続けた。
なんかすごく面倒な相手に目をつけられた気がするなぁ、、、
「あの一つ質問なんですが、なんでこんな暗い部屋にわざわざ僕を連れ込んだんですか?」
「誰も後輩を締め上げるときに人のいる場所選ばねえだろう。お前は馬鹿なのか。特に俺はさわやかイケメンで売っているから、こんなところ見られたらやばいからな」
この人はだいぶ腹黒いと思う。それにこの人をさわやかイケメンだなんて、表裏が
激しすぎる。
「やっべ、バスが出発する時間だ。俺は今日までしか宮崎にいないからお前と勝負できないけど、一軍に上がって来いよ。そのときはじっくりかわいがってやるから」
そういって叶斗さんは部屋を出ていこうとした。
部屋を出る際に「どうやっていじめてやろうか、今から楽しみでしょうがないなぁ」と言って、高笑いしていた。
その言葉にゾッと身震いした。一軍に上がりたいけど、上がりたくない。
はぁぁ、と大きなため息が出た。
その日の夜、烏丸さんの部屋に呼ばれた。
「岬君の登板予定について監督と話したんだけど、一週間後に行われるシャークス戦と二週間後に行われる東北アローズ戦にベンチ入りしてもらうことになったよ。中継ぎ待機だから戦況によっては二試合とも出場の機会がないかもしれない。申し訳ないが君の立場的に仕方がないんだ」
育成最下位の自分にも丁寧に接してくれる烏丸さんの言葉からは、人柄が滲み出ている。
それからの一週間は初日に烏丸さんから教わったポイントを意識しながら練習に取り組んだ。
いよいよ明日がシャークス戦だ。シャークスは地元のチームだし、山辺が入団したチームでもあるから何となく意識してしまう。
意識を明日の試合のことからそらそうとテレビを点けると天気予報が流れていた。最悪なことに今日の夜中から明日の夕方まで強い雨になるらしい。
今度は、試合ができるか心配になってきてしまった。
次の日の朝、雨の音に起こされた俺はカーテンを開けて今の状況を確認する。
ホテルの前の道路には大きな水溜まりがたくさんできていて、とても試合ができる状況ではないと悟った。
朝のミーティングで正式にシャークス戦の中止が発表された。この日は屋内での練習とトレーニングのみとなった。
烏丸さんからはスライド登板の予定はないことが伝えられ、貴重な実戦の機会が一つ減ったことがとても残念に感じた。
翌日の朝カーテンを開けたら宮崎らしい雲一つない真っ青な空が広がっていた。
あと一日ズレてくれればよかったのに、、、
あまりの快晴っぷりに恨み節を呟いた。
そして、残り一回の実戦登板のために全力で準備しよう誓った。
意識をアローズ戦に向けていた俺に朝のミーティングでサプライズが起きた。
なんと、今日の試合出場予定のメンバーに俺の名前が入っていた。
試合の相手は九州ドッグスで、このチームも多くの育成選手を抱えている。
烏丸さんも一瞬驚いた表情をしたので、監督だけで決めたのかもしれない。
予想外の発表に俺の胸は高鳴った。
あっという間に午前の練習が終わり、試合の開始時間になった。
俺は今とても緊張している。その原因は観客の多さだ。二軍の公式戦には及ばないらしいが三軍の試合の観客数に比べたらとてつもなく多い。
バドの試合ではそれなりの観客数の試合があった。けれども、始めて一年ちょっとの野球でこの数のお客さんの前で投げるのはわけが違う。
登板があるかわからない状況なので、俺は戦況をじっくり見ていた。
序盤は点差がつかない展開だったが、1対1で迎えた五回にうちのピッチャーが打ち込まれて2点をリードされた。
このままだとピッチャー交代も近そうだと思っていたが、悪い流れを断ち切れる実力がある選手が準備すると予想していた。
烏丸さんが一軍での経験もある選手に投球練習を始めるように指示した。
予想が当たったので俺の登板はしばらくなさそうと油断したが、「岬君も投球練習してくれ」と思わぬことを言われた。
マウンドにいるピッチャーは何とか一つアウトを取ったが、その後連打を浴びてしまい点差が3点に開いた。
ここでピッチャー交代になった。さすがに隣で肩をつくっている先輩が行くと思ったが、烏丸さんは「それじゃあ岬君行ってみよう」と告げた。
監督が審判に選手交代を告げると、ピッチャー交代のアナウンスが流れた。
「……に代わりましてピッチャー岬。 背番号211」
緊張のせいで観客の反応はよくわからなかった。
状況は1アウト1,2塁、迎えるバッターは2番バッター
ここからクリーンアップに向かっていくというのもつらく感じる。
結局最初のバッターには緊張と怖さに支配されたせいであっさりフォアボールを与えてしまった。
やってしまったと思っていると、バシッと背中を強く叩かれた。振り返ると内田が立っていた。自分の世界に入り込みすぎて内田がマウンドに来ていたことに全く気がつかなかった。
「お前緊張してるのが出すぎだぞ。見てておもしろいわ」と言って腹を抱えて笑った。
そして、「緊張したところで投げられるボールの質は変わらないぜ。今のお前はまだまだクソボールしか投げられないんだから、逃げるよりもストライクゾーンに投げて相手が打ち損じるのに期待しようや。お前にできることは烏丸さんに教えられたことを実践するだけだ。それに二人ランナー返しても自責点つかないんだから、ストライクゾーンに投げて打たれて来い」
内田はもう一度俺の背中を強く叩くとセカンドの守備位置に戻っていった。
次のバッターの初球、俺はキャッチャーからのストレートのサインに頷いた。
そして内田に言われたように烏丸さんから教わったことだけを意識した。
全身を使い、地面を力強く蹴り、ボールに指をしっかりと掛け、真上から投げ下ろした。
ボールはストライクゾーンど真ん中に吸い込まれていく。
このとき、ヤバい、打たれると思ったが、バッターは強振して空振りになった。
完全な投げ損じだったがチームメイトからはナイスボールという声が上がった。
後ろを振り向くとスコアボードに140kmと表示されていた。
この短期間で140kmが出るなんて驚きしかない。烏丸さんの指導が的確だと、とても思った。
このボールのおかげでバッターもミスをするということを認識できた。俺は少しだけ気持ちが楽になった。
その後、大きくストライクゾーンから外れるボールや強い当たりのファールもあったが、最終的にはカーブで三振を奪えた。
最後の一球だけを変化球にしたキャッチャーの配球のおかげだ。
次はいよいよ4番バッターだ。
名前をアナウンスされたバッターが右のバッターボックスに入る。
球場の盛り上がりはこの試合の中で最高潮に達した。
初球、キャッチャーの構えたど真ん中目掛けて思いっきり腕を振った。
体全体を使って投げたストレートは、上下左右どこにもそれずにミットへ向かっていく。
絶好球にタイミングを合わすようにバットが振られた。
大きな打球音とともに白球が空へと舞い上がる。
捉えた打球に球場の誰もがフェンスオーバーを確信した。
だが、次の瞬間、物凄い逆風が吹いたためにボールはグラウンドへと押し戻され、レフトを守る選手のグラブに収まった。
キャッチしたときの位置はフェンスギリギリだった。
それでも3アウト目を取ったことに対しての拍手がスタンドから聞こえる。
野球でこれだけの拍手をもらったのは人生で初めてだ。俺はこの日のことを一生忘れないだろう。
その日の夜、烏丸さんに呼ばれた。
「二軍主体のチームに投げた感想はあるかい」
とても優しい表情と口調で聞かれた。
「まず観客の多さに驚きました。それと、三軍よりも失投を逃してくれないというのが印象に残りました。実際、運が味方してくれたからレフトフライになりましたけど、本当は満塁ホームランでしたから」
あの場面は風に助けられたとしか言いようがない。屋内の球場だったらホームラン以外の結果は生まれない打球だった。あの打球に関しては悪い意味で印象に残っている。
「そうかそうか。人それぞれ考え方はあるが、実戦においては良くも悪くも結果がすべてだと僕は思うよ。どれだけ捉えられた打球でもアウトになればそれでよし。力のない打球でもコースヒットになればだめなんじゃ。勝負では、たらればを考えるのは良くないことだと思っておる。それとあの打球で僕は岬君の成長を感じたよ。一週間前の君のボールだったら、あの風が吹いたとしてもフェンスを越えていたよ。これは断言できる」
烏丸さんの言葉から、この人は俺のことをしっかり見ていてくれるというのがよくわかった。
成長していると言ってくれたのだから、俺はその言葉を信じて突き進むだけだ。
一週間後のアローズ戦に向けて頑張らなくちゃな。




