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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第二章
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キャンディとチョコレート



 飛竜の前でヘルムートに向かい合ったキースは、全身に緊張を走らせているように見えた。細身の体は、よく鍛えてあるが、まだまだ若い。

 ヘルムートを睨む深い青の瞳は、アーシェによく似た強い意思の光をたたえている。


「本当はオレに聞きたいことがもっと他にあるんじゃないのか? なんのために嗅ぎまわってる。なにを警戒してる? 腹を割って話してみろよ」

 ヘルムートは空になった革袋を岩の上に置き、手巾で手をぬぐった。

「俺の一存では明かせない。それに……貴殿は大公に近い」

「んなことまで――いや。ティアナか?」

 ヘルムートの言葉に、キースはわずかに瞠目した。


「おまえマジで隠し事向いてねぇわ」

 まったくあいつは口の軽い、とヘルムートは首の後ろを掻いた。

「彼女は友として協力してくれただけだ」

「それを知ってたならなおさらオレのところに来いって。なんだってあちこち聞きまわったりしたんだ?」

「……それを知ったのが昨日のことなのでな」

 言わなくていいことを正直にキースは吐いた。

 ヘルムートは呆れてため息をついた。


「やはり、クラウディオが貴殿の従兄弟なのだな? ならばもうアーシェに近づけさせるのはやめてくれ」

「つながりがわかんねぇ……おまえコミュニケーション下手って言われねぇ?」

 キースは黙ってしまった。

「あー、もういいわ。事情は話さなくてもいいぜ。特別にひとつだけ教えてやるよ。なにが聞きたい」

 ついからかって楽しんでしまったが、キースがあまりに必死なので、情けをくれてやることにした。

「オレは大公派じゃない。むしろその逆。前大公派に担がれてんだよ、わかるだろ?」

 いや、わかっていないかもしれないな。ヘルムートはそう思いながらキースの顔を眺めていた。


 やがてキースは絞り出すように口を開いた。

「大公の周辺の女性で、十六年ほど前に死んだ者がいないか?」

 それはヘルムートの予想していたどの質問とも違った。


「それが――おまえとアーシェちゃんになんの関係が?」

「大事なことなのだ」


 ヘルムートは答えるべきか迷ったが、教えると言った自分の言葉を守ることにした。

「一人いるぜ。大公の妻マルツィアだ」

「妻……。大公との仲は良好だったか?」

「ひとつだけって言わなかったか?」

「いや。そうだな……。恩に着る」

 キースは顔色が悪かった。どうにも思いつめている。やはり教えるべきではなかったか。

 しかし、その理由がヘルムートには皆目わからない。


「このことは、アーシェには黙っていてくれ」

「いや、それは別にいいけどよ。おまえ大丈夫か?」

「俺にはなんの問題もない」

 問題があるのは、アーシェか。

「……まあ、もうクラウディオのとこに嬢ちゃんを呼びつけるのはやめるよ。それでいいだろ?」

 キースは視線をさまよわせて言った。

「ああ……、そうだな、頼む」





 朝食の席で、アーシェはキースが来ないかとぎりぎりまで待っていたが、結局現れなかった。

 ティアナはいつも通りのように見えた。

 一方アーシェは眠かった。昨夜よく眠れなかったからだ。

 キースとティアナが恋人に? でも年が離れている。ティアナはまだ十三歳、いや、しかしファルネーゼを卒業する頃には十七で、りっぱに成人している。今から相手が決まっていた方がいいのかもしれない。ティアナはおそらくケルステンのかなり高位の令嬢と思われるが、そこはキースも負けていない。バルフォア家はアリンガムきっての名家だ。釣り合いは取れている。

 そうするとアリンガムとケルステンの国際結婚ということになるだろう。前例はいくつかあるが、二国の距離はだいぶ離れている。アリンガムは大陸の西端、海に接した豊かな国だ。そこから山脈をはさんで、隣国ユルヴィルがある。大陸中央のこの広大な国は、海を求めてしばしばアリンガムをつつきに来ていたが、現在はケルステンと火花を散らすのに忙しい。ケルステンはユルヴィルのさらに東、峻険な山々の連なる厳しい土地柄だ。実りに乏しいため、鉱山と竜騎兵たちの傭兵団が国を支えていたが、近年勢力を拡大して周辺の小国を次々に呑みこみ、ついにユルヴィルに攻め込んでいる。

 ユルヴィルとケルステンの戦は現在小康を保っているが、今年はユルヴィルの貴族の子弟が多くファルネーゼに入学してきたという噂だ――避難ということだろう。

 今はアリンガムとケルステンの間に目立った問題は起きていないが、四年後にはどうだろうか。

 いや、そもそもまだ二人が交際していると決まったわけではない。ティアナは男性が苦手のはず。まだ付き合う前の段階かも。それに、マリーベルもキースに好意を寄せているようだし、そうすると三角関係ということに――などとぐるぐる考えているといつの間にか外が明るくなっていたという具合である。


 うつらうつら授業をのりこえ、放課後はイメルダの問診に向かった。この時間になるともう、かみ殺そうとしたあくびもはみ出してしまう。

「睡眠不足ですか? よくありませんね」

「すみません……つい、考えすぎてしまって……」

 まあ悩み多き年頃ですものね、とイメルダは笑って流してくれた。

「クラウディオさんが診てくれるようになったのは心強いことですね。私も安心です」

「はい。私もいろいろと話をきいていただいて、少し前向きな気持ちになれました」

「そうですね。気持ちは大事です。あなたのそれは、精神的な面からの影響が多いように思えますから」

 イメルダは心を落ち着けるというお茶の葉をわけてくれた。話を短く切り上げてもらって、アーシェは寮へと向かった。


 中庭を通り過ぎる途中、あのベンチに目をやると、キースがひとりでいるのが見えた。

(もしかして、待ち合わせかも)

 そう思って躊躇したが、見回してもまだ誰も来ないようなので、アーシェは声をかけることにした。

「兄さま」

「……アーシェ」

「まあ、いったいどうしたの? ずいぶん疲れているみたい」

 キースの顔色を見て、アーシェのもやもやした気持ちは消え去ってしまった。

「いや……、少し、考え事をしていた」

「なにか問題が?」

 キースは答えなかった。恋の悩みという雰囲気ではないが、話してくれるつもりもなさそうだ。

 アーシェは肩にかけていた鞄の中身をさぐった。


「はい、これ」

 アーシェがキースの手のひらのうえに落としたのは、昨日の残りのキャンディだ。

「甘いもの、少しは気分がほぐれるわよ」

「ああ……、ありがとう」

「どういたしまして」

 アーシェはキースの隣に腰掛けた。たぶん自分とでは、恋人同士には見えないだろうな、と思いながら。


 キースがキャンディを口に放り込む。

「実はチョコレートもあるんだけど、いかが?」

「いや、これだけで」

「そう」

 アーシェはチョコレートを自分のためにあけた。

 子どもの頃はよく一緒におやつを食べたっけ、と思い出しながら。


 ――あの日々には、もう戻れないけれど。


「ねえ、兄さま」

「なんだ?」

「これから時々、こうして放課後にもお話しませんか? 朝食の席では、ふたりだけの話はできないし、この間のように大事なことを報告しそびれてしまいそうで」

 はやくルシアの試作品ができればいいのに。そうしたら会いたいとき、すぐに連絡できるのに、とアーシェは考えた。

「ああ、それはいいな」

 チョコレートの甘い味が口の中にひろがって、なんだか安心していく。

「曜日を決めておこうか?」

 キャンディを舌でころがしながらのキースの声に、アーシェは微笑んだ。

「そうね。私はええと、問診の日をはずして……えーと……」

 考えがまとまらなくなっていく。ああ、そういえば眠かったっけ。

 手のひらがあたたかくなっていく。

「それから……けんきゅう……」

 キースはいつもアーシェに頼ってくれない。もう小さな子どもではないのに、守られるばかりで、嫌になる。

 でも、キースと一緒にいると、つい甘えてしまう。いつも優しいから。とても優しいから。

 本当は、ひとりでやっていかないといけないのに。いつかは、離れてしまうのに。

「あした……また……」


 でも、今、キースが隣にいてくれるので。

 アーシェはうとうとして、そのまま眠りに落ちてしまった。



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