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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第二章
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プレヒトの巣




「折り入って貴殿と話したいことがあるのだが」

 放課後、ヘルムートを探しあてたキースはこう持ち掛けた。約束を取り付けるだけのつもりだったが、ヘルムートは今からでもいいと言う。

「ちょっと寄るところがあるけどいいか?」

「無論だ」


 ヘルムートは学生食堂の厨房に声をかけ、なにやらずっしりとして見える革袋を軽々とかついで戻った。

 研究棟と実習棟にはさまれた並木道を歩く。そこから左手に演習場への道があるが、ヘルムートは右手に向かった。

 キースは、こちら側には行ったことがなかった。


 大きな倉庫の隣をすぎ、高くそびえる建物の前にたどり着く。

「ここは?」

「実験棟。学生はあんま来ねーかな。研究生のほうが多くてね」

 幾人かの赤いローブ姿とすれ違う。どの人物もヘルムートに頭を下げ、ヘルムートは軽く手を上げて通り過ぎた。

 階段をいくつも上がり、つきあたった壁の前で立ち止まる。

 言われるままについてきてしまったが、よかっただろうか。

 キースの視線を感じてか、ヘルムートはにやりとして言った。

「別に秘密の場所ってわけじゃない。ただちょっと危ないから鍵をかけてあるだけさ」

 ヘルムートが壁に手を付くと、魔力の光がチカリとした。それだけで扉があらわれ、音を立てて開いた。


 そこはどうやら屋上だった。ヘルムートの束ねられた赤い髪が、風にあおられて揺れる。

「ここは風通しがよくてね。借りてるんだ」

 見晴らしの良い場所だった。周囲の他の建物より高く、学院の外、工房街や商業街まで見渡せた。

 屋上の一角が区切られ、中にいくつもの岩が積み重なっている。その陰に、赤銅色の翼が広げられるのが見えた。

「よお! ただいま、プレヒト」

 駆け寄るヘルムートに答えて飛竜が鳴いた。重い石を引きずるような音だった。それだけで気圧されてしまいそうな。

 プレヒトは鎖につながれているものの、飛び立つことを抑止するだけのようで、脚を動かしてヘルムートに近づいた。

 ヘルムートがプレヒトの肩を撫でる。キースは家に預けてきた愛馬のことを思った。元気にしているだろうか、と。


「これは――飛竜の巣か」

「そ。こいつが自分で作ったのさ。オレもたまにここで寝るよ?」

 言いながら、ヘルムートは革袋から肉の塊を取り出してプレヒトに与えた。飛竜は、馬の五頭分はあろうかという大きさだ。肉も、あっという間に食いちぎっていく。

 よく見ると、赤身のまわりに粒がついている。

「それはなにをまぶしてあるのだ?」

「ああ、胡桃だよ。この匂いが飛竜は好きでね」

 アーシェの知っていたとおりだった。キースは荒地での会話を思い出しながら言った。

「ふむ。ヘルムート殿の乗騎には恩がある。いずれ一級品を贈らせてもらおう」

「はは、そりゃどうも。で、話ってのは?」

 ヘルムートは次の肉を革袋から引き出しつつ、キースをうながした。


「なぜアーシェをクラウディオに近づけようとする。目的は?」

「ああ。なに? 妬いてんの?」

「真面目な話をしている」

「だって、気になるだろ、おまえも。アーシェちゃんがあいつだけ拒否しない理由が」

「……貴殿になにか益があるか?」

 キースに背を向けたままでヘルムートは続けた。

「そりゃあ、アーシェちゃんはいい子だからな」


「貴殿がアーシェの何を知っている」

「オレは好きだよ、あの子。勇敢で行動力もある。暴れる飛竜の前に出ていくのは、なかなかできることじゃない」

 キースは押し黙った。自らの無力を思い出しながら。

「おまえらを巻き込まないように、オレはちゃんと上から見てたんだぜ?」

 ヘルムートはプレヒトの鼻の頭を撫でながら言った。プレヒトも応じるように翼を揺らしている。


「あいつ――クラウディオとは古い付き合いだが、人を寄せ付けないとこがあってね。だからまあ……少しでも振り回してくれればと思ったんだよ」

 純粋に友情から、ということだろうか。

「……ヘルムート殿がアーシェを評価していることはわかった」

「そういうこと。オレも話があるんだけどいいか?」

 ヘルムートはようやく振り返り、キースを射抜くようにまっすぐ見た。


「大公のことをいろいろ聞いて回ってるそうだな? 大公派にもうマークされてるぜ、おまえ。気をつけた方がいい」


 キースは息を呑み、一歩下がった。

「それで俺をここに?」

「そう警戒すんなって。忠告だよ、ただの」

 とてもそうとは思えなかった。キースは槍を置いてきたことを悔やんだ。

 もし手元にあったとしても、飛竜と一緒のヘルムートには一分の勝ち目もなかっただろうが。

「オレはおまえのことも気に入ってるんだぜ。ウソが下手なところとかな」





 大公が怪しい。

 キースがそう思った理由は単純だった。入学式の日、アーシェが倒れたからだ。

 キースは最後方の属性付与コースの列に並んでいて、アーシェの遠い小さな背中がふらつくのだけを訝しく見ていた。それがくずおれたので、走り寄って抱え上げた。

 近くにティアナがいた。彼女はしっかり見ていてくれた。

 救護院の搬送室にはティアナが案内してくれた。アーシェを預けた後、第一講堂に戻る道すがら、ティアナはアーシェの様子を語った。

「お話がはじまったとたん、アーシェさんは頭を両腕で抱えるようにして。真っ青になって震えて、なにか呟いてました。私はびっくりして、声をかけたのですが、返事がなくて。口をぱくぱくさせて、息ができないみたいに……そのまま力が抜けたみたいに座り込んで、後ろに倒れて。誰か男の人に触れられていたってことは、なかったです」

 そういう症状は今までなかった。尋常ではないと感じた。翌日、朝食の席でティアナに会った。アーシェは倒れた時の記憶がまったくない。そして、夜中に何度も叫び出し、怯えていたと。今は心配したマリーベルが付き添って薬を取りに行っているということだった。


 これはだめだ、と思った。


 キースは、ティアナに口止めした。倒れた時のことは思い出さぬよう、詳しく話さずにいてほしいと。

 それからキースはひそかに大公のことを調べようとした。気軽に声をかけられるような新入生仲間はなにも情報を持っていない。

 入学式を途中で抜けて話を全て聞けなかったので、内容を教えてほしい。そんな入り方で、教師陣にそれとなく探りをいれた。大公はどういう人物なのか。


 名はセザール。天の魔術師で、優秀な人物。前大公の娘マルツィアとペアだったため、結婚し大公家に婿入りした。大公の座はマルツィアが継ぎ、セザールは対として補佐を行う予定だった。

 前大公ドゥイリオは大賢者の血を引くといわれる偉大な魔術師であった。ファルネーゼの大公家は、代々その血を維持してきたのだ。

 しかし二十年前にドゥイリオが死んだ頃には、マルツィアは病を得て大公位を継ぐことが不可能になっていた。セザールとマルツィアの息子は優秀だったがまだ幼かったため、中継ぎとしてセザールが大公位を継いだ。現在は行政区で結界の維持や大気の調整をはじめ、様々な政務を行っている。

 キースに集められた情報はこんなところだった。昨日までは。



 中庭に呼び出されたキースは、思いつめた顔のティアナに会った。

「悩んだのですけど、やはりお伝えした方がいいかと思ったのです」

 ティアナは、誰にも言わないでください、と念を押して、キースに打ち明けてきた。

「ヘルムート様は、私の叔父です。アーシェには、血のつながりがあることだけ話していたのですが」

 キースは驚いた。ティアナとヘルムートに似ているところは見当たらなかったからだ。見た目も性格も。

「先日、ヘルムート様の従兄弟に心当たりがないかと聞かれて。その方のことを知りたいと思っているとアーシェは言ったのです。でも、ヘルムート様の従兄弟といえば――現大公の御子息、ジーノ様しかいらっしゃいません」

 ティアナは不安そうに言った。

「大丈夫でしょうか? アーシェは心の底で大公様をおそれているのですよね? 過去に何があったのか、私にはわかりませんが……ジーノ様に近づくことで、なにかあったら……」


 ティアナはキースよりも情報を持っていた。

 ヘルムートがマルツィアの妹イヴェッタの息子であること。

 セザールとマルツィアの息子、ジーノは事故で能力を失い、すでに廃嫡されていること。

 ジーノにかわる前大公の血を引く跡継ぎとして、ヘルムートが母の祖国であるファルネーゼへ強引に招かれたこと。

 ヘルムートは大公位を継ぐことを断り続けながらもファルネーゼにとどまっていること。


「私の知っていることはうわさ話も混じっています。不正確かもしれませんが」

「いや……、有益な話だ。ありがとう」

「いいえ、もっと早くお話すればよかったです。大公様は学院にはほとんどいらっしゃいませんし、接点が生まれることはないと思っていたので……」

 ティアナは声をひそめて言った。

「ヘルムート様が親しくしている魔術師の方が、もしかしてジーノ様なのではないですか? アーシェが最近知り合った、二十四歳の、でしょう?」




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