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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第二章
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素敵なお菓子と胸騒ぎの夕暮れ



 扉をノックしてアーシェは言った。

「こんにちは、アーシェです」

 招き入れられた部屋は前回よりだいぶ片付いていた。どうやら追い込みは終わったようだ。

「座ってくれ」

 ソファをすすめられ、アーシェは待ちきれずに聞いた。

「金時計は完成しましたか?」

「見るか?」

「もちろん!」


 腰掛けたアーシェの前に図面の写しが広げられた。

 さすがにまだ本物が完成しているというわけではないらしい。ぴかぴかの金時計の見本が出てくることを期待していたアーシェは、この恥ずかしい勘違いを気づかれぬよう、落胆を顔に出さないようにつとめた。

「昨日提出したところだが。なんとか削れた。だいぶ部品を入れ替えることになって、来年には間に合わないかもしれないが……まあどうにか形にはなった。君のおかげだ」

 なるほど、新しい部品が必要なのか。それでは早晩仕上がるはずもない。

「たいしたことはしていませんが……お役に立てたのならよかったです」

「いや、助かった。サシャナリアの十六紋を外すのは魔術師の僕では思いつかなかっただろうから。今日はゆっくりしてくれ、僕がお茶を淹れる」


 アーシェは図面を手に取ってじっくりと見てみた。細かいところはよくわからないが、どうやら天地の表示はシンプルに波形につけられる色で表現するように変更されたようだった。

 クラウディオは杖をつきつつ、器用にテーブルの上にティーセットを用意した。

「次は一時を切った後に魔力を引き出せなくするよう改良したいところだな。生命の危機に陥った時だけ制限を外せるような機構に――まだ構想の段階だが」

 もしそれができれば魔力枯れを起こす魔術師は激減することだろう。

「本当はそれを大陸中に広めたいが、まあ頻繁に魔力を使う魔術師だけでよしとすべきだな。工房の生産が追い付かない」

 言いながら、クラウディオは銀のトレイをアーシェの前に置いた。クッキー、カヌレ、チョコレート、マシュマロ、フィナンシェ、キャンディ、様々な菓子がすこしずつ、ずらりと並んでいる。

「こんなに食べきれませんが……」

「君がなにを好きか知らないから、いろいろ用意したんだ。残った分は持って帰って友人と分けるといい」

「あ、ありがとうございます」

 予想以上の歓待を受けて、アーシェは恐縮してしまった。

「こんなもので礼になるとは思っていない」

「いえ、じゅうぶんですよ?」

「走ってきてくれただろう。……気持ちがありがたかった」


 クラウディオはアーシェの隣に腰掛けた。

 ソファは横長で、人が一人ゆったりと横になって眠れそうなほどだ。実際彼はここで仮眠したりするのかもしれない。

「君の症状についてもう少し詳しく聞かせてくれ。イメルダが色々しているのは知っているが、僕も力になりたいと思う。……貴重な君のサンプルだろう?」

 腰を曲げ、クラウディオはアーシェをのぞきこむようにして言った。長い前髪の隙間から、太陽のような金の瞳が見えた。なんて、綺麗な。

「協力、していただけるのですか」

「ああ。検査記録の写しはもらってきたが、改めて状況を聞こう。今も弟といるような気分か? 圧迫感は?」

 アーシェは首を横に振った。

「呪いの気配はないようだが……」

 クラウディオの手のひらがアーシェの前髪をかきわけ、額に当てられる。アーシェはたじろいだ。倒れはしないとわかっていながら。

「ええと、あの」

「なんだ?」

「近い。近いです」

 アーシェは身を引いた。

「気分が悪く?」

「いえ……そうではないのですが」

 彼としては患者と接しているつもりなのだろうが、妙にいたたまれなかった。


「男性とこんなに近づいたことがなくて。緊張します」

「……なるほど?」


 クラウディオは納得はしていなさそうな表情ながら、距離をとってくれた。

 アーシェはチョコレートの包みを開けながら、以前イメルダにしたような話をはじめた。赤子の頃から、父の抱っこを拒否したこと。てっきり男性すべてがダメと思い込んでいた母が、遊びに来た幼いキースがアーシェをあやしているのを見て驚いたこと。使用人の子も連れてこられて、どうやら子どもは大丈夫と確認されたこと。父にキスした誕生日のこと。弟が生まれた日のこと。キースに触れられなくなった日のこと。

「それはもうがっくりしました。泣いて泣いて、頭が痛くなったくらい……私自身は本当に、キース兄さまに対して悪い感情なんて、これっぽっちも抱いていなかったんですよ。それなのに、どうしても近づけなくなって……」

「君は、いい家庭で育ったんだな」

「えっ? ええ、はい。とても! 自慢の父と母で、とってもかわいい弟です! キース兄さまのことも、実の兄のように思っています。父が留守がちになってしまったのは寂しいですが、支え合って……ああ、コリン、元気かしら!」

 また手紙を書かなければ、とアーシェは思った。ファルネーゼから手紙を送るのには、とても面倒な手続きがいるのだ。それでも、アーシェはすでに三回コリン宛の手紙を書いている。


「私、帰ってもまだコリンのことを抱きしめられる私になりたいのです。だからクラウディオ様の存在は希望です。きっと……いつかきっと、普通になれたら、と」

「普通に、か。そうだな」

 クラウディオはそう言って、手を差し出した。

「まずは握手から、慣らしてみるというのはどうだ?」

「わ、わかりました」

 アーシェはおそるおそる、その手を握った。

「君といると僕も――なんというか、落ち着くようだ。そのチョーカーのせいかな」

 クラウディオはアーシェの首元を懐かしそうに見つめながら言った。

「母がいつもつけていたんだ。僕が物心ついた頃にはもう、魔力をほとんど失っていてね」





 おみやげをどっさり持って帰る途中、アーシェは意外なものに遭遇して足を止めた。

 それは夕焼けに染まった空の下、中庭のベンチに並んで座っているカップルの後ろ姿だった。


 それ自体は特に珍しいものではない。ファルネーゼではよくあることだった。

 というのも、代々魔術師同士で血を重ねていくことで魔力容量を高めていったという背景から、魔術師は魔術師と結婚するのが普通だからだ。ファルネーゼは魔術師の子にとって最大の出会いの場であることは言うまでもなく、気になる相手がいればすぐに告白し、付き合ってみて、上手くいきそうなら婚約、卒業即結婚、という流れが多いのだとか。特に魔力波の相性がよければよいほど、話はすぐにまとまる。

 一生魔術師として仕事をしたいなら、魔術のパートナーが伴侶であることのメリットは大きい。ルシアの両親もファルネーゼで出会って婚約したとのことだった。


 そういうわけで、ファルネーゼでは恋人同士を見かけることなど日常茶飯事だ。商業街のデートスポットも充実している。

 ただアーシェが目を疑ったのは、それが両方知り合いだったからで。

 知り合いというか、従兄と親友だったので。


 若草色の髪の青年と三つ編みの少女。それは間違えようもなくキースとティアナだった。

(えっ? いつの間にふたりが親しく?)

 朝食を共にすることが多いとはいえ、キースとティアナが会話をかわすことはほとんどない。ティアナは男性が苦手だし、アーシェ以外でキースに話しかけるのはたいていがマリーベルだ。

 しかし今ふたりは確かに、親密に身を寄せてなにか話している。

(ええと、こういう時は話しかけない方がいいのよね……?)

 アーシェは小走りにその場を去った。どうしよう。たぶん、見てはいけないものを見てしまった。




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