84 違う
体に張っていた緊張による不自然な力が抜けたのか、ハーネスは空気が抜けた風船のように、ゆっくりと息を吐いた。
「それを聞けて良かった。……じゃ、美味しいものでも食べにいきますか」
「……そうですね」
ハーネスはベンチから腰を上げて、のびーっと体を伸ばす。
立ち上がるハーネスを見上げるウィズの表情は無機質であったことに、彼は気付かない。気付かないまま、ウィズの表情は融解していつものそれに戻る。
(信頼……)
ポツリとそんな言葉が脳裏に浮かんだ。ここに来て幾度もそれを提示されてきた。本当に鬱陶しいほどに投げつけられた気さえする。
ウィズにとっては外交カード。本来の目的を遂げるための避雷針にしかならない。けれどもそれを投げつけてきた彼らにとっては、例えばそれが牽制だったり、善意だったり、自らの存在や集団を守るためのもの。
(いきづらい道だ……)
ここは迫害もなければ尊厳を踏み躙られもしない。ぬるま湯が張られた窪地。しかしそれは偶然できた湯溜まりなのではなく、代々その土地の人間が努力と犠牲と時間をかけて作り上げてきた。
全ては存続のためだ。幸福は存続に繋がる。そして存続は種の最終目的であり、それこそが全ての根幹であった。
膝の上のドラゴラムが何かを察してウィズを見上げる。ウィズは表情ひとつ変えず、その葉を撫でた。
迷いがあるわけでは無いと信じたい。ただ足が止まってしまっただけで、道は一つしかない。進むしかない。立ち止まることが幸福でも、それは違う。違わないとおかしい。
「ウィズさん? どうしました?」
無表情でドラゴラムを撫でるウィズを心配して、ハーネスが語りかけた。その言葉でウィズは自身に絡み付く暗い意思から顔を上げる。
「あっいえ、この子とまた別れるとなると寂しくて」
「そ、そうですか……」
微妙な表情になるハーネスに小さく笑い返すと、膝上のドラゴラムを抱いて地面に下ろした。
(……)
ウィズは立ち上がる。そして足元のドラゴラムに別れを告げた。
「じゃ、ぜひ行きましょう。えっと、どこに行くかは分かりませんが、美味しいものがある場所に」
ドラゴラムがウィズの仕草を理解して、最後に足首にツタを絡み付かせた。それからは大人しくツタを解くと、ノソノソと林の方へ向かっていった。
その一連の光景を見ていたハーネスは少し驚いた表情でぼやく。
「『観葉魔植物』って……あんな感じでしたっけ? 僕のイメージだと、部屋の中でハエを食べたりするだけなんですけど、実際はあんな自由に歩くんですね……」
「あっ、それは多分あいつだけですよ。そこがまた愛らしいんですけど」
「愛らしい……? うーん、そうですね!」
ハーネスは投げやりのようにウィズと同調した。考えることを放棄したような態度だ。
ウィズは密かに決心する。ハーネスに魔法を教える機会がまたあれば、ちょこちょことドラゴラムの魅力を脳内に染み込ませておこう、と。
いつかはドラゴラムファンクラブを作りたい。勝手な未来を夢見るぐらいはしても良いだろう。今までもそうしてきた。
「ついてきてください、ウィズさん。東の国で好まれているという、菓子をご馳走しますよ」
「菓子……ですか? 実はケーキとかが大の苦手で……」
「そうでしたか……。しかし甘さ控えめのものとかあるので、一度口にする甲斐はあると思いますよ」
「うーん、じゃあお言葉に甘えて……」
そんな会話をしつつ、二人は屋敷へと向かっていったのだった。




