102 自堕落と冷たい月
「……?」
ウィズが口の渇きを唐突に自覚したころ。
瞳の上にかぶせていた腕をどけてみると、薄暗い部屋の天井が視界に広がった。どうやらいつの間にか寝てしまっていたようだ。部屋の暗さを見るに、もう日は落ちてしまっている。
「……」
なんとも自堕落な気分だ。不安を抱えて寝てしまったせいだろうか。否、正しくは問題を先送りにしたことか。
しかしながら、何をそこまで悲観的に捉える必要があるのだろう。ウィズが意気揚々とフィリアの護衛となって一か月が経とうとしている中、ようやく起点を掴めたと考えるべきだ。役所を爆破し、『赤髪』の痕跡を残した。それだけでも十分であると、そう甘やかしても良い。
それでも気がかりがあるというとしたら、フィリアのことだ。
『アーク家』の姉弟たちが揃ってからのことである。アルト、エルシィ、ハーネスと、『アーク家』の面々と接触する中で、フィリアだけ出会う機会が少なかった。ウィズの気のせいで済めばそれで終わりだが、そうでなかった場合もある。
屋敷から出ていたために出会わなかったという線もあったが、そうであれば馬車を使う際に廊下や庭で会ってもおかしくない。実際はそれもなかった。ともすれば、屋敷のどこかで籠っているということ。
「……」
ウィズはベッドから起き上がって、テーブルのそばまでノロノロと歩く。そしてその上にあったポッドを手に取ると、コップに水を注いだ。
(フィリアは一体何をしていた……?)
容易に思いつくのは、『怒りの森』で獲得した魔剣『フレスベルグ』の手馴しを行なっていたとかだ。けれどもあの魔剣の力を使った場合、否応なく魔力が膨らみ溢れる。
そんな魔力が発動したらウィズが気づかないはずがないものの、『東棟』内での出来事ならば別だ。あそこは魔力で隔離された閉鎖空間――恐らく、そこで発生した魔力はそう簡単には感じ取れない。
『感じ取れない』といいこと。つまりそれは彼女の行動に確証が取れないということになる。
(剣術の修行だったらそれはそれで良い。だが別の……オレにとって不都合な魔哨情報の呼び出しや解析が行われていた場合は……)
水を注ぎ終えたところでポットを置いた。指をコップにかざすと、魔力で水ごと持ち上げる。手ぐせのような感覚でふよふよ浮遊させながら、ウィズは考えた。
(……明日だ。なんとかフィリアと接触を図ろう。できればヤツが独りの時に、だ。最悪アルトやハーネスはいても良いが、エルシィがいたら即中止で……)
エルシィに関してはウィズと相性が悪いせいか、趣味や好みは似ていそうだけれどもウマが合わない。彼女と接触するのは得策ではないだろう。というか、また因縁をつけられたら面倒くさい。
その弱気は理性的か、それとも感情的な何かであるのかという二択はウィズの頭に浮かばなかった。ただただ、ウィズは胸の中で焦燥にジリジリと迫られているに過ぎない。
ウィズは目を閉じる。そして『怒りの森』で目撃したフィリアの斬撃を思い出した。
(悪性の魔粒子と善性の魔粒子の混合……。ありゃ"こっち"どころか、魔界でも類を見ねぇだろうな……)
黒と白の双翼を模したフィリアの威圧を思いながら、ウィズは小さく噴き出す。
「妬ましいことしてくれるねぇ……」
浮遊させていたコップを手に取って、ウィズは自嘲気味に笑ってみせたのだった。
「……」
それからウィズは眠る気になれず、屋敷の庭に向かった。フィリアたちに呼び出された後、部屋に戻った時に寝てしまったせいで、どうも眠気がやる気を出さない。
時刻は夜。太陽の代わりに月が輝く夜空の下で、ウィズは明かりに淡く照らされた庭のベンチに座った。いつもならドラゴラムがひょっこりと顔を出してくるのだが、それは昼に限る。
ドラゴラムは睡眠周期は三日に一度。今夜がその日で、今やドラゴラムは夢の中であった。ここで起こすのも悪い。ウィズは手持ち無沙汰にベンチの背もたれに腕をかけて、うなだれた。
冷たい夜風が貫く。昼間は十二分に暖かいのに、太陽が消えただけでこんなに温度が下がるとは。生物の輪廻の中心に立っているだけはある。
そうやって無意味に時間を潰していると、ふと暗闇の中に気配を感じてウィズは目を細めた。
ゆっくりとベンチの背もたれから体を起こして、周囲を見渡す。しかしながら人影は見えない。ウィズから身を隠しているようだ。
こんなことをしそうな人物を考えてみる。真っ先にアルトが思い浮かんだ。彼なら意味もなく思い付きで不意打ちをしかけてきてもおかしくはない印象だ。同時に、それに対して反撃しても大事にならない気もする。
けれども――ウィズはその気配の正体に気づいた際には、再びベンチにだらしなくもたれかかったのだった。そして告げる。
「珍しいですね。貴女がそんなことをするなんて」
ウィズの言葉に呼応するかのように、ウィズの前の"闇"が霧となって霧散していった。徐々に闇の中に姿を隠していたものが露わになってくる。
そして完全に見えるようになった彼女は、銀の長い髪を振るいながら、ウィズの隣に腰を下ろした。
「たまにはこういうこともしたくなるの」
彼女――フィリアは柔らかい笑みを浮かべると、ウィズの隣で月夜を見上げた。
銀色の髪が月光に撫でられて艶めく。ウィズはそれを横目で見据えていたのだった。




