執行
数年かけて姉妹はさらに三人増えて、トータルで七人の姉妹になった。仲良く遊んで食事をして、勉強して、入浴して、一緒のベッドで寝たりして。大富豪の家ではあるが変わった遊びをしたわけではなく、鬼ごっこのようなルールのある追いかけっこをしたり、アニメを見たり、クレヨンでお絵かきをしたり。特に初期の頃は親睦を深める意味で、母代わりのメイド長からおままごとの遊びを推奨され、レイが父親役で、エルゼが母親役をやることが多かった。
(姉妹たちと過ごす日々は心地よくて、どれもが宝物。お父様は教育にも惜しみない費用を投資してくれて、姉妹揃って最高の教育を受けさせてくれた)
たとえばドイツ語のほか、日本語と英語で自在にコミュニケーションを図ることができるようになった。私立の学校にも通ったが、屋敷でも家庭教師が付いて指導してくれた。
(とまあ、ここまではただの幸運な少女の物語ですけど、これで終わるほど甘い世の中ではないですよね)
そう。
一般市民には決して叶わない幸福を授かる代償として、彼女らには三年ほど前に“裏の顔”が与えられたのだ。
(スパイチーム――《楔-kusabi-》という顔を)
日本を好むフォーゲル氏が名付け親のチーム。“分断を図る”、“小さな力で大きな結果を生む”の意味が込められているそうだ。
(お父様はグループの障壁となる世界の経営者や政治家の弱みを握り、機密情報を盗み、時には暗殺してまで成果を上げる恐ろしい一面があった)
そうしてスパイとしてのキャリアを順調に積んでいた先日のこと。
「次の標的は――《加速する科学の不夜城》だ」
フォーゲル氏ら上層部の指示を仰ぎ、そしてチームの指揮を務める序列1位の三女・レイから伝えられた任務。
結果的に失敗したわけだ。
刑の執行まで拘置所で待機することになり、そして今に至る。
エルゼは抱える膝をぎゅっと抱き寄せた。まるで小さい子供が母親にすがるような力で。
いつ刑が執行されるかは伝えられない。自殺を防ぐためだ。
仲間の助けの気配もない。狭い独房の中で、隣り合わせの死の恐怖が彼女の心を蝕んでいた。
(共犯が捕まらない限り執行されることはないと弁護士は言ってたけど……)
未成年が死刑囚になっている事実がありえないので、弁護士の言葉に説得力はなかった。
「――エルゼ・フォーゲル。出なさい」
“儀式”の開始は前触れもなく訪れる。
「……?」
刑務官が柵の前に立っていた。それも、五名。
エルゼの背中に冷たいものが流れた。
教誨師と面会する、外で運動する時など、独房の外に出る時に刑務官に呼ばれることは日々経験している。時刻が決まっているのだが、今はその決まった時刻から五時間も前で、朝早い。
(まさか)
黒目が白目の中をふらふら泳ぐ。血圧が落ちる。それでもエルゼは抵抗せず、刑務官たちに黙って付いていかざるをえない。
冷たい廊下を歩き、刑務官が扉を開けると、ゆったりした黒いガウンを身に纏う、よく知った教誨師がエルゼを出迎えた。
「うそ……」
察した。
察して。
「これから刑を執行する」
刑務官が伝えた。
十畳ほどの密室の教誨室にて。
椅子に座り、テーブルを隔てた対面で教誨師から話があったが、一言も頭に入らない。横には金ぴかに輝く仏壇があった。これから命を引き換えに罪を償う自分のためのもののようで、その存在が怖かった。饅頭など甘い和菓子を差し出してくれたが、甘いものが大好きのエルゼでもそれを口に入れる気が起きず、一口たりとも手が付けられなかった。遺言を書く時間が与えられたが、何も書けなかった。そして最後は何かを祈らされた。
前室と呼ばれる、執行室の手前の部屋に連れていかれた。初老の拘置所長の男が待機していた。書類を手に、街の公安組織の長の命令で刑が執行されることを正式に読み上げられる。国の法務大臣ではなく、最終権限はあくまで街の公安にある。
エルゼの顔に血の気はなかった。
相手を騙すための狡猾な演技は得意だが、この顔色と生気の抜けた表情は決して演技ではない。
少女は絶望に染まっていた。
そして三人の刑務官がエルゼを囲み、手錠をかけ、目隠しを施し、身体をロープで拘束しようとする。
「いやぁぁ!!」
エルゼはボブの髪を振りまき、精一杯に身をよじって抵抗した。
落ち着きなさい! 痛みはない! すぐ楽になる! 刑務官はエルゼを抑える。
「離して! 触るな! 死にたくない! 死にたくない!!」
甲高い悲鳴が部屋に響き渡った。
「気持ちはわかるが、これは君が向き合わなければ――……」
拘置所長が諭すように告げた、その時のことだった。
「刑の執行、待ってほしい」
聞いたことのない男の声が割り込んだのだ。刑務官がピタリと手を止める。
「あ、あなたは……なぜ、ここに?」
「彼女の拘束を解いてやってくれないか」
「は、はい!」
手錠、そして目隠しが外される。
目に光の戻ったエルゼの目線に立っていたのは、三十代だろうか、整えた口ひげと顎ひげを生やした、キリッと顔立ちの整った黒スーツの男だ。肌の皺などは三十代のようだが、その貫禄には四十代、もしくは五十代とも思わせるような佇まいがある。
「私が執行命令を出した手前で申し訳ないが、撤回する。エルゼ・フォーゲルの刑の執行は――先延ばしだ」
男は拘置所長に告げると、冷や汗で頬と髪を濡らし、生来の赤い瞳を見開きながら呼吸を荒げるエルゼに、
「私に付いてきなさい」
そして連れられてきたのはテーブルと四つの椅子のみの、控室のような簡素な部屋だった。ビルのネオンの輝きが窓から差し込み、室内の唯一の光源になっている。
「さて、刑の停止の理由から――……」
男は振り返ったタイミングで言葉を切った。
「うああああああああああああああっ!!」
まるで赤子のように泣き喚いたのはエルゼ。椅子に座ることはなく床にぺたんと尻を付け、手で拭っては溢れ出る涙をボロボロと流す。
「ああああああぅ! うぁあああああああ!」
母親に捨てられた日も、任務で失敗した日もこんなに泣いたことはなかった。身体の底から震えが止まらなくて、溢れ出る恐怖が絶叫のような嗚咽に変わって泣きじゃくる。もはや涙を拭うことすらせず、頬に伝う生温かい涙を無機質な床にこぼしていた。
「――――」
男は膝を折ると、エルゼを見据えて、彼女の顎を右手で掬い上げ、
「今の君が味わうその感情こそが“死の恐怖”だ。わかったか? 君は今まで何人の人間を殺してきた? 覚えているか? 中には正当な努力を得て富を勝ち取ったような、罪のない者もいたはずだ」
「いやぁあ!」
「刑が確定してからの君を観察してきた。反省の色はまるでなかった。あるのは自分は悪くないという態度と、仲間の助けを待つ哀れな姿だけ。だが、これで理解できたはずだ。人を殺めてはならない理由が」
「うるさい!!」
声を荒げて男の手を振りほどき、エルゼは嗚咽を上げ、わんわん泣き続ける。
「君が落ち着いた頃にまた来る」
そう言って男は部屋を出た。




