228話 河原での救出劇
「帰途の折は、ぜひお寄りください」
オルトナが見送りの挨拶を述べ、居並ぶ使用人たちは満面の笑みを浮かべている。
ティナメリルさんは静かに微笑み、馬車の中に身を沈めた。
「お世話になりました」
外套に身を包んだ俺は、一礼をして馬車に乗り込んだ。深々と頭を下げる彼らに手を振りつつ、護衛二騎を従えて館をあとにした。
朝の冷気が頬に残るが、六月の陽はすでに強く、車窓を黄金色に染めていた。
ティナメリルさんは両手を重ねて腿の上に置き、静かに外を眺めている。凛として落ち着いている所作は、時間の流れをまったく感じさせない。
彼女の横顔から、悠久の時を刻んでいるエルフであることを思い出す。数百年前と同じ姿を見ているのだと思うと、なんだか感慨深い。
「お酒、おいしかったですか?」
「そうね」
素っ気なく答える彼女。他人の葡萄酒のボトル二本空けといてこれである。
「似合っているわよ」
「ども」
かくいう俺も、オルトナから紺の外套をいただいた。
侯爵の命だそうで、左胸にフランタン領の紋章が刺繍されている。派手さはなく、ビジネス用のサマーコートといった趣だ。客人用なのだろう。
登城のときに着用するらしいが、せっかくなのでそのまま着ることにした。ティナメリルさんにお褒めいただいたことだしな。
馬車が街道を進む。
「商隊、六台、左に寄せろ」
前衛のネルソンが、御者のガービルに注意を促す。後衛のムルックが後方を確認して馬車の動きに合わせる。
この三人の領兵が、護衛として旅行に同行する。
ネルソンは三十代、小隊の副隊長だそうだ。ガービルとムルックは二十代後半、真面目そうな青年である。
三人とも王都への護衛経験があり、行程もすべて把握しているそうだ。
全員、俺が馬車に弱いことを聞いていて、ガービルからは「止めてほしいときは馬車を叩いて知らせてくれ」と言われている。
もはや至れり尽くせり、何の問題もないはずだった。
しかし、その淡い期待は三日目に裏切られた。
フランタン領の境にある山越えルート、この峠道が曲者だった。
急カーブが続き、対向馬車があると停車を強いられる。揺れが尋常ではない。狭い山道に休憩場所はなく、とにかく越えるしかない。
「あと二十分かかります」
馬車を叩いて返ってきた返事がこれだ。世界がひっくり返るような絶望に襲われる。
頭痛がさらにひどくなり、こめかみを押さえて堪える。
「あなた、大丈夫?」
心配するティナメリルさんに小さく頷く。笑って返すが目は涙目である。
山頂を越えた下り坂、馬車の速度が勝手に上がる。速度を抑える操縦が加わり、前後の揺れが激しさを増した。
足を踏ん張り、両膝を握る手に力がこもる。口の中にジュワっとした唾液が満ち、もはや猶予がないことを悟った。
「『止めて』とお願いして!」
ティナメリルさんの膝をつつき、掠れる声で頼んだ。
馬車が止まった瞬間、扉を開けて飛び出した。驚いたネルソンとムルックが近くに寄る。
「つ……次の休憩場所まで歩くから。先行っててくれる?」
「えっ?」
後から馬車が近づくのが見えた。止まっていると邪魔になる。
「大丈夫だから。先行ってて」
言葉少なに告げてその場にへたり込んだ。
俺の様を見て、ムルックが「私が残ります」と申し出た。しかし手を振って拒否し、「早く行って」と追い払うように手を振った。
ショルダーバッグから水を取り出すと、口をゆすいでペッと吐いた。
「ホント大丈夫だから」
「……では、橋の手前の休憩場でお待ちします」
「申し訳ない」
ネルソンはガービルに指示を出すと、馬車は俺を残して山道を下っていった。
「はぁぁあああああああああ~~」
深いため息を吐いて伸びをする。
「ありゃ無理だわ!」
独り言を吐き捨てた。
峠を下ると、大きな河が見えてきた。流れは緩やかで、水面は澄んだ淡い緑色をしている。
街道を進むと橋が見え、そのたもとに河原が広がっている。そこに一台の馬車が止まっていた。
「お待たせしてすみません」
息を切らして追いついた。
休憩していたネルソンたちは「あれ?」という表情で空を見上げ、お日様の位置を確認する。
「……意外と早かったですね」
「少し走りましたから」
三人は互いに見合い、「いや、それでも早いよな?」と言いたげな顔をしていた。
俺は馬車と別れたあとしばらく歩き、体調を回復させてからエルフの身体強化術を発動させた。
曲がり角を《跳躍》でショートカットし、下り坂を《俊足》で駆け下りる。まさにハリウッド映画のスーパーヒーローさながらの動き。抜き去る俺を目にした旅人たちはポカンとしていた。
「まだ時間はあるのでゆっくりしていいですよ」
ネルソンの気遣いに、たばこを一服する。
ティナメリルさんは木陰のベンチで河原を眺めていた。
「何か見えます?」
「ん? ん~」
彼女は振り返り、俺を一瞥するとすぐ川のほうに目を向けた。
素っ気ない態度だが、ふっと表情が緩むのを見逃さなかった。そのかすかな反応に、彼女の優しさが垣間見えて嬉しかった。
河原では、若い冒険者らしい四人組がかまどを囲み、楽し気に食事をしている。
古びた桟橋、橋のたもとには小屋、外には朽ちた筏が数隻が転がっている。かつては筏で渡っていたのだろうと想像ついた。
「ティナメリルさん、昔はあれで渡ってました?」
「ここに限らず大きな川にはほとんど橋はなかったわよ」
かなり立派な木造桁橋である。日本の時代劇に出てきそうな情景じゃないかな。
そろそろ出立……と、携帯灰皿に吸い殻をしまったそのとき、遠くから低い唸り声が聞こえた。
最初は風かなと思った。しかし冒険者たちも街道の先を見やり、ネルソンたちの会話も止んだ。
「聞こえました?」
「ええ」
ティナメリルさんがゆっくりと立ち上がる。
橋の先は、向かって右に緩やかに曲がるカーブになっていて、低い丘越えなので先が見えなかった。
「様子を見てくる」
ネルソンが偵察役を買い、ガービルとムルックに出立の準備をさせる。
彼が馬を出そうとしたそのとき、丘を越えて一台の馬車が猛スピードで突っ走ってきた。
俺たちが乗っているのと同じ貴族用の馬車だ。だがすぐに違和感に気づいた。
御者がいない。
狂ったように走る二頭の馬、制御を失った馬車は下りのコーナーへ突っ込む。どうみても曲がり切れない。
案の定、車輪が欄干にガンとぶつかった。
激しい激突に右後輪が脱落し、よれた右の馬が欄干を越えて川に落ちる。
左の馬も続いて落下すると、欄干が支点となり、車体が背負い投げのように宙に舞い、川に没した。
まるでスローモーションのように思えたが、実際はほんの数秒だった。
ほどなく護衛らしき二騎が遅れて駆けてきた。
落下した馬車を見て躊躇なく飛び込むと、二人のドレス姿の女性を抱えて水面に現れた。
ネルソンたちは川岸へ駆け寄り、冒険者たちも救助の手を差し伸べる。
「おおー!」
旅人や行商人などが遠巻きに見物しており、救出の様子に感嘆の声を上げた。
「お嬢様! ジェシカお嬢様ッ!!」
「奥様! 返事をしてください! 奥様ぁ!!」
柔らかい草地に寝かせた女性に護衛が声をかける。しかし……反応がない。
悲嘆にくれる護衛の二人。
ネルソンたちも冒険者たちも、なすすべがなく立ち尽くしていた。
皆の目が、横たわる女性に向いていた。そのため、誰も、冒険者たちの後ろから現れた人物に気づかなかった。
白い衣服を着た聖職者、顔を布で隠し、目だけしか見えない人物。そう、ランマルに変装した俺である。
「どいて」
「せ……え?」
冒険者たちが慌てて後ろを見る。だがあるのは川だけだ。四人とも「どこから来たのかわからない」といった顔をしている。ネルソンたちもびっくりして固まった。
護衛に「見ていいか?」と聞くが、俺を凝視するだけで返事がない。放心状態といったところか……。
気にせず勝手にみることにする。そのための聖職者姿だ。
まず若いほうの女性の胸におでこを近づけてヒールを試みる。だがすぐに魔法が消えた。
あれ? ヒールができない!?
彼女の鼻に手をかざす……息をしていない。死んでいる相手にはヒールが効かないが、そういうことか?
改めて彼女を確認する。
頭から血を流しているが、首などは折れていない。腕や足の骨折もみられない。となると――
溺れたのか。
ふーむ、呼吸が止まっていると治癒魔法が効かないのか……などと考えている余裕はない。
彼女の横に跪く。
胸の真ん中に左手の付け根を置き、右手で包むように組む。数を数えながら胸骨圧迫を開始する。
「一、二、三……」
まさかここで、高校のときにやらされた救命救急講習が役に立つとは思わなかった。
胸骨圧迫の最中、AED(除細動器)のことが頭に浮かび、すぐに雷の魔法と結びついた。電気ショックなら同じだろう。
五回ほど胸骨圧迫をしたのち、両手をグーにして雷の魔法を発動する。
《詠唱、弱雷》
左こぶしを右胸の上、右こぶしを左胸の下に、軽くトンと当てる。彼女の身体がバクンと反応した。
俺の身体が帯電している間にもう一回、さらにもう一回、と感電させた。
様子を見る…………が、蘇生しない。
もう一度胸骨圧迫から繰り返し、再び電気ショックを試みた。
「…………ガハッ、ゲッ、ゴホッ」
咳とともに彼女が息を吹き返した。
いよっしゃああああ! 蘇生成功だ!!
ふうーと大きく息を吐き、安堵が胸を満たす。
間髪容れずに夫人の状態を確認する。が、やはり溺れたようで息をしていない。
急いで胸骨圧迫、雷の魔法による電気ショックを試みた。
しかし救出からすでに十分は経過していたせいか、なかなか蘇生しない。四回目の胸骨圧迫、そして雷の魔法……これでダメならもう無理かもしれない。
諦めかけたそのとき、
「…………ブハッ、ガッ、ゴホゴホ」
水を吐き出す夫人、慌てて顔を横に向ける。
彼女の蘇生は、経過時間から考えてかなり運がよかったというしかない。水温が低かったのかもしれないな。
《詠唱、大ヒール》
二人に治癒魔法を施す。
落下時に食らった打撲や裂傷はもちろん、胸骨圧迫によるダメージや、水を飲んだことによる肺水腫、心臓停止による脳障害もすべて回復した。
「もう大丈夫です」
護衛の二人は膝をついて嗚咽を漏らしていた。




