227話 王都へ向けて出立
六月二十一日。王都に向けて出立する日。
「晴れた――――ッ!!」
東の空にお日様が昇るのを目にして思わずガッツポーズ。
昨日、あれほど吹き荒れた風は夜半には止み、空に星が瞬くのが見えたときは心底安堵した。
「うーん」
ベッドで眠るリリーとキャロル。
二人の寝息が静かに重なり、掛け布に浮かび上がる輪郭が、昨夜の熱を思わせた。
心地よさそうな寝息にリリーの寝返りの声が混じる。
「リリー、キャロル、二人とも起きて」
「ん、ん~」「んあ?」
キャロルが目をこすりながらベッドを降り、リリーは掛け布で胸元を押さえて起き上がる。
「瑞樹さん、今日はどうされるんです?」
「出立は昼過ぎの予定だから、昼まではギルドにいるよ」
一人でいるより、職場の皆といたほうが落ち着く。嵐のあとだし、何か気がかりな情報があるかもしれない。
二人を朝風呂に向かわせ、自分も着替えて出社した。
時刻は13時過ぎ。
広場には多くの見物人が集まっていた。
このひと月で『ギルド職員が国王陛下に謁見する』『エルフの副ギルド長が同行する』という噂が広まってしまったせいだ。
店のフロアには職員が集まり、俺やティナメリルさんと軽い雑談を交わしながら出立の時を待っていた。
「まもなく馬車が到着します」
玄関扉が開いて防衛隊員が告げた。胸がキュッと締まり、深く息を吸った。
皆から「無事に帰ってこいよ」との声が飛ぶ。リリーとキャロル、ラーナさんと順に抱き合って外に出る。
ティナメリルさんは、ギルド長と一言交わすと小さく頷いていた。
大通りから、車輪が石畳を刻む低い音が響き、やがて護衛の領兵二騎を従えた馬車が姿を現した。
ざわめきが止み、馬車がギルド前に停まった。
「御手洗瑞樹殿、ティナメリル殿はおられるか?」
護衛の一人が馬上から尋ねる。
「あ、はい」
俺が返事すると、彼はティナメリルさんを見て一瞬動揺した。
「荷物は?」
「あ、これだけです」
革製のトランクを掲げ、肩掛けのショルダーバッグと腰のウエストポーチを手で示す。ティナメリルさんは小さなかばんだけ。
護衛は荷物の少なさに目を細めた。領主の場合はさぞかし多いのだろうと想像できた。
「それでは行ってきます」
皆の視線を浴びながら、ティアラ冒険者ギルドをあとにした。
好天に恵まれて、まずは一安心。
車窓を流れる景色には昨日の嵐の余韻が残っていて、折れた枝や倒れた草が目に留まる。
空気は冷たく、馬の蹄が湿った地面の匂いを運んでくる。
車輪が轍を刻むたびに低い振動が車体を揺らす。これが俺の難敵、車酔いの原因だ。
同乗のティナメリルさんにみっともないところは見せたくない。なんとか六日間、耐えないとな。
彼女の瞳は窓の外、遠くを見つめて憂いた表情を見せている。市街へ出ることにやはり不安があるのだろうか。
気の利いた言葉でもかけようとしたが何も浮かばない。しばらく沈黙が続いた。
「……瑞樹、それには何が入っているの?」
「えっ?」
彼女の視線がショルダーバッグを指す。
「あ、えーっとですね……ペットボトルの水とタオル、ドライフルーツ、あと変装セットです」
「使うの?」
「万一の不測の事態に備えて持ってきただけです。なんかあったら困るので」
「そう」
彼女は興味の薄い返事をすると、また窓の外へ視線を戻した。素っ気なさはいつもの感じだが、念のために聞いておこう。
「……やっぱマズいですかね?」
「えっ?」
「いやだって、呼び出された最大の原因がコレですし……」
少し動悸が早くなるのを感じた。
「……必要だと思ったのでしょ?」
「ええ。まあ」
「ならいいじゃない」
ふっと笑みを浮かべる彼女に肩の力が抜けた。
正直、聖職者の衣装は捨ててしまおうかとも思っていた。国王陛下の耳にまで届いたというのは、さすがに事が大きくなり過ぎた感がある。
だが結局、捨てられなかった。
見知らぬ町で一ヶ月も過ごすのだから、不測の事態に備える必要がある。正体を隠して活動するにはやはり便利なのだ。
性格上、捨ててもまた教会から拝借する気がする。まあいいかげん、自前の変装セットは作るべきだろう。
「ティナメリルさんはそれだけ?」
「二人に下着は持っていくように言われたのよね。あとは寝間着も」
彼女は少し肩をすくめ、めんどくさそうにため息を漏らした。その飄々とした態度に意外な一面を見た気がする。
「ホントに手ぶらで行く気だったんですね」
ふっと鼻先から息が漏れると、彼女は一瞥してまた窓の外を見た。
西の空が朱色に染まる頃、侯爵の館に到着した。
馬車が正面玄関に横付けされると、出迎えに筆頭執事のオルトナの顔が見えた。
先に降り、続いてティナメリルさんの手を取る。
「お待ちしておりました、瑞樹様、ティナメリル様」
オルトナは穏やかに一礼した。使用人たちも一斉に頭を下げる。
「お久しぶりです、オルトナさん」
「お世話になります」
ティナメリルさんは柔らかな笑みを浮かべ、並ぶ使用人たちを一瞥した。
透き通るような白い肌、碧玉色の瞳 、そして人とは違う長い耳――初めて目にするエルフの姿に、場の空気が一瞬固まった。
「それだけでございますか?」
ティナメリルさんの荷物の少なさに、オルトナは驚いた。
普通、ご婦人の旅行となると、さぞかし大量の荷物なのだろうと俺でも想像できる。使用人たちも互いに目を合わせ、することがないことに戸惑った。
部屋に案内されると、腰を下ろす間もなく扉がノックされた。
「食事の用意ができました」
若い執事の声に廊下に出る。隣の部屋からティナメリルさんも顔を出し、二人で執事のあとに続く。
食事室の扉の前に立つバトラーは満面の笑みで迎え、白手袋の指先が真鍮のノブに触れる。
扉が内側へと滑るように開くと、銀の燭台の光が目に飛び込んできた。
長机に高背の椅子が整然と並び、灯りの揺らぎが肖像画を揺らす。数名の給仕とメイドが姿勢を正している。さすが侯爵家である。
俺は先月も来たから知っていたんだけど、初めて目にするティナメリルさんは驚くかと期待した。だがまったく表情が変わらない。
ほんっと、あなたには感動するということはないのかねぇ。
気位の高そうな態度に苦笑いを堪えつつ、席に案内された。
食器が目に入ると、すぐに前回と違うことに気がついた。俺とティナメリルさんの二人分しか並んでいない。
「私たち二人だけ?」
「はい。侯爵様はご家族で王都に行っておられます」
バトラーが椅子を引きながら答えた。
侯爵が王都に行っていることは知っているが、家族同伴だとは知らなかった。
オルトナがすぐにやってきた。
「六月から社交界が本格的に始まるのです」
「社交界……あのダンスとかするやつ?」
「はい」
社交界は貴族にとっての一大行事。
舞踏会、夜会、サロン、食事会だけでなく、乗馬、観劇、狩りなど行われる。連日連夜行われ、情報収集や文化・芸術の話に花を咲かせる。若者のデビュタントに始まり、婚約者探しをする重要な場でもある。
あれだな、王子が悪役令嬢に「婚約を破棄する」と告げるやつだ。
バトラーが葡萄酒を運んできた。
栓を抜く彼に、俺は小さく手招きして耳打ちする。
「彼女……飲むの早いから」
「承知しました」
バトラーは小さく頷いた。
二人同時にグラスを持ち上げ、乾杯する。
一口含むと、酒が苦手な俺でもわかる上品な味わいが口に広がった。
これはティナメリルさん、いくかな? と目を向ける。
彼女は茎を指で挟み、香りを確かめてグラスの縁に口をつけた。
宗教画を思わせる美しい姿に見惚れていると、グラスを傾ける角度がどんどん増し、葡萄酒は滑るように喉へ流れ込んでいった。
飲み干すと満足そうに頬を緩め、プレートに指を乗せて軽く押した。
無言で注ぎ足すバトラー、グラスの液体はまたすぐ胸の奥に消えていった。
「ぐふっ」
笑いを堪えることができずに吹き出してしまった。
彼女の呑ん兵衛っぷりを知っているとはいえ、こうも遠慮なくグラスを空ける姿はやはり面白い。
結局、俺はグラス半分、彼女はボトル二本を空けて食事は終わった。




