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第二章

「ウィシュナは悪魔に魅入られたんだ、絶対そうだよ」

「あの子、変わってたものね」

「ていうか夜に出歩くとか馬鹿じゃん?」

 学友達の噂話を耳にして、ティアロは眉をひそめた。数日前からその話題で持ちきりだ。十日ほど前からウィシュナが行方不明となり、ほどなくして学生街の裏路地で血溜まりが発見されたのは記憶に新しい。傍にはウィシュナの愛用していたポーチが落ちていたという。それはティアロも確認したから間違いはなかった。

 彼女と仲の良かったティアロは何度か警備隊に呼び出されたが、特に話すことはなかったためすぐに解放された。ウィシュナが夜に出歩く動機など、むしろティアロが聞きたいくらいだった。

 通り魔が殺して連れ去ったのだと警備隊は躍起になって犯人を捜していたが、成果は悲しいほどに上がっていない。学校でも夜道の独り歩きは避けるように、とのお達しがあったが、言われずともそんな人間は居ないだろう。ただ一人、ティアロを除いて。

 迎えの馬車が来る前に学校を出て、そびえ立つ教会の影を背負いながら歩く。

 鮮やかな夕陽が金髪を赤く染め上げる。ティアロの制服に気づいた人々が、慌てた様子で道を譲った。

 貴族の子弟が集まる名門。華やかな学園。――そんなイメージは全て、偽りの仮面に過ぎない。常に誰かの隙を狙い、足を引っ張り、弱者を潰し、強者には擦り寄る。時機が来ればその強者すら踏み台にするのだ。更なる高みへと家を導くため、より高貴な身分の人の目に留まるように。

 ウィシュナは決して学校に馴染んでいるとは言えなかった。いつもどこか申し訳無さそうな顔をして、自分からはあまり話さず、必要以上に他人と接しようとしない。孤立するのに時間はかからなかった。言ってみれば空気のような子だったのだ。あまりに存在感が薄すぎて、誰も彼女を潰そうなどとは考えなかった。

 地方領主の娘というのもこの学院では取り立てて珍しい身分ではなく、むしろ低い方だと言えた。それも標的にならなかった理由かもしれない。

「ここね……」

 事件があったという裏路地にやって来た。血溜まりの痕跡が生々しくティアロを見上げている。怖くないと言えば嘘になるが、それ以上に憤りが強かった。

 学院での潰し合いにうんざりし出した頃、ウィシュナと出会った。自分にとって彼女の優しさがどれ程救いとなっていたか、ウィシュナは知っていただろうか。周りは「ミンセット家の娘がどうして」と噂したが、そんなの全て無視した。

 そのウィシュナが、こんな寂しく暗い場所で、誰かに殺された。それなのに彼女の父親は、事務的な処理のために、と人を一人寄越しただけで、王都には来なかった。母親は彼女が物心つく前に他界し、二人っきりの家族だったと聞く。たった一人の肉親が無残な最期を遂げたのに、その対応はあんまりではないか。犯人に対して以上に怒りが込み上げる。

 ウィシュナを殺した人物を見つけたい。そして、そいつを彼女の父親の前に突き出す。

 ティアロは「二人」に向かってこう言うのだ――ウィシュナに謝れ、と。

 ティアロは唇を噛み締め、血の跡を辿った。路地の入り口まで這ってきたようで、細く長い線が続いている。まるでどこか違う世界へと誘われているようだ。

 少し進んだところで、ティアロは足を止める。耐え難い程の腐臭が鼻をついた。

「……もしかして、ウィシュナの?」

 この辺りは警備隊が丹念に調べたはずだが……ティアロは鼻をつまんで行く。やがて血の道は途切れた。ちょっとした広場になっている場所に辿りついたが、あの路地がこんな場所につながっていたとは知らなかった。広場と言うより、ゴミ捨て場か。残骸の山がそこかしこに築かれている。出入り口は今来た道だけのようだ。

 ティアロの足元には大きな血の跡があり、ここで刺されたか切られたか――とにかく傷つけられたのだろうと容易に想像がつく。

 ここまで来ておいて、さすがに気味が悪くなって引き返そうかと足を動かしたとき、

「こんな場所で学生さんと会うなんて。よく近づく気になるわね」

 いまだかつて聞いたことのない、不気味な声。声というか、音のようだった。

 ゴミ山に埋もれるようにして、誰かが座り込んでいる。背格好から恐らく女性だろうと思われるが、頭から足先まですっぽりと黒いローブで覆われてしまっているので確証はない。ゴミとの境界線が非常に曖昧で、声を発さなければ人間が居るなどとは思わなかっただろう。

 腐臭は強烈に漂ってくる。耐え難いほどに。加えて、うるさく飛び回るハエや這い回るアレの存在に、これ以上近づく気にはなれない。

「あの、あなたは……」

 失礼は承知で、鼻を塞いだまま尋ねてみた。あの人はこんな場所に居て平然としているが、鼻は機能しているのだろうか。そもそも考える力は健在なのだろうか? いらぬ心配が脳裏をかすめる。

「怪しいと思うけど、別に怪しい者じゃないわ」

 なんとなく矛盾した答えが返ってきた。所業や見た目が普通ではない、ということは自覚済みらしい。目深に被ったフードを取るだけでも随分と印象が変わりそうだが……風が吹くたびに強く押さえつけているのを見ると、素顔を晒す気は微塵もないようだ。この時袖から覗いた腕は異常なまでに細く、白い。

「何をしてるんですか?」

「別に何もしてないわ。ここが落ち着くから、ただ居るだけ。それともダンスでもしているようにでも見えた?」

 ひしゃげた笑い声が零れる。

 ――こんな場所で落ち着けるなんて、信じられない。ティアロは顔をしかめて、言葉に代えた。女はそんなティアロを見てより一層唇を持ち上げた。本気なのか、からかっているのか、判断に困る。

 沈黙を埋めるように風が吹く。あの臭いが鼻腔を刺した。

「この臭いって、何なんですか。腐ったような……」

「生ゴミもあるから腐ったんじゃないかしら。残念ながら女の子の死体は埋まってないわ」

 ティアロの考えを見透かすように女が苦笑した。

「そう、ですよね」

 ふぅ、と張り詰めた糸のような緊張感を息と共に吐き出した。その瞬間、「お嬢様……ティアロ様ー!」と自分を呼ぶ声が耳に届いた。あの声は世話役のジースだ。過保護な男で、何かとティアロの行動に口を挟んでくる。だからこそこうして黙って学校を出てきたのだが、結構早くに追いつかれてしまったようだ。

「あなたのこと? 早く行ってあげなさい」

 声に反応するティアロを見て、女が言った。

「そうですね。もう、あんな大声で恥ずかしいったらないわ」

 踵を返そうとして、ティアロは唐突に女に尋ねた。

「お名前は? 私はティアロ=ミンセット」

 ミンセット家といえばこの辺りでは有名な貴族だが、女はそんなことを気にする風もなく簡潔に、

「マチルディア」

 とだけ答えた。




 誰も居なくなったゴミ捨て場で、鬱陶しいハエを払い除けながらごちる。歯の奥にはさまってなかなか取れないものを気にしながら。

「ティアロ、か……」

 手近のゴミに手を突っ込んで、細切れになった紙切れを取り出す。最終的には数枚の紙片が見つかった。ゴミの中から何かを探し出すのは得意だ。それはマチルディアにとって生きるための技術だった。

「これを作った人は、気が動転してたのかしらね」

 奥深くに仕舞い込んでしまえば、風で飛んでいくことはなく、ずっとそこに存在することになる。

 ここで起こった凄惨な事件……それを迷宮から掬い出す手がかり。この紙切れはそういうものだった。

 しかし、こんな屑のような紙、凶器探しに躍起になっていた警備隊の目には留まらなかったのだろう。その前に犯人も愚かだ。紙切れなど持ち帰って燃やしてしまえば完全に残らないだろうに。よほど頭の回転が悪いのか、見つからない自信でもあったのか。恐らく前者だろう。

「さて、どうしようかしら……」

 紙片を丁寧に並べて、その文面に目を落とす。最後にこうサインしてあった。

 ――ティアロ、と。

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