Run――実行①
新章です。
男子寮に戻ると、なぜかぼくの部屋の前に人だかりができていた。それも数人なんかじゃなくて、食堂に行っていなかった新入生男子が、特進も普通も特殊もなく、ほぼ全員が集まってしまっているかのような、そんな規模で。
「……おまえ、何かしたのか?」
「知らないよ」
「イツキ、何かさっきから不機嫌になってねー? どうかしたか?」
そんなつもりはなかったけど、どうやらそうらしい。リサの言葉が耳について離れない。
あの言葉を彼女が口にするまで、ぼくはリアとリサを明確に分けられていなかった。それがどれだけ失礼なことだったかを考えると、自分に対して腹が立つ。
でも、それをマサトにぶつけるのは筋違いだ。
「何でもないって。それよりホントに何だコレ? 自分の部屋に戻れないぞ」
まるで祭りで御輿を担ぐかのように、ぼくの部屋のドアを中心にして半円形に男子生徒がひしめき合っている。
「ごめん、ちょっと通して」
「イテ、足踏むなよっ」
むさ苦しい肉の壁にムリヤリ分け入って半分まで進んだところで、ぼくは聞き慣れた声を聞いてしまった。
「おーい、イーツーキーくーん! まだ戻ってなーいのー?」
女の声。それも、こんな集団に囲まれてもまるで動じた様子もなく。次いでドアを拳でゴンゴン叩く音が響いてきた。
「はーやーくしないとセンセーに見つかっちゃうじゃーん! あーけーてーよー!」
ちなみに、男子寮は女人禁制だ。その逆もだが。
「大丈夫っす! 先輩のことはおれたちが守るっす! 先生が来たら自分たちが壁になりますんで、窓から逃げちゃってください! あ、自分は柏木と――」
「あ~い、りょーかいりょーかい。スケープゴートよろしくねっ。新入生くん」
どっと湧くバカ集団。「美しい」だの「可憐だ」だの「好きだ」とか、どさくさに紛れて告白までしてるやつもいる。
新興宗教のようで、若干気持ち悪い。
「いや、自分の名前は柏――」
「何よー、ほんとにまだ帰ってないのー? いつまでメシ食ってんのよー! 男ならガツっと食べてズバッと戻ってきたらいいのにね?」
「ですよね! あ、自分は柏――」
「あーもう。どうしよ」
ドアを蹴り出す声の主。しかも、わりと重い音がしている。なかなかの足癖だ。木曜深夜の出来事を思い出して、側頭部が痛くなってくる。
「……出直すのめんどくさいから、みんなもうちょっとだけ匿ってもらってもいい? もうすぐ戻ると思うのよ。あ、そこから動かないでね?」
「了解しました! 先輩! よろしければ先輩のお名前――」
「はい、そこ隙間開けないで。先生来たら見えちゃうでしょ?」
うむ……。
後ろ姿しか見えないけど、あの見事なボディラインとあの他人の話の聞かなさ具合は間違いなさそうだ。
ぼくは人混みの中で回れ右を――しようとしたところを、天川月乃と目が合ってしまった。片方の口角だけを持ち上げて、ニヤっと笑う天川月乃と、ニヘラと悲しい愛想笑いを浮かべてしまった自分。
「捕まえてーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!! そいつが高桜一樹よ!」
「ンなぁーーーーーーーーーーーーーっ!?」
バカなぼくは、とっさに逃げだそうとしてしまった。
そのまま平然と静かに去ればよかったのに、激しく動揺してしまって、人混みを掻き分けて走ろうとして、天川月乃によって調教された汗臭い肉の壁に挟まれ、あっさりと捕まってしまった。
時代劇なんかでよく見る、お奉行様の前に連れて行かれる罪人のように引っ立てられて、天川月乃の前になぜか正座をさせられる自分。
「やいやいやい、神妙にしろい! 高桜、てめーこの先輩に何をしやがったんだっ!」
なぜか大張り切りの柏木くん。見たことなかったから、普通科か特進だろう。天川月乃よりぼくの方が名前を先におぼえたよ。ごめんな。
しかし、何がどうなってこうなったのか。混乱は深まる一方だ。
豊満と言っても差し支えのない胸で両腕を組んだ天川月乃が、仁王立ちでぼくの眼前に迫った。自然、スカートの前がぼくの鼻先に近づけられる。
このポーズは大浴場以来だ。周囲を取り囲む男子生徒が、心なしかうらやましそうな視線を向けてきている気がするが、実際に裸でやられてみろ。百年の恋も冷める……か、発情するだろう。
「えへん。というわけであらためまして。やっほ、ツッキー」
「……あ、はい、やっほー……ツキノさん。……何ですか、そのツッキーって……」
「イツキだから」
「ああ、いちおう名前はおぼえてくれていたんですね」
拳がゴツっと落とされた。
加減をしたのか痛くはなかったけれど、情けなさで涙が出てきそうだ。
「ババアじゃないんだから名前くらいおぼえるわよ!」
「はぁ……。でも、できれば名前で呼んでください。あとツキノさんと似ててややこしいです」
我ながら対照的なテンション。
周囲のざわめきと嫉妬の言葉がすごい。どうやらこの天川月乃という生物からは、雄を無尽蔵に惹き寄せるフェロモンが大量分泌されているようだ。
なぜか、ぼくには効かないのだが。
ひそひそと「どういう関係?」「入学数日で手ぇ早すぎね?」「あれ上級生だろ」「なんであんなパッとしないやつに」「アバカロフだけじゃねーのかよクソ」などなど、まぁ~色々と聞こえてくること。
明日からは夜道を歩く際にも気をつけなければならない。入学して間もないというのに、クラスだけじゃなく、学園内でもどんどん孤立してゆく自分に、もう泣きそうだ。
「じゃ、ドア開けて」
「えっ? 何で?」
キョトンとした表情で、天川月乃がさも当然のように言い放った。
「だってここにいたら見つかっちゃうじゃん。わかってんの? 男子寮は女人禁制でしょうが!」
「いや、え? ちょっと意味わかんないんですが……。規則を今まさに破ってる本人に、規則を説教されても……」
「ああ、壁になってくれた新入生くんたちはもう解散していーよ。ありがとね」
その場にいた全員の目が点になった。仁王立ちの天川月乃、正座をさせられているぼく、取り囲むギャラリーに、一歩退いた位置から眺める多岐将人。
全員が言葉を発さず、息さえ止めていたんじゃないかって思えるほどの静寂。
結局、不承不承だろうけれど、ぼくとマサト、そして天川月乃を残してみんな散り散りに歩き去って行った。途中で止まってこっちをまだ見ているやつもいるけれど。柏木くんとか。
「じゃあ開けて?」
もうダメだ。ぼくにはこの人を止めるだけの力も知恵も気力さえもない。
IDカードをスロットに通して、ドアを開ける。
「よしよし。まぁ入って。汚いところだけ――あら、男子の分際で意外と綺麗にしてるじゃない」
なぜか先に入った天川月乃に招かれ、自室に入るぼく。その後から当然のようについてきたマサトの胸に、天川月乃が掌をペタっと当てて止めた。
「あ、キミはだ~め」
マサトがぼくに視線を向けてから天川月乃に戻し、甘いマスクをわずかに近づけて困ったように囁いた。
「なぜです、ツキノさん? おれがいたら困りますか?」
「だってあたし、男子の部屋に来てるのよ? 腕に自信があるっていっても、ふたりがかりで襲われたら撃退できないかもしんないじゃん。たぶん単純な腕力だけなら、ふたりの方が強いでしょ? 片手ずつ押さえられてベッドに押し倒されたら、極めて適当に守ってきた貞操が無駄になっちゃうじゃない。はぁ~ん、女の子にそんなこと言わせないでよ~。興奮して鼻血出ちゃいそ」
な、何を言ってるんだ、この人は……。というか、アンタそんなこと気にするタイプだったの……? 恐るべし、ノーガード戦法だ……。
あまりの信用の無さに、ぼくは唖然としてうなだれる。
けれどマサトはまるで動じた様子も見せず、にこやかに返した。
「けれど、イツキよりはツキノさんの方が総合的に強いでしょう? イツキがツキノさんに押し倒されたら抵抗できずに、必死扱いて守ってきた童貞を奪われてしまうかもしれない」
「それは胸熱ね!」
……おい、どさくさで余計なことを言うな……。……守ってきたんじゃなくて、引き取り手がいなかっただけ……。
「だからフェアじゃない。けどおれがいたら、もしかしたら良い勝負ができるくらいにはなるかもしれない。あまり腕に自信はありませんけどね」
素晴らしい屁理屈だ。事実なのが情けないけど、確かに華麗なまでの身のこなしで、あの藤堂正宗を締め上げた女子が相手ではそうなるだろう。
「ああ、なるほどね。それもそーね」
「でしょう?」
驚いた。会話が成立している。もしかして異常な会話だけ成り立つのか?
「それに、どーせマサトの部屋にも後で行くつもりだったから、手間が省けていいわ」
マサトの胸から手を下ろした天川月乃は、トコトコと後ろ歩きをして、さも当然のように備え付けの椅子にペタンと腰をおろし、肉感的な長い足を組んだ。
肘掛けに載せた手に、悪戯な笑みを重ねる。
マサトはドアを開け放しのままにして、いつものように人なつっこい笑みで悪びれた様子もなく入室した。
意外と紳士だ。
マサトが照れる様子も赤面さえもなく、極めて自然に言葉を吐いた。
「おれの部屋にまで? それは歓迎だなあ。ツキノさんのようなタイプの女性、実は好みなんですよ」
言い慣れてるな、こいつ……。
イケメンで、頭も良くて、要領も良くて、お金持ちで、チョイ悪ファッションのくせに、性格は良い。
ふざけやがって。パーフェクトか、この野郎。
ぼくとリサは孤立したままなのに、マサトだけが特殊クラスの女子生徒と仲を戻しつつある理由がわかった気がする。
「ふーん、そーなんだ。ま、とりあえず座ってよ。ふたりとも。ああ、ドアはちゃんと閉めてね。先生に見つかるとメンドイから」
しかしというべきか、やはりというべきか。天川月乃は優男の好意すらガン無視だ。
やはりこの人は、他人の話を聞かない。
さすがのマサトも苦虫を噛み潰したような表情でドアを閉めた。
ぼくはといえば、部屋の主であるぼくを差し置いて、天川月乃が当然のように言い放った言葉に、いちいちつっこむ気力はなかった。
「で、結局何の用事だったんですか? あんな騒ぎまで起こして」
ぼくはベッドに腰を下ろし、マサトは椅子とセットになっているデスクにもたれかかった。怪訝な表情のぼくらとは対照的に、天川月乃がニィっと笑う。
「ねえ、おふたりさん。今日ヒマ? ちょっとだけ危険なピクニックに行かない?」
「……時間はありますけど筋肉痛で身体中が痛くて……さすがにピクニックは――」
全身ビキビキだ。正直なところ、今日はもうゆっくり休みたい。
「うんうん。良かったぁ、ヒマなんだね!」
半ば予想していた台詞だ。少なくとも、ぼくは。
マサトが苦虫を噛みつぶしたような表情をしたのがおかしくて、ぼくは少し笑った。
次の一言が、彼女の口から語られるまでは。
「じゃ、各自装甲人型兵器で北方十キロの位置にあるガススタ跡に集合ね!」
うわあ……。もはやこの人、正気じゃないの……?
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