False――偽⑤
ネイキッドを通して早見先生の声が響いた。
『全員乗り込んだな。では、いよいよ君達自身を装甲人型兵器に生体認証させる。シートから金属の端子を引き出し、君達の超伝導量子干渉素子と接続したまえ』
言われた通りに超伝導量子干渉素子をシートから引き出した端子に接続すると、数十本ものベルトが自動でぼくの肉体を固定した。驚くほど身動きが取れない。同時に、射撃管制装置が頭部を覆うように降りてきた。
射撃管制装置内の疑似モニターが起動する。そこには早見先生が映っていた。
瞬間、それまで眠っていた装甲人型兵器ネイキッドの機器に光が灯った。それを見ていた視界が、何の脈絡もなく突然歪んだ。
な、何だ?
目をこすろうとして右手の感覚がなくなっていることに気づく。どれだけ力を入れようとしても、腕が動いた感覚はない。まるで肉体がなくなり、魂だけとなってしまったかのような不安に駆られた。
バケットシートに固定されているというのもあるが、それ以前に力が入らないんだ。それに、変な表現ではあるけれど、脳がわずかにこそばゆい気がする。
『混乱を避けるため、目を閉じろ。これより君達は自由にならない肉の身体を一時的に放棄し、メタルに抗するための鋼鉄の肉体を手に入れる』
目を閉じるなんてとんでもない。その頃にはもう、ぼくの視界はすっかり失われていた。呼吸をしている感覚さえない。視覚と触覚が失われている。呼吸を意識できない時点で嗅覚も、口を動かせない時点で味覚まで。
『落ち着け。パニックにはなるな。パイロットにとっての最大の敵は己の精神だ。混乱を来せば、鋼鉄の肉体はいともたやすく暴走する』
ネイキッドに、肉体の機能の何もかもを奪われてゆく感覚――。
『君達自身の肉体と同じくな。いつでも冷静でいろ』
そう、これは、ぼくの脳が鋼鉄の肉体を、鋼鉄の肉体がぼくの脳を受け入れるための儀式だ。
他のやつはどう思うか知らない。けれど恐怖を感じないぼくは――。
あの人の腕の中を思い出していた。
衰弱して動ける状態じゃなかったぼくを抱いて走ってくれた、あの人。おそらくはリサの姉。あのときの感覚に似ている。どこまでも柔らかく、どこまでも優しく、暖かく。まるであの人の腕の中で、あの人の胸の鼓動を聞いているかのような感覚だ。
心地よいとすら感じる。
『よし、インストール作業終了だ。これでその機体は、君達固有の装甲人型兵器となった。各自、目を開けてみろ』
概念。それは概念でしかない。
ぼくは目を開けた。己の肉体のものを開くつもりで。
「――!」
けれど、ぼくの視界に広がったのは。
『うおっ! すげえ!』
マサトの声が聴覚ではなく、脳内に直接響いた。
無理もない。あきらかに人の目ではない。異様に視界が広いんだ。百八十度すべてが認識できる。
『どうだ? 目が見えない、気分が優れないといった、調子の悪いものはいるか?』
早見先生を注視しようと考えた瞬間、視界は急激に早見先生をロック。段階を追ってぼくの脳が満足するまで、どんどん拡大してゆく。視力がいいとかいう問題じゃない。カメラのズーム機能だ。これなら頬についた米粒だって認識できる。
『いないようだな。では、いよいよ機体に命を吹き込むぞ。これは声紋認証であるため、君達自身の声でやらねばならない。それぞれ唱えろ。――〝イグニッション・スタート〟だ』
誰かが唾液を飲み下す音が聞こえた。誰も先陣を切ろうとしない。あのマサトでさえも、誰かが先に実行するのを待っている。
けれどぼくに、ためらいなどなかった。
「イグニッション・スタート」
『イグニッション・スタート』
同時に、リサの声が重なった。
瞬間、壁に設置されていただけの装甲人型兵器ネイキッドとベルベットが、エアダクトから排煙を噴射して自らの両足で大地に立った。
「足の感覚がある……」
まるで自分の足のようだ。右足を一歩、前へ。
ガシャンと大きな音を立てて、純白の機体ネイキッドが右足を前へ出す。倒れたりはしない。なぜならこれは、ぼくが自分の肉体を動かすのと変わらない動作なのだから。
『高桜、跳んだり跳ねたりはするなよ。格納庫がもたん』
「は、はい!」
クラスメイトたちが次々と機体を動かしはじめた。中には首をかしげたり、人間がするように頬を指先でかいたりしている機体もいる。もちろん機械の肉体なんだから、痒いなどという感覚はないはずなのだが。
『では、全員グラウンドに出たまえ。私が自分の機体を取ってくるまでそのまま待機だ』
早見先生が格納庫のドアへと消えるのを見送ってから、クラスメイトたちは恐る恐る機械の足を1歩、また一歩とグラウンドへ向けて進めてゆく。
ぼくやマサトだって、これには慎重を期さなくてはならない。装甲人型兵器は生身と違って、壊れたら修理が必要だ。そこに振り分けられる予算は無限にあるわけではない。
ガシャン、ガシャン、多くの足音が響く。
そんな中、リサの機体、空色のベルベットだけが奇妙な動きをした。両足を軽く開き、わずかに膝を曲げて、まるで氷の上を滑るかのようにクラスメイトたちの隙間を縫い、グラウンドへと滑り出たんだ。
暴風が巻き起こり、グラウンドに立つベルベットが砂煙に覆われた。
「な、何だあれ? てゆーか、リサ、装甲人型兵器を動かせるじゃないかっ!」
隣を歩くエメラルド色の機体から、マサトの驚愕の声が響いた。
『グライド!? おいおい、お姫さんグライドが使えたのかよ!』
「グライド? 何それ?」
『このロボットが装甲人型兵器と呼ばれる所以だ。ランド・グライド、すなわち大地を滑走するもの。もちろん実際に滑っているわけじゃない。高速移動システム、つまりバーニアによるホバーだ。戦場が遠方のときは燃費を稼ぐために、ああするらしい』
「それって余計に燃料食わない?」
『減りは早いが、その分短時間で距離を一気に稼ぐことができる。おれたちみたいに普通に歩いて移動なんてしてちゃ、辿り着く頃にゃ余計に燃料も時間も食ってるぜ』
ぼくの頭脳の指示に従って、ネイキッドが格納庫入り口をくぐった。続いてマサトのレギンレイヴがグラウンドへと姿を現す。
「ちょっと待てよ? ってことは、もしかして入試でリサが一歩も動かずに撃墜された理由って、シミュレータにグライド機能がついていなかったからか?」
要するに、グライドで回避しようとしたけれど、シミュレータにはその機能がなかったってことだ。
リサの乏しい言語能力じゃ、それを試験官に説明することは不可能だろう。
『なるほど、そういうことだったか。……だけど、ホバーで浮いている以上は慣性の法則には逆らえねえ。一般的に戦闘時は徒歩、移動時はホバーって言われてる』
あいかわらず詳しい。頼もしい限りだ。
でも、果たしてそうだろうか。
九年前のあのとき、士郎は黒の機体キャスケットをホバリングさせながらドレッドノート級のメタルと戦っていた。
足を止めたら、どうなる?
キャスケットがメタルを中心にしてバーニアを噴かしながら弧を描くように電波欺瞞紙をばらまいていた姿は、今も目に焼き付いている。
「マサト、グライドってどうやったら使えるんだ?」
『さーな。スイッチかなんかあるんじゃねーの?』
といわれても、今ぼくらの視界は機体内ではなく機体外に向けられている。それに、仮に機体内を見られたとしても生身は感覚を失っていてうまく動かない。
「一度接続を解除するのかな?」
ああ、それさえも自由にならないのか。そもそも、装甲人型兵器からの降り方さえわからないんだった。
首をひねると、ネイキッドが両腕を胸の前で組んで首をかしげた。我ながらマヌケな姿だった気がする。
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