第35話『終結』
遠目に薫が倒れている姿が見える。
ゆっくりと血溜まりが広がっていく。
「…あ…あ…」
自分の中に黒い澱みが沸き上がってくる。
喉の奥から声が洩れる。
目の前で起こった事を現実として受け入れられない。
「…ああ…あ…」
嘘だ…。
こんな結末は夢に違いない。
現実でこんな事がありえるはずない。
「…ああ…ああ…あ…」
だけど、血溜まりの中、倒れている薫の姿は消える事はなくて…。
それが否応なしに現実だという事を俺に突き付けて…。
「うわぁあああ…」
絶叫していた。
自分の中の黒い澱みを吐き出すように…。
狂いそうになりながら、俺は必死に叫んだ。
「か…おる…」
薫の傍に行かなくちゃいけない。
早く薫を助けなければいけない。
俺はヨロヨロと立ち上がり、階段を降り始めた。
早く薫の元へ行きたいという気持ちと思うように動かない身体がバラバラで転がるようにして下へと降りた。
身体を打ち付けたせいか、あちこち痛む。
でも、それを認識できない程、俺の頭の中は真っ白になっていた。
ようやく、下に降り切り、薫が落下した場所へと回り込む。
いた…。
俺は倒れている薫の姿を見つけた。
ドクン。
大きく心臓が跳ねる。
尋常じゃない程の血が流れている。
「かお…る…薫っ!」
ピクリとも動かない薫に駆け寄り、その場にペタンと座り込む。
薫が…死んだ…?
誰の目から見ても手遅れなのは間違いなかった。
「どうして…どうしてだよっ!俺は死んだって良かったんだ…なのに、どうして…?」
拳をギュッと握り、地面へと叩き付けた。
悔しさと悲しさに、俺の瞳からは止めどなく涙が溢れていた。
「必要だったんだ」
「…ッ!」
突然、背後から聞こえてくる声に、俺は振り返る。
いつの間に、来ていたのかミコトがジッとこちらを見ていた。
俺はミコトの言葉に、睨み付けるように怒りの視線を向ける。
「必要…だと…っ!」
ミコトは一体何を言っているんだ?
薫が死ぬ事が必要だったとでも言うつもりなのか?
訳がわからない。
ただ、今の俺にはミコトの言葉を許せそうになかった。
俺はユラリと立ち上がる。
ミコトの顔には何の感情も読み取れない。
それが余計に俺の怒りを煽った。
「ああ。そうだ」
「ふざけるなっ!大体、お前があの日教えてくれれば、薫は死なずに済んだかもしれないのに…」
俺は怒りに任せて、ミコトの胸倉を掴む。
ミコトはされるがまま、抵抗はしない。
これがミコトへの八つ当たりだという事は理解していた。
だけど、言わずにはいられなかった。
でないと、悲しみで心が壊れそうで…。
「知った事か。退け。邪魔だ」
だけど、ミコトはあっさりと俺の怒りを、胸倉を掴んだ手と供に振り払う。
俺はその場にズルズルと膝をついた。
ミコトはその横を通り過ぎて薫の元へ行く。
「何を…」
「全てはこの瞬間の為だった…」
「え…?」
「予定通りだ」
ミコトが薫の胸の辺りに触れる。
すると、触れている辺りが微かに光を放ち始める。
いや、違う…。
薫の胸の辺りから、光を放つ何かが現れているのだ。
球状の『それ』はまるでミコトの手の動きに呼応するように浮き上がる。
不思議な事に、俺には『それ』が何なのか理解できた。
それが『薫の魂』だ、と…。
「やめろっ!薫をどうするつもりだっ!」
俺は薫を守ろうと、ミコトと薫の間に入ろうとする。
だけど、足が言う事を聞かない。
それでも、諦め切れずに俺は腕だけでミコトを掴む。
ミコトは縋り付く俺を払う事をせずに、今度は俺へと手をかざす。
「…う…」
何かが俺から抜けていく感覚…。
それは大切なものを無くしてしまうような虚脱感…。
俺の中からも、光を放つ球状のものが出てきていた。
胸の中の喪失感とは対照的に、身体が軽くなる。
今まで、悪かった調子が嘘のようだ。
だけど、体力は消耗しているのか、動けない事には違いなかった。
そう、その球状のものは『明日香の魂』だ。
ミコトは二つの球状の魂をゆっくりと胸の前にもってくる。
「…ッ!」
そして、二つの魂は光を増しながら、重なっていく。
融合…しているのか?
ミコトが行っている事を、俺はただ見ているしかなかった。
重なり合う程に輝きを増していき、遂には光で何も見えなくなる。
「…くっ…」
目が開けられない。
しかし、光は唐突に消える。
目を開けると、明日香の魂も薫の魂も消えてなくなっていた。
ミコトが少し疲れた顔で見つめている。
「間に合った…。これで、ようやく、全て終わった…」
ミコトの言っている意味がわからない。
何が間に合って、何が終わったのか?
俺には関係ない。
ただ、ミコトが何故、こんな事をしたのか、目的が知りたかった。
「…お前は何がしたかったんだよ…?」
「ふん。お前も当事者だ。知る権利がある。話してやる」
黙ったままの俺に、ミコトは背中を向けて、鼻を鳴らした。
「私の目的は二つの魂を一つに戻す事だ」
「魂を…?」
そんな事をして、何の意味があるというのだろう…?
肩越しにミコトは薫の亡骸を一瞥する。
「だが、それには幾つか問題があった」
ミコトは一つ一つ、問題を説明した。
魂を一つに戻す為には、二つの魂が同じ想いを抱いてる事…。
そして、その想いを抱いたまま…死ぬ事。
「そんな…」
「だから、私は明日香の記憶を封印して、お前に助けを求めるようにしたのだ」
「……」
「そして、お前への想いが募った時に、記憶の一部を思い出すようにした」
明日香が俺を救う為に声を出したのは、そういう事だったのだ。
全てはミコトの仕組んだ事だったという事か…。
待てよ?
一部…?
「一部って、どういう意味だ?」
「簡単な事だ。お前へとり憑くように嫉妬心と突き落とされた記憶だけを取り戻すようにしたんだ」
俺はそこまで言われて、ようやく理解し始めた。
薫を殺す為…。
そして、明日香を使い、薫が俺を好きになるように仕向けた。
それは、全て明日香と薫の魂を一つにする為…。
だけど、何故だ?
何故、薫を殺してまで二つの魂を融合しなければならないんだ?
俺の表情から、俺の意を読み取ったのか、ミコトが口を開く。
「一つの魂が別れて明日香と薫は双子として生まれたんだ。だが、そのままでは、魂が弱過ぎて二十歳ぐらいまでしか生きられない。普通ならば、そのまま二人共死んでしまう」
「……」
「だが、明日香が死に直面した時に、その事実に気付いた。そして、私に頼んだ…」
「明日香は…薫を恨んでたんじゃねぇのか…?」
「それは、私が嫉妬心と突き落とされた記憶のみを残したからだ」
俺は、その言葉に少し安心した。
明日香の心の奥では本当は薫の事を恨んではいない。
それがわかったからだ。
「最後に一つ教えてくれ」
「ああ…何だ?」
「二つの魂を一つにする事に、何の意味があったんだ…?」
明日香の心を憎しみで満たして、薫を殺してまで為さねばならなかった事…。
それは、一体…?
「もちろん…」
……クン…。
静か過ぎる程の神社に微かに聞こえてくる音…。
俺は振り返った。
そこにあるのは、薫の亡骸だけ…。
気のせいか…?
しかし…。
…ピクッ…。
今度は指先が微かに動いた。
「生かす為だ」
生きている…のか?
先程まで血の通わない白くなっていた顔に、今は赤みがさしている。
「生きてる…」
嬉しかった。
涙か次から次へと溢れてきた。
だけど、今度の涙は先程の涙と違って嬉しさからだ。
「さて…私は帰るぞ」
「なあ、何で薫の為にここまでしてくれるんだ?」
これだけの事を仕組むのだって、簡単な事ではなかったはずだ。
それなのに、明日香に頼まれたからと言ってするなんて…。
「嬉しかったんだ…」
「え…?」
「この、誰からも忘れ去られた神社でお前達三人が遊んでくれた事が…だから、だ」
ミコトは懐かしむように、上にある神社を見上げた。
俺も同じように見上げる。
誰も来ない神社…。
俺達の遊び場…。
「お前は…一体、何者なんだ?」
「ふふっ。私の名前は相会命。この相会神社に奉られている神だ」
微かに微笑んで答えるミコトに、俺は呆然としてしまう。
神様…。
ただの人間ではないのはわかっていたが、まさか、神とは…。
「ははは…」
何だかおかしくて笑ってしまう。
そんなに凄い奴だったなんて…。
「ふふっ。じゃあな、幸せにな」
ミコトの顔は満足気だった。
考えてみれば、ミコトの素直な笑顔を初めて見た気がする。
神社へと戻っていくミコトに、俺は立ち上がって頭を下げた。
「ありがとうございました」
「たまには、参拝に来るんだぞ」
どうしても、ミコトに礼が言いたかった。
ミコトは一度だけ振り返って、まるで冗談のように返した。
ミコトが消えるまで頭を下げた俺はゆっくりと顔を上げた。
全て…終わった…。
「…ん…」
「薫っ!」
呻き声を上げて、薄く目を開ける薫に俺は駆け寄る。
空は白々と明け始めていた…。




