第23話『気持ち』
光一つない闇の中、俺は一人佇んでいた。
俺はこんな所で何をしているのだろう…?
疑問符を浮かべて、首を傾げる。
辺りを見回してみるが、真っ暗で何も見えない。
それどころか、自分がちゃんと立っているかすらも怪しく感じる。
上下左右の感覚がはっきりしない。
そんな暗闇は、ほんの数分いただけで発狂しそうだ。
落ち着かない様子で辺りを見回してみるが、何も見えない。
「……」
今にも気が狂いそうになる。
叫び出したい衝動に駆られる。
だけど、声は出せなくて…。
そんな暗闇に一粒の光が舞い降りてくる。
「…ッ!」
静かで柔らかい光は俺の心を湖面のように落ち着けてくれる。
しばらくすると、また一粒の光が降ってくる。
一つ…また一つと。
徐々に光の粒はその数を増し、気付けば、雪のように降り始めていた。
闇は下に溜った光の粒で、すでに明るくなり始めていた。
俺は手を出して、光の粒を受ける。
その瞬間、頭の中に映像が流れ込んでくる。
俺は映像に意識を集中する。
目の前には少女の姿が見える。
それは、どうやら子供の頃の先輩のようだ。
先輩はこちらに視線を向けて、口を開く。
『明日香、ちょっと待ってよ』
『お姉ちゃん、早く早くー』
先輩と明日香、二人で遊びに行くところらしい。
だけど、先輩はこちらを見て明日香に話し掛けている。
だけど、明日香の姿は見えない。
いや、違う…。
この視点が明日香なのだ。
俺は気付いた。
これは、明日香の記憶だという事に…。
俺は他の光にも触れてみる。
今度は先輩が明日香に勉強を教えている映像だった。
間違いない。
俺は確信した。
この上から降ってきて、辺りを埋め尽くしていく光は明日香の記憶なのだ。
では、この明日香の記憶が降り続けるここはどこだろう?
まさか…。
「そうだよ」
俺が一つの推論を思い付いた時だった。
いつの間にいたのか、明日香がこちらをジッと見つめていた。
「明日香…」
「拓哉ちゃんが想像した通り、ここは私の中だよ」
やっぱり…。
俺の考えを読み取ったように、明日香は肯定する。
でも、何故、俺が明日香の中にいるのだろう…。
「なあ、明日…」
「拓哉ちゃん、私、全部思い出したよ」
聞いてみようと、口を開くが、その言葉を遮って明日香が話し始める。
「…ッ!」
それは俺を驚愕させるに十分だった。
全てを忘れさせられていた明日香の記憶が戻ったというのだから。
「昔、拓哉ちゃんは私の事好きだったんだよね?」
「ああ…」
「今は…?」
明日香は何が聞きたいのだろうか…?
確かに、俺は昔、明日香の事が好きだった。
しかし、それは子供の頃の話だ。
今は…。
「ごめん。俺は先輩の事が好きなんだ…」
「…私はまだ好きだよ。だから、拓哉ちゃんと一緒にいたいよ」
「……」
少し悲しげな笑顔を見せて、明日香はポツリと呟いた。
俺は何て返せばいいのかわからなかった。
「ずっと一緒に…」
世界が歪み始める。
それは明日香も俺も飲み込んで崩れていく。
明日香の姿が闇の向こうへと遠のいていく。
明日香っ!
叫んでも声にならない。
俺は肺の中の空気を一気に吐き出すように、もう一度名前を呼んだ。
「明日香っ!」
自分の声で意識が覚醒していた。
街灯の光に照らされたベンチで身体を起こす。
俺は自分がどこにいるのかわからなかった。
…ザー…。
辺りはすでに日が落ち、暗くなっていた。
未だ、雨は止む事なく降り続いていた。
「そうだ…明日香?」
先程の事を思い出して、俺は明日香の姿を確認する。
どこにもいない。
俺は辺りを見回して、明日香の姿を探した。
そんな俺の視線がある場所で止まる。
雨のカーテンの向こう側に立ち尽くす一人の少女の姿があったからだった。
「先輩…」
「……」
黙って雨に打たれる先輩はその場から動こうとはしなかった。
俺はゆっくりと先輩に近付いていく。
手が届くか届かないかぐらいの距離で俺は立ち止まる。
俺も先輩も降り続ける雨に打たれ続ける。
「先輩…来て…くれたんだな」
信じられなかった。
絶対に来ないと思っていたのに…。
だけど、先輩は、今、目の前にいる。
「……」
黙ったままの先輩。
酷くなる一方の雨の中にいつまでも立たせておく訳にはいかない。
俺は先輩の肩を抱くようにしてベンチへと連れていく。
「寒くねぇか?」
「大丈夫…よ」
先輩の身体をずぶ濡れで、随分冷えきっていた。
心配して尋ねてみると、力無くだが気丈にも頷いた。
「そっか…」
大丈夫だ、と言われてしまい、俺はそれ以上言えなくなってしまった。
「……」
「……」
沈黙が流れる。
ただ、ベンチに腰掛ける俺と先輩。
どうやら、深夜のようで人通りは完全になくなっていた。
「ねぇ、拓哉くん…」
「何だ…?」
ようやく、口を開いたのは先輩だった。
俺を見る事無く、独り言のように話し掛けてきた。
「私が妹を殺した事…知ってる?」
「…ああ。都築に聞いたよ」
改めて、先輩の口から『殺した』という言葉を聞いて、俺の胸は締め付けられるように痛んだ。
「そう…。じゃあ、何で殺したと思う?」
まるでクイズの問題でも言うように、おどけた口調だった。
それが、とても悲しく感じられた。
「さあ…な」
俺はそう言うだけで精一杯だった。
「嫉妬よ」
「え…?」
「ずっと昔ね、大好きな男の子がいたのよ。でもね、その男の子が好きだったのは明日香だったわ」
自分を嘲るように笑う先輩に、俺は愕然としていた。
先輩が明日香を殺した理由…その原因が俺だったなんて…。
「男の子が告白したところを見ちゃったのよ…その瞬間、私の中で何かが弾けたわ」
それは、かくれんぼをしたあの日の事だ。
まさか、見られていたなんて…。
ようやく、俺はあの日以来、二人が来なくなった理由に気付いた。
「簡単だったわ。階段から背中を押すだけだもの…」
「もういい…」
先輩を見ているのが辛かった。
「私が明日香を殺したのよ」
「もういいっ!」
俺は先輩を力一杯抱き締めていた。
先輩はどれだけ自分を責めれば気が済むのだろうか?
いや、気が済む事なんてないだろう。
「拓哉くん…離して」
「嫌だ」
先輩は、軽く身を捩り、俺から逃れようとする。
だけど、俺は腕に力を込めて、離そうとはしない。
「俺は先輩の事が好きだ。だから、もう傷付けさせない」
「拓哉…くん…うわぁあああ…」
先輩の瞳から涙が零れ落ちる。
顔をくしゃくしゃに歪ませて、先輩は子供のように嗚咽を洩らして泣いた。
あの日から、どれだけ辛い思いをしてきたのだろうか?
自分を責め続けて…。
自分を傷付けて…。
だけど、もう終わりにしたかった。
「大丈夫だ」
俺は胸の中で泣く先輩の背中を優しく擦ってやる。
「拓哉くんが言った通りだったのよ。周りの人達はみんな悲しい顔をしてたのよ…」
泣きながら先輩は、自分の中にあるものを全て吐き出した。
先輩の家に行った時の俺の言葉…少なからず先輩に届いていたようだ。
「先輩…」
「私…どうしたら…いいの?」
涙に濡れた先輩が顔を上げる。
そこには、どうしようもない不安が表れていた。
「笑顔でいるんだよ」
「え…?」
俺は先輩に笑顔で語った。
先輩は驚いたように目を丸くする。
「先輩が笑顔でいれさえすれば、みんなだって笑顔になるさ」
「それだけ…?」
「ああ。それだけで十分なんだよ」
そして、俺はもう一度先輩を抱き締めた。
冷えきった身体がお互いの体温で少しづつ暖められていく。
それはまるで、お互いの凍った心を溶かしていくようだった。
「ねぇ、拓哉くん…」
「何だ?」
「もう一度、さっきの言葉、言ってくれる…?」
「さっきの言葉…?」
俺の胸に顔を埋めてポツリと呟いた。
俺は意味がわからず、疑問符を浮かべる。
一向にわかる様子のない俺に先輩は拗ねたように頬を膨らませた。
「私への気持ちよ」
「ああ…えっと、何だっけ?」
はっきりと口にする先輩に、俺はわざと惚けたようにそっぽを向く。
改めて口にするのは恥ずかしかった。
先輩はそんな俺を睨み付ける。
どうにも逃げられない感じだ。
仕方ない。
「その…好きだ」
「私も大好きよ」
そう言って笑う先輩の顔は、とびきり可愛かった。
いつしか降り続いていた雨は止んでいて、空には月が輝いていた。




