第10話『解けた誤解』
「はぁ…」
放課後、俺は深々とため息を吐いて、机に突っ伏した。
昨日の事で俺は気が重かった。
「先輩、めちゃくちゃ怒ってたな」
かなり気が重い。
先輩と会う事に躊躇いがあった。
しかし、後回しにすれば、どんどん気まずくなっていくのは目に見えている。
会って、ちゃんと謝れば、先輩の事だ、きっと許してくれるに違いない。
だが…。
「はぁ…」
俺は、もう一度ため息を吐いて、そのまま腕を枕に目を瞑る。
「なあ、あれって、もしかして…」
「ああ。学園のアイドルだよ」
「こんな所に何しに来たんだ?」
廊下の方がにわかに騒がしくなる。
クラスメートの興奮気味の声が聞こえてきていた。
どうやら、この学校のアイドルとやらがこの辺りにやってきたようだ。
それにしても、この学校にアイドルなんてものがいるなんて初耳である。
まあ、俺には関係ないけどな。
我関せずと、俺は暇潰しに、しばらく寝ようとしているとガラリと教室のドアが開けられる。
アイドルは、この教室の誰かに用事があったようだ。
「拓哉くん、いる?」
「ぶほっ…」
突然の事に、俺は思わず噎せってしまった。
顔を上げて、俺を呼ぶ人物を確認すると、そこにいたのは先輩だった。
そうか…先輩はこの学校のアイドルだったのか…。
言われてみれば、確かに先輩は容姿は端麗で頭も良いらしい。
そんな先輩がモテない訳がなかった。
「拓哉くん」
先輩は呆然としている俺を見つけると、人の教室にも関わらず、ツカツカと俺の席までやってきた。
考えてみれば、先輩は以前、この教室に俺を探しに来ていた。
その時は幸い、大した噂にもならなかったが、これは非常にまずい。
「森山に用事か?」
「どういう関係なんだろ?」
「もしかして、あの二人付き合ってるのかしら…」
教室のクラスメートが憶測をヒソヒソと口にする。
まったく、居心地が悪いったらありゃしない。
「先輩!取りあえず、場所を変えよう」
「?」
訳がわからないと、頭に疑問符を浮かべる先輩の手を、半ば強引に引いて教室を逃げるように飛び出した。
背中越しに、クラスメートの冷やかす声が聞こえてくる。
声を振り切るように、走るスピードを早めた。
向かった先は屋上。
あそこは、いつも人がいないので、ゆっくりと話せる。
「…ハァ…ハァ…」
先輩の手を引いて走ったせいだろうか、息切れしていた。
膝に手をついて、肩で息をしながら落ち着かせる。
「だらしないわね」
呆れた様子で俺を見る先輩は、息一つ乱さずにケロッとしていた。
嘘だろ…?
俺が手を引いていたとはいえ、先輩だって走っていたはずだ。
しかも、クラスで俺は足が遅い方ではない。
そんな俺が全速力で走ったんだぞ?
何でそんな平気な顔してられるんだ?
先輩の底知れぬ体力に、俺は畏怖してしまう。
「それで、突然どうしたんだ?」
息が整うのを待って、俺はそよ風になびく髪を押さえる先輩に尋ねた。
「昨日の事を謝ろうと思って…」
「昨日の事…?」
目を伏せ、表情を曇らせる先輩に、俺は疑問符を浮かべた。
怒られる覚えはあっても、謝られる覚えはなかった。
「いずみから聞いたわ。パフェご馳走してもらったって」
「ああ。確かにご馳走したけど…」
「私、てっきり、拓哉くんがいずみを無理矢理連れ回したと思って…ごめんなさい!叩いたりして!」
身体を折り曲げるようにして謝る先輩に、俺は動揺してしまう。
きっと、あれから、いずみがフォローしてくれたのだろう。
それを聞いて、先輩は俺の頬を叩いた事を後悔したのだろう。
まったく、何て律義な人なんだ。
「別に気にしてないよ。それにさ…少し嬉しかったんだ」
「えっと…もしかして、拓哉くんって…マゾ?」
「違ーーーっう」
ツツツと俺から距離を取る先輩に、俺は思い切りツッコミを入れる。
めちゃくちゃ勘違いされていた。
「まさか、拓哉くんにそんな趣味があったんなんて、知らなかったわ」
「違うって。俺が嬉しいって言ったのは、先輩がいずみの事を心配して、俺を叩いた事だよ」
俺は先輩に、昨日いずみが話した事を聞かせた。
先輩は黙って俺の話を聞いていた。
その顔は無表情で何を考えているのか読み取れない。
話し終わると、先輩はため息を吐いて、空を見上げた。
「そっか。いずみは感じ取ってたのね…」
「え…?」
思わず、俺は聞き返してしまった。
何故なら、先輩のその言葉は、明らかにいずみの思いを肯定していたからだ。
「私は…幸せになんてなっちゃいけない女だから…」
「な…っ!?」
唐突な先輩の言葉に俺は絶句した。
突然、何を言い出すのだろう?
いや、それ以前に、先輩は何故、そこまで自分を責めなければいけないんだ?
俺はわからなかった。
悲しそうに自嘲気味に笑う先輩に、俺は何か慰めの言葉を言わなければと口を開いた。
だけど、なかなか先輩への慰めの言葉は口をついて出てこない。
気まずい雰囲気が二人の間に流れていた。
そんな雰囲気を破ったのはガチャンという屋上のドアの重い音だった。
「おわっ!こんな所に人が…」
「小室先生…」
騒がしく現れたのは、日本史を担当する小室浩二教諭だった。
三十代半ばと割と若い先生である。
「こりゃ珍しい組み合わせだな。こんな所で逢引か?」
「何言ってんだよ?」
胸ポケットから煙草を取り出して火をつける小室教諭の言葉に呆れたように、俺は反論する。
「小室先生は、こんな所に何をされに来たんですか?」
「ん?いや、今から最近の事件の対応策を考える為の職員会議があるんだけど…」
「最近の事件?」
「何だ、森山知らないのか?…最近、幼女ばかり狙った通り魔がこの街に出没してるんだよ」
俺は小室教諭の言葉に思わず、先輩の顔に視線を向けた。
なるほど。
先輩がいずみの帰りが遅い事に過敏になる訳だ。
そんな事件が起きているなら、誰だって、あんな反応を見せるに違いない。
「知らなかったよ」
「少しはニュースぐらい見ろよ。それで今から職員室に行くんだが、あそこ禁煙だから…」
「行く前に、ここに一服しに来た訳ですか」
俺自身、煙草は吸わないからわからないが、喫煙者にとって、長い時間煙草が吸えないのは辛いらしい。
「教師も大変だな」
「まあね」
俺の同情したような言葉に、小室教諭は苦笑いを浮かべて肩を竦めていた。




