07.唯一の武器を使って
「カイ。そなた、またかごの中から抜け出したのかえ? 本当に悪い子だこと」
地下の惨状を見渡して、帰城したばかりの雪の女王は薄く微笑みながらそう呟いた。
横たわっていた兵士は皆起き上がり、カイの槍で突かれた者以外は一斉に膝をつき、頭を下げている。
「……っ、は……っは…!」
荒い息を吐き出し続けるカイの頬は、一乱闘したせいか赤く染まっていたが、その顔色は酷く悪い。汗で顔にへばりついた長い白髪をも払うことも、止めどなく流れる汗の玉ですら拭うことですらできない。
「わらわの【娘】を逃がしたのも、そなたかえ?」
「……っさい…!」
「せっかく大切に大切に護ってやろうとしたのに、余計なことをして。これではあの【娘】も壊されてしまうではないか、あの野蛮な海賊に」
壊したのはてめぇじゃねぇか。ゲルダをあんな姿にしたのも、全部あんたがしたことじゃねぇか!
そう叫び返したくても、どんどんと激しく胸を叩く心臓が痛くて、上手く呼吸が出来なくて、視界ですらぼやけて見えて……。
思うように動かない身体に、今は膝をつかないようにするので精一杯だった。
「ここに入るなと、わらわはそなたに申し付けたはず。何故わらわの言うことを聞かぬ?」
「……はっ……っはぁ…!」
息が上手く吸えなくて、言葉で返すことが出来ない。
だが、続き部屋で眠っているゲルダをあのよううな姿にしたのは、氷付けにしたのは、目の前にいるこの女がしたに違いない。
なぜなら、この女以外にそんな芸当ができる者なんて、この国には居ないのだから。
肩で呼吸をしながらも睨み上げてくるカイを、雪の女王は面白そうに見下していたが、やがてほぅと小さく息をついた。
「わらわは【娘】も【主人公】も大切にする。だから、悪魔の力を持つとされておるそなたも、庇護する。だがそなたは、一向に大人しくなどならぬ」
ゆっくりと、アイスブルーの瞳を細められる。
彼女の感情が、考えが、全く読めない。
「カイ、元の生活に戻りたいのかえ?」
「っ!」
カイが鋭く息を呑んだ。びくりと肩が震え、動揺が走る。
元の生活に戻りたい?
そんなことを言ったって、戻れないじゃないか。町に戻っても、家に帰っても、そこにゲルダがいないじゃないか。
己の容姿に恐れを持たない唯一の相手が、そこにいないじゃないか。
そんな場所に戻ったって、ただ虚しいだけだ。
ただ、傷つくだけだ。
「戻らぬと言うのなら、今すぐにお戻り。かごの中へ」
誰も恐れなど抱かない、この氷の城の鳥かごの中へ。
十年間そうして自分を護ってきたように、戻れ。
そう言う雪の女王の言葉に何も言い返せなくて、言い返せる余裕ですらなくて、カイは大人しく両側に就いた兵士腕をとられた。
「そなただけでも、わらわは護らなくてはならぬのだ。大切に大切に、飛ぶことを忘れてしまうまで。かごの中にいておしまい」
「……っは…」
「そなたがかごの中にいる間、わらわが全て終わらせてしまおう。だから、安心しておいで」
さぁ、お戻り。
そっと冷気を吹きかけられて、カイは荒い息をしたまま兵士に引き摺られて行くようにしてその場を後にした。苦しげな呼吸音が、やけにこの場に響き残った。
「倒された者を運び出しておしまい。その者たちは、もはやこの城にいる価値などない」
カイに倒された兵を一瞥し、雪の女王は無感情ともとれる声色で命令を下す。
命令を遂行しているかを見届ける前に、雪の女王は地上へと続く階段を上っていた。
「カイ、忘れてはならぬ。そなたはここでしか生きられぬことを」
ゆっくりと呟かれたその言葉は、カイには届くことはない。
雪の女王は知らない。
カイが何を思い、考えたかを。
カイは知らない。
雪の女王が何を知って、どう動いているのかを。
『きっと、あの子は戻ってくるわ』
二つの背中を見送った実態を持たない少女は、ふわりと宙に浮かび現れそっと呟いた。
『カイちゃんと雪の女王に会いに、あの子は戻ってくる』
そして本当になんとかするのだろう。
すれ違いも何もかも、きっと戻してくれる。
『そうよね、ゲルダ』
氷の中で眠り続けているゲルダを思い、少女は静かに瞳を閉じた。
* * * * *
空から見下ろす【不思議の国】号。
白い船布に風を一杯受けて、進む白い船体。冷たい風になびく、赤い薔薇と髑髏が描かれた海賊旗。
あぁ、【不思議の国】号だ。そんなの当たり前なのに、やけにしみじみと思えた。
「降りても平気かい?」
ホーンがどこか気を引き締めた顔で聞いてくる。
わたしは頷こうとして……止まった。
「ユキ?」
目が、合った。
金色に輝くアーモンド型の瞳。細まったソレと、視線が交わる。
風になびく紫色の髪。見張り台に立ったチェシャだった。
「どうしたんだい、ユキ?」
嬉しいはずなのに、どうしてだろう?
チェシャの瞳が怖い。怖いだなんて、どうしてそんなことを思うの? だって、もう怖いものなんてないはずなのに。
チェシャは、赤く染まってなんかいないのに。
その瞳で見上げられるだけで、狙われているかのように感じてしまう。どうして? チェシャはそんなことしないのに。
「……チェシャ?」
震える声で、小さく名前を呼んだ。
こんな遠く離れた場所からは、聞こえてるはずなんかない。そう思ったけど、ハッとしたような顔をしてから、チェシャはするするとマストを伝って降りていった。きっと、珍しく見張りとしての役割をこなそうとしているんだと思う。
「ねぇユキ、どうするんだい? 引き返した方がいいなら引き返すけど」
「あ、う、ううん! えっと、あっちの広くなってる甲板の方に降りれる?」
「分かった、オルガ!」
ゆっくりと、前に重心をかけて下降して行く。ホーンに寄りかかり過ぎないように、なんとか身体を起こそうと努力してはみたんだけど……う、うまくできてないかも。
揺れやら傾きやらに四苦八苦していると、甲板の方から少し驚いたような声が聞こえてきた。
「アリス!?」
ヤマネくんだ!
直感だけど、きっとそう! わたしはハッと甲板の方を見下ろそうとして、ぐらりと……って、あれ?
「ユキ!?」
「アリスッ!?」
あれ、既視感?
なんて悠長なことを思っている暇もないくらいの勢いで、わたしはオルガくんの背中から、滑り落ちていた。
「……っ!」
息をのむことで悲鳴を飲み込んで、風を切るあの何度目か分からない落ちる感覚に呑まれる。
ホーンが必死の形相でオルガくんを操って手を伸ばしてくるけど、届かない。
せめて海の中に落ちたのなら、まだ無事だと思うけど。
そんなことを思いながら、わたしはぎゅっと瞳を閉じた。
「アリスッ!!」
ヤマネくんの悲鳴が聞こえた、と同時に横から誰かに掴まれたような気がした。
引き寄せられる。
一拍後、だんっと大きな音とぐっと押し付けられるような反動を感じて、思わず舌を噛みかけた。噛みかけたんだけど、痛くない。
「……大丈夫?」
そっと目を開けると、橙色の瞳が見えた。変わらない表情で、静かにわたしを見下ろしているのは……マーチ?
「だい、じょうぶ、です」
「……そう」
静かに息をついたマーチが、思ったより近い距離にいた……って言うか、マーチに抱きかかえられていた。
オルガくんの背中から落ちたのに痛くないのは、マーチが受け止めてくれたから?
「アリスッ! 無事でよかった!」
「うわっ」
マーチがそっと放した途端、今度はヤマネくんに勢いよく抱きつかれた。
ぎゅうぎゅうと抱き締められて、申し訳ないやら恥ずかしいやら……。いや、正直苦しいんだけど、心配掛けちゃったのかなって思って、そっと背中を叩いてあげた。
「……早々に騒動を起こすとはな」
「……船長」
呆れたような声色の船長の傍に、当たり前のように佇む帽子屋さん。
本当に帰ってこれたんだって思えて、なんだか、無性に嬉しかった。
「丁度お迎えにあがるところでした。お久しぶりです、我らがアリス」
「お久しぶりです、帽子屋さん。只今戻りました、船長」
「せんちょおっ!?」
帽子屋さんの優雅な礼に微笑みながら応えて、船長に向かって帰船を告げた途端、素っ頓狂な声があがった。
すとんと着地したホーンは、目を白黒させながら何度もわたしと船長を交互に見ていた。
「ちょっと待ちなよ! どういうことだいっ!?」
「どういうって」
「だって、今確かに船長って……! そんなのおかしいじゃないか! 本物の【不思議の国】号の船長は何処にいるんだい!?」
「なんだ、このやかましい女は」
船長が眉間に深いしわを寄せてホーンを見下していた。あ、今完全に不機嫌だ。
船長の鋭い眼光に警戒しながらも、ヤマネくんに抱きつかれたままのわたしに、ホーンはなにやら物言いたそうな顔で近寄ってくる。
「ユキ、ここは本当に【不思議の国】号で間違いないんだろうっ!?」
「う、うん」
「アリス、そちらの方をご紹介して頂いてもよろしいですか?」
ホーンの必死な剣幕にたじろいでいたんだけど、帽子屋さんがやんわりと声を掛けてくれた。……あくまでも、声だけは。
気がつけば不機嫌そうな船長のそばで、さりげなくマーチはサーベルの柄に手を掛けているし、ヤマネくんはわたしの腕にしがみつきながら警戒するようにホーンを見上げている。
帽子屋さんは、笑みと声色だけはとってもキラキラしいんだけど……目が、船長と同じくらい怖いのですが。
「あ、あのホーンは敵なんかじゃなくて、わたしが」
「あたいは山賊【トナカイの角】の娘ホーン! ヤル気なら受けてたつよっ」
「待って早まらないでお願いだから!」
こんなところでナイフを抜こうとしないで! と必死になってホーンの腕を掴んで、これ以上場を混乱させないように、わたしは一息で言い切った。
「ホーンは山賊なんだけど、わたしがこのラップランドでお世話になっていた友達なんです! だから、この【不思議の国】号の敵なんかじゃないですし、戦う必要だってないので! お願いだから、刃物を抜かないで構えないでくださいっ!」
必死になって言い切ると、オズオズとヤマネくんがわたしから手を放して、マーチも構えをといてくれた。
「それは、我らがアリスが大変お世話になりました。心から御礼申し上げましょう」
「や、やめなって! あたいは友達に対して当たり前のことをしただけなんだから、あんたにそんなことされる筋合いなんかどこにもないんだ!」
帽子屋さんに綺麗に礼をされて、ホーンは顔を赤くしながら腕をブンブン振っていた。
なんだ、この無駄にキラキラしている奴は。
そんな呟きが聞こえて、思わず頷いてしまった。本当に、久しぶりに会った帽子屋さんは、二割り増しくらいでキラキラしたエフェクトが見える気がする。
「いや、そんな些細なことよりも。お願いだよ、正直に答えてくれないかい?」
弱りきった顔で、わたしの腕を掴んでくるホーンの狼狽具合がよーく分かる気がする。
「あの、あそこにいる偉そうに煙管を吹かしている、只者じゃない雰囲気を放ってる奴が、この船の船長で間違いないんだろうね?」
「うん、そう。あの人が船長だけど」
「【不思議の国】号の船長は、ハートの女王って言うのも、間違いないんだろう?」
「う、うん。一応、船長がハートの女王だけど……」
「そ、それじゃあ、ジャックがいつも言っている女王って、あいつのことなのかいっ!?」
酷く狼狽したホーンが叫ぶようにそう言った瞬間、だぁん! と重い音が響いたかと思えば、目の前を何か通り過ぎた気がした。
……あの、まさかと思うけど船長、撃った?
「口の利き方には気をつけろ」
こっちに向けられた重そうな銃口からは、細く煙が上っている。酷くイラついている様子の船長だからやりかねないとは思ったけど、本当にやるなんて……!
「信じられるかっ! まさか、ハートの女王が男だったなんて……!」
ホーンはそれどころじゃないらしく、頭を抱えて嘆いていた。
……船長の肩書きと性別については、きっと誰もが一度は驚かざるをえない出来事なのかもしれない。
打ちひしがれるホーンの肩をぽんぽんと叩きながら、ようやく警戒を解いてくれた【不思議の国】号を見渡した。
数週間離れていただけあって、帰ってきたなってしみじみ思った。まぁ、船に乗っていた時間のほうが少ないんだけど、それでもそう思えたのは、それだけ【不思議の国】号の居心地が良かったからなんじゃないかな。
この船独特の揺れ方も、なんだか懐かしい。
「おかえり」
ぽん、と頭に手を置かれて、マーチがぽつりとそう言ってくれたのをどこか照れくさく感じながら、ただいまと返した。
「絶対迎えにいくって、そう言ったんだけど。物語みたいにかっこよく迎えにいけなくってごめんね」
わたしの隣に立ったヤマネくんが、覗き込むようにして声を掛けてくれる。その顔がしゅんとしているのにも関わらず、可愛いとか慰めてあげたいとか、そう思わせるような雰囲気をかもし出しているヤマネくんの愛らしさは変わってないみたい。
「ううん。ただいま、ヤマネくん」
「おかえり、アリス!」
「さて、我らがアリスが無事に帰船したことですので、針路を変えましょうか」
帽子屋さんがゆっくりと腕を振り上げようとしているのを見て、わたしは慌てて止めようとした。
だって、まだわたしがしなくちゃいけないこと、何一つとしてできてない……!
【神子の玩具】だって手に入れてないし、ホーンのお父さんたちも元に戻してない。何も出来ないままラップランドから引き上げるのは嫌だった。
「待っ」
「待て」
でも、わたしの声に被せるようにして、船長が先に帽子屋さんの腕を掴み止めてくれた。
「クイーン?」
掴まれた腕をどこか驚いた様子で見ていた帽子屋さんだったけど、やがてゆっくりとその腕を下ろした。
船長がゆっくりとわたしの方へと近づいてくる。
「見つけたのか?」
何を? とは聞かない。そんなの、分かりきってる。
「ここにもあります」
「だが未だ手に入れてはいない。違うか?」
「違い、ません」
分かっているなら、わざわざ聞かなくてもいいと思うんだけど。吹き付ける冷たい海風に身体を震わせて、弄ばれる零れ毛を押さえた。
「マッド、出航は延期だ」
「では、上陸の準備を?」
「あぁ。命令だ、失敗は許さん」
船長の言葉に、ぐっと背筋が伸びた。
ゆっくりと船員を見渡すその切れ長の碧眼を、わたしたちは自然と見つめ返していた。
さぁ、船長。わたしたちに命令を。
ハートの女王のように、高慢で、無茶苦茶な命令を。
「【神子の玩具】を手にして来い」
手段は問わない。だから必ず奪い取って来い。
「返事は?」
「了解」
船長が求める唯一の答えを返すと、船長はニヤリと口角を持ち上げた。
やってみろ。
そう言われているみたいで、どこか面白がっているようなその様子に、帽子屋さんが小さく肩をすくめていた。
「では、作戦会議のお茶会を始めましょうか。寒いのでどうぞ中へ」
「アリス、こっちだよ!」
「え? あ、うん」
ぐいぐいと手を引いてくれるヤマネくんに戸惑いながらも、わたしは少し小走りになりながら船内へと続く扉へと向かった。
「そちらの貴女もご一緒に」
「え? あ、あたいもかいっ!?」
「えぇ、もちろん。この船に乗り込んできたからには、貴女に拒否権はありませんので、大人しく、どうぞお手を」
そんな帽子屋さんの声が後ろから聞こえたんだけど、甘い声と反して内容がちょっと物騒な響きのような……。
不安になって振り返ろうとしたけど、上下左右に揺れる不安定な船の上。
わたしは転ばないようにしてヤマネくんの後を追うので必死だった。
* * * * *
「て言うことは、なんだい? つまりユキは伝承にある【娘】と【主人公】で、この【不思議の国】号のアリスだってことなんだね?」
頭を抱えながらだけど、ホーンはなんとか理解してくれたみたい。
面倒だったから色々なところを省いての説明だったけど、納得してくれたなら別にいいよね。
「そんな凄い存在には見えないけどねぇ」
「ま、まぁ確かにそうなんだけど」
「ご理解いただけたところで、今度はこちらからの質問にお答えして頂いても?」
「それがユキのためにもなるんだろう? あたいが答えられる範囲なら、構わないよ」
ホーンとわたしと、帽子屋さんとヤマネくん。その四人で船内にある会議室のような場所で顔を突き合わせていた。
目の前の大きな机の上には、黄ばんだ羊皮紙に描かれた地図。それを見下ろしながら、わたしたちは現状を整理するために言葉を交わしていた。
ホーンには今まで伝えられなかった、わたしの正体を伝えて。代わりにホーンからラップランドの詳しい状況を教えてもらう。
わたしは、とりあえず最後でいいかなって。しばらく聞き手に回ってようかと思ってる。
「雪の女王により港を閉鎖されてから、我々にはこの国の状況が分かりません。船を港に停泊させ出来る場所はありますか?」
「無理だね。どの港も閉鎖させられている。仮にもし適当に陸付けしたとしても、雪の女王の兵が押し寄せてくること間違いないよ」
「でも、冷たい海の上に停泊させるのも不安ですよね……」
「その辺りは、我らがクイーンのお力でなんとかなさるでしょう」
帽子屋さんがあっさりと言い切って、とん、と地図上に指を置いた。
「ここが、今私たちがいる辺りです。そして、女王の城はここ」
南西側の海を指し示していた指が、すっと最北端にある山の近くへと移る。
「魔法で移動できないこともないですが、この距離では座標位置が定かではないので無謀ですね。城への進入路はご存知ですか?」
「三つくらいだね。だけど、どこも兵は配置されてるよ」
とん、とホーンが城へと続く道を三つ指し示した。
「まず、ここ。山間の道だからあたいたちはよく利用していたんだけどね。親父たちが城の兵の仲間入りしちまってからは使ってない。それに雪崩の危険性と野生の狼もよくでるから、よほどの物好きじゃないと使わないね」
ここからだと山麓にある城を大きく遠回りして行くようなルートだから、できれば避けたいよね。わたし体力ないし。
ホーンが続いてとん、と指したのは……街?
「あとは、ここ。この国の首都でもある街。ただ、今の状況で本当に使えるのかは分からないけどね。ここから強行突破していくのが一つ」
「地図で見ると一番近道みたいですけど……、やっぱりその分突破は難しそうですね」
「当然だろ。何より、今この国の人間は狂ってんだから」
「……狂ってる?」
あ、そっか。ヤマネくんたちは知らないんだっけ。
嘲笑するようにはき捨てたホーンの言葉に、不思議そうに首を傾げたヤマネくんと帽子屋さん。彼らにどうやって説明しよう。
「この国の人間は狂い出しているのさ。誰が狂っているのか、いつ自分も狂っちまうのか分からなくてね、疑心暗鬼になってる。国民の誰一人として、いつ敵になるかわからないんだよ」
「あの……」
小さく手を挙げてみた。今が、わたしが知っていることを話すチャンスなんじゃないかなって思って。
ホーンには通じなくても、童話……ううん、伝承を知っている帽子屋さんにはきっと伝わるはず。そう、信じたい。
知らなかったら、この子何言ってるの? 的な視線が突き刺さるだろうことは分かってるけど。
「それ……“悪魔の鏡の欠片”が原因みたいです」
「悪魔ぁ? なんだいそれ?」
ホーンには思いっきり否定された。ヤマネくんはきょとんと目を見開いている。
帽子屋さんは……
「なるほど。“悪魔の鏡の欠片”ですか」
通じたみたい。
「鏡の欠片はカイに突き刺さったわけじゃないみたいです。あと、狂った人は、みんな虚ろな瞳をしてました」
「アリスは、そんな人たちに会ったってこと?」
「一応は」
「それは困りましたね。アリスを安全な場所に移すと仰っておきながらも、危険な目にあわせるなんて……。後ほどジャックにはきっちり仕置きをしておかねばなりませんね」
それはほどほどにしてあげてください。くらいは小さく主張してあげようと思う。そうじゃなくても、ジャックさんホーンに殴られて気絶している最中だし。
て言うか、帽子屋さんの笑みがなんだか怖いのですが。あれ? 帽子屋さんってこんなにも黒いオーラ出す人だったっけ?
「ね、ねぇホーン! 狂っているのって、お城の兵士だけ?」
「あぁ、狂っているから兵士にされているんだしね。多分そうだと思うよ」
さりげなく話題を変えて……変えてそういえばと思い出す。あの、幽霊みたいな子も言っていたっけ?
『おかしくなっちゃったから、このお城にいるんでしょ?』
と言うことは。
「雪の女王の兵士は元々国民で、その狂った国民を兵士にしているってこと?」
そう、考えてもいいんだと思う。
「それにしても“悪魔の鏡の欠片”とは、厄介なものですね」
どうぞ、と紅茶を注いだカップを差し出してくれる。室内に紅茶の芳醇な香りが広まって、その温かさと一緒にほっと息をついた。
「やっぱり、それが【神子の玩具】になりますか?」
「確立としては高いでしょうね。国単位で人を狂わすなど、人外の力を以っていない限り難しいですから」
「待った待った! 伝承の【神子の玩具】なんてもん、本当にあるのかい?」
「……それでは、それはあちらで詳しくお話致しましょう」
何かを考え込むようにして、帽子屋さんはゆっくりとホーンを続き部屋へと促した。
「ヤマネ、アリスと共に情報を整理しておいて下さい」
「え?」
「貴方が上陸するのでしょう? それくらい、私が戻ってくるまでにできますよね?」
「っ、はい!」
「では、お任せ致しますよ。貴女はこちらへどうぞ」
「ちょっと、まだあたいは行くとは言ってな……おい、待っ!? 放せってば!」
喚くホーンを問答無用で引きずる帽子屋さん。
ヤマネくんを見たら、どこか青ざめているから……って、え?
「あの、大丈夫だよね?」
「うん。たぶん、大丈夫だと思う」
そんな自分に言い聞かせるように言われても不安なんだけど。
……本当に、話すだけだよね?
とりあえず落ち着こうと、こくりと一口頂く。クセのないほんのりと甘い味が広がって、再びふぅと小さく息をついた。
一息ついたところで、ヤマネくんがおずおずと口を開く。
「えっと、アリス」
「うん?」
「今回は、僕とマッドが一緒に上陸するんだ。よろしくね」
「そうなの? こちらこそ、またよろしく」
ふふっと小さく笑いあいながら、あぁなんだかこんなやりとりも久々だなぁなんて。
「それで、えぇと情報整理をしろって言われたんだよね。アリスの知っていることでいいから、改めて教えてくれる?」
「うん」
わたしが知っていること。
どれが正しくて、どれが嘘で、どれとどれに繋がりがあるのか、全然分からないけど。ヤマネくんに伝えると言うことで、それを整理できるかな?
喉を潤して、ゆっくりと口を開いた。
「ヤマネくんは、『雪の女王』のお話、知ってる?」
「まだ読んでいる途中だけど、あらすじは分かるよ」
それなら、話は通じやすいよね。『雪の女王』の物語を知っているか知っていないかだと、話は全然違うから。
「それじゃあ、さっきも言ったけど、この国の人は“悪魔の鏡の欠片”で狂っているの」
「うん、カイに刺さったあれだよね。それがこの国の人にもってこと?」
「そうみたい。それで、狂った人は皆雪の女王に連れて行かれて、兵士にされている。まるで操られているみたいに」
気持ち悪いくらい雪の女王に従順で、虚ろな瞳には意思が見つけられなかった。
あの冷気が漂っていた地下で眠っていたことと言い、濁ったような瞳をしていることと言い、それが益々気持ち悪いって思わせる。
寒くもないのに、ぶるりと震えた。
「雪の女王が何かしたってことかな? だって、伝承ではカイを連れさらっても兵士になんかしてなかったのにね」
「雪の女王が関係していることには間違いないと思うけど……。あぁ、あとカイは狂ってなんかなかった」
「カイに会ったの?」
会ったと言うか、協力してもらっていました。なんて、そんなこと言ったら、あのことまで言わなくちゃいけなくなりそうだから言わないけど。
そんな考えは頭の隅に押しやって、とりあえず頷いた。
「雪の女王の城でね。……わたしよりも年上だったけど」
「年上なんだ……」
がっくりと肩を落としたヤマネくん。お話の中では、カイはわたしよりもヤマネくんよりも年下だもんね。
あ、いやでも、精神年齢はきっとヤマネくんの方が年上だよ。ヤマネくんの方が落ち着いているし、大人びているように思えるかな? あと……これは直接言いはしないけど、ヤマネくんの方が断っ然可愛い。
「カイは“悪魔の鏡の欠片”が刺さって、冷たい心の持ち主へと変わったから、雪の女王に連れさられたんじゃなかったっけ?」
「わたしもそう思ったんだけど、カイは違うみたい」
「うーん、やっぱり現実は伝承通りいかないってことだよね」
おかわりいる? とポットを傾けたヤマネくんに、お願いとカップをそっと寄せた。
「でも、マッドが言ってたみたいに“悪魔の鏡の欠片”が【神子の玩具】だったらさ、僕たちがそれを手に入れられれば、この国の人たちが元に戻るかもしれないってことだよね?」
「そうだと思うけど……」
「けど?」
「漠然とし過ぎじゃないかな? 数も形も何も分からないなんて」
無数に散った鏡の欠片は、何個あるのか、どんな形をしてるのか全然分からない。
今まで“声”だって聞こえてこなかった。
“小さくなる飲み物”と“大きくなるケーキ”みたいに、こんな感じなんだろうって言う予測ですらたてられない。
そんなものをどうやって見つければいいんだろう?
「変なことを言うね、アリスは」
「え?」
「【神子の玩具】はね、それがどこにあるか、それがどんなものなのかも分からないもの。僕らが捜し続けているものは、そんなものなんだよ」
頬にえくぼを作りながら笑うヤマネくんの言葉に、きょとんと目を見開いた。
そう言えば、前に船長がそんなことを言っていたような気がする。
よく分からないけど、ヤマネくんたちにとって、形や数が分からないことは特に問題にはならないみたい。




