06.氷の柱に赤の瞳
一際大きな氷柱。
無造作に配置された他のものとは違い、表面はわたしたちの姿を映し出しているくらい滑らか。
キラリと輝くそこに見たのは、眠るように閉じ込められている少女だった。
「っ!」
何かを堪えるように、カイが小さく声を洩らした。
氷に反射して見えるその顔は泣きそうで、後悔するなって、わたしじゃなくて自分自身に言い聞かせていたのかな、なんてそう思った。
「彼女が、ゲルダ?」
「……あぁ」
さらりと肩をすべり落ちた髪が、俯いたカイの表情を隠した。
見たくなかったんだ。氷付けにされたゲルダの姿なんて。そうだよね、知り合いの、幼馴染の姿がこんななっていたなんて。あんまり見たくはない光景だよね。
「ごめんね……」
でも、ここまで連れてきてくれてありがとう。
掴まれていない方の手を伸ばして、背伸びしながらカイの頭を優しく叩いた。小さく息を呑んでぎくりと身体を強張らせていたけど、後ろから腕をまわして、わたしの肩に顔を埋めてきた。
ちょっとくすぐったいとか、正直止めて欲しいって言うのが本音なんだけど、顔見られたくないんだよね。涙は流していないけど、でも、嫌なんだよね。
よしよし、とあやすように頭を撫でていると、掴まれていた腕を放された。
そして、再び目の前の氷柱を見上げた。
白い肌に栗色の波打つ長い髪。幼さが残る顔立ち。伏せられた瞳。厚手の長いショールに、ロングスカートから覗く使い古されたブーツ。
小中学生くらい、かな?
カイよりも、わたしよりも小さな身体を、その氷の中に閉じ込められて。どうしてそんなところにいるんだろう?
「……大丈夫、かな?」
目的を早いところ果たしてしまおうと、指輪を握ろうとした。
こんな厚くて大きい氷の中からの声って、聞こえるのかな?そんな不安は多いにあるけど。
でも、そっと服の上から指輪を握り締めた。
「わたしの声が、聞こえる?」
……答えは、ない。
【神子の玩具】は、もしかしてここにないの?それとも、わたしじゃ声が聞こえないの?
でも、大きくなれたり、小さくなれたりはした。だから【証】はわたしをまだ見捨ててないはず。
だとしたら、やっぱりここに【神子の玩具】はないの?
ぐるぐると、色々な考えが浮かんでは消えて、どれが正解なのか分からない。戸惑いだしたそんな時、指輪が弱々しく点滅している事に気付いた。
「……? なんか、光ってねぇか?」
「どうして?」
服越しの光とは言え、それに気付いたカイが後ろから覗き込んでくる。
うん、もう大丈夫なら首に回した腕をはずしてくれないかな?
「……あ」
「あ?」
「あれ」
さりげなくカイの腕を外そうとしていたわたしのことに、気付いているのかいないのかは分からないけど。
カイが見上げる方を向いた。
「あれって……」
氷の中に閉じ込められているゲルダの、胸元で組まれた手。
そこから、指輪の光に呼応するように、弱々しい光が点滅している。
「【神子の玩具】なんてもんを、ゲルダの奴本当に持ってたのかよ……」
氷に閉ざされてたから、声が聞こえなかったのかな?
きっとそうなんだと思って、点滅を続けるゲルダの手元を見上げるんだけど……
「どうやってあれを取り出そう……」
「これを割るとか、どう考えても無理だぞ」
「普通じゃ難しい、よね?」
ここに来て大問題発生。
こればっかりは、考えてもどうすることもできないし……、どうしよう。
頭を抱えて考えているとき、すっと、足元に漂っていた冷気の流れが変わったような気がした。
あくまでも気だけ。確証なんか何処にもない。
「……誰だ?」
はずだったんだけど、カイが鋭くそう言ったから、気のせいなんかじゃない。何かが変わったってことは、わたしたちの他に変えるようなことをした誰かがいるってこと。
警戒するかのように、首に回していた腕に力を込めて、カイはゆっくりと振り返った。
「あんたがそこにいるのは分かってんだ」
氷柱に赤い色がゆらりと映されるけど、その姿が見えない。
まさか、さっきの部屋の兵士が、ここに来た、とか?
その可能性を考えて、わたしは思わずカイの袖を掴んで、息を殺した。
「返事くらいしろ。じゃねぇと、切る」
ぽぅと、白い光がカイのさし伸ばした手に集まり、J字形の刃先がついた一本の槍を作り出した。刃先を相手がいるだろう方向に向けると、鋭いそこが光に鈍く輝いているように見える。
いや、待ってよ。切るとか、そんな簡単に言わないでよ!
「ちょ、ちょっと待っ」
「……おじょーさん?」
「え?」
制止の言葉を遮ったのは、どこか驚いたような誰かの声。
誰かって言うか、わたしこの声知ってる。
そもそも、おじょーさんだなんて言うような人、一人しか知らないんだけど。
「……ジャックさん?」
「おぉっ! やぁっぱり【不思議の国】号のおじょーさんだ! よかったぜこんなにも簡単に見つかっ……いやいやいや、全然良くない状況じゃねぇか!」
きりっとらしくもなく真面目な顔をして、こっちを睨んでくる。
あれ? ちょっと待って。なんだかおかしくないかこの状況。
「おじょーさんからその手を放せ」
「なんであんたに命令されなくちゃならねぇんだよ」
「そのおじょーさんは、あんたみたいな奴が触れても良いような相手じゃねぇからだ!」
ものすごい勘違いをされているように感じてならないのですが。
ジャックさんとカイは互いに睨み合っている。
えっと、ジャックさんからして見れば、わたしの首にしっかりと腕をまわしているカイは……わたしを人質にしているように見えている、のかもしれない。
これは、ちょっと、ヤバいんじゃないか?
「ねぇ、待ってよ! 二人とも待って!」
「あんたは黙ってろ!」
「おじょーさんは黙っててくれ!」
二人に同じことを言われたけど、ここで黙ってなんかいられない!だって、止めないと!
「カイはその刃先を下ろして。それでもって、この腕いい加減放して」
「なんでだよ?」
「なんでじゃなくて! あと、ジャックさんもそんな怖い顔してこっち見ないで下さい。二人とも敵なんかじゃないから! ねっ?」
と諭しても、睨み合いが終わる気配はない。
いや、もう本当にこの腕を放してほしいんですけど。カイの胸の中にすっぽりと納まっているのと、あとあっちこっちがくっついているのがちょっと、さすがにそろそろ落ち着かないんですが。
「おじょーさん、そいつを信用しているのか?」
「どうしてそんなことを言うの?」
「唆されているだけだぜ、そいつに。そいつは信用なんかしちゃならねぇ」
何、その言い方。なんだか嫌な言い方だ。
信用しちゃいけない?そんなことを、どうしてジャックさんに言われなくちゃならないの?
「カイはそんなことしてない。できるはずないよ、だって彼は」
「そいつが、悪魔に魂を売ってる奴だとしても?」
びくりと、カイの手が震えた。わたしの肩を掴む手が強張って、カタカタと小刻みに震えている。
動揺しているの? ジャックさんの言葉に。
「カイ?」
「……んだよ」
カイの赤い目が揺れている。どうして? 何で?
悪魔に魂を売ったって、何?
「そのおじょーさんは、あんたみたいな奴が触ってもいい奴じゃねぇ! さっさとその薄汚ぇ手を放しやがれっ!」
なんでそんなことを言うの?
カイが悪魔に魂を売ったって? 何?
そんなはずないじゃない。だって、カイはぶっきらぼうで素直じゃないだけで、優しいもの。誰かを傷つけることや、自分が傷つくことを怖がっているだけだもの。
「それ以上言わないで」
「そいつを庇うのか? おじょーさん、あんたは【不思議の国】号よりもそいつを選ぶって言うのか?」
「どうしてそうなるの? 彼が【不思議の国】号の敵だとでも言いたいの?そんなはずないじゃない」
わたしがそう言い切ると、ジャックさんは哀れむような視線を向けてくる。
どうして理解できない?
目でそう言われているように感じたけど、それはこっちの台詞だ。どうしてそんなことを言うのか、わたしには全然理解できない。
「いいかー、おじょーさん。あんたは知らないみてぇだからあえて教えるけどな」
「っ……言うな!」
ぎゅっと、強く肩を摑まれる。
「そいつの赤い目がなによりの証拠」
「やめろっ! 言うなっ!」
「血のように赤い瞳は、この世に災いをもたらす」
悪魔と同じ。
「……だから何?」
「は?」
「だから何? 赤い瞳をしている人は皆悪魔だって言うの? もし本当に彼が悪魔だったら、怖いとでも言いたいの? わたしから見れば、【不思議の国】号で見た赤い光景の方がよっぽど怖いわ」
もしくは、この城の兵士とか。そっちの方が怖くて動けなくなるくらいに怖いって思う。
それに比べれば、ずっとわたしの気持ちを支えてくれていたカイなんか、全然怖くなんかない。むしろありがとうって、感謝すべき存在なんだから。
「そもそも災いって何? わたし結構長い間カイと一緒に行動してるけど、お城の兵士に出くわすこと以外、特に変わったことなかった気がするけど?」
しいて言うなら、今この腕を放してもらえないことが災い?
いい加減放してください、お願いだから。
強く力を込められるほど痛いとか思う半面、抱きかかえられているように感じて心臓が持ちそうにないんですけれども。
でも、それだけ縋り付かれているような気がして、そう強く放してとは言えないんだけどね。
「……そりゃ、斬新な考え方だとは思うけどな」
言葉を失っていたジャックさんが深く息をついて、ぐしゃぐしゃと赤銅色の髪をかきまわした。
「今まではそうだったかもしれねぇ。でも、これからもそうだって言う確証はねぇだろ?」
「そんなにわたしをカイから放したいの?」
「そりゃそーだ。って、何? おじょーさんは、まさか、そいつから離れたくねぇってか?」
離れたくないって言うか、離れちゃいけない気がする。
ここでわたしがカイから離れて、ジャックさんの下に行ったりしたら、きっとカイは傷つく。あの子にも言われた。
これ以上カイちゃんを傷つけないで、って。
そうじゃなくても、縋りつかれるように抱きしめられた腕から離れられないけど。
「……離れたくない」
「!?」
「少なくとも、ここに【神子の玩具】に関する手がかりがあったから。わたしはまだ【不思議の国】号に戻るわけにはいかない」
動きを止めたカイの袖を掴んだまま、真っ直ぐにジャックさんを見つめた。
だって、わたしは偽者とは言え【不思議の国】号のアリス。
逃げないって決めて、【主人公】として物語を進めるって決めたんだから、その役割を全うしたい。
そう思うのは、悪いこと?
「あぁ、畜生! その瞳は決めちまった瞳じゃねぇか! 勘弁してくれよ、おじょーさんが危険な目に合っちまうと、俺様本当に俺様の愛しの女王に首刎ねられちまう!」
うわああぁと頭を抱えるジャックさんに、そんなの今更じゃないかとか言ってしまおうか。結構危険な目に合ったりしてますが。
苦笑を浮かべたわたしだったけど、不意にガシャンと扉の向こうで大きな音が聞こえて、そのまま体を固まらせた。
今の、何の音?
ジャックさんとカイが、ハッとしたように広間へと続く扉の方へと注意を向ける。
「……あいつらが起きたな」
カイが呟くと同時に、ガシャン、ガシャンと金属がぶつかる音がいくつも聞こえてくる。
「あいつらって、あの、あっちにいた兵士たち?」
「それ以外ねぇだろ」
で、ですよねー……。なんて思いつつも、心臓が別の意味で早鐘を打つ。
この音は、兵士たちの鎧が起き上がるときに地面とぶつかる音なんだろうかって思うと、背中が震えた。あの虚ろな目をして、たくさんの兵士がこっちに向かってくるのかな?
逃げ場とか、見つからないんだけど。
「一体何なんだよ……。俺様本当についてねぇの」
口調は軽くても、慎重な足取りでそろっと扉の方へと近づいていくジャックさん。
警戒したままのカイが、ジャックさんの動きに気付いたのか、わたしの肩から強張った手をそっとはずした。
「カイ?」
そのまま腕を解かれて、ようやく開放された。かと思ったら、無造作に頭を撫でられた。
ちょっと! 髪、髪乱れる!
「あんたって、本当に……」
「ちょ、カイ!」
「……変な奴」
失礼な! いや、それは最初からだけど。
でも、わたしを見下ろすカイは瞳を揺らしながらも、小さな笑みを浮かべていた。
それにどんな意味が込められていたのかなんて分からない。
分からないけど、半身だけ振り返るようにして見上げていたわたしの頭から手はどけない。
そっと押して、見上げたままの状態で固定される。
「あんたは、本当に変な奴だ」
「変、変って。ちょっと」
「黙ってろ」
あれ? ちょっと待って。なんか、近くない?
その赤い瞳に、きょとんとしたわたしが映っているのが見えたかと思えば、さらりと、白くて長い髪が頬に零れ落ちてきた。
カイの端麗な顔立ちが、視界一杯に広がる。それ以外、何も見えない。
唇に、何かが触れた。
ふっと、暖かな吐息を掛けられた瞬間、わたしは……猛烈な寒さに襲われた。
「寒っ!」
ぶるりと、体が温度と言うものを思い出したのかのように震えて、カタカタと奥歯が何度も音を立てた。
指先とかかじかんで赤くなってるし、感覚とかない。頬に触れる冷気なんか、寒いと言うよりも痛い!
「……思い出したな」
あ、違う。寒いってことを思い出したのはそうだけど。
それよりも、あれ? 今ちょっと、あれ?
寒さに頭がついていかないわたしの手を強く引いて、カイは片手で槍を構えながら、今まさに扉を開けようとしていたジャックさんの下へと駆け出した。
「おいっ!」
「!?」
ぎょっとしたように振り返ったジャックさんに向かって、カイは槍を構えなかった。
それどころか、容赦なく冷たい風を突っ切らせて走らせるわたしを突き飛ばした。
「こいつ連れて、さっさと逃げろ!」
「ちょ、おまっ」
はい? カイが何を考えているのか全然分からない。
ちょっと待ってよ。この状況に、カイがとった行動を照らし合わせようとしても、混乱した頭じゃ答えなんか出てこない。
「二度と雪の女王に掴まんじゃねぇぞ!」
赤い目をわたしに向けて強く言い放って、扉を蹴り開けてその不思議な槍を構える。
「悪ぃな」
ジャックさんの言葉が終わるか終わらないかのうちに、白い光がすぐ近くで輝きだす。
移動するつもりだ。そんなこと分かっても、ジャックさんにつかまれたわたしは、動くことですら出来ない。
どうしてこうなってるの? わたしは離れないってそう言ったのに、カイから手放された。
とんでもない混乱の種を残されて。
「カイ!」
叫んでも、届かない。
光に包まれながらも最後に見たカイの姿は、向かってきた兵士に向かって槍を振り下ろしたところだった。
光が、消える。
視界を埋め尽くすように白く塗りつぶされていた光が薄れて、わたしはそっと目を開けた。
薄暗い場所。埃っぽくて、じめじめとした息が詰まるような感じがして、思わず顔をしかめる。
「ごめんな、おじょーさん」
「どうして……」
「本当に、ごめんな」
場所を移動し終わっても、ジャックさんは放してくれない。
ぎゅっと抱き締めたまま、何度もごめんな、と繰り返してわたしの背中を優しく叩いてくれた。
何がごめんな、なの?
ねぇ、謝るような事をしたの?
それは全部ジャックさんのせいなの?
「どうして、謝るの?」
「おじょーさんが泣きそうだから」
「わたしを泣かすようなことを、ジャックさんはしたんですか?」
ジャックさんがしたことも、カイがしたことも、わたしには全然理解は出来なかったけど。
でも泣くようなことじゃない。そんなことで、わたしは泣かないよ。
「おじょーさんを危険な目に合わせないって、そう言って【不思議の国】号から下ろした。でも、おじょーさんはこうして危険な目に合っちまった」
これじゃ、女王に顔向けできねぇな。
カタカタと小刻みに震えているわたしを落ち着かせるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「何かが起こっちまう前でよかったぜ。怖かったな、おじょーさん。俺様がいるからもう大丈夫だ」
震えているのは、寒さから? それとも怖いから?
分からないけど、でもわたしは確かに震えてる。暖かなジャックさんの胸の中で、震えてる。
「大丈夫だ」
大丈夫、大丈夫と繰り返す言葉が頭を撫でてあやしてくれているみたいに感じて、どうしてわたしはこんなに震えているんだろうって、震える必要なんかあったんだろうかって、そう思った。
「なーにが、大丈夫だこの変態っ!」
「ぐはっ!」
がんと、大きな音が近くで……と言うか頭の上で?聞こえて、ジャックさんが大きく仰け反っている。
何が起きたんだろう? って呆然としていたら、ぐいっと腕を引かれてジャックさんから他の誰かの腕の中へと移された。
「ユキに触るんじゃないよ! あんたみたいな変態が移ったら困るだろっ!」
「てめっ、ちょっとは手加減しやがれっ! 色男の顔足蹴にするとか、何考えてんだ!」
「もちろん、ユキを変態の手から取り戻す事さっ! あんたは少しくらい傷付いていた方が、まだマシに見えるんじゃないかい?」
「まだマシってどう言う事だよっ! 俺様はいつでもカッコいいだろーがっ!」
「はんっ、どこが?」
スミマセン、意味が分からないのですが。
噛み付くように怒鳴るジャックさんに、容赦ない言葉を投げつけるのは、わたしが抱き締められている相手。
ちょっと釣り上がった緑色の瞳。肩口で切りそろえられた、毛先がはねているライトブラウンの髪。ちょっと強気で、わたしよりも長身の彼女は……
「ホーン?」
「ユキ! あぁ、無事で良かったよ!」
ぎゅうぎゅうと抱き締めてくるホーンに、どう反応すればいいのかちょっと困ってたんだけど。
でも、ちょっとだけ嬉しいかも。
「ホーンこそ、無事でよかった! あの後大丈夫だった?」
「それはあたいの台詞だよ! ユキを逃がしてからオルガだけが帰ってきて、それから雪の女王の城にいることしか分からなくてね……すっごく心配した」
わたしがどれくらい雪の女王の城で眠っていたのか分からないから、何日ぶりかは分からないけど。
ホーンとは、お城の兵士に囲まれて逃げたあの時以来だ。ホーン一人を残して逃げた後、どうなったか分からなかったから、こうして無事にまた会えてよかった……!
「ユキが戻ってきて何よりだし、この変態の魔の手から救い出せたのもなによりだよ」
「おいこら、てめぇそれどーゆー意味だよ」
「そのままの意味に決まってんだろう? この節操なしが!」
ホーンとジャックさんって、なんだかいいコンビみたい。仲いいなぁなんて、そんなことを思いながらホーンから離れる。
……あれ? でも、始めホーンにジャックさんのことで目の敵っぽいような感じにされてなかったっけ?
「ユキを雪の女王の城から奪還してきたのは褒めてやらなくもないけどね! でも、ユキに手ぇ出したらただじゃおかないよっ!」
「おいおいおい、そこでなんでお前が怒るんだよ? おじょーさんにはまだ何もしてねぇって!」
「まだだぁ? これからは何かしでかすつもりだっていうのかいっ!?」
「そんな先のことなんかわからねぇだろっ!? そもそも、おじょーさんに手ぇだしたら、女王や帽子屋に本気で殺されかれねぇから、出したくてもだせねぇんだよっ!」
「何そこで力説してんだ、この、色ボケ最低変態野郎があぁっ!!」
ぶんと空気を裂くように繰り出されたホーンのアッパーが、綺麗にジャックさんの顎に当たった。
……ジャックさんを軽く吹っ飛ばすホーン、恐るべし。
「ユキ、本当の本当にあいつに何もされてないかい?」
「だ、大丈夫だから。と言うか、何かしたのはホーンの方だと思うんだけど」
「あいつのアレは殴っても直らないから、あと十発くらい殴っといてもいいんだよ。遠慮なんかいらないから、正直に言いな?」
「本当に、大丈夫だからね?」
だから、これ以上ジャックさんを殴ろうとはしないでね。拳もちょっと下ろそうか。
さり気なくホーンの拳を解かせてもらった。
何かって、ジャックさんには……宥められるように抱き締められただけだから。だけって言うのもアレだけど。
でも、ほら、それくらいじゃ動じないのは、きっと安心させてもらったからとかそんなものじゃない。
だって、その前に……
「ユキ?」
カイに、キス、されたから。
しかも、雪の女王みたいに額とかじゃない。唇に。
何が起こったのか全然理解できないくらいの、触れるだけの、キス。
そこまで考えて、かっと顔が赤くなるのを感じた。
「っ、ジャックあんた! ユキに何しやがった!」
「だからまだ何もしてねぇよ!」
「嘘つくんじゃないよ! あんたが何かしたのは分かってんだ!正直に言いな、全力で殴ってやるから!」
「何その理不尽な理由!?」
ホーンとジャックさんが何か言っているけど、そんな些細な事はちょっと構ってられない。
だって、わたしにだよ? カイが。
あのずっと、変な奴だって言っていた相手に、あのカイが!
帽子屋さんや船長に、手の甲にキスされたときも結構驚いたけど、今回のはそんなの比じゃない。
だって、唇に。
何も言わずに。好きだとか、そんな恋愛感情は湧いていない相手に。
「……大丈夫。これは皮膚接触であって、深い意味はない」
「ほらっ! ユキがちょっとおかしなこと言ってんじゃないか! やっぱりあんたが」
「違ぇって! 濡れ衣濡れ衣!」
深い意味はないとしても、理由はあったんだよね、きっと。
あれから、暖かいとか寒いと感じるようになった。あれの意味はそれでいいじゃない。
……カイなんか、深く気にしてなかったし。
忘れられそうにないけど、軽く流す事にしよう。わたしばかり気にしてたら、絶対周りに何かあったんだって思われそう。
何があったかなんて、言えやしないけど。
「ちょ、おじょーさん! おじょーさんからも何とか言ってやって!」
「……え?」
「あたいの友達に手を出そうとしたこと、悔やんでももう遅いよっ!」
「……友達になれたんなら、よかったじゃねぇか」
拳を振りかざしたホーンが、ハッとしたように動きを止めた。
さっきまで慌てて逃げ回ってたのが別人みたいに、ジャックさんは穏やかな笑みを浮かべてホーンを見下ろしている。
「――っ!」
ホーンはわなわなと握ったままの拳を震わせていたけど、何も返せないみたい。頬を赤く染めて、悔しそうにジャックさんを見上げて、それから……
「ジャックの大馬鹿野郎っ!」
何故か真っ直ぐ拳を突き出して、ジャックさんの意識を飛ばさせていた。
……照れ隠しにしても、ちょっと激しくない?
「おいおい、さっきから何してんだよ? あっちまででけぇ音響いてんぞー」
のそり、と控えめに取り付けられた扉から顔を出したのは、ちょっといかついヤが付く人ですかと言いたくなるような……。あれ? この人、前に会ったことがあるような気がする。
肩に包帯を巻いている人で、あまりお近づきになりたくないようなタイプだけど、どうして?
「おぉ、あんた本当に戻ってきたのか。無事でよかったな」
「あ、どうも」
「イルギン、何かあったのかい?」
ニッと笑いかけられて、分からないながらも頭を軽く下げると、すっかり落ち着いたホーンが不思議そうに首を傾げた。
イルギン、イルギン……。
あ、あの人か! ホーンの隠れ家に、怪我をしながらも逃げろって伝えに来てくれた人!
この人も無事だったんだ! 肩の傷はともかく、よかった!
「仲間内から伝言だ。海に見慣れない船が見えてるらしい」
「でもそれは沖合いの話だろう? 港は封鎖されてるのに、そんな」
「それっ、どんな! どんな船ですか!?」
もしかして。もしかしての話だけれど、期待せずにはいられない。
この世界に船なんかいっぱいあるんだろうけど。それでも、このタイミングでジャックさんが現れたんだからそうなのかもしれないって、そう思うのは仕方ない事だよね?
「白い船で、黒い縁取りがされてる。それから」
「薔薇と髑髏のジョリーロジャー……?」
「あぁ、そんな模様が描かれてたらしいな」
【不思議の国】号だ!
気だるそうな雰囲気を放つ船長に、同じ顔した帽子屋さん。気分屋のチェシャに美味しい料理を作ってくれるマーチと、わたし以上に可愛いヤマネくん。
たった五人しかいないけれど、それでもとても頼りになる【不思議の国】号。
彼らが、ラップランドに来た。それが意味するのは一つだけで。
「イルギン! ジャックを頼んだよ!」
「って、おい! ホーン!」
「ユキ、しっかりついてきな!」
ホーンに手を引かれて、薄暗い小部屋をイルギンさんを突き飛ばすようにして飛び出す。
埃っぽくて、土壁で、申し訳程度にしかない明かりを頼りに細い廊下を駆け出した。ぐんぐんと先を走るホーンは早くて、ちょっと足がもつれそうだったけど、それでも必死で走った。
「【不思議の国】号なんだろうっ?」
「きっと、そう!」
「きっとじゃダメだ! 今すぐに確認に行かないと!」
そう言うホーンだけれど、その顔はどこか楽しそう。
あまりよく見えない階段を、奇跡的に転ばないで駆け上がって、外へと続く扉を開けた。
冷たい空気が流れ込んでくる。露出した部分を容赦なく撫でて、震えはしたけど足を止めるつもりなんかない。
「オルガッ!」
出てすぐの場所で座り込んでいたトナカイの群れから、少し大きな体のトナカイが駆け寄ってくる。
ホーンがひらりとそのトナカイの背にまたがって、わたしを引き上げてくれる。
そう言えば、わたしオルガくんの背中から落ちたんだっけ。
そんなことを思い出すと、ちょっと怖いとか思っちゃうんだけど、大丈夫だよ、ね?
「やあっ!」
力強い掛け声とともにオルガくんの背中を蹴ると、ゆっくりと走り出して、やがてその蹄は地面を蹴り上げて宙へと浮かぶ。
「しっかり捕まりなよ! 何。海はすぐそこだから、今に見えてくると思うよっ!」
ぐんと高度を上げていくオルガくん。
ぎゅっとホーンの腰にしがみついたわたしは、ほら、とホーンが指差した方向におそるおそる視線を向けた。
あぁ、海だ。
蒼い、蒼い海。少し暗い色をしているのは、空が曇っていて太陽が見えないからかもしれない。白いさざ波がいくつも刻み付けられているようで、それがどこまでも広がっている。
「あれかい?」
その中に、白いひだをなびかせるようにして突き進む船が一艘。
きっとそう。きっと? ううん、あれがそうだ。
「そう! あれが、【不思議の国】号!」




