03.山賊【トナカイの角】の娘
「あんた、誰?」
「え?」
魔法で飛ばされるのにも慣れてきたわたしが、光が消えてまず耳に飛び込んできたのがそんな第一声。
眩しさに目を閉じていた目蓋を押し上げて辺りの様子を見渡すと、なんて言うんだろう。使い古された感たっぷりの古い、小屋の中……?
藁とか敷き詰められていたり、牧草が積み上げられたり、日本史の教科書で見たことがあるような農作業用道具とかが隅っこに適当に押し寄せられている。
ひゅうひゅうと隙間風が入り込んでくるくらいにはガタがきているっぽいこの小屋の中で、緑色の瞳を丸くした女の子が何故かグルグル巻きにされて藁に埋もれていた。
「あぁ、あんたのあいつらの手引きの奴? あたいを見張っているんだろう? こんな寒い中ご愁傷様」
「いや、え……ちょっと、待って」
「何を待ってって言うんだい? 大体ね、あんたみたいな小娘一人であたいを押さえられるはずないんだから。あいつらの仲間になるなんて馬鹿じゃないのかい?」
勝手に……、勝手に話が進んで行くのですが。
あいつらって、いやそもそも意味が分からないんだけど。
ジャックさん、どうしろって言ってたっけ……?
「って、ちょっと! あんたその手に持ってるの!」
「はっ、はい!?」
突然噛み付かれるように叫ばれて、思わず身を竦めたわたしにその子はそれだよそれ、とどこか興奮したような声で何度も繰り返してくる。
いや、それって何?
手に持ってるのって……
「これ、ですか?」
「そう! そのトランプ、ハートのJだろっ?」
ジャックさんから渡されたハートのJのトランプ。
『俺様の紹介でって言う証。今から送った先にいる子にそれ見せてくれよな、そしたら多分大丈夫だから』
とか言われて、多分って言葉に不安を覚えながらここに飛ばされてきた。
送られた先にいる子って、この縄でぐるぐる巻きにされている、この子?
「そう、です……。えっと、ジャックさんに」
「あぁ、そいつのことはどうでもいいんだ! とにかくそれでこの縄を切っておくれ! さぁ早く!」
「いや、トランプじゃ縄は切れないと思うんですが」
この世界ではトランプで物が切れるって常識なんですか? って聞きたくなる。
ダイナのときもそうだったけど、トランプは普通は武器にならないと思うんだけど。
このトランプだってプラスチック製っぽいし。
「ずべこべ言ってないで早くしな!」
「うぁ、はいっ」
怒鳴られて思わず返事をしちゃったけど……、その辺に転がっている農作業用道具を使った方が、ちょっと危ないけど確実なんじゃないかと思う。
それでも早く早く! と急かされて、できないと分かっていながらもトランプを荒縄に当てて軽く引いてみた。
「え、切れる?」
「何言ってんだい、そのまま早くやりな!」
「は、はいっ」
プツプツと音を立てて繊維の一本一本を切り取っていく。
こんなペラッペラなカード一枚でこんな太い荒縄を切れるとは全く思ってなかったけど、わたしの知っている常識で物事を決めちゃダメだね。
必死で縄を切っていると、やっと一本が切れた。
……切れたんだけど、解けてはくれない。
「なんで、切れないの……!?」
「いい。あんたはちょっと下がってな。一本切れればこっちのもんだ!」
トランプを片手にわたしが後ずさると、その子はごろんとうつ伏せになって、服とか髪に藁が付くのも構わずにもぞもぞと動いた。
それからピタッと止まって……
「おぅりゃああああああぁぁっ!!」
き、気合一つでその縄を力付くで解いてしまった。
はらりと解けたそれを適当にその辺に投げて、藁をも適当に掃ってその子はようやく立ち上がった。
「あー、助かった。あいつら覚えてやがれ、絶対報復してやるからな」
その子、って言うか、その人?
ちょっとだけ釣り上がった緑色の瞳の彼女は女性の中では背が高い方で、わたしを見下ろしてくる。
なんでぐるぐる巻きにされていたのかは分からないけど、でもこの人はジャックさんの知り合い、なんだよね……?
毛糸で編まれたカラフルなショールや暖かそうな膝下までゆったりと広がる厚手のスカート。それから防寒用の革製の帽子に長いブーツ。
ちょっとだけ毛先が跳ねている肩口で切りそろえられたライトブラウンの髪はヤマネくんと同じ色。
「で、あんた誰? ジャックの何?」
「え?」
なんだか、聞かれ方に物凄い深い勘違いをされているような気がするのですが。
「あたいの質問に答えな。あんたがジャックに飛ばされてきたのは分かってんだ。ジャックに関係ないなんて言わせないよ」
「えっと、わたしは【不思議の国】号の……」
「【不思議の国】号だぁ?」
あれ、これもしかしてタブーだった?
声色が一気に低くなって、ギンと眼光が鋭くなったのですが。
「まさか……あんたがハートの女王だなんてこたぁないだろうね!」
「は? 船長?」
「あれ? もしかして違った……?」
落ちる沈黙。
どうしてわたしを船長と間違えるのか、いや、ハートの女王と間違えるのかって。
もしかして、だよ。もしかして……
「ジャックさんの、恋人さん、ですか?」
「ばっ! 馬鹿言ってんじゃないよ! そんなはずあるもんかっ!」
一瞬にして真っ赤になる顔に、本当に恋人なのかどうかは知らないけれど、とりあえず好意を寄せている事は確かみたい。
きっとジャックさん、ここでも【不思議の国】号を最も愛する男で通しているんだろうと思う。
「いや、そんなこたぁどうでもいいんだ。あんたみたいな可愛い子が、あんなろくでもない男の毒牙に掛かってないんだったら、それにこしたことはないからね」
「はぁ、そうですか……」
「そのカード持っているってことは、あたいを頼って送ってこられたんだろ? なら、まぁそれでいいさ」
いいんだ。
さっきまでの怖いくらいの問い詰められ方とか、かなりどうでもよさそうにあっさり言われたんだけど。
要するに、ジャックさんを巡る恋敵じゃなければそれでいいのかな。
「あんた、名前は?」
「わたしは……」
わたしは、何て名乗ろう?
アリスじゃないけどアリスって呼ばれている、【不思議の国】号の偽者アリス。
そう名乗るべきなのかな?
公爵夫人に認められて、各船や国にそうした知らせを出されたから。
それでも、わたしは所詮“偽者”アリス。
そして、それから逃げ出した臆病者。
「わたしは、幸」
「ユキ? それがあんたの名前?」
わたしの名前はそう、確かに幸。
でも、そう名乗ったのは、今のわたしにアリスを名乗れる資格なんてないと思ったから。
「……そう、です」
「訳有りかい? まぁ、それを追及しようとは思ってないから安心しな」
そう言って、わたしの肩に自分が羽織っていたショールを掛けてくれた。
「こんな寒いところにそんな格好でいるのはよくないからね、場所を移そうじゃないか」
ガタガタと立て付けの悪い引き戸を引いて外に出ると、見たこともないような一面の雪景色が広がっていた。
突然の事で驚いていたからそんなに気にならなかったけど、吹き込んでくる冷たい雪まじりの風に身をさらされたら、こんな薄手の滑降しているのがありえないくらい寒い。
思わずショールをかき合わせていると、その人は細長い笛を吹いて高い音を響かせた。
ゴウゴウと吹雪くこの空に高く高く澄み渡って消える。
「そうだ。あたいの名前をまだ教えてなかったね」
あぁ、来た来た、と呟いてからわたしの方を見てにやりと笑ったその人は、そっとわたしの手を掴んで引き寄せる。
「あたいはホーン。さんもさまも何もいらない、ただのホーンだ」
「ホーン」
「そうさ、変な名前だろ」
それになんて返せばいいのか分からなくて、わたしはあいまいに笑って返した。
それから、何かが雪の空からここに向かって走ってくるのが見えて……、いや、待って。
さすがにソリはないけど、だからって、それはないでしょ。
「もっと変なのを教えてあげようか」
トナカイが、空を飛んでくるなんて……!
「あたいはね、山賊なんだよ」
空飛ぶトナカイの背中に乗せられて、わたしはホーンの背中に必死にしがみついていた。
軽快な足取りで宙を駆けるトナカイは、傍から見れば優雅で、かっこいいとか思うんだろうけど、乗ってる身としてはそんなこと考えてられない。
船とはまた違う前後の揺れに、振り落とされないようにしがみつくので精一杯。
その上冷たい風を受けるし、吹雪は容赦なく体から体温を奪っていく。
ちらほらと舞い落ちる雪はなんて幻想的なんだろう、とか思ってたけど。
水っぽさを残す羽根のようなふわふわとした雪は、冷たくなったわたしからまだ足りないとでも言うように暖かさを奪っていく。
ホーンにしがみついている手だって、もう感覚がないほどかじかんでしまってうまく動いてはくれない。
「ほら、あそこがあたいのアジトだよ」
家じゃなくてアジトって言う辺り、本当に山賊なのかなとか思っちゃったんだけど、今はそんなことどうだっていい。
とにかく、暖かい……雪のない場所に行きたい! 寒い!
「振り落とされないように、しっかりつかまってなよ! やぁっ!」
どん、とホーンがトナカイのお腹を蹴ったと思ったら、急に斜めに傾いた。
ほとんどホーンに寄りかかるような形でゆっくりと下降していく。
雪が降り積もる中、小さなレンガの家の前に降り立ったトナカイから軽快な様子で降り立ったホーンは、ガチガチと震えるわたしを見て苦笑を漏らした。
「大丈夫かい? そんな寒そうな格好しているから、真っ赤になっちゃって……」
「寒い、です……!」
「あはは、そりゃそうさ! 暖炉に火をつけてやるから、ほら、さっさとそこから降りな!」
カチカチとなる歯を噛み締めながら、わたしはホーンの手を借りてトナカイの背中から降りた。
トナカイの背って結構高さがあって、ずぼっと雪の中に足を突っ込んだ形で降りてしまった。
雪が、靴の中入って、冷たい! ニーソなんかも濡れてるし、それが吹雪いている冷たい風にさらされて、冷たいを通り越して痛い!
「ありがとな、オルガ。またよろしく頼むよ! そんでもって、ユキは家の中に入りな! その濡れた服を着替えなきゃ」
トナカイの背を軽く叩いて、こんな吹雪いている中だって言うのにホーンは豪快に笑い飛ばした。
さ、寒くないの?
そんなことを思いながら、お言葉に甘えてわたしは重いドアをかじかむ手で押し出して家の中に入った。
家の中は暖かいとは思えないし、しばらく人がいなかったのが分かるくらい暗いし、ちょっと空気がこもっている。
それでも、冷たい風にさらされないし雪だって吹き付けてこない室内最高。壁と屋根のある素晴らしさを始めて知ったかも。
「ほらほら、そんなとこで突っ立ってんじゃないよ! もっと中に行った、中に!」
ぐいぐいと押されて、少し広まった場所……リビングかな? そこに連れてこられた。
ホーンが暖炉に薪をくべているとき、わたしはぐっしょりと濡れた体を抱きしめながら、はめ込み式の窓から薄暗い空から舞い落ちる白を眺めていた。
見ている分には全然綺麗なんだけどな。
パチパチと音を立てて火がついたらしい暖炉から、ぼんやりと柔らかな光が放たれる。
「そんな端っこにいないで、暖炉にあたりな! あぁ、あたいの服で悪いけど、それ脱いで着替えちまいな。じゃないと風邪ひくよ!」
「あ、はい……」
暖炉を囲うように配置された肘掛け椅子に放り投げられた服を指し示されて、慌てて暖炉の方に近寄った。
「あぁ、これでよく水気拭き取りなよ」
ばさりと投げられた、たぶんタオルを頭から被って受け取ったわたしは、とりあえず雫が流れ落ちる髪を拭いた。長い髪って、こんなとき面倒だと思う。
かじかむ手をのろのろと動かしていると、ほんんのりと明るくなった暖炉の前で、ホーンが勢いよく服を脱いでいるのが見えてわたしは慌てて顔を逸らした。
「こら。顔逸らす前に、さっさとユキも脱いじまいな! 女同士恥ずかしがることなんかないだろ?」
それとも、脱がしてもらわないと脱げないのかい? と言われて、わたしは慌ててショールを外した。
ファンヒーターみたいにすぐには暖かくなってくれないから、部屋の中は全然寒いままだけど、確かに風邪をひくよりはましかな。
わたしはのろのろとリボンを外して、ブラウスのボタンを外していった。
胸元に垂れ下がる銀色のチェーン。その先には【証】が鈍く輝いている。
無機質の金属の冷たさも今は感じなくて、指輪をそっと握り締めた。
何も感じない。何も聞こえない。
雪の女王の城があると言われているラップランドに来たとしても、やっぱりそう簡単に【神子の玩具】の声は聞こえないみたい。
そのことに小さく肩を落として、ふんわりとしたタオルで体の水気を拭った。
水気がなくなることで、少しは寒さも和らいだ、のかな。寒さで感覚を失ったみたいで分からないや。
「……あの」
「なんだい?」
「そんなに、見ないでもらえますか?」
背中を向けてもそもそとタオルで拭いているときでも分かる。
じっと、見られている。
なんでそんなに凝視してくるのか分からないけど、見られてるのがちょっと気まずい。
同性だから、いちいち気にするほどじゃないって、そう言われそうだけど。
でも、お腹まわりの贅肉とかあったりするんだから、そんなに見ないで欲しい。人に見られても大丈夫な体型とかじゃないんだから。
「ユキは、大切にされてたんだね」
「はい?」
ホーンの視線から避けるように、かじかんだ手で厚手の服を掴んだ。
唐突に言われた言葉に、その手も止まっちゃったけど。
「傷一つない、綺麗な肌してる。あたいとは大違いだ」
パチパチと薪が音を立てて燃える音だけが聞こえる。
ゆっくりとホーンの方を振り返ると、ホーンはそっと自分の腕を撫でていた。
暖炉のぼんやりとした明かりに照らされたその肌に、無数の傷跡が浮き彫りにされている。
遠目から見える大きな傷跡。
それから、なだらかな曲線を残している、蚯蚓腫れのような痕とか。
思わず目を逸らしたくなった。
「あたいは見たことないけど、【不思議の国】号って海賊船だって聞くじゃないか。そこから来たってことは、ユキも海賊の一人ってことなんだろう? ちっともそうは見えないけど」
苦笑したホーンは、ぐしゃぐしゃと乱暴な手つきで髪をかきむしった。
「おんなじ賊でも、ユキは大事にされてるんだね。羨ましいよ」
「わたしは……」
ちょっと、大事にされすぎているのかもしれない。
非現実すぎる光景を目の当たりにして、海賊なんだから手を染めてしまうのも仕方がないことなのかもしれないけど、嫌なことには関わらせないでもらっている。
ううん、これは違う。
わたしが嫌なことから、見たくないことから逃げてるだけ。
「まぁ、それをどうこう言っても仕方がないんだけどね。あぁ、濡れた服はこっちに寄越しな!」
「あ、はい。お願いします」
「どういたしまして。その服、着方は分かるかい? 北の服はちょっと面倒だからね、分からなかったら正直に言いなよ!」
手早く服を身に着けたホーンに念押しされて、苦笑しながらもはいと返事をした。
そうでも言わないと、有無を言わせず何から何までしてもらっちゃいそう。
ホーンは世話焼きなのかな? とか考えながらも、暖かくなってきた暖炉の側によってもそもそと服を身につけ始めた。
厚手の生地はどこかごわごわしているけど、頭からすっぽりと被ってしまえば冷気を感じなくて、むしろ暖かく感じる。
着心地はそんなによくないけど、暖かければ贅沢は言わない。
スウェットのようなだぼだぼのズボンを履いて、足元まで覆う不思議な模様のロングスカートを胸元まで引き上げながら着る。
それから毛糸の上着を羽織って胸元にある紐を編み上げて、毛糸のケープを肩からかける。
着膨れした感じなのかもしれないけど、これくらい着込んでいれば寒さもそこまで気にしなくていいかも。
「なんだ、ちゃんと着れてるじゃないか」
「ホーン、これ、変じゃないかな?」
「大丈夫さ! まぁちょっと色々布があまってるところもあるけど、それもまぁ愛嬌だよ」
それは主に胸のことを言ってるんですか。
ちょっとぐさっと来た一言だったけど、ホーンに悪気はないんだと思う。
……事実だからいいけど。
「はい、スープ。口に合うかどうかは知らないけど、温まるよ」
「あ、ありがとうございます」
「それ、敬語とかやめてくれないかい? あんた元からそんな話し方じゃないんだろう?」
嫌そうに顔をしかめるホーンに、そんなの今更なような気がしてたけど、分かったと答えると、嬉しそうに頬を緩ませた。
「それで、どうしたもんかねぇ。あんたしばらくここにいるんだろう?」
「一応は。迷惑だったら出て行くから、そ」
「迷惑なはずないだろうっ!? そんなことあるもんか!」
ホーンにやけに力強く頷かれて、ビックリしながらも湯気がまだ立ちのぼっている木のコップを両手で握り締めた。
木製のコップに入ったスープは白濁色で、スープって言うよりは具が少ないシチューみたい。
ハッと我にかえったホーンは、少し照れくさそうにしながら暖炉の前に座り込んだ。
直接座り込むとか、土足で入っている場所にいいのかどうか悩んだけど、わたしだけ立っているのも失礼だよね。
向かい合うように床に座った。
「あたいは慣れているからいいけど、床冷えして寒くないかい? なんなら、椅子に座ってもいいんだよ?」
「あ、大丈夫。ホーンの貸してくれた服のおかげで、そんなに寒くないし……それよりも暖炉の近くに居たいもの」
「ユキってば寒がりなんだねぇ」
肩を揺らして笑うホーンに、曖昧に笑って返した。
だって、わたし昨日まで居た世界での気候は夏だったし、それから海の上にいた……まぁこれはまだ、そんな寒くはなかったからいいけど。
そこからいきなり冬の季節に飛ばされたんだもの。夏から冬に、なんの前準備もなく飛ばされて、動揺してない自分を褒めてやってほしいくらい。
そんなこと、ホーンには言えないけど。
「どこから説明すればいいかねぇ。どうせ、ジャックのことだ。ユキには何の説明もなしに飛ばしたんだろう?」
「一応、ラップランドに飛ばすとだけは言われたけど……」
「行き先を言う事くらい当然じゃないか! ったく、あのろくでもなし男! 今度顔を見せたときには一発ぶん殴ってやる!」
拳を固めるホーンの気持ちだけ、ありがたく貰っておくとして。
「ユキはラップランドに来るのは初めてかい?」
むしろこの世界に来たのが初めてです。とは言えないけど。
とりあえず、一つ頷いておく。
「ここは最北端の地に向かう入り口にあたる場所で、他のとこと比べればそんなに大きくもない国なんだ」
「ラップランドって、国なんですか?」
「あぁそうさ。雪の女王が統治する、不毛な土地だよ」
失笑を洩らしたホーンの言葉に、蔑みのニュアンスが含まれているようで……。
ホーンはラップランドが嫌い、なのかな?
ううん、それ以前に雪の女王がここを統治しているって分かれば十分だ。
雪の女王がここにいるなら、【神子の玩具】は確かにここにあるはず。
「雪の女王って」
「ユキの耳にも届いてたのかい? そうさ、最低の女王だよ」
いや、そんなこと知りませんが。
嫌々吐き捨てるホーンに、なんのこと? とは聞けなくて、どうしよう。
わたしはただ、雪の女王はどこにいるのか聞きたかっただけなんだけど。
「なんでこんなことになっちまったんだか……」
深く肩をおとして、顔を伏せた。
そんなホーンを事情も知らないわたしが、安易に慰めの言葉なんかかけてもいいのか分からなくて、スープを飲んで誤魔化した。
暖かな甘いミルクのようなスープが、ほうと息をつかせた。
自分が思っていた以上に緊張していたみたい。
知らない場所、だなんてどこ行っても同じだと思ったんだけどなぁ。
「……聞いてもいい?」
「ん?」
「詳しいことは分からないから、ホーンから見た、雪の女王のこと」
差しさわりのないことを選んで言ったつもりだけど、どうだろう?
ホーンは少し悩んだ後、聞いていても楽しい話じゃないよ、と前置きをして口を開いた。
「始めは、まぁ先代と同じように、そこそこまともに統治していたって、親父から聞いてるんだけどねぇ。ここ数年かな。人が変わったようになっちまったのは」
「人が変わった?」
「あぁ、三下の悪党みたいに重税にしたわけじゃないけどね。一番大きいのは、港の封鎖だね。魔法を使える奴は関係ないだろうけど、あたいら一般人からしてみれば迷惑も迷惑だよ。なんてったって、物資が全く届かなくなったんだからね」
それは……、なんか分かる気がする。
日本の食料自給率が低いとか何とか、輸入に頼りきっているとかそんなことは授業やらニュースやらで見たから、他人事だとは思えない。
だとしたら、……このスープも貴重なものだったんじゃないか、な?
「ごっ、ごめん! わたしなんか、すごく図々しいことしてるよね」
「そんな細かい事気にしなくたっていいんだよ! 馬鹿だねぇ、あたいがユキにしてやりたいと思ったから、そうしているだけなんだ」
遠慮なんかするんじゃないよ、と笑い飛ばされたけど、そんなこと聞いてから気にするなと言う方が難しいんじゃないかと思う。
むしろ気にして、もうスープ飲むことですら申し訳ないかも。
「それから、雪の女王が変わりだしてから国の奴らも、どこか様子がおかしくなっちまったね」
「おかしく?」
「そうさ、あれはもう、人が変わったとしか言いようがないね。他人なんかそうそう信用できなくなっちまう」
おかしく? 人が変わった?
……わたしコレ知ってる。
知ってると言っていいのか分からないけど、多分、そうだと思う。
「それって例えば、今まで優しかった人が急に冷たくなったり、暴力的になったり、とか?」
「あぁ。あんなに優しくて、尊敬できた親父だって、信頼していた他のみんなだって……どうしてあんなになっちまったんだか」
肩を落とすホーンの言葉に、やっぱりと確信が持てた。
『神さまを写し出そうとした鏡は、神さまから放たれた光によって砕かれた。鏡の欠片は人間の世界に落ち、その欠片が身体に刺さった者は冷たい心へと入れ替わってしまう』
夢の中で何度も繰り返して聞いていたロリーナの言葉に答えるなら、きっとこう言うことなのかもしれない。
悪魔の鏡の欠片は、ラップランドに落ちた。
そして、欠片は国民に突き刺さった。
国民だけじゃなくて、雪の女王にも。
でも、待って。どうして雪の女王に?
彼女に悪魔の鏡が刺さったのだとしたら、物語が破綻してしまう。
だってそうじゃないと、どうしてカイを連れ去ることなんてするの? 氷の城に連れて行く意味がないわ。
……違う。もっとちゃんと考えて。
これは筋書き通りに行く物語じゃない。
現実で、わたしが知っている物語とはまた別物。現実的に考えて、まともな結論を出さないと。
「ホーンの、お父さんも?」
「……情けないね。山賊の頭がそんな目にあってんなんてさ」
「情けないとか、そう言うのじゃないよ。だってこれは、不可抗力じゃない」
「分かってる。分かってるさそんなこと! 誰にどうケチつけたって、親父や皆は元には戻ってくれない! あたいがどんだけ喚こうか叫ぼうが、声が親父たちに届いてくれないんだ! どうすることもできないんだっ!」
吐き捨てるように叫んだホーンは、力任せに床を叩いた。
ドン、と大きな音が響いて、外で屋根に積もった雪が落ちる音がした。
掛ける言葉、間違えちゃったのかも。
でも、どうすることもできない感情を表に出してしまうほど、ホーンは苦しんでる。
明るく笑い飛ばしていたときから見ると、小刻みに肩を震わせる小さな女の子に見えた。
「どうして変わっちまったんだよ、親父……。どうして雪の女王のとこになんか、いっちまうんだよ。【トナカイの角】は、親父がいないとダメなのに……」
「……ホーン」
かさばるスカートに四苦八苦しながら膝で歩いて、ホーンの側まで詰め寄った。
それから小さく肩を叩くと、ホーンは震える手でわたしの袖を掴んだ。
「仲間を、疑うのが……辛い」
泣きそうな震える声。
頼りがいがあって世話焼きで明るくて、それでいてちょっと早とちりをしてしまう女の人。
そんなイメージを持っていたけど、今のホーンは暗闇を怖がる小さな子どもみたいで、優しく頭を撫でてあげたくなった。
そっと、怖いものなんかないように。
「誰がまともで、誰を信じていいのか……分からないんだ。信じてた仲間なのに、疑いの目を向けるのが……、苦しくて、辛い……!」
初めてホーンと会ったとき、グルグル巻きにされて藁の中に転がされていた。
それから、あいつらの仲間で、わたしが見張りをしているのかとも言われた。
わたしの勝手な想像で、過程の話だけど。
それらが悪魔の鏡の欠片が刺さった、ホーンの仲間にされたことだったとしたら?
そんなことを信じていた人たちにされたんだったら、それはとても、哀しくて、苦しい。
「大丈夫」
そっと、ホーンの少し跳ねた髪を撫でた。
「大丈夫だよ、皆元に戻る」
「そんなことっ、今までできなかった……! 軽々しい気休めなんか」
「わたしが戻すから」
ホーンの言葉を遮って強い口調で言い切る。
驚いたように見上げてきた潤んだ緑色の瞳を真っ直ぐ見て、もう一度、ゆっくりと言う。
「わたしが、元に戻すから」
【娘】でも【主人公】でも、ましてや本物のアリスでもないけれど。
でもわたしにできることなのかもしれないと思うと、そう言えた。言い切れた。




