059.モブだけど、ただのモブじゃなかった
「……そりゃまた、すごい偶然だな」
呆れたように呟くギーに、ラスフィアは苦い気持ちになった。奇しくもラスフィアも、まったく同じことを考えていたのだ。デレクに捕まり、歩かされていた時に。
「その事件、判決は出てるのか?」
「え? ……えーと、私と前四件の誘拐事件に関しては刑が確定したようですけど、なんだか余罪がありそうだし、薬の入手先はまだわかっていないって、マクスウェルさんが言っていたような……」
リューンのその後に関しては、ライナスがたまにまとめて経過報告をしてくれるのだ。売られた先から救出された他四件の被害者に対しても、情報を望んだ者にだけ、同じように報告をしているらしい。
「となると、まだしばらくは警視庁との合同捜査は続くかもな」
ギーの言葉に、ルパートも頷いた。
「そうですね。今回は麻薬密輸でしたが、貿易船は人を密輸させるのにも、うってつけですから」
(……それって人身売買、よね?)
だが、ラスフィアが巻き込まれた連続誘拐事件も、リューンは誘拐した人間たちを亜人に売っていたのだ。それはまさに、人身売買行為。もし、あの時レイドたちが助けに来てくれなかったら、ラスフィアとトルロイは、そのまま誰かに売られていたかもしれないのだ。
今頃になって、あの時の自身の身の危うさが、ひしひしと心に迫って来た。
青くなったラスフィアに、ギーが声をかけてきた。
「お嬢さん、あんた運が悪いんじゃなくて、運がいいんだよ。まあ、色々事件に巻き込まれているようだけど、それでも毎回助けられているだろ?」
ギーの言う通りだ。ラスフィアはいつも、大事に至る前に助けられている。
実際、ラスフィアの前には、誘拐され、売られてしまった人だっているのだ。救出されたとはいえ、心に付いた傷は、そう簡単に癒えるものではない。救出が遅ければ、死ぬことだってあったかもしれないのだ。
(そうよ……。実際、小説の中では死者が出ていたんだもの……。私だって、レイドさんたちに助けられなければ、死んでたかもしれないんだわ)
「……そうですよね。確かに、運が良いのかも。私、あのまま誘拐されてたらいずれ死ぬ運命だったのに、今もこうして生きているんですから」
そう――口にしてから、ラスフィアは今自分が言った言葉を頭の中で反芻し、違和感を覚えた。
(……死ぬ運命? ……いや、そりゃ死ぬかもしれないとは思ったけど)
そこまで考えた時、ラスフィアの脳裏に映像が浮かんで来た。
暗い部屋で、ベッドに寝かされていた自分。
それを取り囲む人達。
ここへ来て、はじめて気付いた事実。
ラスフィアはその映像を、ベッドの上に横たわり見上げているのではない。
その映像を、ラスフィアは俯瞰した状態で見ているのだ。
そして、その映像の意味するところをはっきりと認識した途端、とてつもない恐怖が襲ってきた。
身体が勝手にガタガタと震え出し、息が苦しくなってくる。
「……お嬢さん⁉」
ギーから声をかけられても、ラスフィアには返事をすることができなかった。
どんどんと呼吸が苦しくなっていき、ついには息を吸うことすらままならなくなってしまう。
力の抜けた身体が、地面に倒れ込むと思ったその時――誰かに身体を受け止められた。
「お嬢さん――!」
己を呼ぶギーの声と、身体を支える、大きな手。その声と手の温もりを感じたのを最後に、ラスフィアは意識を手放した。
「――発見された遺体には、無数の傷が見られました。誘拐され、売り渡された先で付けられたものと思われます」
報告をしながら、リアーナはこみ上げてくる吐き気と必死に戦っていた。
吐き気は、この遺体を見たことからのものではない。どうしてこうも残酷なことが行えるのかと、この傷を付けた犯人に対しての吐き気だ。
そして怒り。犯人に対するものと、いまだ犯人を捕まえることの出来ない自分への、怒り。
遺体はまだ若い女性のものだ。それも、とても美しい女性。艶やかな黒髪は青い輝きを放ち、傷だらけの肌は、それでもなお透明感と艶めきを失っていない。今は閉じられている瞳の色は、検死の結果、青銀色だとわかっている。
生きていれば、それは美しい女性だったのだろうと、容易に想像がついた。
この女性には、未来があったのだ。きっと、幸せになれる筈だった。
犯人にさえ、目を付けられなければ。
その女性を、レイドがじっと見つめている。そして、小さな呟きを落とした。
「――胸糞悪い」
一言一句違わず、同感だった。
普段リアーナの理解しかねる言動しかしないレイドだったが、この時ばかりは心の底からその意見に同意した。
「ぜってえ、見つけ出して、後悔させてやる」
レイドの瞳には、明らかな怒気が見て取れる。リアーナはこの時はじめて、レイドが他人のために怒れる人なのだということに気が付いた。
「リアーナ。遺体の身元はわかったのか」
ライナスに問いかけられ、リアーナは視線をレイドから書類へと移した。
「いいえ。国内でこの女性の身元と合致するような、捜索届は出ていません」
ライナスが微かな唸り声を発し、次いでリアーナに新たな指示を出した。
「リアーナ。ガルストラ国内だけではなく、近隣の国にまで捜索範囲を広げろ。捜索願の出されている失踪人を当たるんだ」
ガルストラ国内には、この女性の身元に該当するような失踪届は出されていなかった。何らかの理由により失踪届が出されていない可能性もあるが、元からこの国の者でなかった可能性もある。
あるいは、旅行か仕事でこちらに来ていた際、運悪く犯人に目を付けれてしまった可能性も。
「わかりました。捜索範囲を隣国のリアンタ、キネス、タガラスまで広げてみます」
「ああ、頼む。……その三国の中で見つかればいいが」
ガルストラと近接するのは、この三国のみ。それ以外の国となると、国を越えての捜査が難しくなってしまう。この被害者にいたっては、そこで捜索中止となってしまうことも、十分あり得ることだった。
それだけは、なんとしても避けたい。
この女性を、家族の元へ返したい。
自分とそう年の変わらない女性の無残な姿に、リアーナは、絶対にこの事件の犯人を捕まえるという決意を新たにした。
「全力を尽くします」
ガバッと、布団を跳ねのけ、ラスフィアは飛び起きた。
いまだ心臓が嫌な音を立てている。
全身が、汗で濡れている。
しばらくして、さきほどの事が夢だと完全に把握出来てからようやく、ラスフィアは全身の力を抜いた。
とても、リアルな夢だった。
リアーナとライナス、そしてレイド。夢には、ラスフィアの良く知る人物たちが登場していた。三人は、何かの事件を追っている最中らしい。
何よりも、ベッドに横たえられていたあの遺体は――。
遺体の様子を思い出した途端、吐き気が込み上げて来た。無数に付けられた傷。殴られたような青あざ。青みを帯びた黒髪に、リアーナは瞳の色を青銀だと言っていた。
そしてその顔は――鏡の中の自分と、まったく同じもの。
今よりも少しやつれていたが、それでもあの遺体は、間違いなく自分だった。
(ああそうだ……。夢じゃなかったんだ)
ラスフィアはあの場面を、夢として覚えていたのではない。見覚えがあったのだ。夢の中のラスフィアが、横たわる己を俯瞰したように見ていたのは、実際にあの場面を、一枚の画像として見ていたからだ。
(あれは……本来の私の運命……。小説の中の……連続誘拐事件の被害者……)
小説の中では、事件が解決したあと、ほとんどの者たちが生きて救出されたはずだ。だが、中には死者も出てしまっていた。その死者が、まさかのラスフィアだったとは。
先ほどの場面は、その死者の無残な姿を見たリアーナたちが、先ほどの夢の通り事件解決への決意を新たにする。そんな場面だったはずだ。
そしてその遺体を見たレイドが心を痛める様子を見て、リアーナはレイドに対する印象を変えるという、二人の恋愛に関しても、なかなかに重要な場面であったはず。
あの場面が二人のその後の関係を決定づけるものだったのだとしたら、小説の中でのラスフィアの死が何時だったかにもよるが、二人の仲が小説よりも進展していないように見えたのも、当然だったのだ。
とっくに過ぎているはずの場面ならば、その切っ掛けはすでになくなっているし、もしこれから起こるはずの場面だと言うのなら、今はまだ、二人の関係が変わる以前なのだから。
(いやいや、二人のことも気になるけど……さすがに今は自分のことだわ。……小説の中では、名前が出てこなかった、わよね? ……いえ、もしかしたら、出ていたのかもしれない。それを私が覚えていなかっただけなのかも……)
小説を読んでいる時は、被害者の名は特に重要ではなかった。あの小説は推理ものではなかったので、前世のラスフィアも、事件そのものに注視して読み進めてはいなかった。あの遺体も、誘拐事件の被害者の一人でしかなかったのだ。
たとえその一文に、自分の名が記されていたとしても、きっと今のラスフィアの記憶には残っていなかっただろう。
事実、ラスフィアは今までそのことをまったく思い出しもしなかったし、夢で見なければ、最後まで思い出すこともなかったはずだ。
けれど、これでようやく納得出来たこともある。
(なんで、私がこうも事件に遭遇しやすいのかわかった気がするわ……)
ラスフィアは、小説の中では死ぬ運命の人間だったのだ。もし、小説の中のラスフィアの死が、本来の寿命なのだとしたら――。
ラスフィアが事件に巻き込まれやすい背景には、ラスフィアを死に向かわせようとする、何らかの力が働いていたとしても不思議ではないのかもしれない。
(……遺体が見つかったのは、いつのこと? 思い出さなきゃ……)
連続誘拐事件が解決するのは、小説の終盤。小説はレイドとリアーナが出会ってからの約一年を描いていた。そしてラスフィアの死体が見つかったことが切っ掛けで、事件は新たな展開を迎え、そのまま解決に向かっていたはず。
ラスフィアの死が事件解決の切っ掛けとなったならば、少なくとも事件の始まりから半年程の間だろう。そして誘拐事件そのものは、リアーナとレイドが出会う一月前辺りから始まっているため、ちょうど今の時期と重なっている。
「ちょっと……。あの夢って、もうすぐ私は死ぬぞって、お告げだったりするの……?」
(これまで散々な目に遭ってきたのも、誘拐されなかったことの代わりなんて言わないわよね……?)
答えは、誰も知らない。
ラスフィアにさえ、わからない。
そしてこんなこと、誰に相談しようもないのだ。
しばらくの間俯き、ただ狼狽していたラスフィアだったが、とあることに気付き、闇に落ちそうになっていた意識を浮上させた。
「……というか、ここどこ?」
自分は確か、港でギーとルパートと話をしている最中に、意識を失ってしまったはずだ。だが自分は今ベッドに寝かされており、ベッドの周りには、医療器具と思われる機器が置かれている。
(……病院?)
ラスフィアがそう答えを出した矢先、真正面の扉が開き、そこからリアーナが顔を出した。見ればリアーナは左腕を負傷したらしく、三角巾で吊っている。
「目が覚めたんですね。ラスフィアさん」
リアーナはラスフィアの姿を認めると、すぐに相好を崩した。けれどラスフィアはと言えば、リアーナの姿を見た瞬間、ぎくりと身体を震わせていた。もしや、まだ夢が続いているのではないかと、疑ってしまったのだ。だがすぐに、ここは現実だと意識を切り替えた。
(いいえ、違うわ。夢じゃない。私はちゃんと、生きてるわ)
「リアーナさん、私……」
ラスフィアに呼びかけられたリアーナは、一つ頷いたあと、ラスフィアがここにいるに至った経緯を説明しはじめた。
*ラスフィアが夢の中で聞いていた三人の声は、実際の声を元に補完されたものです。実際に見ていたものは挿絵。




