057.蛇の活躍とジャッカルの手
二足歩行するオオヤマネコを前にして、ラスフィアは胸をときめかせていた。
このような状況でなかったら、きっと頼み込んで耳や尻尾を触らせてもらっていたに違いない。
(いやいや……。レイドさんとは距離を置くって決めたばかりじゃない……!)
そう、ラスフィアが自分を戒めていると、ルパートがデレクから奪った銃を上着の中に仕舞いながら、思いがけない人物の名を呼んだ。
「……遅いですよ、ギー」
ルパートの視線を追ったラスフィアは、こちらへ向かって歩いてくるギーの姿を見つめた。
(ギーさん? もしかして、窓から落ちてきたのってギーさんだったの……っていうか、ギーさんとポールソンさんって、知り合い?)
メイウッド貿易会社の職員と沿岸警備隊が知り合いとは、何だかしっくりこない。
(もしかしてギーさん、沿岸警備隊に内部情報の提供でもしていたとか……?)
会社の悪事を止めようと内部告発する人間のことは、前世の世界でもたまにニュースなどで聞いていた。ギーのことはラスフィアも人が良さそうだと思っていたので、そうだとしたら納得できる。
「助けにきただけ、ありがたく思えよ」
ギーの返事は幾分素っ気ないものだったが、ルパートは「まあ、確かに」と言って納得しており、特に気にしてはいないようだ。
「こちらの方は……警察隊のようですね。助かりました」
ルパートがレイドを見ながら軽く黙礼した。そんなルパートに対し、レイドは「ああ」と気のない返事をしたきりだ。
「いや~、結果確かに助かったんだけどさ……このお兄さん、お嬢さんの知り合いなんだって?」
ギーに突然話を振られたラスフィアは、素直に頷いた。
「はい。あの、色々とお世話になっている人でして。あの……レイドさん。今回の捜査って、レイドさんたちも加わっていたんですか?」
「ああ。今回の捜査は警視庁の組織犯罪対策課と、沿岸警備隊の合同捜査だ。俺たちはその援護。今頃は逮捕も終盤だろ」
なるほど、麻薬密輸絡みということで、同時に麻薬売買の捜査も行われていたということだろう。そしてレイドたち特別班は、要請があればどこの部署とも連携を取る特殊な班。今回みたいな大捕り物の場合には、まさにうってつけだ。
「お兄さん、お嬢さんは今頃沿岸警備隊が保護しているからって言っても聞かなくてさ。んで、実際確認したら保護された形跡がなくて……俺殺されるかと思ったんだぜ」
「す、すみません……」
ラスフィアが謝ることではないのかもしれないが、レイドはきっとラスフィアのことを心配してくれたのだろうから、ラスフィアが代わりに謝るのも別に間違いではないだろう。
「いや、お嬢さんのせいって言うよりルパートのせいだな」
話を振られたルパートが、少しだけ眉を顰め、「そこは……すみません」と素直に謝った。
「来るのが少々遅れた上、逃げる際にはこの男に背後から近寄られたので、気付くのが遅れました。それに、あの時は大勢が地面の上で暴れていましたので……」
「ああ……あんた爬虫類型か。そいつご丁寧に、靴も脱いでるしな」
レイドに言われてはじめて、ラスフィアは地面に倒れているデレクが、靴を履いていないことに気が付いた。
「こいつ腕もたつし、意外と頭も切れるんだよ。普段は相手を油断させるために、たいして強くないふりしてるけどさ。一対一だったら、俺は勝てないだろうな。だからさっきも上で俺が物音させてこいつの気を引いてから、あとはお兄さんに頼んだわけ。お兄さんの方が強そうだし」
ギーがそこまで言ったとき、何処かから地鳴りのような、雷のような轟音が聞こえて来た。その音は数秒鳴り続けたあと、段々と音を弱めて行った。
「……な、なんですか、今の」
「ありゃあ、積み荷が崩れた音だな」
先ほどの轟音に驚いていたラスフィアだったが、答えたギーは平然としている。
「積み荷?」
「たまーにだけど、あるんだよ。商品は駄目になるし、怪我人や下手したら死人も出るしで、さんざんなんだが……」
(あの大量の積み荷が崩れたの……? 怪我人が出なければいいけど……)
そういえば少し前から何やら騒がしくなったなと感じていたが、港は普段から喧噪が激しい所なので、たいして気にも留めていなかった。
だが今この港には、沿岸警備隊以外に警察隊も来ており、大掛かりな捕り物劇が行われているの真っ只中なのだ。。
(あれ……? それって……もしかして、あっちにいるの……ライナスさんたちなんじゃ……)
ふとレイドを見上げれば、レイドが音のした方向をじっと見つめている。その横顔を見たラスフィアは、ふと嫌な予感に囚われた。
「……おい。彼女のこと頼む」
一言ギーにそう言い残したあと、レイドが駆け出して行った。レイドのその常とは異なる様子に、ラスフィアの胸に、さらに不安が込み上げてくる。
「私たちも行ってみましょう」
ルパートに促され、すぐにラスフィアたちもレイドの後を追うことにした。
☩☩☩
積み荷は盛大に崩れていた。
壊れた木箱の中からは、スパイスが川のように流れ出している。
そして、その荷を懸命にどかそうとしている大勢の者たち。その光景を見たラスフィアは、息を呑んだ。
荷をどかす作業をしていない他の捜査員たちは、皆険しい表情で、崩れた積み荷の山を見つめている。中には一見してわかるほどに、顔を蒼褪めさせている者もいた。
皆のその表情を見て、ラスフィアは先ほどギーが言っていたような、最悪の事態が起きたことを悟った。
(誰か、埋まったんだ……)
誰か、あるいは誰かたち。
「匂いは⁉」
「無理だ! スパイスの香りが充満していて、嗅ぎ分けられない!」
「音も駄目だ……! くそ、埋まった場所がわからねえよ!」
「他に誰が埋まった⁉」
ラスフィアの耳にも、サラサラ、あるいはザラザラと、スパイスが荷から零れ落ちる音が聞こえてくるのだ、耳の良い亜人でも、その音が邪魔をして埋もれた者たちの出す音が聞こえないのだろう。
荷は見るからに重量があり、どかすにしても崩壊を心配しながら、慎重に動かさなくてはならない。なおかつ何処に誰か埋まっているのかわからないのならば、救助が大幅に遅れてしまうだろう。
惨状を目の前に為すすべもなく茫然としていたラスフィアだったが、積み荷を退けている者たちの中に、レイドと、そしてその傍にはレイドと同じく隊服を着た狼の姿があることに気が付いた。
(狼……ライナスさん?)
だがライナスの髪の色は銀色だ。オオヤマネコの姿になったレイドは、その毛並みが髪色と一緒だった。となれば、ライナスが獣化した時にも、毛並みは髪色と一致するはずだ。だがレイドの隣にいるのは、銀色ではなく茶色の毛並みの狼だ。
(茶色……もしかして、クローディオさん?)
ラスフィアが茶色の狼の正体を予想していると、考えていた通り、茶色の狼に向かってレイドがロイの名を呼んだ。
「ロイ! 匂いでわからないのか⁉」
「こんなスパイスだらけの場所で、わかるわけねーだろ!」
あの茶色の狼は、やはりロイだった。
ならば、この場にいるはずのライナスたちは、一体今何処にいるというのか。
(そんな……まさか、ライナスさんたちが……)
けれどレイドとロイの必死の表情の意味を考えれば、聞かずとも答えはわかってしまう。
(リアーナさん……リアーナさんも……?)
この崩れた荷の下にリアーナがいると想像しただけで、ラスフィアの身体から血の気が引いていく。ふらりと、眩暈を感じ身体が傾いたと感じた瞬間、誰かの手に肩を抱かれた。
「もしかして、下敷きになったのはお嬢さんの知り合い?」
ギーがラスフィアの肩に手を置いている。ふらついたラスフィアを支えてくれたのだろう。
「……二人とも、私の恩人なんです。でも、一人は人間……人間の女性なのに……」
亜人のライナスならば、この積み荷の下に埋もれたとて、命は助かるかもしれない。けれど、リアーナは人間だ。ただの人間の女性が、この崩れた荷の重さに、耐えられるとは到底思えない。
(嘘……嘘よ。だって、リアーナさんはヒロインだもの……。こんな所で死ぬ筈ないもの……)
カタカタと震え出したラスフィアの身体を、ギーが宥めるように軽く叩いた。
「大丈夫。ルパートがいるから、きっと助かる」
「……ポールソンさん?」
ギーが見つめる先に視線を向ければ、いつのまにかルパートがレイドとロイに何か話しかけている。そして二人がルパートに向かって軽く頷いたと思えば、今まで退けていた荷ではなく、別の荷をどかし始めた。
ルパートはと言えば、別の隊員たちにも同じように何かを告げている。
「あいつは熱感知の能力があるから、熱を発しているもんなら、どこに埋もれているかわかるんだよ。積み荷はほとんどが木箱だから、積み重なっていても感知の邪魔にはならない。地面の振動から、音を感知することも出来るしな」
(熱感知……。そっか、ポールソンさん蛇だから……)
呆気にとられつつラスフィアがルパートの姿を目で追っていると、ルパートがこちらに戻って来た。
「ギー。あなたも手伝ってください」
「えー。俺はお嬢さんを見てないと……」
「もう大丈夫です……! 行ってください!」
先ほどは衝撃のあまりふらついてしまったが、少しでも助けの手が必要とされている今、この場の足手まといになることだけは避けなくてはならない。
「助けてください……! リアーナさんと、マクスウェルさんを助けて……」
ラスフィアの必死の懇願を聞いたギーが、片手で頭の後ろを搔きながら、しぶしぶといった様子だが請け負ってくれた。
「……まあ、俺は力もそんなあるわけじゃないけど」
「今は、ジャッカルの手も借りたいんですよ」
ギーが言葉を言い終える前に、ルパートがギーを引きずって行ってしまった。




