055.世界は広いようでめっちゃ狭いⅡ
ミュッテの恋人であり沿岸警備隊の男――ルパート・ポールソンと言うらしい――にことの詳細を話そうとしたラスフィアだったが、何故か止められてしまった。
「話は移動しながらお願いします」
そう言って、ルパートがラスフィアに向かって手を差し出してきた。その手を掴み、ラスフィアはよろよろと立ち上がる。ずっと縛られ冷たい床に転がされていたので、少々足がしびれていた。
「他の隊員が、貴女を家までお送りします。後日改めてお話を聞くことになると思いますが、それまでは心と身体を休めてください」
ルパートはそう言ってくれたが、ラスフィアがマルグリット商会の従業員だということは、すでに把握されている。このまま帰ったとしても、居場所が知られている現状、安心することはできない。
その旨をルパートに伝えると、「それは大丈夫です」と請け負われた。
「それよりも、取引が始まる前に貴女をこの場から遠ざけることが先決です」
取引という言葉をルパートが使ったことに気が付き、ラスフィアは驚きのままルパートを見つめた。
それに、先ほどルパートはここから逃げたあとのラスフィアの無事を請け負ってくれた。それはきっと、デレクたちがラスフィアを追うことはないという、何らかの確信があるからだろう。
「……もしかして、ポールソンさん。この港で麻薬が密輸されていること、知ってましたか?」
一応はこの港と言ってみたが、おそらく沿岸警備隊は、すでにメイウッド貿易会社に目を付けていたのだろう。ルパートは、今からここで麻薬の取引があることを、知っていたのだ。どうりで、先ほどからルパートがラスフィアをこの場から遠ざけようとするはずだ。
それにそう考えれば、沿岸警備隊であるルパートがこの場にいることも理解できる。
ラスフィアが最初ルパートのことを全面的に信じられなかったことの理由に、あまりにも登場するタイミングが良すぎたことも挙げられるのだ。だが、すでにメイウッド貿易会社が沿岸警備隊に目を付けられ、見張られていたというのなら、また話が変わって来る。
ラスフィアの言葉に、ルパートが僅かに目を見開き頷いた。
「その通りです。私たちだけではありません。今日はこれから警視庁と協力して、密輸に関わっていた者たち全員を、捕らえる手筈となっています」
ルパートがそう言って、ラスフィアを見つめた。
「すでに、取引現場である倉庫は捜査員たちが包囲しています。ここにいては、あなたも捕り物劇に巻き込まれかねません。さっさとここから出ましょう」
ルパートがラスフィアを促した矢先、カチャリという不穏な音が聞こえた。
見ればルパートの背後に立つようにして、いつのまにかデレクが姿を現わしていた。
「そりゃ無理だなあ。悪いが、あんたたちにはこのまま人質になってもらう」
(嘘……全然気付かなかった……。って言うか、今のカチャリって、カチャリって……!)
ラスフィアはデレクが来ていたことに、まったく気付かなかった。ただの一般人、しかも人間であるラスフィアはまだしも、亜人であるはずのルパートですら、デレクの登場に気付かなかったのだ。
(デレクさん……人間に見えるけれど、亜人なの……?)
レイドやライナス、ロイもそうだし、ルパートも見た目はほぼ人間だ。ラスフィアの周囲には何故かほとんど人間と変わらない容姿の亜人が多いが、実は人間とまったく変わらない容姿の亜人の方が、全体数としては珍しいのだ。
なのに、まさかデレクまでもがそのタイプの亜人だったとは。
(そりゃ、人間にしてはガタイが良いとは思ってたけど……!)
それでも、ロイと会った時に感じたような圧倒的な強者であるという感覚が、デレクからは感じられなかったのだ。だからラスフィアは、デレクのことをただの人間、あるいは能力の弱い亜人だと思っていたというのに――。
「参りましたね。あなたが近づいてくる音に、まったく気付けませんでした」
「俺は獅子の亜人でな。気配も音も、消すのは得意なんだ。お前は、亜人じゃないのか?」
デレクからの問いに、ルパートが無表情のまま答えた。
「私は、聴力は人間と変わらないんですよ」
あっさりと獅子の亜人だとバラしたデレクとは違い、ルパートは亜人であることは否定しなかったが、何の亜人かまではデレクに言うつもりはないようだ。
「ふん。まあ、昆虫型か爬虫類型だろう。それよりも……今あっちは大変なことになっててな。さすがにあれだけ多くの人数がいちゃ、ちょいと逃げるのに苦労する。そこで、お嬢ちゃんのことを思い出したってわけなんだが……まさか増えてるとはな」
デレクがルパートを見ながら、ニヤニヤと笑っている。ルパートのことなど、まるで脅威と思っていない態度と表情だ。
ラスフィアはルパートのことを知らない。その能力が、強さが、どの程度のものなのかわからない。なぜならルパートは、小説には出てこない人間だからだ。
(でも、沿岸警備隊だし……現場に出てくる隊員が、弱いなんてことはないわよね?)
沿岸警備隊は軍人だ。ルパートは、ガルストラの軍に所属していることになる。犯罪を取り締まる警視庁に亜人が多いように、軍関係者にも亜人は多く存在する。そしてその最たる理由には、やはり亜人の強さと能力があげられるのだ。
「まあいい。いくら亜人でも、直接心臓に弾をぶち込まれたらひとたまりもないだろ。そのままお嬢ちゃんと一緒に、俺に付いて来い。もしもの時のための船を用意してある」
デレクの発言に、ラスフィアは息を呑んだ。
(やっぱり、銃持ってたー!)
そうだろうとは思っていたが、やっぱりそうだった。あのカチャリという音は、テレビドラマなどでよく見る、背中に銃を突きつけられた時の音だったのだ。
デレクがルパートの背中を押しながら、前へ進めと無言で促している。その無言の要請に従い、ルパートが脚を前へと進めた。そして同時にデレクに腕を掴まれたラスフィアが、その後を震える足でついて行く。
(……大丈夫よね? 何か策があるのよね? まさか、このままどこかへ連れて行かれたりしないわよねー⁉)
「逃げ果せると思っているのですか? 今回の逮捕には沿岸警備隊だけでなく、警視庁も関わっています。逃げたとしても、あなたは双方から追われることになる」
従順な態度を見せながらも、ルパートがデレクを諭そうと話しかけている。けれどデレクは怒るでも焦るでもなく、ルパートの話を軽く受け流した。
「なあに。そろそろ国に帰ろうかと思っていたんだ。こういうことは引き際が肝心だ。いい機会だよ。この仕事は欲を出しちゃーお終いなんだ。俺の友人に、欲に目が眩んだせいで失敗した奴がいてな。ああ……そいつは今ガルストラの刑務所に入ってるよ」
(あなただって、欲に目が眩みまくってると思うけど……⁉)
麻薬の密輸など、捕まれば重罪は免れない。下手をすれば、そのまま死刑になる国だってあるのだ。そんなことは常識だというのに、それがわかっていて手を出したのだから、まさに欲に目が眩んだからしか理由がないではないか。
「俺と同郷の奴だったんだが……故郷でも珍しい種の亜人でな。お前等、白い猿なんて見たことあるか?」
どこか誇らしげに放たれたデレクのその言葉に、ラスフィアは息を呑んだ。
(白い……猿? ……って、もしかしてリューンさんのことじゃない⁉)
リューンはあの時、薬を調達してくれる悪友がいると言っていた。同郷で、麻薬の密輸とくれば、きっとリューンの言っていた悪友とは、このデレクのことなのだろう。
リューンには誘拐されかけ、デレクには人質にされ、ラスフィアが被る被害がとんでもないことになっている。そんな偶然あるのかと、ラスフィアはほとんど叫び出したい気分になっていた。
「悪友二人で、何してくれてんの⁉」
否、叫んでいた。
突然叫び出したラスフィアに、デレクとルパートが驚いている。二人とも目を丸くしてラスフィアを見ているけれど、当のラスフィア自身も驚いていた。
うっかり怒りが天元突破してしまったため、心の声を思わず口に出していたことに、しばらくの間気付かなかったのだ。
「あ、あれ……口に出しちゃった……?」
「お前……」
デレクがラスフィアに向かって、何かを言おうとした瞬間――。
倉庫の窓ガラスが割れ、何かが上から降って来た。その降って来た何かにデレクが気を取られた瞬間を狙って、ルパートがデレクから銃を奪い取り、奪われたことに反応し振り返ったデレクの頭に、今度は別の何者かの足が落ちて来た。
(……かかと落とし⁉)
窓ガラスが割れてからの数秒の間に、形勢は逆転していた。
さきほどまでデレクが立っていたその場所には、一人の警察隊員が立っている。
もっと正確に言えば、警察隊の服を着た、大きな猫がそこにいた。
(おっきい猫⁉ ……って、もしかしてこの人)
「ラスフィア! 大丈夫か⁉」
己の名を呼ぶ、聞きなれた声。その声に、ラスフィアは目の前の亜人の正体を確信した。
(レイドさんだ! この姿、初めて見た……!)
そこにいたのは、身体全体を獣化したレイドだった。
レイドは、オオヤマネコの亜人だ。
ピンと立った、大きな耳の先は黒。顔は普通の猫よりも野性味に溢れているが、意外にも尻尾は短めで、なんだか可愛らしい印象を受ける。
そのレイドがラスフィアの全身を見回したあと、何処にも怪我がないことが確認できたのか、ほっと息を吐いた。
「……良かった」
顔は猫だというのに、今どんな表情をしているのかがちゃんとわかる。普段のレイドとはかけ離れた姿だったが、ラスフィアを見つめる金の瞳は、いつもとまったく同じだった。




