053.好奇心は猫をも殺す
「そろそろ、船が着く時間かしら……」
ラスフィアは、手提げバッグの中から懐中時計を取り出し、時間を確認した。
懐中時計は、丁度短針と長針が同じ位置を指し示している。クリストファーは船が港に着くのは正午過ぎと言っていたので、何事もなければ、あと三十分もしない内に船の姿が見えてくるはずだ。
ラスフィアは懐中時計の蓋を閉じ、丁寧に専用の小袋の中に入れ、手提げバッグの中に戻した。銀色に光る懐中時計は、成人のお祝いにトルロイから贈られたものだ。
外殻のパーツはすべて銀で出来ていて、蓋には繊細な蔦の模様が描かれている。外国から取り寄せた、かなり値の張る代物だ。この懐中時計を手に入れる際、確かトルロイは知り合いの貿易会社の社長に頼んだと言っていた記憶があった。
ラスフィアの実家のエーレン商会やマルグリット商会などは、一般の客に品を提供するのが仕事。貿易会社は、その商会などに貿易によって手に入れた品を提供するのが仕事。だいぶ大まかな区分ではあるが、そうやって覚えておけばわかりやすい。
先ほどまで、他の貿易船の積み降ろし作業を見学していたラスフィアだったが、やはり取り扱う荷の量が半端ではない。商会に届く荷だけでも随分な量だと思っていたが、貿易船から降ろされる荷の量は、その比ではなかった。
作業に圧倒される一方、何故か商品を扱っているという実感が湧いてこなかった。実際に扱っているのではなく見学しているだけではあったが、それでもその作業を、どこか他人事のように感じてしまうのだ。
(きっと、私にはスケールが大きすぎるということよね……)
そんなことを考えながら、ラスフィアはとぼとぼと船着き場に向かって歩き出した。
☩☩☩
船の胴体横にメイウッド貿易会社と明記された船が港に入って来ると、会社の従業員らしき者たちが埠頭に集まって来た。その中にギーとデレクの姿は見えない。ギーは積み荷の管理と言っていたので、すでにバースの方に詰めているのかもしれない。
ラスフィアは、今度はバースへ行ってみることにした。
ラスフィアは作業の邪魔にならないよう、少し遠くから船から荷が降ろされる光景を眺めていた。近くで見たいとも思ったが、下手にあの場でちょろちょろしていたら、あの大きな荷に潰されそうだ。
(ギーさん、いないわね……)
ギーは港で働いている割には比較的細身であるため、大柄な港の男たちの中では、結構目立っていた。けれど、荷の管理をしていると言っていたのに、ここにもギーの姿は見えない。
(まあ、これだけの人だもの、見逃したのかも……)
ここにはギーの背丈を優に超えるような男たちがひしめき合っているのだ。その男たちに埋もれ、姿を見逃してしまった可能性は大いにあり得る。
ひとしきり船からの荷卸し作業を見ていたラスフィアは、今度は船から降ろした荷を集荷する倉庫へ行ってみようと考えた。
行ってみた倉庫はとても広く、その中央には荷が山積みにされていた。ほとんどが木箱だ。その木箱の横面には、それぞれ中身が何か、インクで直接書かれていたり、糊付けされた紙が貼られている。
そこでラスフィアは、次々と別の場所へと運ばれていく荷を見つけた。その荷だけは最初から他の荷と一緒にするつもりはないらしく、山積みの荷を通り越し、倉庫の外へと運ばれている。
(何かしら、あれ。あれだけ、特別扱い?)
けれど、荷を運んでいる作業員からは、堂々とというよりは、どこかこそこそとした印象を受ける。
好奇心に駆られた――というより荷の扱いを疑問に感じたラスフィアは、その荷の行く先を追ってみることにした。荷はどんどんと運ばれて行き、少し離れた場所にあるもう一つのさびれた倉庫へと運ばれていった。
大体の荷を積み終えたのだろう、しばらくすると盛んに荷を運び込んでいた人足がなくなった。そこを見計らい、ラスフィアはこっそりと荷に近寄ってみた。見れば運びこまれた木箱には外国語でスパイスとだけ書かれており、何のスパイスかまでが記されていない。
(もしかして……手違いとか、すでに取引先が決まっているとか……?)
だがこれだけの量の積み荷を間違って購入することも、運んでしまうことも考えづらいし、取引先が決まっているからといって、別の場所へ置く必要もないだろう。積み荷に印さえつけておけば良いのだから。
(何にせよ、この積み荷たちは特別ってことよね)
作業員が中身を確認したのか、一つ、蓋がきちんと閉められていない箱を見つけたラスフィアは、その箱の中身を覗き込んだ。
箱の中には、乾燥した葉のようなものが詰め込まれていた。
クリストファーが取り扱っている荷は、主に食料品だと言っていたので、ハーブがあってもおかしくはない。だが、この乾燥した葉には、どこか違和感を覚えた。
植物の葉や花、茎などを利用するハーブならばこのガルストラ国内や陸地続きの隣国でも、ほとんどのものは栽培可能だ。だが植物の種子や果実、根、樹皮などを利用するスパイスは、ここよりも海を隔てた場所で栽培された物が一般的。
絶対に海外からハーブを輸入しないとは限らないが、そこまでするほどの価値のあるハーブと言っても、ラスフィアにはすぐには思い浮かべることができなかった。スパイスや、先日《黄色い牡鹿亭》で出て来たような珍しい乾燥鮫とかならわかるのだが、わざわざ貿易船に積んで運ぶほどの価値のあるハーブなのだろうかと。
(ただのハーブティー用だとしても、使われるハーブは大体決まっているし……。医薬品に使われるものとか……?)
ラスフィアは何のハーブか匂いで確認しようと、荷に鼻を近づけた。
(特に香辛料っぽい匂いはしないわね。マクスウェルさんみたいに鼻が良かったら、すぐに何だかわかったんだろうけど……)
料理に使われているような、刺激のある匂いは感じない。言ってしまえば、ただの葉っぱの匂いだ。その中にどことなく柑橘系っぽい香りや甘さがなくもないが、やはりこれを料理や飲料に使うとは思えなかった。
(うーん。味に物凄く変化が出るとか? 色は……ただの緑よね?)
別にラスフィアだって、そこまでハーブやスパイスに詳しい訳ではない。実家でも勤め先であるマルグリット商会でもいくらかの取り扱いがあるため、わずかながらの知識があるくらいだ。
けれど、何かが気になるのだ。
商売人の勘、と言えるほどには、ラスフィアはまだこの道に長く携わっているわけではない。だがそういった勘は大切にしなさいと、トルロイには常に言われていた。
この荷だけ別の場所に運ばれていたことも気になるし、荷にはスパイスと書かれているのに、入っていたものが乾燥した葉だったことも気にかかる。
(まあ、ハーブとスパイスの違いって、呼び名と歴史が違うだけで、元は同じって説もあるけど……今は大体区別されているし)
そして一見しただけで何のハーブかわからないものを、これほど大量に輸入することにも引っ掛かる。
(それにこの匂い……どこかで嗅いだことが……)
しばらくの間記憶の底をさらっていたラスフィアは、ようやく思い至った情報に、無意識に唾を飲み込んだ。
(ちょっと待って……これって、もしかして麻薬……?)
ラスフィアは以前、トルロイに注意喚起の意味で、合法で売られている麻薬と、その原料の匂いを嗅がせてもらったことがある。この葉の匂いは、その時の匂いに似ている気がした。
この商売をするにあたって、ラスフィアがトルロイにとにかく気を付けろと言われていたことがある。それは絶対に、密輸品には関わらないこと。
特に麻薬の密輸は、一度手を出せば抜け出すことがかなり難しくなってしまうからだ。
(まさか、クリストファーさんが密輸……? いえ、でも……私の勘違いかもしれないし……)
そのようなことをする人ではないと思いたかったが、たった二年程で貿易会社を興し、最新式の車を買える程にまで成長させたのだ。商才があったと考えることもできるが、もしそれが密輸に手を出してしまった結果だとしたら……。
「こんなところで、何してるのかなあ?」
突然背後からかけられた声に、ラスフィアはびくりと身体を震わせた。恐る恐る後ろを振り返ると、そこにいたのは、人好きのする笑顔の、亜人の男。
「ギーさん……」
ギーが微笑みながら、ラスフィアを見つめている。けれどその瞳の奥には、油断ならない光が煌めいていた。あきらかに、先ほどの気前よく自分の食事をラスフィアに分けてくれたギーとは違う。
「なーんか、音がすると思って来てみたら……」
「許可は……取ってますよ?」
実際に許可を取ったのは荷の積み降ろしのみだが、見学は見学だ。
恐る恐るそう口にすれば、ギーが片手で頭を掻きむしりながら、唸り始めた。
「誰だよ、許可出した奴……。うーん、参ったなあ。まさかこれを見つけちゃうとは。しかも、お嬢さん。その荷の中身に検討ついちゃってるでしょ?」
ギーのラスフィアへの問い掛けとも確認とも取れる言葉に、ラスフィアは答えることなく黙り込んだ。ここで頷いてしまえば、結果は目に見えている。
麻薬の密売は、多額の金が動くのだ。人一人の命さえ、その金額の前では軽くなってしまう。どうしたら良いのかと考えを巡らせていると、カツカツとした足音がもう一人分聞こえて来た。
ギーの背後から覗き込むように顔を出したのは、ギーからデレクと呼ばれていた人物だ。
「おい、ギー。どうだった……って、ああ、こいつ……」
そのデレクがラスフィアの顔を見て、厭らしい笑みを浮かべた。
「坊ちゃんの客って女か……。おい、お嬢ちゃん。見学は中止って言ったろ? なんでまだこんな所にいるんだよ」
「積み降ろしの見学に許可出した奴がいるんだよ。多分、うちの従業員じゃないだろ。なあ、お嬢さん」
ギーからの質問に、ラスフィアは素直に頷いた。
「……そうです。船内の見学は無理でも、せめて積み降ろしの作業だけでも見られないかと思って簡易事務所に戻ったんですけど、ギーさんはもちろん、そこの……デレクさんもすでにいなかったので……。同じ港で作業する人に聞けば、部外者が居ても良いか悪いかくらいは教えてくれるだろうって」
一瞬ラスフィアにそれを教えてくれた人の身の安全が気にかかったが、結局は素直に答えることにした。ラスフィアはその人の名も聞いていないし、どこの会社の人間かも聞いていない。メイウッド貿易会社の人間でないことだけ伝えれば、問題ないだろうと判断したのだ。
「まあ……確かに外部の物好きな人間が来ることもあるけど、今日はなあ」
ギーが小さく息を吐き、その言葉にデレクが同意した。
「坊ちゃんもなあ。普段港になんて滅多に来ないってーのに、今日に限って船内の見学したいなんて、間が悪いったらないぜ」
デレクの言葉を聞き、ラスフィアはとあることに気が付いた。
「もしかして……見学が中止になったのは、嘘なの?」
ラスフィアの言葉を聞いたデレクが、感心したように微笑んだ。
「察しがいいな、お嬢ちゃん。だが、見学が中止になったのは本当だ。お嬢ちゃんだけじゃない、坊ちゃんにだって、今日こっちに来られたら面倒だったからな。仲間に頼んで急遽仕事で問題が起こったことにして、坊ちゃんを足止めしたんだ。これであんたが素直に帰ってくれてたら、万事順調だったんだが……」
デレクがラスフィアに詰め寄り、顔を覗き込みながら微笑んだ。
「こうなっちゃ仕方ない。積み荷をすべて片づけるまで、あんたには大人しくしていてもらうしかないな」
*港での作業等は、現実と異なる場合があります。
*ハーブ、スパイス等の呼び名やその歴史的背景に関しては、諸説あります。
*麻薬についても詳しくは種類を特定して書いていません。とりあえず、字のごとくの葉っぱ系と思っていただければ。




