052.浜焼きと、ケモミミケモシッポ
クリストファーと再会した日から、五日後。
休暇日のラスフィアは約束通り、クリストファーの貿易船を見に港へ来ていた。港に船が着くのが正午すぎ。ラスフィアの住んでいる地区から港までは、車で大体三十分かかる程度。
車でアパルトマンまで迎えに行くというクリストファーの申し出を断り、ラスフィアは約束の時間より二時間程早く港についていた。
(さすが、クリストファーさん。車も持ってるとは……)
個人で車を持ってる人は、まだほんの一握り。市民の移動手段となると、列車や馬車などが一般的だ。首都のような大きな都市などではバスも通っているが、運賃が高めなので、ラスフィアはよほどでなければ利用しない。
ちなみに車を使用しない場合、この港へ来るには列車で最寄りの駅まで来て、そこから降りたあとは乗り合い馬車を拾うことになる。車で来た場合の倍以上の時間がかかるが、ラスフィアにはそうまでして一人で港へ来たかった理由があったのだ。
(車も見たかったけど……それよりも)
港町とくれば、漁港。漁港とくれば、新鮮な魚だ。
この港は貿易港としての役割が大きいが、漁港としての側面もある。貿易船に混じり、数は少ないが離れた位置にはちゃんと漁船も停泊している。
(どこか……美味しい魚が食べられる店は……)
時間よりも早く港に着き、魚介料理を食べる。それが今回のラスフィアの、譲れない目的だった。
別にクリストファーがいても良いといえば良いのだが、貴族であるクリストファーが一緒では、お上品なものしか食べられないかもしれない。そう思ったラスフィアは、一人でゆっくりと美味しいものを食べるため、一人で先に来ることを選んだのだ。
あるいは、それも単なる言い訳だったのかもしれない。見学中は仕事の一環として接していれば済むが、食事だとそうはいかない。告白をしてくれた相手との食事ともなれば、会話をするにしても色々と配慮することも出てくるだろう。
考えすぎかもしれない。否、おそらく考えすぎなのだろう。だが少なくとも、そこを器用にこなせるほどには、ラスフィアはこの手のことに慣れていないのだ。
(食事に集中したかったっていうのも、本当のことだけどね……)
港には、船から降りた船員たちのための食事場所が、そこかしこに点在している。どこか良い食事所はないかと、きょろきょろとそれらの店を品定めしていたラスフィアは、風に乗って流れて来た美味しそうな魚介類を焼く匂いに、足を止めた。
香ばしい磯の香りは店からではなく、貿易船が停泊している場所からも漁船が停泊している場所からも少し離れた埠頭の端っこから匂ってきた。見れば、もくもくしたと白い煙が、湿気た塩気のある空気の中を漂っている。
その白い一筋の煙の先には、炎の見えるブリキ缶の上に金網を置き、その上で魚と貝を焼いている亜人の男がいた。
襟首の髪だけ背中付近まで伸ばした、茶色の短髪。その頭の上には髪と同色の三角形の耳と、そして腰と臀部の中間地点に同じく茶色のふさふさとした尻尾が付いている以外は、外見は完全に人間の亜人。ケモミミ、ケモシッポ装備の男だ。
その男が青い空と青い海を背景に、金網の上で魚介を焼いている。
(あれは……浜焼き! ああ……焼き魚と焼き貝のいい匂い……)
その金網の上で焼かれている魚と貝に、男が何かを振りかけている。普通ならば塩だが、男がその粉を振りかけた途端、漂って来る匂いに変化が現れた。
(……スパイシーだけど、仄かな甘さと香草の芳しさ……これ、バジル! 洋風の浜焼きも良いかも……)
匂いにつられたラスフィアは、ふらふらと男の傍まで足を運んでしまっていた。そんなラスフィアに男が気付き、驚いた表情をしたあと声をかけてきた。
「なんだよ、お嬢さん。もしかして匂いに釣られたのか?」
揶揄うような視線と口調で、男がラスフィアを見て笑っている。男の細められた橙色の瞳を見た途端、ラスフィアの胸に急に羞恥心が生まれた。
男の言っていることは正にその通りだったのだが、匂いに釣られてついその匂いの元へ足を向けてしまうなど、乙女としては当たり前に恥ずかしい。
「す、すみません。ものすごく、いい匂いがすると思ったらつい……」
「まあ、しょうがねえよなあ、この匂いだし。どう? 一緒に食ってく?」
男の誘いの言葉に、ラスフィアは驚きつつも、歓喜した。
「いいんですか⁉」
「素直だねえ。いいよ。材料はいっぱいあるから」
男はラスフィアと会話をしながらも、てきぱきとトングを使い、魚を網の上で返している。軽く焦げ目のついた魚と、すでに合わせを開いてぶくぶくと水分を煮立たせている貝に、食欲をそそられた。
「で? お嬢さんは何でここにいるの?」
男がブリキ缶の中に、炎の燃料となる木材の端材を足しながら、聞いてきた。
確かに周囲を見渡せば、目に付くのは屈強な海の男ばかり。たまに女性の姿も見受けられるが、ラスフィアのようにブラウスにスカート姿の者など、一人も見当たらない。男が疑問に思うのも、無理もない話だった。
「あ……私、友人の船を見学に来たんです。メイウッド貿易会社っていうんですけど……」
「へえ。友人の船ってことは、今日来るお客さんがお嬢さんか。俺、そこの従業員。ギー・アルファーノっていうんだ。よろしく」
ラスフィアは目を見開き、己に向かい手を差し出している男――ギーを見つめた。
それから慌ててギーの手を取り、己の名を名乗る。
「ラスフィア・エーレンと言います。今日はよろしくお願いします」
「うん。まあ、俺は積み荷の管理だから、船の案内は坊ちゃんがすると思うけど……」
そこまで言ったギーが、己の顎を片手で軽く掴み、考えるような仕草を見せた。それから「でもなあ……」と、何かそのことについて問題でもあるような言葉を放った。
「いやさ……実は今日、取引先との間に問題が起きたみたいで、皆船を迎える側は朝から大騒ぎ」
「え? そうなんですか⁉」
「坊ちゃんも出張ることになりそうだったしな……。もしかしたら、お嬢さんの見学も、取りやめになるかも知れねーな」
だったら、今クリストファーはラスフィアと連絡が取れずに困っているのではなかろうか。
これなら、迎えに来てくれるというクリストファーの言葉に従っていた方が良かったかもしれないと、ラスフィアは食い意地と、気まずさの回避を優先した己の判断を悔やんだ。
「……私、約束の時間より早く来たんです。……今頃クリストファーさん、私と連絡取りたがってるかも」
「ああ~……。うん……。まあ、とりあえず。それは食ってから考えればいいんじゃね? ほら、もう焼けたし」
ギーがブリキ製の深皿に魚と貝を乗せて、フォークとともに手渡してくれた。皿に熱が伝わり少々熱かったので、ラスフィアはポケットからハンカチを取り出し、皿をハンカチの上に乗せ、芳しい匂いを嗅ぐ。
「……美味しそう」
フォークで焼き魚を解すのはなかなかに難しかったが、それでもまったく苦にはならなかった。食べ始めてからそう時間もかからずに、ラスフィアは骨と内臓、貝殻だけを残し、あっという間に、皿の底に溜まっていた汁まで飲み干した。
そんな満足そうなラスフィアの様子を見たギーが、お代わりを申し出てくれた。
「そんなんじゃ、足りないだろ? もっと食う?」
「いえ、もう十分です! ご馳走様でした!」
ただでさえ、ギーの分の食事を奪ってしまったのだ、これ以上恵んでもらうわけにはいかない。
「そっか? じゃあ、そろそろ行くか」
「え、あ……じゃあ、私はこれで」
「いやいや、お嬢さんも一緒に行くの」
「え?」
「事務所に、お嬢さん宛てに坊ちゃんから連絡入ってるかも知れないからさ」
人好きのする顔で笑ったギーに、食事までお世話になったラスフィアは、恐縮して頭を下げた。
☩☩☩
ギーに案内され、ラスフィアは事務所の前に来ていた。
埠頭と荷の積み降ろしをする場所であるバースを抜けた先に、事務所はあった。
事務所とはいえ、それは簡易的に作られたもののようだった。休憩所兼、通信所の役割を担った、港を利用する貿易船のオーナーと、その従業員用のものらしい。
簡易事務所の中に入ると、十数人の男たちがいた。その男たちの視線が一斉にラスフィアに集中する中、その内の一人に向かい、ギーが話しかけた。
「デレク。坊ちゃんから何か、連絡入ってないか? 坊ちゃんのご友人のお嬢さんが見えたんだけどさ。ほら、今日はアレだろ?」
「ん? ……ああ、そういや入っていたな」
デレクと呼ばれた大柄の男が、返事をした。見る限りは、ラスフィアと同じ人間のようだ。そのデレクが電話の近くに行き、メモのような紙を指で掴み、読み上げる。
「都合が悪くなったから、今日の見学は中止だってさ」
(やっぱり……。でもしょうがないわよね。仕事にトラブルは付き物だもの)
それに、従業員たちが忙しく動きまわっている時に、社長の友人だからと言ってラスフィアが船内をうろちょろしていたら、顰蹙を買ってしまう。
「残念だったな、お嬢さん。ま、坊ちゃんの事悪く思わないでくれよ」
ラスフィアを振り返ったギーが、クリストファーの擁護をしつつ励ましの言葉をくれた。
「もちろんです……!」
ラスフィアがこの会社に勤めるかどうかはまだわからないが、ラスフィアとクリストファーの縁が切れない限りは、またいつだって見学の機会はあるはずだ。
「あの、ありがとうございました。アルファーノさん」
「ああ、ギーで良いって。じゃあな、お嬢さん」
人好きのする笑顔を残し、片手を振りながらギーが去って行く。
去って行くギーの後ろ姿を見送りつつ、ラスフィアは改めて食事処に寄ってから帰ろうかと考えた。ギーにはもう十分だと言ったが、やはりあの量ではお腹が満足してくれなかったらしい。
むしろ中途半端に胃に食べ物を入れたせいで、先ほどからキュルキュルとお腹が鳴り通しだ。
けれど簡易事務所から出てしばらく歩いたところで、ラスフィアはさきほどの考えを一部修正することにした。
(お腹は減ってるけど……。空腹は最高のスパイスって言うし……もうちょっとだけ我慢しようかしら)
せっかく港まで来たのだから、積み荷を降ろすところだけでも見ることは出来ないだろうかと考えたのだ。隅から作業を見ている分には、従業員の邪魔にはならないのではないかと。
確認を取ろうと簡易事務所に戻ったラスフィアだったが、ギーは当然のこととして、ギーの仲間らしいデレクという人物もすでに見当たらなかった。
仕方がないので、その場にいたどこの会社の者かもわからない別の従業員に荷の積み降ろしを見ていていいかと確認を取ったところ、意外にも快く了承の返事をもらうことができた。積み降ろしの邪魔をせず、怪我に気をつけることを約束してくれれば大丈夫だと。
その従業員にお礼を言って、ラスフィアは再び埠頭へと向かった。
*バースとは、船舶やトラックなどから降ろされた荷物の積み降ろしや、その他の作業をするための場所を意味する専門用語だそうです(作者調べ)。




