027.マルグリット商会警視庁支店
(でも、番に対するクロエの複雑な気持ちもわかるのよね……)
たとえ、もし今誰かに「あなたは私の番です」などと言われても、きっとラスフィアも簡単に信じることはできないだろう。何故なら、ラスフィアは人間であって、人間には番の匂いを感じ取ることはできないからだ。
(究極、そういう嘘を吐かれてしまっても、こちらとしてはわからないってことなのよね……)
この世界は「番」だからといって、強制的に番わされるようなことはない。なくて良かったと、心から思う。
ラスフィアが昨夜のクロエとの会話を思い出しながら店の中の掃除をしていると、マルグリットに声をかけられた。
「ラスフィアちゃん。そこ終わったらちょっといいかしら」
「あ、はい!」
考え事をしていたため、掃除にいつもより時間がかかってしまった。ラスフィアはモップ掛けを手早く終了し、マルグリットの待つ控室へと急いだ。
☩☩☩
「え? ガルストラ警視庁内にですか?」
マルグリットが言うには、今度ガルストラ警視庁内にマルグリット商会の支店を出すことになったらしい。支店とは言っても、警視庁内の一画を借り受けた小さな売店であり、貸し出す従業員も二人しかいない。その従業員が休暇を取る時には、本店から人を補充する仕組みのようだ。
むしろ、今まで売店のようなものがなかったことが驚きだとラスフィアが感想を口にすると、そうではないという。
「あそこでは、長年売店を営んでいた人がいたのよ。その人私の知人なんだけど、もう歳で引退するらしいの。跡継ぎもいないようだから、その人がいなくなったら、売店そのものがなくなるところだったんだけど……」
食堂はあるが、警察隊は体力を使う仕事だ。それだけでは用が足りない時もある。食堂は一日中開いているわけではないので、仕事のせいで時間内に食事を取れなかった者たちが、そこの売店で軽食を買っていたらしい。なくなっては困るということで、代わりに入ってくれる店を探していたのだとか。
そこで白羽の矢が立ったのが、ガルストラ警視庁にも近い、マルグリット商会だったというわけだ。
「そうなんですね。でも、良いかもしれませんね。ここなら本店も近いから、商品がなくなってもすぐ補充出来ますし……」
「そうなのよお。それに元々マルグリット商会は警視庁の人たちも良く利用してくれる店でしょう? 馴染みも多いし、困っているなら助けになれないかしらと思って、引き受けたのよね」
マルグリットにしてみれば、きっと儲け云々よりも、助けになりたいという思いの方が強いのだろう。マルグリットは義理堅く、人情にも厚い人間だからだ。
「それでね。ラスフィアちゃんには、そこの売店に出張してもらいたいと思ってるのよ」
「私がですか⁉」
「そう。ラスフィアちゃんは亜人に対する偏見もないし、小さな頃からお店を手伝ってるから、たとえ一人でも切り盛り出来るでしょう? 安心して任せられるわ」
確かに小さな頃から店には出ているため、ある程度の知識は持っている。ただそれでも、知識があることと実際やってみることとの間には、天と地ほどの差があるだろう。
「やってみない? 嫌だと言うのなら、他の人に頼むけれど……。ラスフィアちゃん、この前ガルストラ警視庁に友達がいるって言ってたし、どうかしらぁって」
小首を傾げながら、マルグリットがラスフィアを見つめている。
(確かに、ガルストラ警視庁で働くことになったら、クロエとも頻繁に会えるわね……)
それに、レイドたちにも会えるし、大きな店舗も働き甲斐があるけれど、視界にすべて商品が収まる程度の小さなお店も、魅力的だ。
(コンビニとか、駅の売店みたいな感じよね。……あ、結構楽しそう)
「警視庁から要望のあった品は置くけれど、それ以外は基本、店に出す品はラスフィアちゃんに任せるわよ?」
それが決定打だった。
それなら支店とはいえ、小さいながらも自分の城のようなものだ。ラスフィアは身を乗り出し、マルグリットの色も形もドングリのような瞳を見つめ、宣言した。
「……やってみます!」
☩☩☩
売店を一人で切り盛りしていたというマルグリットの知人である女性は、出来ればすぐにでも店を閉めたいと言っていたらしい。どうやら年々仕事がきつくなっていたことと、地方に行っていた娘夫婦と孫が帰って来るので、いい加減仕事を辞めて孫と遊び倒したいというのが、その理由らしかった。
店の内装は元のまま、棚に置く商品だけが変わるのだ。
そして従業員も。
「ラスフィアちゃん、これお願い!」
「ミュッテちゃん! あっちのシガー頂戴!」
「おい、押すな!」
「どけよ、てめー!」
マルグリット商会警視庁支店は、初日にして大繁盛だった。
売店の外は隊服を着た身体の大きな亜人たちで埋め尽くされており、廊下が見えなくなっている。カウンターの仕切りが押されて壊れやしないかと、ラスフィアは気が気ではなかった。
「少々お待ちください! ラスフィアさん、ギャロルのシガー、あと一箱しかありません!」
「わかったわ! 昼に本店に取りに行ってくる! はい! 250ギルのお釣りです。またのお越しを!」
大人数の、しかも大きな声に負けぬよう、ラスフィアは普段の二倍は声を張り上げて働いた。
隊員の昼食時という、おそらく一日の内で一番忙しい時間を何とか乗り切ったラスフィアは、自身の休憩時間に、もう一人の支店勤務となったミュッテを残して本店に補充の品を取りに行ったあとは、午後は比較的穏やかな時間を過ごすことができた。
午後には一度、レイドたちも挨拶をしに売店に立ち寄ってくれ、レイドたちが帰ってからは、クロエも顔を見せてくれた。それから終業時間を迎え、シャッターを閉めてからようやく一息をついたところだ。
「疲れましたね……」
「……そうね。初日からこんなに混むとは、思わなかったわ」
「そうですねよ……。それにしても、ちょっとびっくりですよね……」
マルグリット商会と書かれたエプロンを外しながら、ミュッテが言葉と共に小さな溜息を零した。その言葉には、驚きと、そして若干の呆れが交じっている。
ミュッテの言うびっくりの内容は、初日にも関わらず客が大勢来た事ではない。今日実際に売店に立つまで、まるで考えもしていなかったことだ。
「そうね……」
「私、今日三人に番だと言われました……」
「……」
ラスフィアは今日、五人に「番」だと言われている。番のバーゲンセールだ。
新大陸に住む亜人が番を認識しなくなって久しく、今では「番」という言葉は、相手を口説くときの定番文句となっている。そんなわけで、ラスフィアを番だと言ってきた人たちも、その定番文句を使って口説いてきただけだとは思うのだ。
まさか警視庁内でナンパされるとも思わなかったのだが、何より、もし言って来た者の中に本当にラスフィアを「番」と認識している人がいたとしても――。
(確実に四人は嘘を吐いてるわ……)
番が五人もいるわけがないのだ。
むしろ言ってきたのがたった一人だけだとしたら、そちらの方がきっと困ってしまっただろう。その言葉が嘘か真か、ラスフィアには区別がつかないのだから。
「そんなわけ、ないんですけどね。私、もう別に番いるので」
「え⁉ ミュッテちゃんって亜人だったの⁉」
柔らかそうな金色の髪に、淡い群青色の瞳。儚げな美人であるミュッテは、何処をどう見ても人間にしか見えない。ラスフィアにとって、ミュッテのようなタイプの亜人は、相当に珍しいという認識だ。
(むしろエルフとか言われたら、信じちゃいそうだけど……。いえでも、ここは亜人が多いガルストラ。こういうタイプの亜人もいるのかも……)
「いえ? 人間です」
「え? じゃあ、番なんてわからないんじゃ……」
「まあ、匂いでわかるかと言われたら、そりゃわからないんですけど……。相手が亜人なんですよ。蛇の亜人。私の幼馴染で、彼、はじめて会った時から私のこと番だって言ってるんです。まだほんの小さな頃のことですから、嘘でもないと思うんですよね。それから今まで、ずっと一貫して言っているんで」
「そ、そうなのね」
まさか「番」のカップルがこんな身近にもう一組いるとは、世の中狭いにも程がある。あるいは、ラスフィアが知らないだけで、意外と世間には「番」同士のカップルは多いのだろうか。
(どうせ周囲に言っても信じて貰えないから、言わないだけとか……?)
ラスフィアは、淡々と終業の作業をこなすミュッテを見つめた。
シャッターを閉めた内側には、ラスフィアとミュッテの二人だけ。聞きたいことを聞くには、今がチャンスだ。
「あの……聞いてもいい?」
「なんでしょう?」
「……人間には番の匂いって、わからないじゃない? ……どうして信じられたの?」
ラスフィアのある意味不躾な質問に、ミュッテは少しだけ考えてからそれでも正直に答えてくれた。
「彼のことを信じているから……っていうのもあるんですけど、やっぱり他の人と違うんです。彼といると、誰と一緒にいるより、安心できるんです」
「安心……?」
「はい」
淀みなく返事をしたミュッテの顔は、とても幸せそうで、どこか誇らしそうだった。
(……安心か)
自分が一緒にいて、一番安心できる相手。それは誰だろうと考えれば、自然と家族の顔が浮かんでくる。次いで、マルグリットやディートヘル辺りだろうか。
あるいは、故郷に残っている友人たち。まだ親しくなって間もないが、クロエといる時も、心が洗われるような心地になる。
もし、家族や友人以外にそう感じる相手が現れたのなら――きっとその人が、自分の大切な人になるのだろう。
それが番であっても、そうでなくても。心から信頼し、安らげる相手。
いつか自分もそんな人に会えたらいいと、幸せそうなミュッテの横顔を見つめながら、ラスフィアは密かに胸を高鳴らせた。




