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運命なんて信じない~小説の世界へ転生したら、ヒロインのお相手(ヒーロー)の番でした~  作者: 星河雷雨
第二章 運命の恋は意外と身近に

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020.偶蹄目は、結構脚が速い。けど食肉目猫科には劣る

 

「……私たちをどうするつもり?」


 問いかけたラスフィアに対し、男はニヤニヤと、まるでこちらを揶揄うかのような笑顔を浮かべながら答えた。


「うーん、どうしよう。目撃者は消すっていうのが、こういう場合の常套手段だけど」


 男は目撃者と言う際に、ラスフィアと、そしてクロエの方を見た。その視線の意味を考えて、ラスフィアの身体から血の気がひいていく。


 確かにラスフィアは殺人未遂の目撃者だが、こうなってしまった今、クロエもこの男にとっては消したい対象だろう。


 男は、ラスフィアだけではない。クロエにも危害を加えるつもりだ。


「……私たち二人も殺して、逃げ切れると思っているの?」


 ラスフィアがそう言えば、男が不思議そうに首を傾げた。


「? 実際一人殺したけど、まだ捕まっていないよ? ああ……残念ながら未遂になったんだっけ? 君のおかげで」


 にこりと歪んだ笑みを見せた男に、ラスフィアとクロエが同時に唾を飲み込んだ。やはりこの男は、どこかが決定的に壊れている。


「僕がなぜ捕まらないのか、不思議? ふふ……香水を使っているからね。警察隊には嗅覚の鋭い奴らが多いけど、香水を使ってしまえば大体誤魔化せる。それに……僕は角こそあるけど、体臭は人間とほぼ変わらないって良く言われるしね」


 男の手がラスフィアに向かって伸ばされたその時、先ほどまでラスフィアの腕に縋りついていたクロエが前に出た。


「……あれ? さっきまで怯えてたのに」

「クロエ!」


 ラスフィアは背後から、前に出たクロエの肩を掴んだ。この男が狙っていたのは、ラスフィアだ。巻き込まれただけのクロエが、ラスフィアを庇う必要などないのに。


「……逃げてラス」

「クロエ! 逃げるならあなたが……」

「わ、私、足遅いから……助けを呼んできて……!」


 ラスフィアとて遅くはないが、そこまで足が速いわけでもない。けれど、自分から申告するくらいだ。クロエはきっと、周囲の者と比べても足が遅いのだろう。


 だからと言って、クロエ一人をこの場に残して逃げるわけにはいかない。それに――。


(偶蹄目は、結構足が速いのよ……)


 ラスフィアが無事逃げおおせる確率は、かなり低い。ここはこの男に従うふりをして、なんとか隙を見て二人で逃げ出そう。そう、クロエに告げようとした瞬間、


「逃がすわけないだろ?」


 どこか楽しげに、男が言った。


「逃さないよ。こんなに良い獲物、滅多に手に入らないんだから。……ああ、ふふ。獲物だって。まるで肉食獣みたいなこと言っちゃった」


 焦点の合っていない瞳で笑う男に、ゾワリとした怖気がラスフィアの身体全体を駆け抜ける。


(駄目だわ、これ……。何か薬でもやってるの……⁉)


「……クロエ、やっぱりあなたが逃げ――」


 逃げてと、恐怖に固まっているクロエに話しかけた瞬間、男がクロエの身体を横に払い除けた。


「クロエ!」  


 そして、その手をゆっくりとラスフィアに伸ばしてきた。けれどすぐには捕まえず、恐怖を煽るように、ゆっくりと。


「駄目だよ。逃さないって言ったのに……。どうして言うこと聞かないかな」    

「この……変態暴力男!」


 その言葉に激昂したらしい男が、一瞬で表情を変えた。


 伸ばされた男の手がラスフィアの喉を乱暴に掴み上げる――とラスフィア自身は予想したのだが、実際には、男の手が肌に触れることはなかった。 


 気がつけば男は、まるで身体に括りつけられた縄で強引に引きずられているかのように、現在形でラスフィアたちから遠ざかっていた。


 誰かに蹴り飛ばされたのだと気付いた時には、ラスフィアの隣には、警察隊の隊服を着た男がいた。


 ラスフィアの聴取をした警察隊――ロイだ。


 そのロイが必死の形相で、倒れたクロエを助け起こし、名を呼んでいる。ラスフィアも慌てて、クロエの傍に膝を突いた。


「クロエ! クロエ……!!」

「クロエ、大丈夫!?」


 ラスフィアの呼びかけに、クロエが反応し、顔を上げた。


「……ラス。良かった。無事だった」

「……クロエのおかげよ。ありがとう」


 ラスフィアが礼を言えば、クロエがはにかみ、首を横に振った。


「私は、何も……。あ、あの。ありがとうございました、クローディオ巡査……」

「いいや……。それより、怪我はないか?」

「あの、大丈夫、です……」


 クロエの口から大丈夫と聞いた途端、ロイが表情を緩めた。


「そうか……。良かった、クロエが無事で……」


 安堵し、クロエの無事を喜んでいるロイに対し、クロエは恐縮したように視線を下げている。それはまるでロイの視線から逃れようといているかのように、ラスフィアの目には映った。


(ああ……そうだわ……。この二人……)


 二人が揃った光景を見て、ラスフィアはこれまで思い出そうとしても思い出せなかった、重要な記憶を思い出した。


 体格の良いロイと、少女のように小柄なクロエ。


 そして自信に溢れたロイと、自分に自信の持てないクロエ。


 一見正反対に見えるこの二人は、実は番同士なのだ。


(……ロイさんとクロエって、小説にでてきた番のカップルだったんだ……)


 こんな身近に、小説に出てくる二人目の運命のカップルがいたとは、驚きだ。


 しかし、思い出せたのはそこまでだった。ロイに蹴り飛ばされたはずの男が立ち上がり、慌てて逃げ出そうとしている姿に気が付いたからだ。


(まずい、逃げちゃう!)


 その姿を見たラスフィアは、慌てて声を上げた。


「待ちなさい……!」


 叫んだところで、男の姿はすでにかなり遠くに見えている。ロイによって蹴り飛ばされたことで、ラスフィアたちと距離が空いてしまった。


(やっぱり、結構速い……!)


 偶蹄目は結構足が速い。前世、草原で肉食動物が草食動物を追う映像などをよく見たが、前世のラスフィアはその都度、草食動物って結構速いなと思っていたのだ。少なくとも、絶対にラスフィアの足では追いつかない。


 一瞬だけ見えた男の表情には、はっきりと恐怖が張り付いていた。もし怪我をしていたとしても、きっと死に物狂いで逃げるだろう。そして、逃げおおせたあとは、姿もくらませてしまうはずだ。


 このままでは、永遠に男を捕まえることが出来なくなってしまう。


 そう思った矢先、逃げた筈の男が急に動きを止めた。何事かとラスフィアが目を凝らせば、男の前に、男よりも大きな人影が立ち塞がっている。


 その人影が一瞬何らかの動きを見せたかと思った途端、繰糸が切れた人形のように、男がその場に崩折れた。


 男がいなくなったことで、立ち塞がっていた人影の姿が顕になる。その姿が誰なのか認識したラスフィアは、思わずその人物の名を呼んでいた。


「レイドさん……」


 その瞬間、地面に倒れた男を見下ろしていた筈のレイドが、弾かれたように顔を上げた。まるで、ラスフィアの声が聴こえたかのように。


(……でもこの距離だし、まさか聴こえるはず…………。違う、レイドさんには聴こえたんだ……) 


 レイドは猫科の亜人、耳が良いことをラスフィアは思い出した。  


(や、やっちゃった……)


 ラスフィアはこれまで、レイドのことを姓で呼んでいた。しかし、心の中では親しみを込め、レイドのことも、ライナスのこともリアーナのことも、名前で呼んでいたのだ。けれどそれは、あくまで心の中だけのことだった。


(心の中だけだったけど……こういう咄嗟の時に出ちゃうんだわ。習慣って怖い……!)


 ましてやレイドは、たった二度会っただけの、しかもこちらが世話になった人物だというのに。


(馴れ馴れしい……!)


 前世の記憶のこともあり、ラスフィアは無意識にレイドたちのことを、よく知る友人くらいの感覚で捉えてしまっていたのだ。


 相手が他の人間だったなら、そこまで気にすることはなかった。だがラスフィアの知るレイドは、会ってすぐに己を名で呼ぶような馴れ馴れしい女性を、嫌っていた筈なのだ。


(たしか小説のレイドさんって、女性ではリアーナさんにしか、名前を呼ばせてなかったわよね? 親し気に名前で呼んでる人もいたと思ったけど、そういう人は勝手に呼んでるだけで、レイドさんは機嫌が悪くなっていたはず。うう……別の言葉として誤魔化せないかしら……)


 ラスフィアが一人羞恥とやらかしに悶えている間にも、男を引きずったレイドが、こちらに向かって近づいて来る。


 そしてラスフィアの前まで来ると足を止め、じっとラスフィアを見つめてきた。


(お、怒られる……?)


 ラスフィアも、レイドのその淡い金色の瞳の奥底にある感情を探ろうと、見つめ返した。


 けれど、ラスフィアの心配は杞憂に終わった。怒るどころか、レイドはラスフィアの身を案ずるような言葉をかけてくれたのだ。


「……喉、大丈夫か?」

「……大丈夫です! クローディオさんに助けて頂いたので!」


(怒られなかった……! 心配してくれた……!)


 ホッとしたのと、心配されて嬉しかったのとで、ラスフィアは無意識に満面の笑みを浮かべていた。


「あの、ファルガスさんもありがとうございました」


 そしてラスフィアがレイドにも礼を言うと、何故かレイドが、予想外の表情をした。レイドは何故か、驚いている。


(お礼を言われたことに、驚いたの? いや、言うでしょ普通)


 いやしかし、とラスフィアは再び小説を思い出し、そんなこともあるかも知れないと思い直した。


 小説の中でも、警察隊であるレイドに助けられた人たちは大勢いた。けれどレイドの力と態度に怯え、礼を言うこと自体を忘れるとか、言うにも恐る恐るといった具合だったことを思い出したのだ。


(お礼そのものと言うか、笑顔でお礼を言われたことがなかったりして……)


 どにらにしろ、感謝の気持ちが真っ直ぐに伝わったのなら、それ以上のことはない。


 その後、レイドが無線にて先日の傷害事件の犯人を捕まえた旨を報告し、男は無線を聞いてやってきた複数の警察隊の者たちに連行――否、意識を失っていたので、リューンの時同様、四肢を乱暴に掴まれて運ばれていった。


 そしてラスフィアは再び、クロエとともにガルストラ警視庁で事情聴取を受けることになった。


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