014.運命の恋をしてみたい/悩ましい
ラスフィア・エーレンが出ていった扉をじっと見つめ続けているレイドを見て、ライナスは声を掛けるか否かを、一瞬迷った。けれど結局は、友を案ずる心と己の好奇心に負けた。
「言わないのか? 彼女がお前の番だって」
「……言ってどうすんだよ。彼女は人間だ。困らせるだけだろ」
憮然とした表情だったが、レイドははっきりと、告げる気はないと答えた。
レイドは口に出さないが、きっとロイの事が頭の中にあるのだろうと、ライナスは考えた。それに、普段から「番」など信じないと言っていたレイドのことだ。突如現れた己の「番」に対し、どう接していいかわからないということもあるのだろう。
だが、例えそうだとしても。今のレイドの態度は、何とも煮え切らない態度にライナスには思えてしまうのだ。
これはロイの話をレイドに聞かせたのは間違いだったかと、ライナスは己の過去の判断を後悔した。
「ではどうする? 番だと伝えないまま彼女を口説くのか?」
「そうだ。人間である彼女は番を認識できない。なら伝える必要はないだろ」
レイドの答えに、ライナスはほう、と息を吐いた。
一応、口説くつもりはあるらしい。
ライナスとしてはレイドのその感情の動きにも、驚かされている。そもそも、彼女が困るから伝えないという決断をしたことにも、驚かされているのだ。まるで悪ガキが、一足飛びに大人になったかのような成長ぶりだった。
しかし、レイドが女性を口説く気だと聞いて、一体レイドを知る何人の者が信じるというのだろう。最悪、賭けでもしているのかと勘繰られる恐れすらあった。
「だがはっきりお前の番だと周知しておかなければ、他の奴らからちょっかいをかけられるかも知れないぞ?」
ライナスの言葉を聞いたレイドの瞳が、剣呑な光を帯びた。
ライナスとしてはレイドが特別扱いをしている女性というだけで、おそらく他の者たちは遠巻きにするだろうことは予測できた。些細な悪戯心でレイドの怒りを買っては、堪ったものではないからだ。レイドならばちょっかいを掛けた者全員をぶちのめし、全治半年くらいの状態にしかねない。
「ちょっかい掛けた奴は、全員殺してやる」
予想以上の答えに、ライナスは呆れと、そして若干の苛立ちとともに息を吐きだした。
「殺すな。最初からお前の番だとわかっていれば、誰も手を出したりなどしない」
理不尽だろうと窘めると、レイドは鼻を鳴らしそっぽを向いてしまった。本気で有言実行をしそうだからこの男は恐ろしいのだ。
「いいか。彼女は人間だ。亜人に対する潜在的な恐れを抱いていないとも限らない」
ライナスの見立てでは、恐らく彼女に、そして彼女の父親に、亜人に対する偏見や差別はないように思われた。亜人であるリューンに付いて行ったこともそうだが、助けに入った悪鬼の如きレイドの姿を見ても、怖がってはいたが、それでも彼女の瞳に亜人に対する嫌悪や恐怖は浮かんでいなかったからだ。
だがいくら亜人に友好的な人間だろうと、あえて暴力的な面を好んでいるわけではないはずだ。
「同じ亜人であっても、ほとんどの者にとってお前は強者なんだ。せめて彼女の前では普段のような行動は慎め」
「……わかってる」
彼女という存在を知ってからのレイドは、意外なほど物分かりが良い。随分と大人しくなったものだと、ライナスは内心感動していた。
「それにしても……何故、お前なんだか」
ロイに引き続き、よりにもよって普段から番など信じないと豪語しているレイドの元へ番が現れたことには、驚きを禁じ得ない。
そしてこうも直近に番を認識する者たちが次々と現れたことにも、ライナスは驚いていた。
新大陸に住む現在の亜人は、番を認識する能力が昔に比べ著しく劣っているというのが、昨今の定説だというのに。例外はあるとはいえ、同じ警視庁内というこれ程にも身近に二人も番を得た者が現れるなど、これまで聞いたことがない。
「……俺も驚いてる」
ロイとレイド。二人に共通することといえば、亜人としての能力が高いということがあげられる。だがそれならば、ライナスにもそれは当てはまるのだ。しかも番を認識するのは主に嗅覚。猫科のレイドよりも、犬科のライナスの方が番を認識する条件は良いというのに。
「本当に……番なんだな?」
自分でも今更な問いだということはわかっていた。レイド自信もそう認めているのだ。けれど、やはりどこか信じきれない自分がそれを問わせた。
だがライナスのその問いに、レイドは一瞬の迷いもなく頷いたのだ。
「ならば、早急に手を打たなければならないぞ。幸いにも彼女はまだこの国に来たばかりだから、親しい間柄の男性はまだいないだろうが……あの美貌だ。すぐに目を付けられる」
ラスフィア・エーレンは、目を瞠るほどに美しい女性だった。
そして全体的に儚げな印象で、庇護欲をそそられる。ライナスとしても恋愛感情関係なく、護らなければならない存在であると、すでに彼女のことを認識していた。
亜人の中にはか弱く、儚げな人間を好む者も多い。亜人の多いこのガルストラで暮らすとなると、恋敵が多くなることは想像に難くない。
「わかってるって……」
わかっていると言いながらも、やはりライナスの目には、レイドはどこか戸惑っているように見えた。
「……番とはどういうものだ?」
レイドはライナスの質問の意図を計りかねているのだろう、怪訝な様子で眉を顰めている。
「どういう意味だよ」
その強い視線は、まるでライナスを非難しているかのようだ。
お前だって知っているだろうにと。
確かに概念として、知識としては知っていたが、ライナスは実際に番を持ったことがない。そして、これからも持つ可能性は低い。
「ロイは己の番に対し、はっきりと求愛行動を示している。だがお前を見ていると、まるで親が子を、あるいは兄が妹を庇護しているようにしか見えない」
実際には目元を染めてラスフィアに見惚れていたレイドを見ているが、それを差し引いても、あまりにレイドの言動は番を得た亜人にしては冷静過ぎる気がした。ロイの様子を見ているため、尚更そう思うのだろう。
「そりゃ、手に入れたいって気持ちはあるけど……それで彼女に嫌われたら元も子もないだろ」
意外にも恋愛に対し常識的な価値観を持っていた友人に、ライナスの方が面食らった。普段のレイドを知っている身とすれば、攫ってでも手に入れると言われた方がよほど納得できる。
「お前……本気か? なら何か? 彼女がお前を拒絶したら、お前はそれを受け入れるのか? 他の男に奪われてもそれで良いと?」
「それとこれとは話が別だ!」
まさに牙を剥き出しにして怒りを顕わにしたレイドに対し、怒りを向けられた当人であるライナスは、またもや驚きに襲われていた。
「……要するに、怖がっているのかお前は」
己の番に嫌われるのは、それほどに怖ろしいのか。
ライナスのその言葉に、レイドが大きく舌打ちをした。反論してこないのが、ライナスの言葉が的を射ている証拠だ。
「……それはまたなんとも。番を呪いと称する奴らの気持ちが、はじめて理解出来た気がするな」
怖いもの知らずだったレイドを、こうも臆病にするとは。
実際のところ、レイドにとって番は呪いどころか真人間に戻す祝福であるとすらライナスは考えている。だが、やはりこうも強制的な変化を目の当たりにすると、可能性は低いとはいえ、己に番が現れた時のことを考えないわけにはいかない。
レイドはたまたま、良い方向へと変化した。だが己は――。
番を得たときに、一体どう変化するのか。
それが恐ろしいと、ライナスは眉間の皺を深めた。




