恋愛相談
キュっキュと高い音を鳴らして体育館を駆ける弟に送られる声援は多い。
本日の体育は先日に引き続き、バスケット。合同体育の上に今回は男女同じ種目なので、体育科があるだけあって広いはずの体育館にも熱気が篭っている。
クラスメイトたちの声援や歓声を聞くともなしに聞きながら、ひっそりと片隅で体育座りをしなおした。
バスケットボールは結構好きなのに、昨日熱を出したので大事をとって見学をさせられている。私は大丈夫だって訴えたけど、愛兔とゴロちゃんが許してくれなかった。
楽しそうにボールを回す弟を恨めしく思いながらため息をつくと、隣でも同じタイミングでため息が落ちる。
今日の見学は私も含めて二人。ならば相手も限られてくる。
ちらりと視線を横に向ければ、栗色の緩やかな天然パーマを二つに別けて結んだ、柔らかな雰囲気の少女と視線がかち合った。
日に焼けない白い肌に、ふっくらとした頬。大きな瞳は瞬きすらせずに、じっと私を映してくる。特別に秀でた容姿をしてるわけじゃないけど、なんとなく庇護欲を掻きたてる。藤枝さんは、そんな女の子だ。
仲が悪いわけじゃないけど、まだそれほど話したこともない。そんな相手の思わぬ目力に引きつった笑みを浮かべ、小首を傾げた。
「ど、どうかした?藤枝さん」
「大野さん」
「ん?」
「大野さんはいいね。幼馴染の如月君が優しくて」
前触れのない話題に、きょとりと瞬きする。いったいどうしたというのだろうか。
「・・・確かにゴロちゃんは優しいけど」
あれでいて意外と意地悪なところもある。なんだろう。真綿で包むように、同級生とは思えない包容力を見せる時もあれば、私の大好物を目の前にチラつかせておきながら、一口でぱくりと食べちゃうようなところもある。
可愛いから苛めたいんだよって言ってたけど、素直に可愛がってもらえるほうが嬉しいと彼の口の中に消えた大好物の唐揚げを涙目で見送った日は記憶に新しい。
その後すぐに隠し持っていたもう一パックの唐揚げを貰ったけど、あのジューシーでさくさくな味わいはもう一度是非確かめたいところだ。
お昼時間が近いのもあって意識が食欲に向きかけると、再び藤枝さんの深くて重たいため息が耳に届いた。
「どうかしたの?」
「えっとね・・・ほら、あそこにいる男子、見える?今、女の子の頭をくしゃりと撫でた」
「んー・・・あ、あの髪の毛ワックスで立たせてる中肉中背の人?にかって笑った顔がちょっとだけやんちゃに見える」
「うん、その人」
「あの人がどうかしたの?」
「・・・彼ね、隣のクラスの、私の幼馴染なんだ」
「へぇ~」
黒髪黒目の、最近の高校生って雰囲気の少年だ。釣り目がちの瞳が勝気に輝いて、周囲に人が集まるところからカリスマ性もあるのだろう。
黙ってるときつそうに見えるが、瞳を眇めて笑う姿はちょっと猫に似てて可愛い───かもしれない。
さり気無く同級生の女子の頭を撫でたり出来る男子をゴロちゃん以外で初めて見た。しかも嫌味になってないし、嫌がられてないのがすごい。
きっとクラスの中でも中心人物とかそんな感じで人気がある男の子なのだろう。
頭を撫でられた少女もまんざらでも無さそうに頬を染めて上目遣いで見詰めている。
女泣かせの男よのう。青春の一部を切り取って見せ付けられた気がして、ほんの少しだけ背中がむず痒い。
他人事ながら若干照れくさくなりながらこそばゆいやりとりを眺めていたら、藤枝さんは悲しげに声を震わせた。
「巧君、私以外の女の子には優しいのにな・・・」
「え?」
「昔は凄く優しかったのに、中学にあがってからほとんど話もしないし、たまに口を利いても物凄くぶっきらぼうで・・・。前みたいに笑ってくれなくて、みんなの前では笑顔なのに、私の前では仏頂面で嫌そうに舌打ちするの」
「それは・・・」
もしかして嫌われてるの?
なんてそんな言葉とても口に出せない状況だ。もしかして自分は今、人生で初めてに近しい恋愛相談を受けているのだろうか。
なんでわざわざ体育の授業中に、それも大して親しくもない私相手にと思わなくもないが、切なげにけぶる瞳を見てると言葉は喉奥に消えていく。
───どうやら彼女は幼馴染が好きらしい。
予想だにしていなかった超展開にどうするべきか冷や汗が流れる。彼女は絶対に相談相手を間違えている。
そういうのはもっと、いかにも恋愛経験が豊富な人か、恋話が大好きな真摯な友人にすべきだろう。
自慢じゃないけど初恋もまだの、ゴロちゃん曰くおこちゃまな私では荷が勝ちすぎる内容だった。
「もっと優しい人を好きになればよかった」
切なげに吐息を零す彼女に、それでも私は考える前に条件反射で口を開いた。
「嘘だ」
「え・・・?」
「そんなこと全然思ってない顔してる。藤枝さんは、他の誰かを好きになりたいなんて思ってないよ」
恋ってなんなんだろう。よくわからない。隣に座る友達未満のクラスメイトの方が、きっとよく知っているに違いない。
人並みに読んだ恋愛小説によると、胸がきゅうって締め付けられて、苦しくて、切なくて、独占したくてでも自慢したい。その人を考えると胸の鼓動が早くなって、息も出来なくなるのが『恋をする』ってことらしい。
でも文章で読むのと体験するのとでは違うだろうし、経験をしたことがない私じゃ藤枝さんの気持ちを本当の意味で理解なんて出来やしない。
そんなことくらいわかってる。わかっていても、咄嗟に否定の言葉が出てしまうような顔を藤枝さんがしていたのだ。
「藤枝さんはあの、ちょっと勝気そうな幼馴染の彼がいいんでしょう?優しくてもゴロちゃんじゃダメなんでしょ?」
「・・・・・・」
「私は藤枝さんの幼馴染がどんな相手でも、ゴロちゃんじゃないから嫌だよ?」
もっとも私のは恋愛感情とは違うけど。
それでもゴロちゃんと愛兔の代わりはいないし、考えるべくもない。だから自然と同じ幼馴染で比較しやすい相手を並べたけど、口に出してみて改めて実感する。
たとえ藤枝さんの幼馴染が暮らすの人気者だったとしても、たとえゴロちゃんみたいに優しかったとしても、彼はゴロちゃんにはなりえない。
ゴロちゃんじゃないなら、ゴロちゃんの代わりなんて要らない。
当たり前のことを当たり前に口に出しただけなのに、藤枝さんは大きな目をさらに大きくして、ついで一点を見詰めてから気まずそうに視線を逸らした。
どうしたのかと小首を傾げると、掌がぽんぽんと頭の上に置かれる。条件反射で身体がびくりと震え、慌てて上を見上げたら、そこには見慣れた幼馴染のちょっと照れたような微笑があった。
「ゴロちゃん?」
「折角驚かそうと思ったのに、こっちが驚かされちゃったじゃない」
「どうしてゴロちゃんが驚くの?いきなり頭を撫でられた私が驚くならともかく。って言うか、十分に驚いたから」
「まったく・・・本当に虎珀は仕方ないな」
くしゃくしゃと頭を掻き混ぜる掌は、慣れているだけに心地よい安心感を与えてくれる。
私が猫ならごろごろと喉を鳴らしているだろう。でも猫じゃないからそれはできなくて、代わりにうっそりと目を細める。
そんな私の様子を見て微笑を微苦笑に塗り替えたゴロちゃんは、ため息をついてから居心地悪そうにしている藤枝さんに視線をやった。
「ごめんね、藤枝さん。僕、君の話をほとんど聞いちゃった」
「・・・内緒にしてね」
「勿論。同士として気持ちは痛いほどわかるからね」
茶目っ気たっぷりにウィンクしたゴロちゃんに、藤枝さんは頬を赤らめて俯いた。
「まあ、僕の場合は果てしなく並外れた意図的な鈍感をどうにかするところから始めなきゃいけないんだけど。───そういう意味だと、きっと君たちの方が僕より何歩も進んでるかな」
「え?それってどういう意味?」
「だってさ、君の幼馴染の君に対する態度って、まるきり意識してますって丸出しじゃない。小学生のガキ大将の好意の表し方と同じだよ」
「・・・ゴロちゃん、それって結構きつい言葉なんじゃ」
「そうかな?でもそのまんまだから。見ててよ、虎珀」
「う、うん」
そう言うとおもむろにゴロちゃんは藤枝さんの柔らかそうな栗色の髪を撫でた。
ふわふわと掌が動くたびに揺れる髪の毛が心地よさそうで、私もしたらだめかなとぼんやり考える。
機会があったら是非とも撫で繰り回させて欲しい。口にしない欲求を喉元に押し留めながら唐突な幼馴染の行動を見守っていたら、不意に苛立った低音が割り込んできた。
「真奈美!」
「っ、はい!?」
「んなにやけた男に触られてんじゃねぇよ!体調が悪いなら保健室に行け!」
「でも・・・」
「───先生、こいつ顔色悪いし、俺が保健室に連れてきます!」
「いや、立木、お前は藤枝とクラスが違うから保険委員に」
体育の教師の言葉が終わる前に、突風のようにどこからともなく現れた少年は、藤枝さんの手を引っつかんで体育館を後にした。
突然の展開にぽかんと口を開けて二人の姿を見送ってると、くすくすと小さく笑い声が聞こえる。
視線を持ち上げれば愉快そうに口角を持ち上げた幼馴染が、二人の消えた先を見詰めていた。
「ね?」
「・・・『ね?』って、何が?」
「だから小学生並の素直さだよね、立木って。いやぁ、次の試合で怪我をしないように僕も気をつけなきゃ」
「・・・よくわからないけど、ゴロちゃんもなんだかんだで捻くれてると思うよ?」
「そう?でも他人の恋愛ごとはちょっとくらい突いて背中を押してやりたくなっちゃうんだよね。特にくっつきそうでくっつかない微妙なの。もうさっさとしなよって思っちゃう」
「気付かない人多いけど意外とせっかちだからね、ゴロちゃんは」
「うん。自分のことはわりと気長に待てるんだけどね」
悪戯っぽいゴロちゃんの笑みに釣られ、つい私も笑ってしまう。
保健室に連れて行かれた藤波さんがどう行動するかわからないけど、折角ゴロちゃんが作ったチャンスなので是非とも活かしてもらいたい。
そんなことを考えていたら、不意に背中から何かに抱え込まれて身体が強張る。
しかしすぐに相手が誰か察しがついたので、力を抜いて首をほぼ直角に持ち上げた。
「愛兔?試合は?」
「・・・はくちゃんと狼野郎がべたべたしてる間に終わった」
むっつりと、至極不機嫌ですと訴えている弟に、眉がはんなり下がってしまう。
試合に出てる間は応援すると約束した手前、機嫌が下降した可愛い弟にいいわけも口にし辛い。
ゴロちゃんに視線だけで助けを求めてみたが、私の意図に気付いてるくせに無視した彼は、愛兔の怒りを煽るように私の頭を撫でて試合だからと楽しげに笑った。
ひらひらと背中を向けたまま手を振って差っていく姿を恨めしげに見送って、不機嫌な弟の機嫌をどうやって直そうか、ない知恵を必死に絞って思案することにした。




