そのはち:うさぎさんはよく食べる
『ぐるるるるぅ~ぐるぉぅ~』
言葉にするとこんな感じの音が隣から響いてきて、つと視線を持ち上げる。擬音語って、確か別に呼ぶ名前があったな。なんだっけ。
小首を傾げる私の隣で僅かにお腹を押さえて眉根を寄せた愛兔は、ふうと短く息を吐いた。
「腹、減った」
「・・・どうしてお弁当二つ食べてる大野が家に帰るまでもたないのか。僕にはわからないよ」
反対隣のゴロちゃんが心底不思議そうに瞳を眇める。そう、愛兔は学校でいつもお弁当を二つ食べる。
大抵は朝一番に授業前に早弁して、二つ目はお昼に食べる。でも今日は朝から体育があったので早弁の日じゃなく、五時間目の授業のあとに食べていた。
お弁当のサイズは、私、ゴロちゃん、愛兔とサイズが違う。勿論私が一番小さくて、愛兔が一番大きい。それなのに愛兔は全然足りないと嘆いている。
「俺は成長期なんだ」
「それ、僕も」
「はい!私も!私去年の身体測定より2cm伸びてた」
「そうなの?僕は去年は身体測定してないからあれだけど、一昨年より5cm伸びてた」
「ゴロちゃん、凄いね。それは絶対に成長期だよ!」
「でしょう?」
「───俺は去年より7cm伸びてるけどな」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
さらりと告げられた言葉に、口がぴったりと貝のように閉じる。思わず半眼になって唇を引き結ぶと、隣のゴロちゃんも表情が消えていた。せっかく盛り上がったのに完全に水をさされた気がする。
確かに愛兔は去年より大分見上げる角度がきつくなったけど、縦も横も追い抜かれてから久しいけど、だからと言って悔しくないわけじゃない。
小さかった頃は手を引いてあげていた弟が逞しく育ってくれたのは嬉しい。嬉しいが、見上げる視線を忘れられないのも本心だ。くりっとした大きな瞳がこちらを追いかけてくるのが凄く好きだった。今でも後ろをついてくる愛兔は可愛いけど、小動物的な可愛さとはちょっと違うし。
「なんだろう。今の言葉に棘を感じたのは僕だけ?」
「ううん、ゴロちゃん。私もしっかり感じたよ。私が毎日身長伸びるようにカルシウムの摂取を心がけてるの知ってるくせに」
「いや、はくちゃんは今のサイズでちっちゃくて可愛いから気にしなくていい。ほら、すっぽり」
「ええい、放せ!私はもっと伸びるんだー!ね、まだ伸びるよね、ゴロちゃん?」
「んー、僕がもうちょっと伸びるから、虎珀も伸びてもいいよ。そうすると身長差はちょうどくらいをキープだし」
後ろからがっちり愛兔に抱えられたまま、ゴロちゃんに頭を撫でられる。暴れてみてもホールドされた腕の力は緩まないし、ムッとしたまま勢いで問いかけたものの、ゴロちゃんから返って来た内容は一瞬喜んでいいのかわからないものだった。
身長差がちょうどいいってなんだろう。私の今の身長は一月前の時点で152cm。ゴロちゃんは174cmで愛兔は182cmだ。
ゴロちゃんと私の身長差は12cm。これのどこがちょうどいいんだろう。
「はくちゃんに触るな。言っておくが、すっぽり包めるくらいの差がある方が安心感がある。はくちゃんはぎゅってされるのが好きなんだ。そして俺もはくちゃんをぎゅってするのが好きだ」
私の頭を撫でてたゴロちゃんの手を叩き落とした愛兔は、そのまますりすりと頭の天辺に頬擦りし始めた。
背中からじんわりと温もりを感じるスキンシップは確かに好きだし安心する。もっとも、相手が愛兔だからっていうのが大前提だ。
トクトクと少し早くなる心音に耳を傾けてると勝手に瞼がとろりと落ちてきてしまうし、愛兔の匂いに安心する。胸がぽかぽかして、きゅってなって、ふんわりする。昔から二人一緒で過ごす時間が長かった所為か、もう条件反射みたいなものだろう。
春の麗らかな日差しが差し込むリビングでごろ寝した幼い頃を思い出すのだ。
「何言ってるの、それなら僕も好きだし。別にすっぽり包めなくても抱きしめることは出来るからね」
確かにゴロちゃんに抱きしめられても似たような感覚が襲ってくる。幼馴染で愛兔の次に一緒に過ごす時間が長かったし、私にとっては同じくらい気を許せる相手だ。
「はくちゃんの寝顔なんてもう間近で拝む機会もないくせにふかすな」
「機会なんてこれから山というほど作れるから」
「作れるわけないだろうが。俺が許さない」
「別に君の許可は欲してないしねぇ」
「はくちゃんが嫌がる」
「別に虎珀は嫌がらないよ。ね、虎珀」
「へっ?」
ぽんぽん弾む二人の会話にあわせて頭を動かしてると、いきなりボールを投げられた。明らかに私に投げられたけど、上手くキャッチできずに慌てふためく。途中まで私も混じっていたのに、完全に傍観者になっていた。
「はくちゃん、俺じゃなきゃ嫌だよね」
「うっ」
「虎珀、正直に言いなよ?」
「う・・・」
情けない声で耳元で囁く低い声に、じりじりと追い込まれていくのがわかる。視線を彷徨わせてみるが、寄り道前提に一本裏通りを帰っていたのでこの時間帯は割りと人通りが少ない。いや、もし万が一私が歩行者だったとして、通りすがりにこんなやりとりしてる人の仲裁をするだろうか。知り合いならともかく、赤の他人なら出来るだけ視線を逸らして早足で通り過ぎてく気がする。
どこか遠くでからすの鳴き声が聞こえた。考え方をポジティブに変えるなら、むしろ誰にも見られなくてラッキーなのかもしれない。だって私たち的には対して珍しいやりとりじゃなくても、近隣に住んでらっしゃる方にしたら思わず足を止めて魅入ってしまうレベルかもしれないのだから。
「はくちゃん、無視しちゃ嫌だ」
甘えるような口調とは裏腹に、結構ぎゅっと遠慮なく力が入れられ息が詰まった。やんわりしてるけど答えを強く促している。
「愛兔、お腹空いてるよね?今日はお姉ちゃんがおにぎり奢ってあげる。愛兔の好きな鮭とおかか頼もうね」
「誤魔化すの?」
「虎珀、悲しいくらいにふりが下手くそだよ」
「もう、ゴロちゃんは混ぜ返さないで!家に帰れなくなっちゃうでしょ。おむすび屋さんは駄菓子屋さんよりちょっと遠いんだから、さくさく歩く!」
むっと唇を窄めて不服を訴える愛兔の頭を撫でてたものの、未だに腕を放さないのでちょっと無理やりに引き離しながらゴロちゃんを睨んだ。
こういうとき弟気質の愛兔より、長兄のゴロちゃんの方が引かない。せっかく収めた火種にも、気分によってはせっせと息を吹き込んで炎を燃やす場合があるから油断できない。
じとりと睨みつけて、奪われまいと必死になってる愛兔を安心させるために抱きしめる腕を引き離すのではなく抱き返した。
「私も愛兔にぎゅっとされるの好きだよ」
「はくちゃん・・・」
じんわり、目尻が赤く染まる。不機嫌一色に染められてた顔色が、蛍光灯をつけたようにぱっと明るくなった。
見た目は大きくて顔つきもシャープで鋭いけど、こうしてはにかんだ笑顔は昔と全然変わらなくて可愛い。にこにこと一気に上機嫌になった素直な弟の頭を背伸びしていい子いい子と撫でてやる。すると今度は安心したのか、ゆっくりと背中にへばりついていた体温が離れていった。
「手、繋ぐ?」
「うん」
こっくり一つ頷いて、大きな掌が差し出される。躊躇なく手を重ねて握りめば、その様子を見ていたゴロちゃんがこれ見よがしに深いため息を吐き出した。
「虎珀。その手の繋ぎ方、世間一般でなんて言うか知ってる?」
「なんて言うの?」
「恋人繋ぎって言うんだよ」
「へぇー」
しっかり開いて握りこんだ手をじっと見詰める。指まで絡めるようにするこの繋ぎ方は、恋人繋ぎと言うのか。でもどこら辺が恋人なのだろう。顔の前まで持ち上げて観察するけど、語源が全然わからない。
「大丈夫。俺たちがしても、全然変じゃないから」
「・・・照れがないってのは意識してないってことでしょう?」
「負け犬の遠吠えは見苦しいな。まぁ、狼はイヌ科だから仕方ないか」
見せ付けるようにぶんぶんと手を振った愛兔の機嫌は急カーブを描いて上昇中する。緑のモヒカンがゆらゆらと揺れて、思わず片手で掴みたくなるような動きだ。私を挟んだ先に佇むゴロちゃんに、小生意気な感じに口角を持ち上げてドヤ顔してる。可愛い。うさぎなのに釣り上がり気味の瞳がきらきらしてる。
対して私を間に挟んで正対するゴロちゃんは、にこにこした笑顔をそのままに醸し出す空気が段々重くなってきていた。いつもどおり穏やかで爽やかな雰囲気なのに、機嫌が急降下するのが伝わってくる。
「ゴロちゃん」
「なに?」
「ゴロちゃんには肉まんね」
「・・・僕はお腹いっぱいだからいいよ。ありがとう、虎珀」
仕方無さそうに眉尻を下げて目を細めたゴロちゃんは、降参するように手を上げた。いったい何に降参してるのだろう。小首を傾げて観察してたら、繋いでいた手を球に引かれて危うくバランスを崩しかけた。
「はくちゃん、いこ」
盛大にお腹を鳴らしている愛兔は気にせず私をぐいぐい引っ張っていく。
愛兔について行くために慌てて早足になりながらも後ろを振り返って確認したら、ちゃんとゴロちゃんはついてきてて、その時のゴロちゃんはいつもどおりの穏やかな空気のゴロちゃんだった。




