第一話 わたくしを、誰だとお思いですか
「……なぁ、そこのお嬢さん。そのドレス、去年の流行りやろ?だいぶ物持ちがええんやねぇ。うちの庭師の作業着でも、もう少しええ生地使うてるで?」
王都アルバシオンで、もっとも『絡まれたくない人間』を問うアンケートを実施すれば、結果は開票するまでもない。
王太子、ヴィオレント・ラムノア・アルバシオン。
即答である。
細い目、すっと通った鼻梁、口角がわずかに上がったまま固定されているような唇。
整った顔立ちをしているのに、どこか人を食ったような印象を与えるのは、その目つきのせいだろう。
キツネ、とよく言われる。
本人はまんざらでもなさそうな顔をしているので、余計に質が悪い。
そして何より、口が悪い。
「ああ、伯爵家の次男坊やん。この前の馬術競技で落馬しとったな。見てたで。あれは見事な回転やったわ」
「そこの男爵令嬢。婚約破棄されたって聞いたけど、まあ、自業自得とちゃうん?人の話を遮る癖、直した方がええで」
「将軍閣下、最近ちょっと太らはりました?甲冑、悲鳴上げとりますよ」
相手が貴族だろうと、年長者だろうと、お構いなし。
するりと毒を忍ばせた言葉が、標的の急所めがけて飛んでいく。
しかも、絶妙に的を射ているから笑えない。
笑えないのに、本人がどこか楽しそうにしているから、余計に腹が立つ。
王宮の廊下を歩けば人が避け、社交の場に現れれば場の空気が緊張し、それでも彼が次期国王であるという事実は変わらない。
転生者であることを隠している側近のロイドは、今日も今日とて、主人の背後でこめかみを押さえていた。
「殿下、いいかげんにしてください」
「なんや、またそれか。ロイドはほんまうるさいなぁ」
「うるさくもなります。さきほど財務大臣を泣かせましたよね」
「あの人が勝手に泣いただけやろ。俺はただ、帳簿の数字が少々おかしいですねぇって言うただけや」
「横領を、王太子直々に、満座の中で指摘したんですよ」
「せやから、数字が少々おかしいって言うたやろ」
ロイドは深く息を吐いた。
こういう男なのだ。
言っていることは正しい。
やっていることも、間違ってはいない。
ただ、その方法が常に最悪なのだ。
転生前の記憶によれば、この世界は乙女ゲームを原作としたコミカライズの世界である。
原作ゲームにおけるヴィオレントは、攻略対象の一人として、『毒舌だけど実は純情』という記号を背負った存在だったはずだ。
だが、コミカライズにおいて解釈が大幅に拡張された結果、「毒舌だし実際に性格が悪い」という、なかなか業の深いキャラクターに進化していた。
そして今日も王太子は、新たな標的を探して王宮の廊下を歩いている。
中庭に差しかかったときだった。
見慣れない人影があった。
噴水のそばで、一人の少女が空を見上げている。
白を基調とした衣装は、アルバシオン王国のどの貴族のものとも様式が違う。
刺繍の意匠、生地の質感、そして少女の立ち姿から漂う、不思議な凜とした気配。
黒髪が、風に揺れていた。
ヴィオレントはちらりとその横顔を一瞥し、それから「ほな」という顔をした。
ロイドは即座に察した。
やめろ。
そう思った。
口に出す前に、主人はすでに歩き出していた。
「ちょっとあんた」
少女が振り向く。
切れ長の目。
涼しい顔。
ヴィオレントと対面しても、微塵も表情を動かさない。
それどころか、品定めするように相手をじっと見つめ返した。
「なんでしょう」
「こっちの言葉、わかるんや。どこの子?見たことない顔やけど、誰かの連れ?」
「連れ、ではありません」
「ふうん」
ヴィオレントは少女の周囲をゆっくりと一周した。
値踏みするような所作だが、悪意というより、純粋な好奇心がそこにある。
ロイドはその行動を見て、少しだけ嫌な予感を覚えた。
主人が『おもしろそう』と判断した相手への態度だ。
「その格好、遠くから来たん?」
「ええ、少々」
「言葉が丁寧やな。貴族か何か?」
「まあ、そのようなものですわ」
「なんや、ぼんやりした答えやなぁ」
ヴィオレントは口角をわずかに上げた。
「実は平民やったりする?ここ、関係者以外立ち入り禁止やで。王宮やし」
「存じております」
「存じております、って。知っとるんやったら、なおさら入ったらあかんやろ」
「招待を受けておりますので」
「招待?誰に?」
少女は初めて、ほんのわずかに表情を動かした。
ロイドの目には、それが『やれやれ』という呆れに見えた。
「わたくしを、誰だとお思いですか」
「誰やねん?」
間があった。
少女はもう一度、ヴィオレントをじっくりと見た。
それから、ほんの少し顔を傾けた。
「あなたの婚約者になる予定の、ラルディア帝国第二皇女。カルメリア・ヴァン・ラルディアですわ」
王宮の中庭に、しばし沈黙が落ちた。
噴水の水音だけが、やけに大きく聞こえた。
「……」
「……」
「……は?」
ヴィオレントの口から、生まれて初めてと言っても過言ではない、間の抜けた声が漏れた。
ロイドは天を仰いだ。
そうだ。
今日は、ラルディア帝国からの使節団が到着する日だった。
「くれぐれも粗相のないように」
国王から、念押しされていた日だった。
なぜ自分はそれを主人に伝えていなかったのか。
いや、伝えていた。
間違いなく伝えていた。
ただ、主人は全力で聞いていなかったのだ。
「帝国の、皇女」
「そうですわ」
「俺の、婚約者」
「まだ正式な締結ではありませんけれど、そういう話し合いのために参りましたの」
ヴィオレントは、そこで初めて、こめかみを押さえた。
珍しい所作だった。
ロイドは四年間この男の側近を務めているが、主人がこめかみを押さえるところを見たのは、両手で数えられるほどしかない。
「……さっきから俺が言うてたこと、全部覚えとるか」
「もちろん」
「立ち入り禁止やとか、誰の連れやとか」
「ええ」
「あんた、なんで最初から言わへんかったん」
カルメリア皇女は、今度こそはっきりと表情を変えた。
涼やかな目元が、少し細くなる。
笑みと言えば笑みだが、ロイドには「裁定を下す顔」に見えた。
「あなたが聞かなかったので」
「聞いたやろ、誰って」
「その前に、ずいぶんと失礼な物言いをなさいましたね」
「……」
「連れですか。平民ですか。知っているなら入るなと。未来の婚約者に向かって、なかなかの歓迎ですこと」
ヴィオレントが黙った。
これは非常に珍しい事態だった。
ロイドは思わず主人の横顔を確認した。
いつも滑らかに動いている口が、めずらしく静止している。
「……まあ。俺が悪かった」
「あら、認めますの」
「事実やし」
「素直ですのね」
「俺はいつも正直やで。……ただ、言い方がちょっと悪いだけで」
「ちゃんと自覚がおありなんですのね」
「……知っとるん?」
「ある程度は調べて参りましたから」
そこで初めて、沈黙に別の色が混じった。
ロイドにはわからない種類の間合いだったが、二人の間の空気が、少しだけ変質したように感じた。
カルメリアは噴水に向き直り、先ほどと同じように空を見上げた。
「あまり調子に乗られますと……わたくし、アルバシオンを併合したくなってしまいますわ」
「!?」
「冗談ですわ」
カルメリアは、静かに微笑んだ。
「ただし、あながち全部冗談とも言い切れませんけれど」
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