5.目には目を(1)
※短編版のシーン(前半)です
「その愚か者も同じ目に遭うのでしたら、謝罪を受け入れてもよろしくてよ」
6月5日
タウゼント侯爵邸の一室。
肌寒いほどに空間の広い応接室。
装飾的なローテーブルを挟み、惜しみなくクッションの使われたソファに並んで座らされた状態から平伏の体で頭を下げるリジット伯爵家一門の三名に対し、麗しきアルジェンヌはそう告げた。
「同じ目、ですか?」
「お前の息子が、わたくしの可愛い妹レシェナにしたように、意に染まぬ相手から強引に迫られ、まるで恋愛関係にあるかのように周囲に喧伝され、日々の侮蔑的な扱いに耐えるのであれば、先ほどのお話を聞いて差し上げると申しましたわ」
「は、はあ……」
曖昧に応じつつ、おそるおそるリジット伯爵は視線を上げる。
庭からの明るい日差しを背に受けた彼女の輪郭は淡く輝き、謝罪者たちからは逆光によりその表情が読み辛く、またどうにも眩しくて目を細めることになる。
「あの……タウゼント嬢、そのようなことで、よろしいのでしょうか」
「まあ。何か異存でもあって?」
「いえ、その」
リジット伯爵としては多くの交渉ごとがそうであるように、もっと経済面や社交面においての直接的な打撃を望まれるような流れを懸念していた。
問題を起こしたゲルトラン自身の処分は当然として、賠償金であるとか、何かしらの利権とか。その度合いをいかに緩めて小さな被害に収めるかがこの日の謝罪の目的であった。汗を拭くリジット伯爵の内ポケットで、準備してあったエメラルドの目録が所在なくかさかさと擦れる。
「僕も気になるな。本当にそんな罰で良いの、アルジェンヌ?」
柔らかな美声。
隣から口を出したのはエンディオンだ。
アルジェンヌの婚約者にして隣国の若き王子。
この部屋の中で最も高い地位にあり、誰あろうと、その発言を妨げることはできない。
彼の国がこの国よりもずっと大国で、正式な婚約者としてアルジェンヌにすでに準王族の身分が与えられていて、そして彼エンディオンが婚約者への深い寵愛を隠さないことが、今この場においてアルジェンヌへ圧倒的な権力を与えている。
そのエンディオンから甘えるような優しい目を向けられて、アルジェンヌは少し困ったそぶりで目尻を下げる。
「甘い罰かしら」
「レシェナ嬢はこの世でたった一人、血が繋がった君の妹だ。それが、半年近くも男に付きまとわれて恐ろしい思いをしたんだろう? 僕の義妹への非道な行いを、そんなに簡単に許すのはね」
他国王子からの、義妹、という言葉にリジット伯爵家の面々が肩を震わせる。
伯爵。
伯爵家の後継たる長兄。
そして問題を起こした三男坊。
倍の人数でもゆったり座れそうな長く立派なソファにはその三名。伯爵夫人の姿はない。
また彼らからさらに離れた後方には別に椅子やテーブルがあり、立会人として、コーヴェリアン外務卿と、サジェードと名乗った高官書記が座っている。
「君はもっと強い対応を望むかと思っていたのに」
「でも、エディ。
聖女様方の格言集にも『目には目、歯には歯』とあるでしょう。同じものを超える罰を与えることには慎重でなくてはいけないと思うの」
「白い日には三倍返し、って続かなかったっけ、それ」
対岸は若い男女が一組。
アルジェンヌとエンディオンだけだ。
ただし近辺には付き人が男女合わせて数名、彫刻のように静かに控えており、護衛は両国からの混成で窓近くやソファのすぐ後ろなど要所要所に数名ずつ配備されている。室内の人員は見た目の印象以上に多く、物々しい。
「レシェナ嬢自身は何か言っていた?」
「あの子は私に任せてくれるって言ったわ。お母様も」
「それはエルトの方のお母上だね?」
「ええ。先にネキアに立ち寄った際に。タウゼントのお義母様にも同じように裁量をお認めいただいておりますけど」
「うん、それは僕も一緒に聞いた。侯爵も君を信頼して任せている」
「旧エルト家に関わるお話で、ネキア男爵家は派閥違いですもの。お義父様もお義母様も口出しをしすぎないように気を遣ってくださって。でもそのせいで私のいない間にレシェナを守れなかったのを悔やんでおいでだわ」
子爵令嬢に過ぎなかったアルジェンヌがタウゼント侯爵家という強い家に引き取られたことや、未亡人のアルティエンナ夫人と娘のレシェナが旧エルト領主邸を含む地域ごと隣領ネキア男爵家に迎えられ、望めばかつてと同じ館に住み続けることができるようにされたことからも分かるように、子爵家を保つことができなくなるまですべてを投じて国境を守った旧エルト家の関係者には、その犠牲に報いる意味で様々な救済や優遇がされている。
敗残者ではあるが、誇りは失わなかった。
没落はしたが不遇ではない。
そういった、少々特殊な立ち位置に元エルト子爵家はある。敗れ去ったせいで政敵すらも今はなく、脅威に思われないがゆえに配慮される、美しい敗者だ。
「ねえ、リジット伯爵」
「は……」
「お前の家の下の息子は、可愛いレシェナがわたくしの妹だと知らなかったようね?」
「誠に、お恥ずかしく」
詰られるリジット伯爵が、自分も知らなかったと言えるはずもない。
「我が国の防衛存続に身を投げ打って殉じたエルト子爵家に連なり、侯爵家の養い子で隣国の準王族の身分のあるわたくしを姉に待つことを知らず、たかだか地方男爵家の末娘と見て。ええと、なんと放言されたのだったかしら」
付き人の一人が動いた。
ローテーブルの上から書類を取り上げ、あるページを一番上にめくってからアルジェンヌへ手渡す。
「そう、これね。『なかなか見られる容姿をしている。僕らが相手をしてやろう』」
空気の重みが増す。
リジット家側の座席でデンダールは奥歯を噛み締め、きつく握った拳を膝の上で震わせている。
ゲルトランはこの会見の当初から口に帯状の布を巻かれて発声を封じられていた。
口内まで布を詰めるような本来的な猿轡ではなく口の外を覆っているだけなのでマスクに近く、完全に喋れないわけではないのだが、この馬鹿には発言を認めないという戒めを目に見えるように示すため最初の謝罪ののちにリジット伯爵がアルジェンヌの許可を得て取り付けた。
さらには椅子にも座らせず床に直接膝をつくように伯爵は問題の三男へ命じたが、それはアルジェンヌにより「話がしにくいわ。それもソファに座らせて」と止められた。
「こんなのもあるわね。
『聞いたぞ、お前、ネキア男爵令嬢とは名ばかりで、平民の後妻の連れ子だそうだな』。
初対面から半月後の発言。これはお母様への侮辱ね。レシェナはその場で否定したけれどリジット伯爵令息はご友人方と調子を合わせて嘲り笑うばかりで取り合わなかった……と」
ぐう、と唸るような音を喉から絞り出したのは、リジット伯爵家の三名の男のうち誰であったか。
冷たい静寂に紙をめくる音が重なる。
「ねえ、エンディオン様?
あなたはどうぞ誤解なさらないでね。
エルトの家こそ爵位を返上してなくなりましたけれど、わたくしもレシェナもお母様も、一秒とて平民に身を落としたことはなくてよ」
「もちろんだよ。君の気高さと出自の確かさはこの僕がよく知っている」
「まあ。素直に気位が高いと仰っていただいてもいいのに」
ころころ朗らかな会話をする婚約者たち。
「そうね、リジット伯爵。
確かにわたくしは、子爵家の一員に生まれながら戦中の混乱時に家を守ることができず、あえなく権勢を奪われた無能者の一人です。貴族として脇が甘く、お前の三男の処遇についてエンディオン殿下がご心配されるのももっともなのだと思うわ。
お前自身、そんなことで良いのかと危ぶんでくれているものね」
「いえ、はい、それは、その」
「だからこうしましょうか。まず、わたくしの言ったとおり、その男をレシェナが受けた辱めと同じ恥辱の中に置く。期間はレシェナが被害を受けたのと同じ、初対面から今日までの日数……何日ぐらいかしら?」
アルジェンヌが首を引き扇を広げれば、付き人が静かに腰を折り、扇の下で彼女へ耳打ちする。
「そう。おおよそ一五〇日ね。
では同じく一五〇日としましょう。
よろしくて?」
「は……」
ぎりぎり、はいとは発音しなかったが、反射的に明らかな承諾のニュアンスでリジット伯爵は頭を下げた。
「それが済んだら、どの程度の反省が見られたかを確認して、その上で再度、賠償などのお話をしましょう。その時に、わたくし、レシェナ、お母様、エンディオン様の四名が追加の償いを求めなければそれで終わりで良いわ」
具体的な話が見えない。
その上、終わりも見えなくなった。
リジット伯爵はそう感じて応諾の声を出しかね、沈黙した。
そのため生まれた空白の間に、
「本当にそれで良いんだね」
とエンディオンがなおも不満げに言う。
裏を返せば、不満は残るがアルジェンヌの希望を優先するという様子でもある。
「あの子が怖い思いをして学園に通った一五〇日を何かの対価に変えたいわけではないわ。一応考えてはみたけど、タウゼント侯爵家もネキア男爵家も、今、困っていることや欲しいものは思い当たらないのよねぇ」
扇を立てて形の上ではひそひそと、でも誰に聞かれても構わないくらいの音量で、アルジェンヌは婚約者にそんなことを話している。
物も金も取らない。
鞭打ちや労役、身分の降格などのような分かりやすい懲罰でもない。
被害者の姉の要求は雲を掴むようで、むしろ絵空事じみていて、それが重たいのか軽いのか、リジット伯爵には見当がつかなかった。
それでも少しだけ、今この場で大きく家名に傷がつくことはなさそうだと彼がほっとしてしまったのも、また事実であった。
+ + +
長かったような短かったような暫時の後。
ぱちん、と扇の閉じる音が響く。
「あなたはいかが、ゲルトラン・リジット?」
それはここに来て初めて彼女から口に出された罪人の名前。
デンダールがぎくりと横を向く。
「ああ、声にする必要はなくてよ。頷くか首を横に振るかでわたくしの言うことにお答えなさい」
口を封じられたゲルトランは脂汗をかき、ぎょろぎょろと目玉ばかりを動かして居合わせた人々の顔を伺っていたが、どうもそこまで自分に悪い流れではないと思ったのか顔色は当初より多少良くなっていた。
「反省していますの?」
大きく頷く。
「レシェナに悪かったと思って?」
頷く。
「もう二度とこのようなことはしないと誓えて?」
イエス。
「レシェナにだけではないわ。
あの子はたまたま権力のある姉がいただけ。お前につきまとわれたのが学園の他の娘ならどうなっていたことか。考えるだけでおぞましい。
金輪際、あの子へ近付かないのは当然として、もう二度と、誰に対しても、不埒も意地悪も向けてはなりませんことよ。
よろしくて?」
無論イエス。
ぶんと縦に首を振る。
「お前はこれから常に誠実で真摯でなくてはなりません。場所を問わず、老若男女、貴賤も問わず、誰にでも」
ここで少しアルジェンヌが黙ったので、応答を求められていると気付いた。
慌てて上目遣いに頷く。
「つまりね……」
アルジェンヌは小首を傾げ、思案げに、言葉を探して閉じたままの扇の先で己の口元を軽く隠すような仕草をした。
「つまり、もうお前は、後輩の殿方を体格が悪いと小突いてはだめ。胸の大きな子とすれ違う時に口笛を吹いてにやにやしてもだめ。それは可愛がっているのではないの。馬鹿にして踏みつけにしているのよ。わたくし、そういうことを言っているの」
罪を犯して糾弾されてなんとか罰を小さくしようと――あわよくば罰から逃げようと――詫びている立場のはずのゲルトラン・リジットは、そこで何を言われたか理解できなくてぽかんとした目付きになった。
その横並びで、父親と兄の方が危険な流れを嗅ぎつけて青ざめている。
洞察が深すぎるのだ。
アルジェンヌは、ゲルトランの人となりを掴みすぎていた。異常なほど的確に。
「誓えるわね?」
ためらいがちに、ゲルトランは頷く。
「そう」
彼女はしっかりと頷き返した。
「よろしくてよ。
ではお前への罰について、今までの話のとおりで良くって?
まずは一五〇日間、お前がレシェナにしたことをお前は被害者の立場で経験する。望まぬ相手から迫られ、不本意な立場に置かれるということね。
理不尽で悔しくても耐えるのよ。レシェナは耐えたのだから。あの子、姉の立場が大きいせいでかえってすぐには動けなかった。我慢強くて優しい子だもの。事を荒立ててはお前を破滅させてしまうと思ったのね。多くの人に迷惑をかけてしまうし、逆恨みだって恐ろしかったことでしょう。
どうしてお前のような者は獲物にしやすい気弱で慎み深い性質の相手をすぐに嗅ぎつけるのかしら。事態を知ったネキア男爵が動いてくださって良かったわ。
ああ、いえ、逸れてしまったわ。話を戻しましょう。
お前をどうするかのお話だったわね。
そうして一五〇日。この罰則期間とその後のお前の心持ちや態度によって、さらに罰を与えるか、お前の家が関係者になんらかの賠償を行うかを決めていくの。お前が罪を認め、罰を受け入れ、深く反省すれば、わたくしはリジット伯爵家の謝罪を受け入れてそれ以上は求めないわ」
いくばくか時があった。
口を開きたいようなそぶりを見せたリジット家当主をエンディオンが流し目で黙らせ、実際に息を吸い込みかけたデンダールに対してはアルジェンヌが軽く扇を振って気勢をくじいた。
沈黙しているだけではやり過ごせなくなったことがひしひしと感じられ、後光の中でも強い目でまっすぐに見つめてくるアルジェンヌに、ぎこちなく、ゲルトランは頷いてイエスを返した。
――返してしまった。
「良い心がけだこと」
アルジェンヌはひとつ首肯する。
「書記の方、お手数ですがこれまでの内容をまとめて、証文をお願いできますかしら」
そこで初めて、アルジェンヌは笑ってみせた。
ただ偶発的に二日間の会議を共にしただけでエンディオンを骨抜きにしてしまったというのも納得できる、春のように温かく美しい笑顔だった。




