消えなかったもの
打ち合わせは、予定どおり終わった。
「じゃあ、その方向でお願いします」
頷き。
資料を閉じる音。
「分かりやすかったです」
そう言われて、
ヒナタは軽く頭を下げた。
言葉は、ちゃんと届いていた。
問題は、何も起きていない。
廊下に出ると、
空調の音が少しだけ大きく感じられた。
エレベーターに乗り、
鏡越しに自分の顔を見る。
困っていない。
迷ってもいない。
ただ、
確かめたくなった。
スタジオは空いていた。
照明は半分。
アンプの電源は落ちたまま。
ヒナタはケースを置き、
ギターを取り出す。
チューニング。
合っている。
それだけで、
少し安心する。
椅子に腰を下ろし、
弦に触れる。
単音。
もう一音。
音は、ちゃんと返ってくる。
意味も、説明も、いらない。
ただ、
鳴らす。
ヒナタは一つだけコードを鳴らし、
そのまま止めた。
スマートフォンを一度だけ確認して、
椅子の背に掛けていたコートを手に取る。
立ち上がる。
スタジオの空気が、
少し遠くなる。
外は、
雪が降ろうか、
降らないか、
その境目みたいな空だった。
白くなる前の、
静かな色。
さっき鳴らした音が、
まだ指先に残っている。
ちいさくて、
溶けそうで、
それでも。
消えなかったもの。
ヒナタは、
コートに腕を通して、
外へ出た。




